女神の白刃

玉椿 沢

文字の大きさ
上 下
78 / 114
第5章「大公家秘記」

第78話「大事にしていた三輪車 お庭で雨に濡れていた」

しおりを挟む
 ファンとヴィーの出会いは、ヴィーが行儀習いに子爵家へと来た頃だった。子爵の甥と準男爵の息子という似たような境遇で同い年という事情は、すぐに二人を親友同然にするものである。

 ドュフテフルスの男であるから、それにたがわず二人とも争い事が苦手だったのも気が合った理由であるが、最も二人を結びつけたのは性格ではなく――、

「抜けよ、ファン」

 開始の合図はあったぞ、と急かすヴィーは、芸人の仮面を脱ぎ捨てている口調だ。

 しかし剣士となった目を向けているのはファンではない。


 エルだ。


 共に馬鹿馬鹿しい日常を送るヴィーとファンを、バカにする訳でもなく、笑うでもなくついてきてくれていた姉同然の少女がいた事こそが、二人を繋げる最大の理由。

 忘れられ、失われていく運命にある御流儀ごりゅうぎの剣術道場で、大道芸を習う広場で、いつも三人で行動を共にするのが当たり前だった。

 10年以上の当たり前・・・・に変化が訪れはのはファンとヴィーが15歳になった日か。

「抜けって。非時ときじくを」


 今、ヴィーが言及した精剣せいけんが、エルに宿った日だ。


 その日のうちにファンは修行のためと理由をつけて出国を決め、また子爵家も甥の事であるし、爵位の継承権こそ持っているが、二桁の順位でしかないファンの出国許可は異例の早さで下りた。

 真新しい馬車に乗って出て行く二人を見送りながら、ヴィーの思考を支配するもの……、


 ――騎士爵は一代限りであるから、将来も平民扱いとなるファンの精剣を宿してもいいといった相手は、エル一人しかいなかった。

 ヴィーが自分を納得させた理由だ。

 時偶ときたま、聞こえてくるファンの近況を思いながら、ヴィーは一人で修練する日々へと変わった。

 剣も芸も、実践で磨き始めたファンの現状が気になると、子爵家からファンへの仕送りを運ぶ役を買って出た。

 精剣を持たないヴィーの出国許可も、簡単に下りる。戦費調達のために購入したに過ぎず、領地も領民も持たない準男爵であるが、貴族の後継者であるヴィーならば精剣を宿してもいいという女は探せば簡単に見つかるが、結局、ヴィーは選んでいない。

 ――エル……。

 ヴィーにとっても精剣とは、格など二の次三の次だ。


 誰に宿ったか――それこそが全て。


 それを悟れぬファンではない。

「……抜剣」

 エルの姿が非時へと変わり、ファンの手に収まる。

 ――面食らっている場合か!

 戦場ならば死んでいたぞ、とファンは気を取り直した。「よーい、ドン」で始まる戦闘などまれであっても、慣れていないから棒立ちだった等、言い訳ですらない。

 命を落とす事がなかった僥倖ぎょうこうだと割り切って、非時を構える。道場の中での事ではあるが、ヴィーとは幾度となく剣を交えてきた仲だ。

 ファンの慎重さは貴族にとって、今までの4戦で飽きてきた古い戦い方そのものであるし、特別な輝きなどない非時では、貴族たちの目が集まるのは全てヴィーである。

 ――まさかLレアで、無様な戦いはあるまい。

 期待の眼差しに込められている光は、全てそれだ。

 ヴィーはヴァラー・オブ・ドラゴンをだらりと下げたまま、ファンが構えた非時へと視線を向けている。

 ――異様だ。

 そのたたずまいに対し、ファンは言葉では言い表せない不安感を覚えていた。

 だらりと脇に剣を下げる構えは、御流儀にはない。構えの他にも位という考え方もあるのだが、それにも当てまらないヴィーの姿は、「ただ立っている」としかいいようがなかった。

 ――御流儀を捨てたか?

 そう考えると、Lレアの精剣を持って現れた事を説明できるのだが、ファンは有り得ないとも感じている。

 ファンの視線から思考を読めてしまうヴィーは苦笑い。

 ――何もねェよ。

 そして視線を非時からファンへと向け直した。

「何もねェよ。何も」

 主語が抜けているように感じるヴィーの言葉は、どこか空っぽで、

「使い方をいくつも知ってる訳じゃないだろ。それとも――」

 ヴィーの口調が変わる。

 同時に現れるのは、若干の躊躇ちゅうちょ


 それをいってしまっては、何もかもが崩れてしまうという直感が、ヴィーの中にもあるからだ。


 しかしいう――いうしかない。

「剣を交換するか?」

 それは本音だ。

 ファンは知らない事だが、かつてヴィーがヴァラー・オブ・ドラゴンを手に入れた時に口にしたセリフの通りだ。

 ――このセーウン・ヴィー・ゲクランが、非時を手に入れるまで。

 精剣の所有権が移る条件はいくつかあり、代表的なのは剣士が死ぬ事、そして剣士が所有権を放棄する事だ。

 ――渡せといわれて渡せる訳がないな。

 他の誰でもない、エルに宿った精剣だからこそという思いは、ヴィー自身がいだいている。ここで「はい、どうぞ」と渡されては納得する未来など有り得ない。

 ――本当にないな。ない。

 納得できる未来が何かと考えて、ヴィーは苦笑いした。ファンの前に立って非時を手放せといった時点で、平穏な話など夢物語。

 Lレアのスキルを発動させる。

「ドラゴンスケイル」

 ヴァラー・オブ・ドラゴンから溢れ出た光が包み込んだヴィーの身体には、鎧と盾とが現れ出でた。青い輝きを宿した鎧は、防具として分かり易い形をとっただけで、白兵戦用の防具とは一線を画すのは想像に易い。

 そしてLレアには複数のスキルがある。

「ドラゴンファング」

 続いて発動したスキルは刀身に光を宿させ、赤い輝きとなった。

 その光景に、陪観ばいかんしている貴族にどよめきが広がる。

「デュアルスキル……」

 防御と攻撃を強化した、と明白に分かるのは不利を招きそうだが、Lレアが備えている攻撃と防御のバフは脅威だ。

 ――非時を渡せよ。

 戦闘態勢を取るヴィーは、心中で叫んだ。

 ――ファンが非時を持ってたら、俺たち三人でいられないだろうが。

 二人でドュフテフルスを後にした日、仕送りを届けて別れる瞬間、それらの景色がヴィーの中で渦を巻いていく。

 だがその望みのために起こした行動は、どう考えても失敗だ。
しおりを挟む

処理中です...