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第9話
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ダンスの輪から抜け出ると、そこにはルッツが待ち構えていた。
「ミリア」
まだデウスと手をつないだままなのに、それすら待ちきれないのかルッツがエスコートのための手を差し出してくる。
そこで見たルッツの瞳にミリアは息を呑んだ。
さきほどまでの、捨てられるのを恐れる子犬の瞳ではない。
意志の強さが分かるほどに強い光をともした瞳。
(えっ、これ……誰……?)
目の前の人物が誰なのか、分からなくなるほどの変貌だ。
もちろん見た目は何も変わらない。着替えたというわけではない。
ただ雰囲気が変わっただけ。
それだけなのに、別人と思わせてくるほどの違いが、そこにあった。
「ふふっ、彼もついに本気になったみたいだね」
「本…気…?」
デウスは何か気づいているようだが、ミリアにはそれがわからない。
デウスとミリアの手が離れると、それを待っていたかのようにルッツがミリアの手を取る。
そのまま、ミリアを引きずりダンスの輪へと連れていく。
「待って!私、もう…!」
「…もっとステップを遅くする。それなら大丈夫だろう」
体力の限界、というほどでもない。まだ余裕はある。
が、今のミリアがルッツに対する感情には若干の恐怖があった。
ついさきほどの、デウスの変貌。
いや、内に秘めていた素顔、と言った方がいいかもしれない。
それに間近に触れ、戸惑いを覚えたミリアに立て続けにルッツの変貌だ。
それも、デウスとは別方向の変貌。
デウスが待ち構える蜘蛛なら、ルッツはまるで自ら狩りをする獅子のよう。
変貌したのではなく、これが彼の素顔だとしたら?
それはミリアの知るルッツではない。初対面といっていい。
ミリアには驕りがあった。
彼を、彼の家をここまで支援したのはカースタ家であり、そのきっかけは自分であること。
過去のミリアの行った所業ではあるが、彼はミリアには逆らえないこと。
現在接する彼は、ミリアを恐れ、捨てられることを恐れ、怯えすら見えた。
ミリアが上、ルッツが下…という驕り。
見た目と一致しない態度もそれに拍車をかけた。
が、今はまるで違う。
強引にミリアを引っ張る腕の力強さはデウスよりも上だ。
この腕に囚われればミリアにはどうすることもできない。
こうなると、その見た目すらも変わってくる。
その体躯が、まさしく見た目通りの威圧感を放っている。
その背の大きさにミリアは困惑するしかない。
(なんで…!?何がどうなって…!)
ミリアは気づかない。
どうしてルッツがこうなってしまったのかを。
それはルッツ自身も気づいていない。
―――ルッツにとって、ミリアは恐るべき存在だ。
それは今も変わらない。
いつからだったか、突然ルッツはミリアの婚約者になった。
いや、された。
しかも、婚約者でありながらその扱いは下僕も同然だった。
理不尽な命令は当然で、学園に行けば従僕のような…いや、従僕だった。
彼女はルッツを振り回し、命令を拒否することを許さなかった。
そしてルッツも、命令を拒否しようとしなかった。
当時のロード家は困窮していた。
事業に失敗し、借金こそしなかったものの、財政は最悪。
次年度にルッツが学園に通う資金さえ怪しかった。
それを解決したのがミリアだ。
婚約者が学園に通えない貧乏など許さないと、彼女は父に頼んでロード家を援助させた。
その援助額はさすが指折りの資産家だけあり、大金であった。
ロード家の財政は安定し、ルッツも学園に通い続けることができた。
そのこと自体はルッツは感謝している。
だが、学園での扱いは貴族令息として耐えがたいものだった。
しかし家の為にルッツは耐えるしかなかった。このわがまま放題の令嬢の機嫌を損ねれば援助は打ち切られてしまう。そのことを幼いながらもルッツは自覚していた。
それは日々の生活にも影響を与えていた。
家の財政が安定したことで、それまで質素な食事しか出なかったロード家の食卓がにぎやかになった。おかげで成長期だったルッツはどんどん体が大きくなり、たくましくなっていった。
そんな矢先、ミリアが病気に倒れた。
学園に来ない日が続いた。
ミリアに悩まされていた多くの学生が、そのことに喜んだ。
そしてルッツをねぎらった。
学園での一番の被害者がルッツだったから。
けれど、いつかは治り復帰してくるだろう。
誰もがそう思っていた。もちろんルッツも。
しかし、一月、二月、そして半年……1年が過ぎた。
未だにミリアの復帰は無い。
すると、学園内ではミリアの死亡説まで流れ出した。
もちろんそんなことはないことをルッツは知っていた。
見舞いには行かなかったが、援助が続いていること、婚約が続いていることが何よりの証拠だ。
そしてルッツにも変化が訪れる。
ミリアの一番の被害者であるルッツ。しかし、彼が今こうして学園に通い、家に帰れば家族と温かい食事ができる。それを叶えてくれたのは他ならぬミリアだったからだ。
そんなミリアが1年以上病気に臥せている。ひどい扱いをしながらも、援助をくれるきっかけとなった少女の容態に、さすがにルッツも心配になってきた。
当時は気づかなかったが、それはきっと援助を切られるからという理由ではない。
傲慢、我儘と貴族令嬢にあるまじき振る舞いの彼女に、ルッツはどこか惹かれてもいた。
欲しいものを手に入れるために手段を選ばない。
その生き方に、あこがれてもいた。
しかし、心配になったからといって見舞いに行くことは無かった。
1年見舞いに行かなかった。今更どの面を下げて…という思いだった。
まして、家族も援助を有難いとしながらも、学園でのルッツに対するミリアの振る舞いを聞いていた。
そのころには徐々に事業も立て直しつつあったため、援助を切られても大丈夫だという思いだ。
だから、ルッツにミリアの見舞いに行けと言うことはなかった。
それに、ルッツの脳裏に浮かぶのは元気で我儘、暴君のミリアだ。
会えば、どんな目に遭うかわからない。そんな恐怖もあった。
…そして、6年が経った。
その6年も、援助は続いた。それはミリアが生きていることを示している。
しかし、当人は一向に姿を見せることは無かった。
実は亡くなっているのに、それを外部に漏らさないために、援助も続けているんじゃないか?そう考えることもあった。
しかしそれを裏切るように、ミリアは学園に姿を現した。
6年ぶりのミリア。
彼女の面影はもちろんある。
しかし、以前の暴君のような勢いは無かった。
6年もの間病気に伏せていたことは間違いないようで、その肌や手足は病人のそれと変わらない。
彼女は侍女を連れていた。6年前にはそこにはルッツがいた。
ミリアは自分のことを忘れてしまったのか…?
ルッツはそう思った。
彼女に付き従い、彼女の為になにかするのは自分の役目だった。
…その役目を取られた。
解放された。ではなかった。取られた、だった。
ルッツは中庭にいたミリアに声を掛けた。
本人で間違いなかった。
気が気でなかった。
ルッツはあれから大きく変わった。
11歳が17歳になったのだ。その変化は大きい。
しかしその変化も、ミリアの前にいるとまるで変ってないように錯覚してしまう。
事実、普段は紳士的に、女性相手でも余裕が崩れたことが無いルッツが、ミリアの前というだけで緊張し、その声には余裕の欠片もない。
6年間、見舞いに来なかったこと、姿を見せなかったこと。そのことをどれだけ罵倒されるか、恐怖におびえながらそれを待った。
待つ間は時間がとてつもなく感じる。
けれど、その時間は終わりを迎えた。
「…用が無いなら失礼します」
それは予想もしていない言葉だった。
罵倒するどころか、婚約者である自分に構う素振りすらない。
ルッツの脇を通り過ぎたミリアを思わず振り返る。
すると、「はぁっ!?」という彼女の驚きの声が上がる。
その声にびくりとしてしまうが、しかしそれ以上は続かない。
しかし、何を思ったのか、二人はこちらに振り返った。
その黒い瞳に見つめられると、動揺し、直視できなかった。
「ねぇ、ルッツ」
「!!! はい!」
突然名前を呼ばれ、ルッツは緊張と驚き、恐怖で直立不動になってしまった。
脳裏にかつてのミリアにされたことが思い出される。
やはり何かされてしまうのか?そう思う心だけが暴走する。
「あなたの家はもう大丈夫なの?」
「えっ?俺の家…?」
「もう援助はいらないの?」
「えっ?」
突然何を聞いてくるのか。何故自分のことではなく、家のことなのか。
ルッツの頭は鈍りに鈍っていた。
「援助が不要なら、もう婚約は解消してもいいでしょう?」
「!!??」
しかし、続く言葉に頭が真白になりかける。
婚約を解消する。それは、何よりもルッツが願っていること…のはずだった。
それなのに、願っていたことを言われたはずなのに頭は落ち着かない。
「…あなたに過去したことは謝るわ。でも、ロード家が援助不要なら望まない婚約を続けなくてもいいでしょう?なら、婚約を解消しましょう」
「…………」
まさかのミリアの謝罪。そして、再び婚約解消を告げられる。
何がどうなっているのか分からない。何故、何故と頭の中で繰り返される。
「帰ったらお父様にも相談するわ。それで解消すれば、あなたも自由な恋ができるわ」
さらにミリアの父、カースタ侯爵に言うという。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
停止した頭を再稼働させ、なんとか言葉をかける。
何故婚約を解消すると言い出したのか、その理由が知りたかった。
「どういうことだ!君はもう俺に興味が無いということか!?」
「ええ、そうよ」
「!!」
ありえないと思いつつ、自ら提示した理由に、ミリアはにべもなく頷いた。
そのためらいの無さに、どこかミリアらしさも感じてしまった。
「あなたも、私に興味は無いでしょう?一度も見舞いに来なかったんだもの」
「!!!!」
さらに突かれたくなかった事実を突き付けられた。
確かに6年間見舞いに行かなかったのは事実。しかし、それを当人から言われたのではそのダメージは驚くほどだった。
「そろそろ次の授業が始まるわね」
「はい」
そう言い、ミリアと侍女は去っていった。
身体に力が入らず、ルッツは膝から崩れ落ちた。
そして翌日。婚約は解消された。
家族は喜んだ。しかし、ルッツは喜べなかった。
その理由は全く分からない。
望んでいたはずの婚約解消。その妨げだったロード家の困窮もない。
何も問題は無い。
そのはずなのに、胸の内は忸怩たる思いを抱え、苦悩していた。
その後も、どうしても納得がいかず、呼び止めてはミリアに真意を質す。
しかし、答えは変わらない。
そして、そのうちに出た言葉は自分でも信じられなかった。
「君が好きだ」
「はぁ?」
「俺ともう一度婚約してほしい」
「はあぁぁ!?」
ミリアの驚きは尤もだが、それ以上に驚いたのはルッツ自身だった。
ミリアが好き。それは全く意識したことのない感情だった。
常に従僕扱いされ、婚約者という扱いとは程遠かったのに。
しかし、一度言葉にしてしまえばその言葉は驚くほどしっくりきた。
その後もなおも関係を続けたいと言い募るもことごとく却下されてしまう。
それどころか、デウスもミリアに求婚してしまい、一気に危機感が増す。
そしてミリアのデビュタントとなる夜会では、先にデウスがダンスに誘い、あまつさえその体を抱き寄せていた。
(ミリアを腕に抱くのは俺の…!)
燃え上がるような感情に、居ても立っても居られなかった。
ダンスの輪から戻ってきたミリアを強引に捕まえ、再びダンスの輪へと連れていく。
その感情はまぎれもなく嫉妬だった―――
「ミリア」
まだデウスと手をつないだままなのに、それすら待ちきれないのかルッツがエスコートのための手を差し出してくる。
そこで見たルッツの瞳にミリアは息を呑んだ。
さきほどまでの、捨てられるのを恐れる子犬の瞳ではない。
意志の強さが分かるほどに強い光をともした瞳。
(えっ、これ……誰……?)
目の前の人物が誰なのか、分からなくなるほどの変貌だ。
もちろん見た目は何も変わらない。着替えたというわけではない。
ただ雰囲気が変わっただけ。
それだけなのに、別人と思わせてくるほどの違いが、そこにあった。
「ふふっ、彼もついに本気になったみたいだね」
「本…気…?」
デウスは何か気づいているようだが、ミリアにはそれがわからない。
デウスとミリアの手が離れると、それを待っていたかのようにルッツがミリアの手を取る。
そのまま、ミリアを引きずりダンスの輪へと連れていく。
「待って!私、もう…!」
「…もっとステップを遅くする。それなら大丈夫だろう」
体力の限界、というほどでもない。まだ余裕はある。
が、今のミリアがルッツに対する感情には若干の恐怖があった。
ついさきほどの、デウスの変貌。
いや、内に秘めていた素顔、と言った方がいいかもしれない。
それに間近に触れ、戸惑いを覚えたミリアに立て続けにルッツの変貌だ。
それも、デウスとは別方向の変貌。
デウスが待ち構える蜘蛛なら、ルッツはまるで自ら狩りをする獅子のよう。
変貌したのではなく、これが彼の素顔だとしたら?
それはミリアの知るルッツではない。初対面といっていい。
ミリアには驕りがあった。
彼を、彼の家をここまで支援したのはカースタ家であり、そのきっかけは自分であること。
過去のミリアの行った所業ではあるが、彼はミリアには逆らえないこと。
現在接する彼は、ミリアを恐れ、捨てられることを恐れ、怯えすら見えた。
ミリアが上、ルッツが下…という驕り。
見た目と一致しない態度もそれに拍車をかけた。
が、今はまるで違う。
強引にミリアを引っ張る腕の力強さはデウスよりも上だ。
この腕に囚われればミリアにはどうすることもできない。
こうなると、その見た目すらも変わってくる。
その体躯が、まさしく見た目通りの威圧感を放っている。
その背の大きさにミリアは困惑するしかない。
(なんで…!?何がどうなって…!)
ミリアは気づかない。
どうしてルッツがこうなってしまったのかを。
それはルッツ自身も気づいていない。
―――ルッツにとって、ミリアは恐るべき存在だ。
それは今も変わらない。
いつからだったか、突然ルッツはミリアの婚約者になった。
いや、された。
しかも、婚約者でありながらその扱いは下僕も同然だった。
理不尽な命令は当然で、学園に行けば従僕のような…いや、従僕だった。
彼女はルッツを振り回し、命令を拒否することを許さなかった。
そしてルッツも、命令を拒否しようとしなかった。
当時のロード家は困窮していた。
事業に失敗し、借金こそしなかったものの、財政は最悪。
次年度にルッツが学園に通う資金さえ怪しかった。
それを解決したのがミリアだ。
婚約者が学園に通えない貧乏など許さないと、彼女は父に頼んでロード家を援助させた。
その援助額はさすが指折りの資産家だけあり、大金であった。
ロード家の財政は安定し、ルッツも学園に通い続けることができた。
そのこと自体はルッツは感謝している。
だが、学園での扱いは貴族令息として耐えがたいものだった。
しかし家の為にルッツは耐えるしかなかった。このわがまま放題の令嬢の機嫌を損ねれば援助は打ち切られてしまう。そのことを幼いながらもルッツは自覚していた。
それは日々の生活にも影響を与えていた。
家の財政が安定したことで、それまで質素な食事しか出なかったロード家の食卓がにぎやかになった。おかげで成長期だったルッツはどんどん体が大きくなり、たくましくなっていった。
そんな矢先、ミリアが病気に倒れた。
学園に来ない日が続いた。
ミリアに悩まされていた多くの学生が、そのことに喜んだ。
そしてルッツをねぎらった。
学園での一番の被害者がルッツだったから。
けれど、いつかは治り復帰してくるだろう。
誰もがそう思っていた。もちろんルッツも。
しかし、一月、二月、そして半年……1年が過ぎた。
未だにミリアの復帰は無い。
すると、学園内ではミリアの死亡説まで流れ出した。
もちろんそんなことはないことをルッツは知っていた。
見舞いには行かなかったが、援助が続いていること、婚約が続いていることが何よりの証拠だ。
そしてルッツにも変化が訪れる。
ミリアの一番の被害者であるルッツ。しかし、彼が今こうして学園に通い、家に帰れば家族と温かい食事ができる。それを叶えてくれたのは他ならぬミリアだったからだ。
そんなミリアが1年以上病気に臥せている。ひどい扱いをしながらも、援助をくれるきっかけとなった少女の容態に、さすがにルッツも心配になってきた。
当時は気づかなかったが、それはきっと援助を切られるからという理由ではない。
傲慢、我儘と貴族令嬢にあるまじき振る舞いの彼女に、ルッツはどこか惹かれてもいた。
欲しいものを手に入れるために手段を選ばない。
その生き方に、あこがれてもいた。
しかし、心配になったからといって見舞いに行くことは無かった。
1年見舞いに行かなかった。今更どの面を下げて…という思いだった。
まして、家族も援助を有難いとしながらも、学園でのルッツに対するミリアの振る舞いを聞いていた。
そのころには徐々に事業も立て直しつつあったため、援助を切られても大丈夫だという思いだ。
だから、ルッツにミリアの見舞いに行けと言うことはなかった。
それに、ルッツの脳裏に浮かぶのは元気で我儘、暴君のミリアだ。
会えば、どんな目に遭うかわからない。そんな恐怖もあった。
…そして、6年が経った。
その6年も、援助は続いた。それはミリアが生きていることを示している。
しかし、当人は一向に姿を見せることは無かった。
実は亡くなっているのに、それを外部に漏らさないために、援助も続けているんじゃないか?そう考えることもあった。
しかしそれを裏切るように、ミリアは学園に姿を現した。
6年ぶりのミリア。
彼女の面影はもちろんある。
しかし、以前の暴君のような勢いは無かった。
6年もの間病気に伏せていたことは間違いないようで、その肌や手足は病人のそれと変わらない。
彼女は侍女を連れていた。6年前にはそこにはルッツがいた。
ミリアは自分のことを忘れてしまったのか…?
ルッツはそう思った。
彼女に付き従い、彼女の為になにかするのは自分の役目だった。
…その役目を取られた。
解放された。ではなかった。取られた、だった。
ルッツは中庭にいたミリアに声を掛けた。
本人で間違いなかった。
気が気でなかった。
ルッツはあれから大きく変わった。
11歳が17歳になったのだ。その変化は大きい。
しかしその変化も、ミリアの前にいるとまるで変ってないように錯覚してしまう。
事実、普段は紳士的に、女性相手でも余裕が崩れたことが無いルッツが、ミリアの前というだけで緊張し、その声には余裕の欠片もない。
6年間、見舞いに来なかったこと、姿を見せなかったこと。そのことをどれだけ罵倒されるか、恐怖におびえながらそれを待った。
待つ間は時間がとてつもなく感じる。
けれど、その時間は終わりを迎えた。
「…用が無いなら失礼します」
それは予想もしていない言葉だった。
罵倒するどころか、婚約者である自分に構う素振りすらない。
ルッツの脇を通り過ぎたミリアを思わず振り返る。
すると、「はぁっ!?」という彼女の驚きの声が上がる。
その声にびくりとしてしまうが、しかしそれ以上は続かない。
しかし、何を思ったのか、二人はこちらに振り返った。
その黒い瞳に見つめられると、動揺し、直視できなかった。
「ねぇ、ルッツ」
「!!! はい!」
突然名前を呼ばれ、ルッツは緊張と驚き、恐怖で直立不動になってしまった。
脳裏にかつてのミリアにされたことが思い出される。
やはり何かされてしまうのか?そう思う心だけが暴走する。
「あなたの家はもう大丈夫なの?」
「えっ?俺の家…?」
「もう援助はいらないの?」
「えっ?」
突然何を聞いてくるのか。何故自分のことではなく、家のことなのか。
ルッツの頭は鈍りに鈍っていた。
「援助が不要なら、もう婚約は解消してもいいでしょう?」
「!!??」
しかし、続く言葉に頭が真白になりかける。
婚約を解消する。それは、何よりもルッツが願っていること…のはずだった。
それなのに、願っていたことを言われたはずなのに頭は落ち着かない。
「…あなたに過去したことは謝るわ。でも、ロード家が援助不要なら望まない婚約を続けなくてもいいでしょう?なら、婚約を解消しましょう」
「…………」
まさかのミリアの謝罪。そして、再び婚約解消を告げられる。
何がどうなっているのか分からない。何故、何故と頭の中で繰り返される。
「帰ったらお父様にも相談するわ。それで解消すれば、あなたも自由な恋ができるわ」
さらにミリアの父、カースタ侯爵に言うという。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
停止した頭を再稼働させ、なんとか言葉をかける。
何故婚約を解消すると言い出したのか、その理由が知りたかった。
「どういうことだ!君はもう俺に興味が無いということか!?」
「ええ、そうよ」
「!!」
ありえないと思いつつ、自ら提示した理由に、ミリアはにべもなく頷いた。
そのためらいの無さに、どこかミリアらしさも感じてしまった。
「あなたも、私に興味は無いでしょう?一度も見舞いに来なかったんだもの」
「!!!!」
さらに突かれたくなかった事実を突き付けられた。
確かに6年間見舞いに行かなかったのは事実。しかし、それを当人から言われたのではそのダメージは驚くほどだった。
「そろそろ次の授業が始まるわね」
「はい」
そう言い、ミリアと侍女は去っていった。
身体に力が入らず、ルッツは膝から崩れ落ちた。
そして翌日。婚約は解消された。
家族は喜んだ。しかし、ルッツは喜べなかった。
その理由は全く分からない。
望んでいたはずの婚約解消。その妨げだったロード家の困窮もない。
何も問題は無い。
そのはずなのに、胸の内は忸怩たる思いを抱え、苦悩していた。
その後も、どうしても納得がいかず、呼び止めてはミリアに真意を質す。
しかし、答えは変わらない。
そして、そのうちに出た言葉は自分でも信じられなかった。
「君が好きだ」
「はぁ?」
「俺ともう一度婚約してほしい」
「はあぁぁ!?」
ミリアの驚きは尤もだが、それ以上に驚いたのはルッツ自身だった。
ミリアが好き。それは全く意識したことのない感情だった。
常に従僕扱いされ、婚約者という扱いとは程遠かったのに。
しかし、一度言葉にしてしまえばその言葉は驚くほどしっくりきた。
その後もなおも関係を続けたいと言い募るもことごとく却下されてしまう。
それどころか、デウスもミリアに求婚してしまい、一気に危機感が増す。
そしてミリアのデビュタントとなる夜会では、先にデウスがダンスに誘い、あまつさえその体を抱き寄せていた。
(ミリアを腕に抱くのは俺の…!)
燃え上がるような感情に、居ても立っても居られなかった。
ダンスの輪から戻ってきたミリアを強引に捕まえ、再びダンスの輪へと連れていく。
その感情はまぎれもなく嫉妬だった―――
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学園卒業祝いの夜会の場に、凛と響いた王太子殿下の一声。
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幼い頃に一度出会ったきりの初恋の彼と学園で再会出来たらなぁ、なんて淡い期待を抱いて通っていたのに、道理で卒業式までなんにも起きなかったわけだ。
ーーなんて、ひとり納得していたら。
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タイムリミットは1年間。
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