女神の白刃

玉椿 沢

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第2章「夢を見る処」

第9話「悲しみを湛え、ダナ、ダナ、儚い命」

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 精剣せいけんの出現によって戦場が様変わりした。魔力を収束、発振させる精剣は、武器ではなく兵器だったからだ。

 精剣のスキルを使った殲滅戦が展開され、その衝撃が天下分け目の決戦へと突き進む原動力になったといわれている。

 瞬く間に天下を治めてしまった理由の一つかも知れない。

 兎にも角にも、西の皇帝が権威・・を持ち、東の大帝が権力・・を持っているという奇妙な構造で戦乱が収まった。

 どれだけ不安定であっても戦争が続いているよりはマシなのだが、戦争が終わったから地方の悪政を糾弾し、庶民を救う特使でも派遣する、とならなかったのは不幸だろう。

 剣士は隠密要員として地方を巡るようにはならず、より強い剣を奪い合う方に腐心した。

 結果、治安維持は後回しにされ、街道ですら盗賊や魔物が出るのでは経済活動など望むべくもない。


 そう――この世には、人よりも質の悪い魔物・・という存在がいるのだ。


 不自然な赤い肌の小男が、手に粗末な武器を持って集団で走っている。

 向かう先にあるのは人の住む村。

 棍棒や、穂先を削っただけの槍、錆で真っ赤になった剣などを手にしている小男は、犬のような頭部を持った人型の魔物・コボルトだ。

 眼前にある村は、村というよりも集落と呼んだ方がイメージと合致するくらいの、本当に小さく、粗末な所であるが、コボルトにとっては襲いやすい。

 穀物と野菜と水を手に入れるには絶好の場所だ。

「――」

 コボルトが口々に叫び声を――活字にし難い言葉かも知れない――をあげ、手にした武器で集落を指す。

 距離を詰めつつ、進軍速度を速めていく。

 そのスピードが走るスピードになった時、村に恐るべき変化が起こる。


 紫の光が広がり、半球となって村を覆ったのだ。


 結界、あるいは障壁と呼ばれる事もある魔物の襲撃から守る防御魔法である。

「――!」

 コボルトの叫び声には、呪いの言葉にも似た響きがあった。忌々しいと毒突いたくらいではない。もっともっと重い響きだ。

 ただし防御魔法も、ここまで巨大になれば維持するために術者も命を賭けなければならない程の負担になる。

 半球の形は、ゆらりゆらりと歪んでいる。それは術者が万全でないことを示しているのではないか?

「――」

 今度の叫び声は、聞いた者全てが理解できる。


 行け・・と命じたのだ。


 最前線のコボルトが全力疾走に移った。防御魔法など知った事かと武器を構えて。

 だが、その前に立ちはだかる者がいる。

 一人ではない――二人だ。

 コボルトのスピードを緩めさせるのだから、その二人の素性は明らかだ。


 剣士・・に違いない。


「抜剣」

 女の姿が精剣へと変わり、男の手に収まる。その刃からは、まるで剣士の闘気が宿ったかのように白い輝きが立ち上っていた。炎のような赤い鳥を模した護拳が特徴的な剣は、決してノーマルではない。

 剣士が精剣を構えると、突撃してくるコボルトの足が若干、弱まった。

 しかし足踏みしたのが最前列を走る一列だけでは、全体の動きは不変である。

 最前線がつんのめれば隊列が崩れるかと思ったが、一度、全力疾走状態に入ったコボルトは止まらない。

 仲間を踏み潰してでも前へ出て行く。足がもつれる事など無視して。確かに陣形が乱れはするが、仲間を踏み潰して進むコボルトに決定的な崩れはなかった。

 精剣を持っている剣士といえども一人で相手にできる数ではないはず――と思ったかどうかは、分からない。人語を解するコボルトであるが、血が上った頭だ。何を考えているのか、思考を読むのは難しい。

 剣士もコボルトの考えを察しようとはしなかった。

 構えた精剣を振り上げる剣士は、その相貌をコボルトへと向けつつも、意識は背後の村へも広げていた。

 ――防御魔法に揺らぎがある!

 どれだけの時間、防御魔法を保たせられるかは分からないが、そう長い時間ではあるまい。

 剣士がスキルを発動させる。

闘気とうき捻出ねんしゅつ……!」

 精剣から溢れる輝きが、白から朱へと色を変える。

 輝きは、その形を不定形から巨大な鳥へと姿を変え――、

「オーラバード!」


 剣士と共に戦う存在を作り出す事が、その精剣の持つスキルだった。


 剣士の額から汗が一筋、流れ落ちるのは、出現した鳥が炎を纏っているだけではあるまい。

 視線は眼前のコボルトに向けるが、背後で展開している防御魔法にも意識を向ける。

 ――そんな長い時間、保たねェな!

 剣士の脳裏に浮かぶのは、ユラユラと揺らいでいる防御魔法と、その術者の事だ。揺らぎは穴となり、コボルトの侵入を許す隙になっているし、防御魔法への負荷は術者を殺す事にもなりかねない。


 一人で一軍を敵に回せる精剣といえども、攻めると守るを同時にやるのは難しい。


 ――ままよ!

 どうにでもなれという言葉は、心中であっても相応しくないかも知れないが、投げやりな気持ちで発したものではない。

 眼前のコボルトの数は、数えるのも嫌になるほどだ。

「飛翔しろ!」

 一文字に切り裂けと、剣士がオーラバードへ呼びかける。熟練の鷹匠たかじょうが操るように、とはいかないが、剣士の指示によってオーラバードは前線を突っ切り、舞い上がった。

 それで前線が壊滅してくれれば話は早いが、残念ながらそうはいかない。

「――!」

 コボルトの怒声は、ひるむなと檄を飛ばしたのかも知れないし、停止は死を意味すると脅したのかも知れない。

 スキルの威力は、コボルトの人数が圧殺する――圧殺させる。

 コボルトの停止は一瞬に過ぎない。

「降下だ!」

 稼げた一瞬は、剣士にとって値千金の間なのだからすがった。

 オーラバードに急降下を命じた剣士は、プツプツと脂汗の浮かぶ額の下で、背後に感じている防御魔法の限界に意識が向く。

 ――陣形にヒビを入れろ! 壊滅させろ!

 都合のいい願望である。

 人ならば怯むかも知れないが、コボルトは怯む事を知らないからこそ、怖れられる魔物なのだ。

 剣士の心に生まれてしまう切り込みたい衝動は、明らかな焦りだった。

 抑える。

 衝動を抑えた剣士は精剣をさながらタクトのように振るう。

 切り札を切るのは、果たして早いのか? 遅いのか?

「ケイジ!」

 オーラバードが降り立った地点から八方へ亀裂と炎が広がる。

 ややあって剣士が精剣の切っ先を天へと向けた瞬間、その八方へと広がった亀裂より無数のオーラバードが舞い上がったのだった。

 ――よし!

 そこで満を持して切り込む剣士。混乱に乗じ、一気に首魁しゅかいの首を取るつもりだった。オーラバードは強力なスキルであるが、細かな照準はつけられない。

 切り込み、まごついていた一匹のコボルトに狙いを付ける。振りかぶられた精剣は恐るべき鋭さ、恐るべき重さを発揮し、その首を落とした。それを二度、三度と繰り返したところで、コボルトも漸く正気を取り戻し、自分たちの中心に来た剣士へ向けて槍の穂先を揃える。

「――!」

 逃げ場を奪って刺し殺せといったのだろう。

 隊列を組もうとしたところへ、剣士は精剣を横薙ぎに振るった。

「舞え!」

 すがるような言葉と共に、オーラバードが横薙ぎに舞う。槍を並べた戦術の弱点は側面だ。槍を並べてしまった場合、向きを変えるためには一度、全員が穂先を上げなければならない。

***

 たった一人の剣士が数え切れない数のコボルトを相手に一歩も引かない光景を背に、村へと回ろうとする者がいた。

 禿頭とくとうでつり上がった目を持っているのは、人ではなくコボルトだ。

 しかし他のコボルトと違ったのは、その肌が真っ白い事だった。


 色素がないのだ。


 肌が灰色に近い白で、代わりに目が血のような赤い色をしていた。

「……」

 そんなコボルトが二匹、連れ立って戦線を離脱していた。数の暴力が、必死の剣士から、この二匹の離脱を許してしまった。

 ここでもう一度、剣士の背後を狙うという選択肢もあるのだが、それは断念する。

 もっと価値のあるものを、二匹は見つけているからだ。

 白いコボルト二匹が目指したのは、防御魔法が不安定になっている村。

 ――抜けられる。

 そう直感していた。事実、抜けた者を見た事があった。滑らかな半球を描いている時はダメだが、そこに揺らぎが発生した時、まるで風に揺れたカーテンの如く隙間が発生してしまう。

 目をらす。半円に走る揺らぎは、徐々に発生する間隔が短くなっている。それだけ術者が負担に耐えられなくなっているのだ。

 揺らぎが来る。

 一度は尻込みしたように見逃す事になったが、もう一度、来た時、二匹は意を決して飛び込んだ。防御魔法とはいうが、発生している光はギロチンの刃に等しい。触れれば無傷で済む代物ではない。

 運が良かった。焼け付くような、凍みるような、そんな矛盾の塊のような痛みを背に感じたが、四肢の欠損もなく、行動に支障のない傷しか負っていない。

 兎に角、防御魔法は抜けた。もっと大人数であったならば、殺到したコボルトが何匹も犠牲になったはずだが、たった二匹であった事が幸いした。

 しかし村に入ってみると、村人とて無手でいる訳ではない。

 外の守りは剣士が一手に引き受けているが、もし防御魔法を突破した者がいれば倒せる程度の装備に身を固め、巡回している。

 それに対し、この白いコボルト二匹は、他に比べれば頭がよかった。

 隠れた。

 そして幸いな事に――といっていいのか悪いのかは分からないが――防御魔法が作り出している光が、村人の目を奪い、またコボルトの白い肌には味方となった。赤い肌を持つコボルトの間では爪弾きにされる白い肌だが、防御魔法の光をそのまま映す肌は、注意して見なければ溶け込んでしまう。

 村人を避け、コボルトは行く。


 この防御魔法を操っている術者の元だ。


 そこは村の最奥、粗末だが神殿とでも呼べる場所。

 周囲へ魔力を放つためか、全ての戸、窓が開け放たれた板張りの神殿には、その中心に少女が座らされていた。手を組み、一心不乱に祈っているように見える少女は、年齢がやっと十代半ばにさしかかったかというくらいか。額に浮かんでいる汗は、冷や汗と脂汗の混じったもので、黒い髪を額に張り付かせていた。

「ハァ……ハァ……」

 肩で息をしている。ここまで巨大な防御魔法を維持しているのだ。辛くない訳がない。

 限界を迎えているのは明らかで、固く閉じた両目はそうしなければ耐えられないからか。

「――!」

 コボルトは声をあげてしまう。ここまで決定的な瞬間に出くわすとは思っていなかった。

「!?」

 巫女が反射的に目を開けた。

 その目に映ったのは、錆が浮かび、刃物として用を足すのかどうかも分からない剣だった。


 その日、村を守ってきた防御魔法は消えた。
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