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第5章「大公家秘記」
第80話「さあ踊りましょう 昨日の晩と同じように」
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精剣のスキルを直にぶつけ合う場であるが、必ず殺せとは定められていない上覧試合である。押さえつけられ、喉元に剣を突きつけられれば勝負ありだ。
事実、この決定的な状況に対し、審判役はヴィーの勝利を宣言しようとしたのだが……、
「しょ――」
だがヴィーは遮る。
「さ、立て。仕切り直そう」
当事者、それも勝利者の側にいるヴィーが、より大きく、より明瞭に続行を告げたのでは、決着とはできない。
そしてヴィーの続行を求める声こそ、今、試合を見つめている貴族にとって望ましいもの。
「不意を突いての勝利など勝利に値しないと、自ら認めるか」
「殊勝な態度!」
膝を打つ貴族までいるのだから、審判は「勝者、黒方」といいかけた言葉を噛み殺した。
「ッ」
ヴィーはファンを放し、その眼前に整列する。分裂した10人はそのままだが。
「どれが俺か当ててみろといってもいいが、何分、全員、俺なのでね」
冗談めかしたヴィーに対し、ファンは腹をへこませつつ息を吸う、という発声にも使う独特の呼吸で息を整え、その鮮やかさは、対峙しているヴィーにも笑みを浮かべかけさせる。
――流石、流石。
腹式呼吸と丹田呼吸は声楽と剣技の基本であるが、基本であるからこそ、その奥底に奥義が存在し得るものだ。
数人分の体重が一斉にのし掛かったのだから、肺も横隔膜も潰れ、まともに呼吸ができなくなるところを、一度、腹式呼吸と丹田呼吸を繰り返しただけで整えてしまうファンの能力は、兄弟弟子のヴィーでも舌を巻いてしまう。
しかしファンは自分の能力に、そこまでの自信はない。
――命拾いした!
一度、始めれば、幕が下りるまで中断できないのが芸であると知っている分、今の腹式呼吸と丹田呼吸が凄いなどと胸は張れないのが現実だ。
挽回は、ここから。ファンは身構え、ヴィーを観察する。
――剣、盾、鎧、分身……確かに。
ヴァラー・オブ・ドラゴンの威力は、ファンの目から見ても凄まじい。帝凰剣やワールド・シェイカーのような大規模、大火力な攻撃スキルは持っていないが、バフによって上乗せされた攻撃力は脅威といえる。
受け太刀してしまうと、非時では触れただけで刀身が溶断されるはずだ。精剣が刀身を失うという事は消滅に繋がる。鞘であるエルへのダメージが如何ほどかは分からないが、無理矢理、精剣を消滅させる事は命に関わる場合すらある。精剣の合成をパトリシアが嫌って出奔したのは、それが原因だ。
その剣を防ぐ力を持っている鎧と盾も、恐るべき防具といえる。
それらを携えた10人が立ちはだかるのだから、帝凰剣やワールド・シェイカーよりも驚異であるといえよう。
だがファンの顔に焦りはない。
――そうだよな。
ファンの顔を見つめるヴィーにも、余裕がある。
その余裕に、貴族の注目度も増していく。
「あれは、10で済むのか? 100も1000も増えるのか?」
10コマンドメンツの効果は一度切り、10人に増やすのが限界なのか、増えた10人がもう10人ずつ増やし、その100人が1000人に増える事もあるのか知れないという期待が、貴族の口から漏れた。
最強の武器と無敵の防具を持ち、一人で軍団を形成する事も可能となれば、流石はLレアと頷けるという貴族が殆ど。
しかし視線を独占しているヴィーは、今、自分しか見ないのは愚の骨頂と思ってしまう。
――ファンの姿が見えてますか? お歴々。
注目するならば、ヴィーかファンかではなく、二人の対決だ。
――ファンは、ここから来るぞ。
それは意識を逸らせたという程でもない、また一瞬ともいえないくらいだったのだが、ファンやヴィーにとっては十分だった。
――来た!
心中ではあるため自覚できなかったが、ヴィーが思わず出した言葉こそが、ファンが突いた隙でもある。
ヴィーは「来る」ではなく「来た」といったのだから、反応はできても、応じられたとは言い難かったのだ。
そしてファンの突く一点は……、
――今のヴィーは、御流儀が使えない!
御流儀の剣技に、盾は不在だ。強いていうなれば剣こそが盾である。そして回避を重要視するのだから、鎧や盾は、本来からいえば無用の長物。
御流儀で扱う事を想定しているのは剣や槍であって電磁波振動剣でもない。刀身に切断振動を起こさせているのでは手を添える事もできず、基本的な動作に組まれるいくつかができなくなる。
盾と剣を、それぞれ片手で持つという体勢も同様に御流儀にはなく、10人に分かれる事も、確かに兵法軍学を含んでいる御流儀であるが、10人で一人と戦う術は習っていても実践する機会がない。
逆にファンは、一人で多勢を相手取る方法を身に着け、現実に行使してきた。
自分の全てを出せるファンが、自分の全てを自ら雁字搦めにして封じてしまったヴィーに勝利できる点は、そこにこそある。
――ええい!
10人のヴィーが動く。自分が御流儀の殆どを使える状態にない事を自覚しつつ。
自覚して尚、これらを用いるのだから、引くに引けない事情――ファンから非時を奪う事に賭けるなら、ここしかなかったのだ。
10人いても、一度に襲いかかれるのは四方から一人ずつが精々。こんな状態では背後に回るのは無理であるから、一度に3人ならば、ファンは崩し、回避し、捌いてくる。
――10人全て倒す!
体勢を崩し、戻すのに手間取ったヴィーを、ファンは次々と無力化していく。10人全員がヴィー本人という通り、一人や二人を無力化しても全員が消滅するような事はなかった。
4人、5人と無力化し、6人目はいよいよ斬り伏せた。
7人目を蹴倒し、8人目に襲いかかった所で、8人目は体勢を整えていた。
今度はヴィーが勝機を見出す。
――いいや、ファン、お前は今、舐めた!
7人を犠牲にして見出した勝機は、ファンが振るう非時の太刀筋に、自分の太刀筋を合わせてしまう事。
「!?」
Lレアのスキルを纏っているヴァラー・オブ・ドラゴンに対し、ノーマルの非時では折れる。
それはファンとヴィーのどちらが早く引くかの度胸比べだったが、その引き際も同時。
同時であれば次の起こりはファンが速いのだが、ヴィーが3名残っていた事が幸いした。
「!?」
ファンへ盾での一撃を放つ。
身体の前面を強打されたファンは、それでも倒されるものかと踏み留まり、ヴィーを睨むのだが、睨んだが故に見えてしまう。
「チィッ……!」
盾を強振したにも関わらず、ヴィーの左腕は肘が脇を離れていない。
ならばヴィーは左肘を支点に、腕を身体の中心へ引きつける反動で右腕を外へ弾き出させる!
ファン自身、どうしようもないタイミングだと思わされる程、鮮やかにヴィーは剣を構えた。
――斬られる!
最も基本的な動きであり、見落としたのはファンの落ち度である。
が――、
「引き分けにございます」
ヴァラー・オブ・ドラゴンは、寸前で止められていた。
「……何?」
どういう終わり方だと首を傾げる貴族たち。
切っ先は、確実にファンを捉えるはずではないか、と非難がましい視線が集まるも、ヴィーはいう。
「ファン・スーチン・ビゼンの目は死んでいませんでした。もう少しで剣を折られてしまうところでした」
ヴァラー・オブ・ドラゴンのスキルを解除しつつ、ヴィーはもう一度、「引き分けでございます」と告げたのだった。
ファンから反論はない。
――折られるのは、俺の方だぞ。
この状況で引き分けにする意味は、ファンにも分らない。
「この一番、引き分け!」
審判役の言葉は、最後の大一番に相応しいものではなかっただろう。
事実、この決定的な状況に対し、審判役はヴィーの勝利を宣言しようとしたのだが……、
「しょ――」
だがヴィーは遮る。
「さ、立て。仕切り直そう」
当事者、それも勝利者の側にいるヴィーが、より大きく、より明瞭に続行を告げたのでは、決着とはできない。
そしてヴィーの続行を求める声こそ、今、試合を見つめている貴族にとって望ましいもの。
「不意を突いての勝利など勝利に値しないと、自ら認めるか」
「殊勝な態度!」
膝を打つ貴族までいるのだから、審判は「勝者、黒方」といいかけた言葉を噛み殺した。
「ッ」
ヴィーはファンを放し、その眼前に整列する。分裂した10人はそのままだが。
「どれが俺か当ててみろといってもいいが、何分、全員、俺なのでね」
冗談めかしたヴィーに対し、ファンは腹をへこませつつ息を吸う、という発声にも使う独特の呼吸で息を整え、その鮮やかさは、対峙しているヴィーにも笑みを浮かべかけさせる。
――流石、流石。
腹式呼吸と丹田呼吸は声楽と剣技の基本であるが、基本であるからこそ、その奥底に奥義が存在し得るものだ。
数人分の体重が一斉にのし掛かったのだから、肺も横隔膜も潰れ、まともに呼吸ができなくなるところを、一度、腹式呼吸と丹田呼吸を繰り返しただけで整えてしまうファンの能力は、兄弟弟子のヴィーでも舌を巻いてしまう。
しかしファンは自分の能力に、そこまでの自信はない。
――命拾いした!
一度、始めれば、幕が下りるまで中断できないのが芸であると知っている分、今の腹式呼吸と丹田呼吸が凄いなどと胸は張れないのが現実だ。
挽回は、ここから。ファンは身構え、ヴィーを観察する。
――剣、盾、鎧、分身……確かに。
ヴァラー・オブ・ドラゴンの威力は、ファンの目から見ても凄まじい。帝凰剣やワールド・シェイカーのような大規模、大火力な攻撃スキルは持っていないが、バフによって上乗せされた攻撃力は脅威といえる。
受け太刀してしまうと、非時では触れただけで刀身が溶断されるはずだ。精剣が刀身を失うという事は消滅に繋がる。鞘であるエルへのダメージが如何ほどかは分からないが、無理矢理、精剣を消滅させる事は命に関わる場合すらある。精剣の合成をパトリシアが嫌って出奔したのは、それが原因だ。
その剣を防ぐ力を持っている鎧と盾も、恐るべき防具といえる。
それらを携えた10人が立ちはだかるのだから、帝凰剣やワールド・シェイカーよりも驚異であるといえよう。
だがファンの顔に焦りはない。
――そうだよな。
ファンの顔を見つめるヴィーにも、余裕がある。
その余裕に、貴族の注目度も増していく。
「あれは、10で済むのか? 100も1000も増えるのか?」
10コマンドメンツの効果は一度切り、10人に増やすのが限界なのか、増えた10人がもう10人ずつ増やし、その100人が1000人に増える事もあるのか知れないという期待が、貴族の口から漏れた。
最強の武器と無敵の防具を持ち、一人で軍団を形成する事も可能となれば、流石はLレアと頷けるという貴族が殆ど。
しかし視線を独占しているヴィーは、今、自分しか見ないのは愚の骨頂と思ってしまう。
――ファンの姿が見えてますか? お歴々。
注目するならば、ヴィーかファンかではなく、二人の対決だ。
――ファンは、ここから来るぞ。
それは意識を逸らせたという程でもない、また一瞬ともいえないくらいだったのだが、ファンやヴィーにとっては十分だった。
――来た!
心中ではあるため自覚できなかったが、ヴィーが思わず出した言葉こそが、ファンが突いた隙でもある。
ヴィーは「来る」ではなく「来た」といったのだから、反応はできても、応じられたとは言い難かったのだ。
そしてファンの突く一点は……、
――今のヴィーは、御流儀が使えない!
御流儀の剣技に、盾は不在だ。強いていうなれば剣こそが盾である。そして回避を重要視するのだから、鎧や盾は、本来からいえば無用の長物。
御流儀で扱う事を想定しているのは剣や槍であって電磁波振動剣でもない。刀身に切断振動を起こさせているのでは手を添える事もできず、基本的な動作に組まれるいくつかができなくなる。
盾と剣を、それぞれ片手で持つという体勢も同様に御流儀にはなく、10人に分かれる事も、確かに兵法軍学を含んでいる御流儀であるが、10人で一人と戦う術は習っていても実践する機会がない。
逆にファンは、一人で多勢を相手取る方法を身に着け、現実に行使してきた。
自分の全てを出せるファンが、自分の全てを自ら雁字搦めにして封じてしまったヴィーに勝利できる点は、そこにこそある。
――ええい!
10人のヴィーが動く。自分が御流儀の殆どを使える状態にない事を自覚しつつ。
自覚して尚、これらを用いるのだから、引くに引けない事情――ファンから非時を奪う事に賭けるなら、ここしかなかったのだ。
10人いても、一度に襲いかかれるのは四方から一人ずつが精々。こんな状態では背後に回るのは無理であるから、一度に3人ならば、ファンは崩し、回避し、捌いてくる。
――10人全て倒す!
体勢を崩し、戻すのに手間取ったヴィーを、ファンは次々と無力化していく。10人全員がヴィー本人という通り、一人や二人を無力化しても全員が消滅するような事はなかった。
4人、5人と無力化し、6人目はいよいよ斬り伏せた。
7人目を蹴倒し、8人目に襲いかかった所で、8人目は体勢を整えていた。
今度はヴィーが勝機を見出す。
――いいや、ファン、お前は今、舐めた!
7人を犠牲にして見出した勝機は、ファンが振るう非時の太刀筋に、自分の太刀筋を合わせてしまう事。
「!?」
Lレアのスキルを纏っているヴァラー・オブ・ドラゴンに対し、ノーマルの非時では折れる。
それはファンとヴィーのどちらが早く引くかの度胸比べだったが、その引き際も同時。
同時であれば次の起こりはファンが速いのだが、ヴィーが3名残っていた事が幸いした。
「!?」
ファンへ盾での一撃を放つ。
身体の前面を強打されたファンは、それでも倒されるものかと踏み留まり、ヴィーを睨むのだが、睨んだが故に見えてしまう。
「チィッ……!」
盾を強振したにも関わらず、ヴィーの左腕は肘が脇を離れていない。
ならばヴィーは左肘を支点に、腕を身体の中心へ引きつける反動で右腕を外へ弾き出させる!
ファン自身、どうしようもないタイミングだと思わされる程、鮮やかにヴィーは剣を構えた。
――斬られる!
最も基本的な動きであり、見落としたのはファンの落ち度である。
が――、
「引き分けにございます」
ヴァラー・オブ・ドラゴンは、寸前で止められていた。
「……何?」
どういう終わり方だと首を傾げる貴族たち。
切っ先は、確実にファンを捉えるはずではないか、と非難がましい視線が集まるも、ヴィーはいう。
「ファン・スーチン・ビゼンの目は死んでいませんでした。もう少しで剣を折られてしまうところでした」
ヴァラー・オブ・ドラゴンのスキルを解除しつつ、ヴィーはもう一度、「引き分けでございます」と告げたのだった。
ファンから反論はない。
――折られるのは、俺の方だぞ。
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