遠き道を -儒者 林鳳岡の風景-

深川ひろみ

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三 後世畏るべし

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 書庫を案内し、再び階段を下って邸の方へ戻ってくると、僧衣に頭巾を着けた父春勝の姿があった。
 春常は緊張した。
 春勝は、恐らく弟から話を聞いてはいるのだろう。落ち着いた足取りで歩み寄ってくる。
「おかえりなさいませ」
 春信は一礼して笑顔で言った。春常も同じように言って頭を下げる。春勝は息子たちの挨拶に軽く目礼で応じてから、客人に目を向けた。
「山崎どの。お噂は聞こえております」
 山崎はじっと春勝を見たが、直接には言葉を返さず、春信に目を向ける。
「突然参りましたが、ご子息には丁寧な案内を頂き、痛み入る」
「先聖殿と書庫をご案内しました」
 春信が答え、春勝は笑顔を浮かべ、「ご苦労だった」と言った。
「書庫は本宅にあった父の蔵書が最も充実しておりましたが、残念なことに昨年初めの大火で、全て灰になりました」
「聞き及んでおります。天下のために残念なことでした」
 山崎は、今度は春勝に対して答えた。
「先聖殿はいかがでした」
 少し間があった。先ほどの指摘の数々を思い出し、春常は緊張したが、山崎はここで話を蒸し返す気はないらしい。答えは簡単なものだった。
「盛大なものです」
 そう言ってから、山崎は春信を見た。
「よいご子息をもたれた。弟御は「後生畏るべし」と。先が楽しみです」
 春勝はわずかに戸惑ったようだったが、「恐縮です」と応じた。
「山崎どの、お子さんは」
「子はもちません」
 きっぱりとした否定は、それ以上の問いを拒絶する響きがあった。春勝はやや鼻白んだようだった。儒の道は孝を尊び、また血族の祭祀が継続することを重んじる。子を持たない、あるいは持てないという事は、儒者として生きる上ではやや屈折した感情を抱かせることだっただろう。
「失礼する」
 山崎は、軽く一礼してその場を辞そうとしたが、春信がそれを呼び止めた。
「山崎さま」
 山崎は足を止める。
「父上、山崎さまが、釈奠の式次第をご覧になりたいと」
 春勝は意外な依頼に驚いた様子だったが、軽く頷いた。
「ご参考になるものならば喜んで。だが、少し整理をしないことにはお見せ出来ない。後日、河内守さまの元へお届けさせていただこう」
「はい」
 春信が答えると、山崎は目礼し、再び踵を返した。三井がそれに随う。
 後ろ姿を見送って、春勝は軽く息を吐き出した。春常も、そして恐らく春信も、肩の荷が下りた気分でホッと息をつく。
「ご苦労だったな」
 二度目のねぎらいの言葉だった。
せいも全く思い切ったことをする」
 苦笑交じりに言う。「靖」は守勝の名だ。
 春信は父を見上げ、
「緊張しました」
と言った。
「ですが、勉強になります」
 春勝は頷き、息子の背を軽く叩いた。
「後生畏るべし、か。わたしも鼻が高い。つねもご苦労だったな」
 ねぎらわれても、春常は何もしていないし、実のところ一言も喋ってさえいない。居心地悪い気分で春常は答えた。
「わたしは何も」
「いや、つねが一緒に来てくれて心強かったよ」
 兄はそんな風に言って、いつものようににっこりと笑ってくれた。


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