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第6章「讃洲旺院非時陰歌」
第86話「とり残された石は ひとりぼっち」
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奴隷商が珍しい訳ではなく、また被差別階級であるエルフの扱いが悪いのも同様に珍しくないのだが、荒縄で縛って移動する奴隷商とエルフ奴隷というのは珍しい。
奴隷商に声を荒らげる女がいたというのも同じだ。
「はい?」
荒縄を握っている男が振り向く。目深にぶっていた鳥打ち帽をあげる事で現れた赤ら顔は、人間ではなくコボルトのものだった。
そのコボルトへ大股に近づいていく女は二人いる。
「奴隷にしても、酷い扱いです」
一人の女が眉尻を吊り上げていた。二人連れの女は長身と華奢という組み合わせであるから、想像できる肩書きがある。
――剣士?
ファンもそう思った。大帝家へも繋がるビゼン家のドュフテフルスであるから、浪人している剣士がいるのは珍しい話ではない。ただし、女二人の身なりは浪人とは思えなかったが。
注目されているコボルトは、暫く女二人に視線を行き来させていたが、
「ああ、はいはい」
最後は自分が握っている荒縄へ目を落とし、コクコクと頷いた。
その仕草、表情が女の癪に障る。
「罪人ではないはずです」
そこまでの辱めを受ける謂われはないはずだという女だが、コボルトの方は相変わらず頷くばかり。
「逃げられたり、奪われたりしたら困るもんなんでさぁ」
だから荒縄で腕を縛っている、とまではいわないが、遠回しにいっていると感じる者が殆どだ。
だからコボルトなど無視し、華奢な方の女がエルフに話しかける。
「初めまして。お名前は?」
「……」
だがエルフは答えず、目を丸くして女を見上げるばかり。
「私はフォール。こちらはグリュー」
華奢な女――フォールが、長身の女をグリューと紹介し、名乗るように促すのだが、それでも同じだ。
「ネーんでさ」
代わりにコボルトが答える。
「親からもらってないんでしょうね」
改めてエルフを見遣ると、その風貌に若干、エルフと異なる特徴が見て取れた。遠目に見ているファンからもわかるくらいの特徴が。
――ハーフエルフか。
エルフとエルフ以外の両親から生まれた子供は、エルフの中でも差別されやすい。
コボルトは「へへへ」と卑屈な笑みを浮かべ、
「商売がありますんでね、あんまり足止めしないでくれやすか」
剣士であろうグリューへ向かって、荒縄を握ったまま手揉みするのに対し、グリューは……、
「なら、買いますよ」
上着のポケットに手を入れる。
「いくらです?」
「いくら……へへへ……」
コボルトは愛想笑いが続くが、それはグリューを苛立たせた。
「これで足りますね!」
上着に入れたままの財布から掴めるだけの硬貨を掴み、それをコボルトへ叩きつけるかのようにぶちまける。
「!?」
目を白黒させたのは、往来している町人たちだ。
途端に騒ぎになり、恐らくはグリューは面食らってコボルトが荒縄を放してしまう事を期待していたのだろう。
だが現実は、コボルトは手揉みこそ止めたが、荒縄はしっかりと握りしめたまま、飛来する硬貨を一枚、宙で握っただけだった。
「足りやせんよぅ」
コボルトが強欲な言葉を吐いたものだ、と誰もが思うのだが、コボルトがいいたい事は、今、宙を舞った硬貨の事をいっているのではない。
広げられたコボルト手には銀貨一枚。
「人一人の値段だ。銀貨一枚じゃ、どうにもこうにも……」
自分が受け取ったのは、その一枚だけだといいたいのだ。
相場は時期によって様々であるが、大体、金貨40枚というところ。銀貨では足りない。
「焦られちまいやしたかね? 派手にぶちまけやしたけど、早く拾わないと拾われちまいやすよ?」
コボルトはかっかと笑い、「こいつは、迷惑料って事で構いやせんか?」と戯けて笑いながら背を向ける。
後は金貨だ銀貨だと大騒ぎはしている町人がいるばかりだ。
「面白いもん、見れたッスねェ」
ファンも腕を組み、首を左右に繰り返し傾げていた。
「寸劇のネタに、使えそうな気がするッスわ」
「あまり、気分のいいものではないですけどね……」
エルは口元を押さえているのだから、奴隷商の存在を良く思っていない。
「まぁねェ」
ファンも同意するような声を出すのだが、エルのいう「気分のいいものではない」とは食い違っていた。
「代金だとしても、空中にぶちまけるなんてのは、ダメッスわ」
ファンが気に食わなかったのは、コボルトの存在ではなく、グリューとフォールの方だった。
「自分がやられたら、あんな見事な対応、できそうにないッスね」
これにはエルが面食らう。
「あの、奴隷商なのに……?」
エルの声は恐る恐るという風になっていたのだが、ファンは目を瞬かせつつエルに顔を向けると、
「あれ、奴隷商じゃないッスね。多分、ヘンド」
ヘンド――乞食を指す言葉である。
「ちょっと話、聞きに行きたいッスわ。やっぱ寸劇のネタにするッスよ」
ファンは大騒ぎになっている集団を避け、コボルトが去った方向へ向かった。
***
コボルトが消えたのは、河原に建っている粗末な小屋だった。この時点で、男が奴隷商でない事は明白だった。奴隷商というのならば、奴隷であろうエルフと共に、こんな監禁施設もない小屋になど住まない。
――ファンのいう通り、本当にヘンドかも……。
エルもファンが正しいと直感した。
「ご免下さい」
ファンが戸板を叩いた音に、中でガタガタと動く気配がする。
「へいへい、何でやしょ?」
顔を見せたのは、先程のコボルト。
「久しぶりに面白いモンを見せて貰えたッスから、話が聞きたくなったッス。これ、どうッスか?」
ファンが、ここまで来る道々、買ってきた酒を掲げて見せた。
「ああ、こりゃ嬉しいでやすが、へへへ……お目汚しでやして」
酒を受け取るコボルトが、「狭くて汚いとこでやすが」とファンとエルを室内へ招き入れた室内は、やはりと二人に思わせる。
「あ、やっぱり奴隷商なんかじゃないッスよ」
室内では縛られていないエルフを見て、ファンがエルに目配せした。
「さっきも見えたんスよ。荒縄で縛っている風でも、実は海綿を下に巻いて痛くないように、跡が付かないようにしてたッスよね」
「へへへ、敵わねェなァ」
コボルトが笑う。
「あたしゃ、ご推察の通り、奴隷商じゃなく、ヘンドでございやす。荒縄で縛って、憐れにした方が実入りが多いでやすよ」
そして室内を見遣れば、より分かり易い。コボルトとハーフエルフは居住空間を分けていて、ハーフエルフの方が上等な寝具――といっても、コボルトの方が劣悪すぎるため、相対的にだが――を使っている。
「何の用でやすか? 剣士様」
そしてヘンドであるコボルトは、ファンとエルの素性を見破った。
いや、見破ったのは、それだけではない。
「……最近、誰かと勝負しても負けやしたね? 剣士様の顔色が、そんな風でやすよ?」
ファンがヴィーに敗れた事も同様に。
「……分かりますか」
ファンの口調が芸人から剣士へと移った。
「へへへ……。あたしゃ、こんな風になる前は、割りと名の売れた鍛冶屋だったんでやす。群青銅の武具を求める騎士様と、色々とお付き合いさせてもらいやした」
愛想笑いは続くのだが、その愛想笑いから艶とでもいうべきものだけは消えていく。
「今では、……皆、疎遠になっちまいやしたがね……」
流白銀、群青銅、剛紅金……精剣出現以前を彩っていた武具は、今や過去のものだ。流白銀の盾も、群青銅の鎧も、剛紅金の剣も必要とされていない。
「うん、酒のお礼だ。あたしが知ってる取って置き。教えやしょう」
「とっておき?」
ファンが鸚鵡返しにするまでもなく、コボルトは続けていた。
「ノーマルの精剣を、変化させる術っていうのが。あるんでやすよ」
「精剣を複数、掛け合わせて強くするのがあるというのは知ってる」
だが、その方法はファンには採れない。精剣を消滅させる事が、鞘となっている女性の負担になる事は間違いないからだ。
「いいえ、いいえ。複数の精剣なんて要らないでやすよ。必要なのは、ノーマルの精剣が一口だけ。強化じゃなくて、変化なんですよぅ」
それはエルに宿る非時を、そのまま何かに変えてしまうというのだ。
「コモン、アンコモン、レア、Hレア、Sレア、Uレア、Lレア……そんな格から飛び出させるって方法でさ」
「そんなのが……?」
これにはエルが食いついた。ファンもヴィーも、非時が弱いのではなく、振るっているファンが弱かったと思っているが、エルは違う。非時がもっと強力な剣であったならば……という想いがある。
「あるでやすね。その名を――」
コボルトは声を潜めた。
「アブノーマル」
その場にいた誰もが吹き出してしまったが。
奴隷商に声を荒らげる女がいたというのも同じだ。
「はい?」
荒縄を握っている男が振り向く。目深にぶっていた鳥打ち帽をあげる事で現れた赤ら顔は、人間ではなくコボルトのものだった。
そのコボルトへ大股に近づいていく女は二人いる。
「奴隷にしても、酷い扱いです」
一人の女が眉尻を吊り上げていた。二人連れの女は長身と華奢という組み合わせであるから、想像できる肩書きがある。
――剣士?
ファンもそう思った。大帝家へも繋がるビゼン家のドュフテフルスであるから、浪人している剣士がいるのは珍しい話ではない。ただし、女二人の身なりは浪人とは思えなかったが。
注目されているコボルトは、暫く女二人に視線を行き来させていたが、
「ああ、はいはい」
最後は自分が握っている荒縄へ目を落とし、コクコクと頷いた。
その仕草、表情が女の癪に障る。
「罪人ではないはずです」
そこまでの辱めを受ける謂われはないはずだという女だが、コボルトの方は相変わらず頷くばかり。
「逃げられたり、奪われたりしたら困るもんなんでさぁ」
だから荒縄で腕を縛っている、とまではいわないが、遠回しにいっていると感じる者が殆どだ。
だからコボルトなど無視し、華奢な方の女がエルフに話しかける。
「初めまして。お名前は?」
「……」
だがエルフは答えず、目を丸くして女を見上げるばかり。
「私はフォール。こちらはグリュー」
華奢な女――フォールが、長身の女をグリューと紹介し、名乗るように促すのだが、それでも同じだ。
「ネーんでさ」
代わりにコボルトが答える。
「親からもらってないんでしょうね」
改めてエルフを見遣ると、その風貌に若干、エルフと異なる特徴が見て取れた。遠目に見ているファンからもわかるくらいの特徴が。
――ハーフエルフか。
エルフとエルフ以外の両親から生まれた子供は、エルフの中でも差別されやすい。
コボルトは「へへへ」と卑屈な笑みを浮かべ、
「商売がありますんでね、あんまり足止めしないでくれやすか」
剣士であろうグリューへ向かって、荒縄を握ったまま手揉みするのに対し、グリューは……、
「なら、買いますよ」
上着のポケットに手を入れる。
「いくらです?」
「いくら……へへへ……」
コボルトは愛想笑いが続くが、それはグリューを苛立たせた。
「これで足りますね!」
上着に入れたままの財布から掴めるだけの硬貨を掴み、それをコボルトへ叩きつけるかのようにぶちまける。
「!?」
目を白黒させたのは、往来している町人たちだ。
途端に騒ぎになり、恐らくはグリューは面食らってコボルトが荒縄を放してしまう事を期待していたのだろう。
だが現実は、コボルトは手揉みこそ止めたが、荒縄はしっかりと握りしめたまま、飛来する硬貨を一枚、宙で握っただけだった。
「足りやせんよぅ」
コボルトが強欲な言葉を吐いたものだ、と誰もが思うのだが、コボルトがいいたい事は、今、宙を舞った硬貨の事をいっているのではない。
広げられたコボルト手には銀貨一枚。
「人一人の値段だ。銀貨一枚じゃ、どうにもこうにも……」
自分が受け取ったのは、その一枚だけだといいたいのだ。
相場は時期によって様々であるが、大体、金貨40枚というところ。銀貨では足りない。
「焦られちまいやしたかね? 派手にぶちまけやしたけど、早く拾わないと拾われちまいやすよ?」
コボルトはかっかと笑い、「こいつは、迷惑料って事で構いやせんか?」と戯けて笑いながら背を向ける。
後は金貨だ銀貨だと大騒ぎはしている町人がいるばかりだ。
「面白いもん、見れたッスねェ」
ファンも腕を組み、首を左右に繰り返し傾げていた。
「寸劇のネタに、使えそうな気がするッスわ」
「あまり、気分のいいものではないですけどね……」
エルは口元を押さえているのだから、奴隷商の存在を良く思っていない。
「まぁねェ」
ファンも同意するような声を出すのだが、エルのいう「気分のいいものではない」とは食い違っていた。
「代金だとしても、空中にぶちまけるなんてのは、ダメッスわ」
ファンが気に食わなかったのは、コボルトの存在ではなく、グリューとフォールの方だった。
「自分がやられたら、あんな見事な対応、できそうにないッスね」
これにはエルが面食らう。
「あの、奴隷商なのに……?」
エルの声は恐る恐るという風になっていたのだが、ファンは目を瞬かせつつエルに顔を向けると、
「あれ、奴隷商じゃないッスね。多分、ヘンド」
ヘンド――乞食を指す言葉である。
「ちょっと話、聞きに行きたいッスわ。やっぱ寸劇のネタにするッスよ」
ファンは大騒ぎになっている集団を避け、コボルトが去った方向へ向かった。
***
コボルトが消えたのは、河原に建っている粗末な小屋だった。この時点で、男が奴隷商でない事は明白だった。奴隷商というのならば、奴隷であろうエルフと共に、こんな監禁施設もない小屋になど住まない。
――ファンのいう通り、本当にヘンドかも……。
エルもファンが正しいと直感した。
「ご免下さい」
ファンが戸板を叩いた音に、中でガタガタと動く気配がする。
「へいへい、何でやしょ?」
顔を見せたのは、先程のコボルト。
「久しぶりに面白いモンを見せて貰えたッスから、話が聞きたくなったッス。これ、どうッスか?」
ファンが、ここまで来る道々、買ってきた酒を掲げて見せた。
「ああ、こりゃ嬉しいでやすが、へへへ……お目汚しでやして」
酒を受け取るコボルトが、「狭くて汚いとこでやすが」とファンとエルを室内へ招き入れた室内は、やはりと二人に思わせる。
「あ、やっぱり奴隷商なんかじゃないッスよ」
室内では縛られていないエルフを見て、ファンがエルに目配せした。
「さっきも見えたんスよ。荒縄で縛っている風でも、実は海綿を下に巻いて痛くないように、跡が付かないようにしてたッスよね」
「へへへ、敵わねェなァ」
コボルトが笑う。
「あたしゃ、ご推察の通り、奴隷商じゃなく、ヘンドでございやす。荒縄で縛って、憐れにした方が実入りが多いでやすよ」
そして室内を見遣れば、より分かり易い。コボルトとハーフエルフは居住空間を分けていて、ハーフエルフの方が上等な寝具――といっても、コボルトの方が劣悪すぎるため、相対的にだが――を使っている。
「何の用でやすか? 剣士様」
そしてヘンドであるコボルトは、ファンとエルの素性を見破った。
いや、見破ったのは、それだけではない。
「……最近、誰かと勝負しても負けやしたね? 剣士様の顔色が、そんな風でやすよ?」
ファンがヴィーに敗れた事も同様に。
「……分かりますか」
ファンの口調が芸人から剣士へと移った。
「へへへ……。あたしゃ、こんな風になる前は、割りと名の売れた鍛冶屋だったんでやす。群青銅の武具を求める騎士様と、色々とお付き合いさせてもらいやした」
愛想笑いは続くのだが、その愛想笑いから艶とでもいうべきものだけは消えていく。
「今では、……皆、疎遠になっちまいやしたがね……」
流白銀、群青銅、剛紅金……精剣出現以前を彩っていた武具は、今や過去のものだ。流白銀の盾も、群青銅の鎧も、剛紅金の剣も必要とされていない。
「うん、酒のお礼だ。あたしが知ってる取って置き。教えやしょう」
「とっておき?」
ファンが鸚鵡返しにするまでもなく、コボルトは続けていた。
「ノーマルの精剣を、変化させる術っていうのが。あるんでやすよ」
「精剣を複数、掛け合わせて強くするのがあるというのは知ってる」
だが、その方法はファンには採れない。精剣を消滅させる事が、鞘となっている女性の負担になる事は間違いないからだ。
「いいえ、いいえ。複数の精剣なんて要らないでやすよ。必要なのは、ノーマルの精剣が一口だけ。強化じゃなくて、変化なんですよぅ」
それはエルに宿る非時を、そのまま何かに変えてしまうというのだ。
「コモン、アンコモン、レア、Hレア、Sレア、Uレア、Lレア……そんな格から飛び出させるって方法でさ」
「そんなのが……?」
これにはエルが食いついた。ファンもヴィーも、非時が弱いのではなく、振るっているファンが弱かったと思っているが、エルは違う。非時がもっと強力な剣であったならば……という想いがある。
「あるでやすね。その名を――」
コボルトは声を潜めた。
「アブノーマル」
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