宿縁に咲く桃花

Teo

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第13話:硝子越しの執着

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玲瓏れいろうとの遭遇は、紫雨しぐれの心をさらに深くかき乱した。
あの、不器用な優しさと、魂の奥底まで見透かすような瞳。恐怖と、そして、なぜか懐かしいような甘い痛みが、彼の心を支配していた。

翌朝、紫雨が自室で思い悩んでいると、香蘭こうらんが訪ねてきた。その隣には、見知らぬ壮年の男が控えている。
「紫雨殿、昨日は眠れたかい。……君の眼鏡だが、細工師に調べさせたところ、あの玻璃がらすは我々の技術では再現できないそうだ。つまり、代わりが作れない。それでは不便だろうと思ってね」
香蘭は、紫雨の状況を気遣うと、隣の男を紹介した。
「彼は仙将級せんしょうきゅう覺者かくしゃでね。治癒の力に長けているんだ。君の目を治してもらおうと思って」
「え……」
「覺者の力は時に奇跡を起こす。君の視力もきっと元に戻るはずだ」

紫雨は戸惑ったが、香蘭の強い勧めに、断ることはできなかった。
覺者の男に促され、椅子に座る。男の温かい両手が、紫雨の目元をそっと覆った。柔らかな光が瞼の裏で明滅し、目の奥の強張りが、ゆっくりと解けていくのを感じた。
やがて手が離され、おそるおそる目を開けると、世界は、驚くほど鮮明に、はっきりと見えた。今まで眼鏡越しに見ていたぼやけた世界が、嘘のようだ。

「……すごい……見えます……!」
「良かった」
香蘭は、安堵の息をついた。だが、紫雨の表情は喜び一色ではなかった。
鮮明になった視界に映る、自分の手、部屋の調度品、そして窓の外の景色。その全てがあまりに生々しく、無防備に感じられた。まるで、今まで自分を守ってくれていた薄い膜が剥がされてしまったかのように。

その時、香蘭が、そっと小さな包みを差し出した。
中に入っていたのは、昨日までかけていたものと、よく似た形の黒縁の眼鏡だった。
「……これは?」
「……紫雨殿。君がなぜ皆からあのような視線を向けられるのか。そして、玲瓏れいろうのこと……彼に深く執着されてしまう前に知っておいてほしいことがあるんだ」
香蘭のあまりにも真剣な、声。紫雨はごくりと喉を鳴らした。
「……まず、君のその容姿だ。気を悪くしないで聞いて欲しいんだが、君は……その、以前話した玲瓏の唯一のつがい……蓮紫釉れんしゆと瓜二つだ」
「………え…」
「だがそれだけではない。君のふとした仕草。笑い方。そして、何よりも……君の魂が放つ導心の『気』の、その温かい琥珀の色。その全てが、あまりにも彼に似すぎているのだよ」
香蘭は、一度、言葉を切ると、痛ましげに、続けた。
「玲瓏はまだ紫釉を諦められないでいる。そんな彼の前に失われたはずの『蓮紫釉』と酷似した君が現れた。……彼はきっと君を紫釉の転生した姿だと思っているはずだ。そしてそれは私も……同じだ」
紫雨は絶句した。転生なんてにわかに信じがたい。
しかし、幼い頃から見続けた夢。玲瓏のあの呟き。あきらの戸惑いの視線。全てが偶然として片づけてしまうには出来過ぎている。
紫雨は震える手で、その眼鏡を受け取る。磨き上げられたレンズに自分の顔が映っている。
しかしそれは、もはや隠紫雨の顔とは思えなかった。
香蘭は、そんな彼に、優しく、続けた。
「技術は再現できないが、腕利きの細工師に君の以前の眼鏡と似せて作らせておいたんだ。これは何でもない、ただの玻璃(ガラス)だよ。君が……その、素顔のままでいることにまだ慣れないかと思ってね。気休めかもしれないが」
香蘭の気遣いが、紫雨の心に染みた。

レンズ越しに見える世界は、先ほどと何も変わらない。だが、この一枚の玻璃を隔てるだけで、不思議と心が落ち着いた。これがあれば、人々の奇異な視線からも、そして、あの玲瓏の射抜くような瞳からも、少しだけ、自分を守れるような気がした。

「……ありがとう、ございます」
その選択は、自意識過剰ととられるかもしれない。だが、今の紫雨には、この「仮面」が必要だった。

しかし、その仮面も、玲瓏の執着の前では、何の意味もなかった。
紫雨が紫釉の生まれ変わりではないかと、半ば確信し始めた玲瓏の行動は、日を追うごとに常軌を逸し始めていた。

その日、修練で力を使い果たした一人の覺者に、鎮触ちんそくを頼まれた。紫雨はまだ自分の力をうまく扱えなかったが、基本的な鎮触であれば、少しは役に立てるようになっていた。
紫雨が、覺者の前に跪き、その手にそっと触れようとした、その瞬間。

「――何をしている」

氷のように冷たい声が、背後から響いた。
振り返ると、そこに、いつからいたのか、閻玲瓏が立っていた。その紫の瞳は、紫雨ではなく、彼に鎮触を求めた覺者を、殺意にも似た光で射抜いている。
玲瓏は、ゆっくりと二人に近づくと、紫雨がまさに今触れようとしていた覺者の腕を、乱暴に掴んだ。

「……っ!れ、玲瓏様……!」
「もう一度言う、何をしている」
「い、いえ、鎮触を……」
「触れるな……」
有無を言わせぬ玲瓏の力に、覺者は恐怖に顔を引きつらせ、何度も頷くと、這うようにしてその場から逃げ去っていった。

後に残されたのは、呆然とする紫雨と、氷のような玲瓏だけだった。
「あ、あの……」
紫雨が何か言おうとするが、玲瓏は何も答えず、ただ、じっと紫雨を見つめている。
その紫の瞳の奥に、紫雨は今まで見たこともない、暗く、燃えるような光が宿っているのを見た。それは、戸惑いなどではなかった。何かを、誰にも渡さないと固く誓うような、激しい感情の色。その理由も分からないまま、紫雨はその瞳に見つめられ、ぞっと背筋に氷の刃を当てられたような悪寒を覚えた。

その常軌を逸した行動を、遠巻きに見ていた曉と香蘭は、戦慄していた。
あれは、紫雨を「一人の導心」として扱っている者の目ではない。
自分の「所有物」として、他者からの接触を一切許さないという、危険な兆候。
香蘭は、自分の従兄弟が、ゆっくりと、しかし確実に、狂気の淵の更に奥底へと足を踏み入れていることを、悟らずにはいられなかった。
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