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序章 出会うは約束の人

囚人の終わり

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 目を覚ましてまず目に入るのは、昨日と何も変わらない同じ天井だった。

「・・・?」

 まだ眠気が残る瞼をこすりながら、いつもと違う雰囲気をコウは敏感に感じ取っていた。
 何かが始まるのだろう。
 騒々しさは厳重に隔離されているここまで届くほどだ。

 だれか別の大罪人が護送されてきたのか、はたまた戦争の波がここまで及んできたのか。
 しかしそのどれであっても自分にはなんの関係もないのだろうと結論付け早々に興味を失った。
 どうせ自分は大きな流れには逆らえないのだ。例えこの空間に何か変化が起きるとしても、敵が攻めてきて殺されるか、ついに自分に処刑の順番が回ってきて処刑場に連れて行かれるかの違いでしかないのだから。

 ゴロンと硬いベッドに寝転がり目をつぶる。何も考えず伽藍堂に浸ると時間の感覚が曖昧になってくる。何も思わず何も考えず何も感じず。そうして自分の世界を閉じる事によって何もない時間に対して正気を保つ。錠をかけられた日からずっと幽閉され続けたコウの自己防衛法であった。

「特例囚人コウ。起きろ」

 そんな境地に至ったコウだからこそ、乱暴にドアが開かれた扉からそんな風に高圧的に命令されても「ああ、ついに来たか」くらいにしか思わなかった。

 入ってきた警備兵は全部で3人。左右に二人が展開しいつでも抜剣できるように警戒しているのがわかった。

 なぜそんなに顔がこわばっているのだろう。コウは疑問に思ったが、その疑問は口に出すことはなかった。何か口答えしようものなら即座に切りかかってきそうな程の緊張感を醸し出していたからだ。
 恐れている?一体誰を?
 歯向かう力もないガリガリに痩せた自分にできる事なんてたかがしているのに。

「何をつったっている!早く手を出せ!」

 切羽詰まった声に、ああ、しまった。とふらりと歩き出す。そうか、でなければいけないんだ。ぼんやりと鈍い思考の中で自分のやることを思い出し、ゆらりと手を出しながら歩き出す。

「ひっ」

 何に驚いたのか兵士たちが短く悲鳴を上げたのを不思議な顔で視線を向ける。
 その動作に真ん中の年かさの兵士が引きつった表情でいう。

「い、いいか!馬鹿なことは考えるなよ。お前が何かしようものならお前の家族が責を負うことをわすれるな!」

 視線を向けた。
 単純に自分に声をかけられたから振り向いた。ただそれだけの反射的な行為だった。にも関わらず、怯んだように後ずさる年かさの兵士にコウはできるだけ穏やかに気をつけて口を開く。

「わ゛—」

 わかっています。と続けようとし、声が出なかった。喉が乾いて閉じたように張り付いているのだ。
 自分がどうやって話していたのか忘れてしまった。。二度、三度唾を飲み込み声の出し方を思い出すようにゆっくりと話す。

「わかっでいまず。僕は、皇帝陛下の多大なる恩赦により生きながらえでいまじだ。抵抗はしまぜん」

「わ、わかっているのならばよいのだ。」

 うろたえた年かさの兵士は何度も頷くと、気を取り直すように咳払いをした。そして左右の兵士に目配せをすると、頷いた兵士たちがコウに近寄りコウが差し出した手にガチャリと重たい鉄の手枷を嵌めた手枷には鎖が3つつながっている。3人の兵士たちがそれぞれ一本ずつ握っており逃げられないようにしているのだ。

「顔を上げろ」

 言われるがままに顔を上げると、年かさの男が目の前にいた。
 彼はそんなコウに対して一瞬顔をしかめた。

「・・・臭いな」

 小声でつぶやかれた。
 それはそうだろうとコウは思った。
 最後に体を拭いたのはいつの頃だったか。人間の尊厳なんていうものはなかった。
 糞便を撒き散らしていないだけマシなほうだが、それでも据えた匂いや体のアカは相当な匂いを放っているに違いない。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、ガチャリとこれまた鉄の首輪を付けられた。首輪にも鎖が3つついており、それぞれ兵士が一つずつ手に持っている。
 年かさの兵士が鎖の具合を確かめるように何度かひっぱりしっかり繋がれている事を確認すると満足気にうなずいた。

「ではついてこい」

 引っ張られた瞬間にコウは「あっ」とよろめいた。ずいぶん歩いていなかったものだから、歩くことを忘れているようだった。
 よろめいたコウには目もくれず、背を向けて牢を出た年かさの兵士はぐいぐいとコウの鎖を引っ張る。転ぶまいと足を必死に前にだし、引きずられるようにコウは歩き出す。

 それを見送り後ろについてくる兵士たちもその動きはやはりどこか緊張したように固い動きで、とても無力な囚人相手に対する態度ではないなと思ったコウであった。

 ああ、そうか。
 すぐに得心した。
 滅剣の呪印を持つ呪われた忌み子であるがゆえに、だ。

 だからどうということはない。恐れられるゆえに幽閉されていたのだから驚くほどのことではなかったのだ。
 呪われた力を持つがゆえにその反応は至極当然なのだから。もっとも兵士たちの表情は怯えながらもどこか憐憫も含まれていることは、後ろを歩くコウには見えるはずもなかった。

 冷たい石の階段を裸足で踏みしめながら、窓を見つけた。窓の前を通り過ぎる時、ちらりと外を盗み見た。一瞬見えた外の世界は、穏やかな陽光に照らされた森が広がっていた。

 よかった。世界は平和だ。

 薄暗い石の階段は今なお続いている。ゆっくり深いところに降りながらコウは少しだけ救われた気がした。
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