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第14話:夢の道行き
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あの日を境に、紫雨を取り巻く空気は、再び一変した。
玲瓏の執着は、もはや隠されることのない、公然の秘密となっていた。修練場にいても、書庫にいても、回廊を歩いていても、ふとした瞬間に、あの紫の瞳と視線が合うことが多くなった。常にどこかから見られているような気がして、紫雨の心はすり減っていった。
曉は、そんな紫雨を守るように、常に彼のそばを離れようとしなかった。玲瓏の気配を感じれば、さりげなく位置を変え、その大きな背中で紫雨の姿を隠すようにして盾となる。香蘭もまた、二人を案じ、玲瓏の行動を諌めようとしてくれているようだったが、狂気の淵に立ち始めた男に、もはや言葉は届いていなかった。
紫雨は、香蘭がくれた度のない眼鏡を、まるで最後の砦のようにかけ続けていた。この一枚の硝子だけが、かろうじて彼の心を正気につなぎとめている。そんな、張り詰めた日々が続いていた。
同時に、紫雨の見る夢も、変化していた。
悲劇の記憶の夢は、いつしか、一つの情景に収束していた。満開の桃の木の下で、自分と瓜二つの顔をした美しい青年が、ただ静かに涙を流している。夢の中の紫雨が、いくら「あなたは誰なのですか」「なぜ泣いているのですか」と問いかけても、青年はまるで紫雨の声が届いていないかのように、何の反応も示さなかった。
その日、仙家を揺るがす、大きな知らせが舞い込んだ。
「緊急警報! 都より三百里離れた東の山中に、強力な鬼王の眷属が出現! 近隣の村が危機に!」
それは、今までのような小規模な鬼の群れとは、明らかに格が違う大物の出現だった。
「玲瓏、曉殿、そして腕利きの仙将たちで、直ちに討伐隊を編成する! 私も出る!」
香蘭の檄が飛ぶ。都を離れる危険な遠征。仙家の主戦力が、根こそぎ出払うことになった。
「紫雨、行ってくる。何かあっても、無茶はするなよ」
出陣の直前、曉は、固い表情で紫雨に念を押した。
「うん、分かってる。曉こそ、気をつけて」
心配させまいと、紫雨は力なく微笑んだ。
やがて、討伐隊が勇ましく出陣していくと、宮殿には、まるで嵐の前の静けさのような、がらんとした空気が残された。
曉がいない。そして何より、あの玲瓏の、肌を焼くような視線がない。
紫雨は、久しぶりに感じる解放感に、大きく息をついた。その安堵からか、自室に戻ると、どっと疲れが押し寄せ、彼は昼下がりにも関わらず、深い眠りに落ちていった。
――そして、彼は、またあの夢を見ていた。
満開の桃の木の下。美しい青年が、静かに涙を流している。
いつもと同じ光景。だが、今日の紫雨は違った。香蘭から聞いた、悲しい公子の物語が、彼の心に一つの問いを浮かばせていた。
夢の中の紫雨は、震える声で、青年に向かって尋ねた。
「あなたは……『蓮紫釉』、なのですか?」
その瞬間、今まで何の反応も示さなかった青年が、ゆっくりと、初めて、紫雨の方へとその琥珀色の瞳を向けた。その瞳からは、変わらず大粒の涙が静かに流れ落ちている。
青年は、何も言わない。ただ、ふわりと紫雨の前に歩み寄ると、その冷たい指先で、紫雨の胸の中心に、そっと、触れた。
「―――っ!」
心臓を直接掴まれたような衝撃に、紫雨の意識は覚醒した。
だが、そこは見慣れた自室の寝台の上ではなかった。
ひんやりとした夜の空気。苔むした石畳の感触。目の前には、見たこともない、荘厳な建物がそびえ立っていた。
それは、白く、滑らかな石で作られた、小さな祠のようだった。扉には、何枚もの古い呪符が貼られ、近寄ることもできないほどの、強力な結界で、固く、閉ざされているのが、彼の、導心の力で感じ取れた。
(なんだ、ここは……? 宮殿の中に、こんな場所が……?)
ただ、本能が、ここが、決して、足を踏み入れてはならない、特別な場所なのだと、彼に、告げていた。
だが夢の中の、青年が、最後に、触れた、自分の、胸の中心。そこが、今、微かに、熱を持っている。
そして、その熱が、目の前の建物と、強く共鳴しているのを、紫雨は感じていた。
(この中に、僕が知らなければならない、何かがある)
それは、もはや、確信だった。
紫雨は、ゴクリと喉を鳴らすと、震える手を、まるで何かに導かれるように、ゆっくりと、封印された扉へと、伸ばした。
その指先が、古い呪符に触れようとした、その瞬間だった。
玲瓏の執着は、もはや隠されることのない、公然の秘密となっていた。修練場にいても、書庫にいても、回廊を歩いていても、ふとした瞬間に、あの紫の瞳と視線が合うことが多くなった。常にどこかから見られているような気がして、紫雨の心はすり減っていった。
曉は、そんな紫雨を守るように、常に彼のそばを離れようとしなかった。玲瓏の気配を感じれば、さりげなく位置を変え、その大きな背中で紫雨の姿を隠すようにして盾となる。香蘭もまた、二人を案じ、玲瓏の行動を諌めようとしてくれているようだったが、狂気の淵に立ち始めた男に、もはや言葉は届いていなかった。
紫雨は、香蘭がくれた度のない眼鏡を、まるで最後の砦のようにかけ続けていた。この一枚の硝子だけが、かろうじて彼の心を正気につなぎとめている。そんな、張り詰めた日々が続いていた。
同時に、紫雨の見る夢も、変化していた。
悲劇の記憶の夢は、いつしか、一つの情景に収束していた。満開の桃の木の下で、自分と瓜二つの顔をした美しい青年が、ただ静かに涙を流している。夢の中の紫雨が、いくら「あなたは誰なのですか」「なぜ泣いているのですか」と問いかけても、青年はまるで紫雨の声が届いていないかのように、何の反応も示さなかった。
その日、仙家を揺るがす、大きな知らせが舞い込んだ。
「緊急警報! 都より三百里離れた東の山中に、強力な鬼王の眷属が出現! 近隣の村が危機に!」
それは、今までのような小規模な鬼の群れとは、明らかに格が違う大物の出現だった。
「玲瓏、曉殿、そして腕利きの仙将たちで、直ちに討伐隊を編成する! 私も出る!」
香蘭の檄が飛ぶ。都を離れる危険な遠征。仙家の主戦力が、根こそぎ出払うことになった。
「紫雨、行ってくる。何かあっても、無茶はするなよ」
出陣の直前、曉は、固い表情で紫雨に念を押した。
「うん、分かってる。曉こそ、気をつけて」
心配させまいと、紫雨は力なく微笑んだ。
やがて、討伐隊が勇ましく出陣していくと、宮殿には、まるで嵐の前の静けさのような、がらんとした空気が残された。
曉がいない。そして何より、あの玲瓏の、肌を焼くような視線がない。
紫雨は、久しぶりに感じる解放感に、大きく息をついた。その安堵からか、自室に戻ると、どっと疲れが押し寄せ、彼は昼下がりにも関わらず、深い眠りに落ちていった。
――そして、彼は、またあの夢を見ていた。
満開の桃の木の下。美しい青年が、静かに涙を流している。
いつもと同じ光景。だが、今日の紫雨は違った。香蘭から聞いた、悲しい公子の物語が、彼の心に一つの問いを浮かばせていた。
夢の中の紫雨は、震える声で、青年に向かって尋ねた。
「あなたは……『蓮紫釉』、なのですか?」
その瞬間、今まで何の反応も示さなかった青年が、ゆっくりと、初めて、紫雨の方へとその琥珀色の瞳を向けた。その瞳からは、変わらず大粒の涙が静かに流れ落ちている。
青年は、何も言わない。ただ、ふわりと紫雨の前に歩み寄ると、その冷たい指先で、紫雨の胸の中心に、そっと、触れた。
「―――っ!」
心臓を直接掴まれたような衝撃に、紫雨の意識は覚醒した。
だが、そこは見慣れた自室の寝台の上ではなかった。
ひんやりとした夜の空気。苔むした石畳の感触。目の前には、見たこともない、荘厳な建物がそびえ立っていた。
それは、白く、滑らかな石で作られた、小さな祠のようだった。扉には、何枚もの古い呪符が貼られ、近寄ることもできないほどの、強力な結界で、固く、閉ざされているのが、彼の、導心の力で感じ取れた。
(なんだ、ここは……? 宮殿の中に、こんな場所が……?)
ただ、本能が、ここが、決して、足を踏み入れてはならない、特別な場所なのだと、彼に、告げていた。
だが夢の中の、青年が、最後に、触れた、自分の、胸の中心。そこが、今、微かに、熱を持っている。
そして、その熱が、目の前の建物と、強く共鳴しているのを、紫雨は感じていた。
(この中に、僕が知らなければならない、何かがある)
それは、もはや、確信だった。
紫雨は、ゴクリと喉を鳴らすと、震える手を、まるで何かに導かれるように、ゆっくりと、封印された扉へと、伸ばした。
その指先が、古い呪符に触れようとした、その瞬間だった。
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