無限に発散するエッセイ

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2023-12-27

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 卒論の初稿を提出した。想定していたのは夜空の星とともに寒さが光り、それに吸い込まれるように我が身に浮遊感が生まれるような夜だった。しかし予想に反して最近では最も調子が悪い。達成感を覚えた人間がやるようなことを真似しても、満たされない思いが残る。
 行き場のない抽象的な殺意がある。夕陽を眺めどこかに鳥はいないかと探してる間も、他人や自分、物や事、寂しさや苦しさを殺したいと思う。
 抽象的な辛さは具体的な解決を求めず、いつまでもそこにある。これは忘れるしかない。このことは、考えないことが大事だ。
 しかし悲しいのは、前ほどコンカフェが楽しくないと思ってしまうことだ。以前友人が「エトーはコンカフェなんかに行ってるから現実と乖離していくんじゃないか」と言った時、別の友人が「それは逆で、現実と乖離しているからコンカフェに行っている」と返したことを思い出す。
 僕が現実を正しく捉えることに近づいて、欲望が現実的なものに変化したから、現実から離れるコンカフェでの一時に前ほど価値を見出せなくなったという理解は、確かに筋が通っているように思える。
 僕がコンカフェのAさんとご飯を食べに行ったり一緒にゲームしたりすることは、叶わない。そのような現実的な欲望を叶える場所として、コンカフェほどふさわしくない場所はない。
 コンカフェで「その先」を欲望することは、楽しさを阻害する。でも、隣に座るみんなはどうしているんだろう。目の前に推しがいて親密な仲になりたいとは思わないというのはどうせ嘘だろ、と思っているが、どうなんだろう。推しという言葉を使うことを忌避する僕だけの悩みなんだろうか。
 僕はコンカフェに行くべき人ではなくなったという結論を出したくない。コンカフェに行きたいと思わないが、コンカフェに行きたいと思いたいとは思う。あんなに楽しかった場所が色褪せていくことになるのは本当に辛い。
 僕が髪を染めて褒めてくれるのはコンカフェの女性だけだ。それでも良かったのに。
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