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鰥寡孤独の始まり

29. 調略の一手

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セイファー歴 756年 4月26日

今日も今日とてセルジュは帳簿と向き合っていた。もちろんそれは常備兵の配給に関してである。まさかここで税の免除を願い出た分が生きてくるとは思ってもみなかった。

昨年のアシュティア村の人口は百五十四名。そのうち兵士が十三名と約一割が兵士に類される者たちであった。

セルジュはできれば村における兵の割合をその半分に留めたいと考えていた。もしくは村の生産力をあげて一割でも賄いきれるようにするかのどちらかである。

現状は領民の数が二百二十八人と増えたので概ね目標通りの数値まで落とすことが出来た。ここから富国強兵をするにはやはり村の生産力を上げるしかないとセルジュは考えていたのだ。

「坊っちゃま。コンコール村の館にお客様がお見えですが」
「誰?」

ドロテアが来客を告げる。アポイントメントもなしにやってきた無礼な来訪者にセルジュは眉を潜めながら来客の報を知らせてくれた兵に件の人物の名を訪ねる。

その名前は意外なもので、セルジュの眉皺がさらに深く刻まれることとなった。



「突然の訪問、誠に申し訳ない。非礼をお詫び申し上げる」

そこに居たのはモパッサであった。相変わらずうっとうしそうに長い髪を掻き上げている。

「いえ、丁度ヒマしていたのでお気遣いなく。本日はどの様な御用で?」
「うむ。まどろいことは嫌いな質でな。率直に聞くが南辺境伯派に寝返らんか?」

セルジュにとっては寝耳に水の内容であった。事情を呑み込めずに黙っているとモパッサが更に畳み掛けてきた。

「どうやら我が派閥のファート卿の嫡男と懇意にしているらしいな。それにリス領からも嫌がらせに合っているようではないか」

モパッサはただ訪れたわけではなかった。セルジュを南辺境伯派に組み込む勝算があったからこそ訪れたのだ。そしてモパッサの指摘は正鵠を射ていた。

「ベルドレット派になっていただければ全ての問題が解決しましょう。なんならリス領を攻め落とすことを手伝っても良い」
「確かにモパッサ殿の仰ることは正しい。正しいが、断らせていただく」

セルジュはこの提案をバッサリと一刀両断に断った。セルジュはスポジーニ東辺境伯に恩も義理もあるわけではなかった。

しかし、アシュティア領はスポジーニ東辺境伯領と地続きになっており、寝返った後のことを考えると得策とは思えなかったのである。

それに、簡単に寝返っては危機のときに簡単に寝返る男だと思われてしまう。セルジュはそれが癪で堪らなかった。

そのことを丁寧にモパッサに説明すると、モパッサは別の提案をおこなってきた。

「それは残念だ。だが別に我々のことを嫌っているわけではないのだろう?」
「それはもちろんでございます」
「では、これを機に誼を通じたいと考えているのだが如何だろうか」
「……具体的には、何をするのでしょう」

セルジュが訝しみながら内容を伺ってみると、その内容はなんてことのない内容であった。ベルドレッドと商いをして欲しいという、ただそれだけの内容であった。

セルジュは願ってもない申し出だと考えていた。と言うのも、セルジュのような弱小の地方領主はどちらに転んでも良いように両方と懇意にしていなければならないと考えていたからである。

「それくらいならば」
「ありがたい。では連絡役としてこのジョルトを置いていく。好きに使ってくれ」

セルジュが快諾するとモパッサは自身の後ろに控えていた少年を指差した。この少年も焦げ茶の髪を長く伸ばして後ろで縛っている。年はジェイクたちと同い年ぐらいだろう。

そしてセルジュはしてやられたと思った。最初からモパッサはこの少年を送り込むことを目的としていたのだろうとセルジュは仮説だてた。が、いまさら撤回することはできない。

「いや、その必要はございません。彼も故郷を離れるのはさぞ寂しいことでしょう」
「このジョルトは孤児でしてな。故郷と呼べる故郷が無いのだ。必要ないのであれば殺しても構わん。既に其方に託したのだ」

モパッサはもう我関せずというスタンスを貫いている。ジョルトもアシュティアを離れる気はないのだろう。これではセルジュにはもうどうすることも出来なかった。

「わかりました。それではジョルト殿を『お預かり』いたしましょう」

セルジュの腹は決まった。毒を食らわば皿までである。その後、モパッサと他愛もない話をして最後にセルジュはこう告げた。

「確かにモパッサ殿の仰る通り、リス領を事実上封鎖されて難儀しています。リス領の東側五分の一でも切り取ることが出来ればと常々考えております。そして、後顧の憂いがなければすぐさま動くでしょう」
「それが聞けただけでも重畳というもの。このお礼は必ず」

そう言ってモパッサは辺境伯領へと去って行った。ジョルトを置いて。

セルジュはこの少年――と言っても年齢はジョルトの方が年上なのだが――の扱いをどうするべきか困っていた。ただ、そのままにしておくわけにもいかず、セルジュは側用人として雇うことにした。

「えーと、ジョルトだよね? とりあえずよろしく」
「はい、よろしくお願いします。セルジュさま」

ジョルトはとても教育が行き届いた少年であった。
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