女神の白刃

玉椿 沢

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第5章「大公家秘記」

第57話「えいさら えいさら ホーイ」

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 ファンとエルの二人連れでなくなった一座は、教会にいるには奇妙な集団となっていた。羽帽子を被った長身のファンと、エスニックターバンを頭に巻いているヴィー、またエルや、ハッキリと見習いと分かるインフゥは兎も角として、手足の肌は隠せても顔を隠しようのないコバック親子など人里にいる事すら首を傾げさせられる。

 だがテンジュは、そんなファン一座全員に教会の敷地へ入る許可を出した。男のオークは見慣れた魔物であるが、女のオークは見た事がない者が多いというのも理由の一つかも知れない。

「おっと……」

 手探りするインフゥの声と、ちりんちりんと鈴が鳴る音が教会の敷地に響く。

 インフゥの目を白い目隠しの布が巻かれ、腰に金色の鈴が着けるのは、教会内に男が入った時の法だ。

「不便でしょうが、本来は男子禁制の聖域ですので……」

 テンジュの侍従が謝るのが何度目になるか分からないが、この場だけの事とはいえ、法は絶対である。

 とはいえ、ファンはいつもの調子を崩さない。

「鈴は男避け、目隠しは女避け。わかってるッスよ」

 そして崩さないといえば、足取りも身のこなしも同様であるのはコバックやその娘、ザキからすると驚かされる。

「軽業を決めるのに、平衡感覚が必要だからですよ」

 目隠しして真っ直ぐ歩ける理由を、エルがザキへ教えた。

「目隠ししたままでも、ステージの隅から隅まで真っ直ぐ歩けないとダメなんスよ。それくらいできないと、自分、無駄に背が高いから、回転の多い技は失敗するッス」

 修練のたまものであるというファンだが、それだけではない。御流儀ごりゅうぎにおいても、下半身の安定、また肌で感じる空気の流れや光の加減で周囲のものを探る術は目録以上では必須とされている。

「自分は玉乗りしながらナイフ投げするから、必要だね」

 ヴィーも同様で、そんな二人が向ける視線がインフゥに刺さったのも同時だった。

「インフゥは、まだまだッスなぁ」

 ファンがいうのは、手探りになり、ザキに手を引かれている事だけを指していない。


 ファンとヴィーは、腰に鈴をつけられていても、それを鳴らしていないからだ。


「そういえば、以前、来られた時も、ゲクラン様はそうでしたね」

 その声は侍従ではなく、テンジュからもたらされた。

「はい。これも練習があります。玉乗りや綱渡りで必要な事です。身体に芯を通し、それを地面と繋げる事を骨子こっしとしているのです」

 重心を安定させるため、腰や頭を上下させず、腰を捻らない歩き方があるのだ、とヴィーはいった。

「インフゥは、爪先で地面を蹴って歩いてるから、そんなにちりんちりん鳴るんスよ。大事なのは、かかとかかとッス」

 ファンは片足立ちになり、自分の踵を指差して見せた。寧ろ踵から地面に着けるように歩けというのは、ヴィーに教えた剣術の基本であるあしと同じだ。重心を安定させるからこそ、神速の剣が放てるし、軽業も曲芸もできる。

「練習ッス、練習。ダンスするにも必要な技術ッスよ」

 まだまだ見習い生活が続くぞと胸を反らせるファンは、言外にシゴキがあるといっている。

 しかし、そうしているとエルがファンの背後から近寄り、

「男よけの鈴ですからね。鳴らした方が良いと思いますよ」

 ポンと軽くではあるが、エルはファンの頭を叩いた。

「ほら、避けられない。一生かかる練習ですからね。胸を反らして、自分ができるできるといわない方が、いいですね」

「あ痛ぁ」

 戯けるファンに、まだ一座の芸が始まっていないのにも関わらず、テンジュは笑った。

***

 聖職者が住まい、聖域に属する教会であるから、ファンが愛用する流白銀りゅうはくぎんのナイフは封印だ。

 とはいえ、これは聖職者に刃物は厳禁という理由からではない。

「はい、ファン!」

 エルがジャグリングに使うよう投げ渡すのは

 生活に関係ない、主として武器に使う刃物を遠ざけるのが聖職者である。

 しかも投げられたファンは、それらを目隠ししたままジャグリングして行く。

「はい、はい」

 いつもと重心の違うものであるが、それで手間取るファンではない。重心は違えど、見抜く感覚を持っているからこそ。

 ナイフと比べて重い分、斧を投げているのが非力なエルであっても相当な速さが出ているいても、ファンに失敗はない。ファンは殆ど受け止めるような動作もなく、頭上に放り投げていく。その時はスピードが緩やかになっており、ファンの手付きがあまりにも柔らかいからか、まるで時間の流れを変えてしまったようにも感じられる。

 しかしテンジュが本当に感心するのは、その次、ファンが上へ舞い上げた斧を送った後だ。

「ヴィー」

 最後に受け取るのはヴィーである。

 ヴィーはファンがゆっくりに変えたスピードを上げる。

 そしてファンよりも高く斧を放り投げていくのだから、その連携にはテンジュも侍従たちも目を引かされる。

「あッ!」

 そんな皆の目が集中したと感じた瞬間、ファンはわざと斧を取り違えたかのように弾く。

 わざとであるが、態とではなくミスをしたと思わせるのがファンの技術であり、決して慌てていないのに慌てた様子になるのがヴィーの技術でもある。

「え、えええ!?」

 ヴィーは悲鳴をあげて、手にしていた斧を全て投げ出してしまう。

「ひぃぃぃぃ!」

 悲鳴と共に両手両足を、まるで巻き付けるかのように身体に回す。

 その身体スレスレに、上空へと放り投げていた斧が落下してきて、地面に突き立つ。これとてコントロールして投げているのだが、ヴィーの表情と身振りが、本当にミスをしたように見せていた。

「……ほ……」

 テンジュも驚きで目を剥かされていたのだが、それで終わりではない。

「ホッホ!」

 インフゥの声と共にホッホが地面を蹴り、最後、ヴィーの頭に落下してこようとする斧をくわえ、着地した。

「ホッホ、ありがとう!」

 芸人としては見習いのインフゥは、軽業や曲芸は練習中であるが、ホッホを操る腕は一座で唯一である。

「おん!」

 ホッホが特にそう鳴くと、今まで驚いた顔しかできなかったテンジュに笑みが戻った。

「犬まで賢いのですね」

 ヴィーの頭上から斧が振ってきた事には恐怖すら感じたのだが、それを軽やかな身のこなしで救うホッホの姿は、恐怖があったが故に頼もしく、また優しく映る。

「ファ~ン~」

 そこへエルが低く声色を作り、ファンは叩かれてはたまらないとばかりに頭を押さえて戯ければ、笑いが一際、大きく起こった。

 笑い、そして拍手。

 しかし拍手は、テンジュと侍従がしたものではなく――、

「!」

 誰からという訳でなく顔を振り向けた先には、鈴も目隠しもしていない男が一人。
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