女神の白刃

玉椿 沢

文字の大きさ
93 / 114
第6章「讃洲旺院非時陰歌」

第93話「おつむてんてん、耳ひこひこ」

しおりを挟む
 ロート、ヴァイス、ブラウ、シュバルツ、ゲルブという五つの連峰れんぽうを持つフィーアファルベ連峰は、連峰といいながらも印象からいえば丘のようなものである。卓上大地であり、有史以前の火山活動によって隆起した大地なのだ。

 遠方から望む山容こそ、なだらかな台形であるが、歩くとなれば楽ではない。

 常緑樹が多く、冬でも青々としているブラウ、溶岩が固まってできたとされる黒い岩が多いシュバルツを越え、海外沿いにある朝日を映し、夕日に照らされるロートを横目に三人がいく。

 ネーを連れたフォールとグリューだ。

「……疲れない?」

 先頭を行くグリューは時折、足を止めてネーを振り返っていた。縛る気は当然、なかったが、ネーに関しては縛る必要もなかった。

「……」

 無気力について行くネーは何もいわず、また首を縦にも横にも振らない。こんな遣り取りは、先ほどから繰り返されている。


 ――従っていればいい。


 それがネーが今まで生きてきて、最も平穏に過ごせる方法だった。ムゥチに拾われるまで、ずっと最下層――乞食にもなれない奴隷――だったのだから、否が応でも身についてしまった処世術である。

 何を言われようとも相手が望まない事をしない、というのがネーの哲学。

 グリューが何を望んでいるのか分からないのだから何もいわない。

 ――望まない事をいうよりは、殴られる確率が低いでしょ。

 それは杞憂きゆうだ。

「そう。疲れたら、いつでもいって」

 グリューがフォールを振り向き、荷物をネーへ見させる。

「喉が渇いても、お腹が減っても大丈夫。水もあるし、食べ物もちゃんとあるから」

 フォールが掲げ持った鞄は、女性が持つには大袈裟で、旅支度が十分である事を示す。

「……」

 やはりネーは無言で、何もしない。

 タダでくれると思っていないからで、それを察せられるグリューは、フォールが耳打ちする。

「酷い事をされてたんでしょうね」

 二人ともネーの無気力は、ムゥチが荒縄で縛って連れ回すような虐待が原因だと考えている。

「でも、もう無視はできなくなるわ」

 グリューはロートを通り過ぎ、続く二つの峰に目を向けた。

 黄色い花が多いゲルブは、視線も通り過ぎさせる。根を天日乾燥させれば、消炎、排膿はいのう、浄血作用、婦人病にも効果のある生薬になるのだが、二人にそんな知識はないし、また花といっても贈答ぞうとうには使われないものに興味もない。


 目指すのはヴァイスギッフェルだけだ。


「精剣を宿した女は、無下むげにはされないんだから」

 グリューがポケットから出した手には、金色の輝き。


 メダルだ――コインではない。


「レア以上確定。無下にできる剣士なんていない」

 グリューとフォールの目的は、ネーに精剣を宿す事だ。どういうカラクリかを知る者はいないが、メダルを使うと、ノーマルは出てこない。

 レア以上の精剣を宿した女ならば、もう乞食などという扱いからは解放されるはず。

「もう少し。精剣を宿したら、このメダルをくれた領主様に会いにルベンスホルンへ向かおうよ」

 楽しみにね、とグリューはウィンクした。

***

 追うファンは、ヴィー、キン・トゥと並んで馬を走らせていた。生憎と馬車が走れるような道はない。馬に鞍を着け、エルと二人乗りで山道を疾走させる。

 しかしキン・トゥはヴィーが駆る馬を一瞥して、いう。

「ヴァイスギッフェルに入る前に降りるしかないな」

 全身が真っ黒の馬――青毛は珍しい。これこそ100頭に一頭、生まれるか否かという稀少さであり、ヴィーに馬を貸した者が、かなりの高位である事が窺えた。

 その青毛が良くない。

「ヴァイスギッフェルで、青毛の馬を駆ってはならない。知っています」

 ヴィーも、その仕来しきたりを知っている。マエン暗殺の伝説に、青毛の馬に乗った者に殺されたというものがあった。以来、ヴァイスギッフェルで青毛の馬を駆る者には祟りがあるとされている。

「どうせヴァイスギッフェルは、馬に乗って走り回れる所じゃないッスからね」

 ファンは真っ直ぐ行き先だけを見ていた。ヴァイスギッフェルという名は、春先でも雪が残ってしまう程、山深い事を由来としている。温暖なドュフテフルスにあっても、このヴァイスギッフェルだけは真冬に雪が降ってしまう。

 そして戦法を考えても、馬から降りる。御流儀ごりゅうぎには乗馬術もあるのだが、これは騎馬戦を意味しない。珍しい話ではなく、この国では馬とは移動の手段、もしくは格闘戦の道具であり、槍を構えて騎馬突撃するというような事は非常識だからだ。

 騎馬で移動しつつ精剣スキルを使うという方法もあるが、それは技術体系がないし、ファンやヴィーには無用。

「よし、降りるぞ!」

 ヴァイスギッフェルに入る、とキン・トゥが合図した。

「ひょっとしたら、ひづめの音でバレてるかも知れないッスかね……」

 手近な木に手綱を結びつけながら、ファンは苦笑い。速度重視で走ってきたため、隠密性など考えていないのは仕方ない。高らかに響いていた蹄の音は、深いヴァイスギッフェルの森でも吸収し切れていないだろう。

「それはそれで仕方がない」

 流白銀りゅうはくぎんの剣をくキン・トゥの目が、マエンりょうのある方向へ向けられていた。陵墓りょうぼがある山で大立ち回りというのもゾッとしない話だが、ムゥチの事を考えると、ネーを連れ戻さないという選択など、そちらの方が有り得ない。

「今一時、お目をつむっていただけませんか?」

 手を合わせたキン・トゥが呟き、ファンとヴィーもそれにならう。

「……ファン」

 しかし行こうかという機に、ヴィーが話しかけた。

「何スか?」

 顔だけを向けたファンに対し、ヴィーは視線を逸らしつつも、

「……俺は、三人で一緒に、過ごしたかったんだ」

 ファンが非時ときじくを持っていたのでは、方々へ持って行ってしまう、とは言わない。ヴィーがエルに惹かれている部分は少なからずある。何故、ファンの精剣を宿したのか、自分の精剣でなかったのか、そういう言葉をぶつけたくもなるのだが、それをいうには羞恥心が勝ってしまう。

「……えと……」

 ファンもどういっていいのか分からないという顔をしてしまうのだが、両手を伸ばしたキン・トゥが、二人の頬をひしゃげさせた。

「仲直りの儀式は後にしろ。仲直りは済んでおるじゃろうが」

 もし大公の御前試合の遺恨を残したままだったならば、互いに声を掛け合う事など有り得ない話である。

「ネーさんを助けて、朝ご飯食べて、仲直りの儀式があるなら、その後でも遅くないでしょう」

 エルとてキン・トゥに賛成だ。

「そうッスね。朝風呂に入って、朝寝して、それからッスかね」

「昼まで寝たいな、寧ろな」

 ファンとヴィーは笑い合い、エルが二人の頭を軽く叩くと、全員の表情が変わる。

「行くぞ」

 キン・トゥの号令の下、ヴァイスギッフェルへ踏み込んだ。
しおりを挟む
感想 42

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

異世界転生、防御特化能力で彼女たちを英雄にしようと思ったが、そんな彼女たちには俺が英雄のようだ。

Mです。
ファンタジー
異世界学園バトル。 現世で惨めなサラリーマンをしていた…… そんな会社からの帰り道、「転生屋」という見慣れない怪しげな店を見つける。 その転生屋で新たな世界で生きる為の能力を受け取る。 それを自由イメージして良いと言われた為、せめて、新しい世界では苦しまないようにと防御に突出した能力をイメージする。 目を覚ますと見知らぬ世界に居て……学生くらいの年齢に若返っていて…… 現実か夢かわからなくて……そんな世界で出会うヒロイン達に…… 特殊な能力が当然のように存在するその世界で…… 自分の存在も、手に入れた能力も……異世界に来たって俺の人生はそんなもん。 俺は俺の出来ること…… 彼女たちを守り……そして俺はその能力を駆使して彼女たちを英雄にする。 だけど、そんな彼女たちにとっては俺が英雄のようだ……。 ※※多少意識はしていますが、主人公最強で無双はなく、普通に苦戦します……流行ではないのは承知ですが、登場人物の個性を持たせるためそのキャラの物語(エピソード)や回想のような場面が多いです……後一応理由はありますが、主人公の年上に対する態度がなってません……、後、私(さくしゃ)の変な癖で「……」が凄く多いです。その変ご了承の上で楽しんで頂けると……Mです。の本望です(どうでもいいですよね…)※※ ※※楽しかった……続きが気になると思って頂けた場合、お気に入り登録……このエピソード好みだなとか思ったらコメントを貰えたりすると軽い絶頂を覚えるくらいには喜びます……メンタル弱めなので、誹謗中傷てきなものには怯えていますが、気軽に頂けると嬉しいです。※※

唯一平民の悪役令嬢は吸血鬼な従者がお気に入りなのである。

彩世幻夜
ファンタジー
※ 2019年ファンタジー小説大賞 148 位! 読者の皆様、ありがとうございました! 裕福な商家の生まれながら身分は平民の悪役令嬢に転生したアンリが、ユニークスキル「クリエイト」を駆使してシナリオ改変に挑む、恋と冒険から始まる成り上がりの物語。 ※2019年10月23日 完結 新作 【あやかしたちのとまり木の日常】 連載開始しました

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

処理中です...