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序章 出会うは約束の人

囚人砦と幼き女帝

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 時は少し遡る。

 滅剣の主を幽閉している囚人砦は人里離れた森の奥深くにある。
 その主たるブレストンは砦の中庭というには大きく殺風景な場所に、100名ほどの騎士をぐるっと壁際に配置し、竜の国からの使者を出迎えるために待っていた。

 政治的取引により滅剣の呪印をもつ青年を竜族に引き渡すためである。
 今回の引き渡しにあたり、竜の国の王クラスがやってくるという通達が本国からあったため、急遽本国から虎の子のテンプルナイツを派兵してもらい、万が一の状況に備えたのだ。
 もっともそんなものはただの気休めでしかないことはわかっていた。

 ブレストンは元騎士である。

 先の大戦初期には最前線で戦い、消して浅くはない負傷をおったもののその功績から男爵位とこの囚人砦を与えられ今に至る。

 ブレストンは竜族の恐ろしさをよく知っている。

 1小節や2小節程度の簡易魔法はまず効かない。5小節からの中位魔法ですら正面から放てばレジストされてしまうこともある。

 さらに鋼よりも硬い鱗が剣や弓矢、槍を弾き返してしまう。それこそ、攻城槌で思いっきり叩くほうが効果的というのはいっそ笑えてしまうほどの頑強さだ。

 その竜族をたったの一人で100近く屠ったという滅剣の呪印の所有者はそれ以上の化け物である。
 さらにその戦果には皇族が含まれているという逸話はすでに伝説となって語り継がれる程である。

 だが、そこまでだった。滅剣の呪印の所有者はそれ以降姿を見せず、帝国は戦争に負けた。
 そして戦後の弾劾裁判をしない代わりに秘密裏に戦犯である滅剣の呪印の所有者を差し出す。

 それが今回の取引の内容である。

 上層部は滅剣の呪印の所有者を切り捨て停戦協定を結ぶ事ができて喜んでいるようだが、滅剣の呪印の所有者なくしてどうして竜に対抗てきるとおもっているのだろうか。いや、もしかすると秘密裏に別の兵器が開発されているのかもしれない。上層部の人間はそれこそ雲の上の人間でただの男爵である自分に機密情報が入ってくるわけがないのだ。

 ブレストンがそんなことを考えて堂々巡りを繰り返していると、ふいに騎士たちがざわつきだした。
 まさかとおもって見上げたブレストンがみたのは、4匹の飛竜がキレイに四角形の編隊を保ちながら降りてくる所であった。
 ドスンと重低音が中庭に響き、一匹の竜がブレストンの目の前に降り立った。突風がブレストンを襲い反的に顔を庇った。

 風が止み、恐る恐る顔を上げたブレストン目前に飛竜の顔があった。

「ひぃああ」

 悲鳴をあげ思わず飛び退いた。飛竜はそんなブレストンの無様さに興味がないのか、切れ込みがはいったような黄色の瞳を無機質に向けていた。

 ただそれだけなのに身の毛がよだつような恐怖にとらわれる。
 ただの飛竜ですらその気になればブレストンなど一瞬でランチの一部にされてしまう。

 ブレストンがおののいているその向こう側では、他の飛竜も左右に二匹、奥に一匹、ほぼ同時に降り立っていた。
 常人よりは肝が座っている自負があるブレストンでさえ、この距離に飛竜がこれれては恐ろしい。

 それぞれの場所で騎士たちがまさしく浮き足立っているのが目の端に映る。
 帝都から派兵されたはテンプルナイツとて歴戦の勇者である。しかし彼らをしても飛竜4匹は恐れの対象である。
 先の戦争での大敗を経験しているからだろう。竜は恐ろしいのだ。

「お出迎えご苦労様です。」

 その声は、ブレストンの目の前にいる飛竜、その上から聞こえた。
 流れるように響くその声音は清流を思わせる美声であった。
 呆けたようたように声につられて見上げたブレストンの視界に今まさに降り立つその姿が写った。
 音を立てずに軽く地面へと降り立つその姿にブレストンは驚愕し思わずその名を叫んだ。

「せ、青竜の女王アーティ=フィニムっ」

 たおやかな外見である。青いプレスとアーマーは白く波打つ装飾が施され優美さを兼ね備えている。腰よりも伸びた青髪はまるで穏やかな小川を思わせる緩やかなカーブを描いている。
 全体的に細い体はオーガが片手に持っても折れてしまいそうなほどである。
 だが、その外見に騙されてはいけないことをブレストンはよく知っていた。

 以前、戦場で一度だけ遠目に見たことがあったのだ。そのたおやかな外見とは似ても似つかないほどの膂力をこの女将軍がもっていた。3メートルを超すサイクロプスとまともに殴り合いができる女性が軟弱であろうはずがない。

 いや、彼女だけではなかった。ふと視界に写ったのは、飛竜から降り立つ、赤、緑、黒を称えた竜人たちの姿。その姿はブレストンにとって、青の女王に並ぶ印象的な姿であった。
 —まさか、4王がきたというのか!

 飛竜のインパクトの比ではない。
 過剰。
 明らかに過剰である。たかだが一人、それも人間の引き渡しに4人の王がお供もつれずにやってくるのははっきりいって異常である。

 竜の4王。
 それは帝国にとってまさに生ける伝説とも言える存在。

 竜族の中でも至高の位ともいわれる4人の王。皇帝につぐ最上位権限を持つ王は竜族を代表する4種族。すなわち赤竜、青竜、黒竜、緑竜の頂点である。下級の竜族でさえ人間の100や200など物ともしないというのに、その最上位ともなれば万の軍勢に匹敵しうる。人間が築いた砦など単騎で攻め落とすことなど竜族の王からしてみれば造作も無いことだろう。

 それが4人もこの場に揃うのは明らかにおかしい。いや、むしろそれほどまでに彼らは滅剣の呪印の所有者に対して警戒しているということなのだろうか。

 ブレストンは自分の頬に汗がじっとりと伝うのを感じた。
 不気味な静寂さに包まれた広場。

「あなたがこの砦の主か?」

 その静寂を破ったのは、聞き惚れてしまいそうな美声であった。
 一瞬ほうけたブレストンだが、その問いかけが青の女王から自分へと向けられたものだとしって居住まいを慌てて正す。

「はっ!小官がこの砦を任されております。ブレストンと申します」

 帝国騎士の流儀にのっとり、右手を胸にあて、腰を折る。

「王におかれましては—」

「結構です」

 青の女王が遮ってピシャリと言った。恐縮して体を丸めるブレストンに、青の女王がにこりと笑いかけて口を開く。

「我らが盟主が空でお待ちしております。その挨拶は私ではなく我らが盟主になされよ」

 不遜な物言いとは似ても似つかない蕩けそうな笑顔を向けられ、年甲斐もなく赤面するブレストン。

 そんなブレストンから視線を移し、周囲を見回す青の女王に視線を感じた騎士たちが緊張を走らせる。
 再び訪れた奇妙な静寂の中、青の女王が一歩、中央へ進み出た。

「頭を垂れよ!我らが盟主の着御であらせられるぞ」

 よく通る声は聞き惚れる程の美声でもって高らかに宣言。その場にいた全ての騎士たちが息を合わせて傅く。
 いや、従わされたというべきか。号令を耳にした誰もが頭より先に体が反応していた。

 それは竜の威圧と呼ばれる現象であった。

 竜という存在は人間よりも上位存在である。
 その上位の存在である竜に対する人間に刻まれた本能ともいえる行動原則であり、この声を聞いてなお従わない者がいるとすれば、自分と同位かあるいは上位存在でなければならない。

 それか敵対意識を持つものか。

 この場で全ての人間がひれ伏したということはこの場にいる誰にも敵意がないということの証明でもあった。
 それを確認したそして青の女王がさらに続けた。

「我らが盟主、ィリーリア・E・ローウェル皇帝陛下である!」

 その言葉を待っていたかのように一匹の優美で壮麗な飛竜が、4王を頂点としたその中心に舞い降りた。
 壮麗な飛竜は淡青に輝く鱗と、玉虫色の瞳をもっていた。その背中には鞍のかわりに豪奢なキャリッジが括りつけてあった。

 その飛竜が甲高い声で空に向けて一声鳴くや、羽を休めるようにぺたりと地に伏せた。
 それが合図であったのだろう、カチャリと扉が開く音がすると、豪奢なキャリッジからさらに美しい少女が出てきた。

 ブレストンはわずかに顔をあげ、その少女の姿をみたその瞬間、彼の世界が音を拒絶したかのように静寂に包まれた。

 一歩一歩ゆっくりと確かめるかのように降りてくる少女の出で立ちは、簡素ながらも優美な白銀の鎧を身につけている。決して華美ではない装飾を随所随所に白い流線型のアクセントを施されたその鎧は白百合をイメージさせる。

 ハーフヘルムの中から伸びた銀糸のような髪は腰まで伸び、陽光を受けてキラキラと輝くようすは夜空に浮かぶ満点の星のよう。端正な顔の輪郭の中には計算され尽くされたように綺麗に並び、著名な彫刻家が作った彫像のように無駄がない。なにより目を引くのはその大きな眼に嵌めこまれ、鎮座する銀色の瞳であろう。どのような宝石を集めても見劣りしてしまうほどその眼は美しい。

 銀月の君と世界でまことしやかに囁かれる通りの容姿であった。
 やがて銀月の少女が大地に足をつけると、そこにはいつのまにか4王が彼女を囲うように集まり跪いていた。

「出迎えご苦労」

 鈴を鳴らすような声で銀月の少女が言った。その言葉に跪いた四人が示し合わせたように同時に応えた。

「もったいなきお言葉!」

 その言葉を表情一つ動かさず、当然のように受け止めた銀月の君。

「この城の責任者は誰だ」

「あのもので御座います」

 銀月の君が問いにすかさず青の女王が応え、ブレストンを指さした。
 銀月の君がブレストンに視線を向ける。

 慌てて頭を垂れようとしたが、一瞬間に合わずその視線と目が合わさった受けた瞬間、ズドンとブレストンの脳天へ雷がおち足の先へと駆け抜けていき、目が離せなくなった。

 それはいままで感じたことが感情の発露である。恐ろしくもあるだが美しい。鋭利であるだが可憐だ。それは非常に暴力的で圧倒的な感情の並。まるでそれは恋のような衝撃波だ。

「アーティよ。アレでよいのか?」

 ブレストンは自分がアレ呼ばわりサれたのにもかかわらず、不快感よりむしろ自分が認識されたことに喜びすら抱いていること驚いた。

 年甲斐もなく、これではまるで思春期の少年ではないかとブレストンは思う。だがそれすらも心地よいと感じているのだ。その事実がブレストンにとってはとてつもなく恐ろしい。

 生物として上位にあるものに相対したときに畏怖と畏敬。神と対峙した神官が感涙に咽び泣く理由が今まさに理解できてしまった。

 コツコツコツと金属音が近づいてくるのをブレストンは聞いた。ブレストンの動悸が早くなる。戻ると彼にむかって4王を従えた銀月の少女と歩いてくるところであった。

 歩く姿さえ神々しい。

 反射的に跪きかけていたブレストンを、銀月の少女が片手をあげて制した。

「不要だ」

 誤った!
 短い拒絶の言葉にブレストンは己の失敗をしたのかと思い肝を冷やす。

「それよりも案内せよ」

「は、はい!こちらにございます」

 ブレストンは相手が自分らと友誼等もとめていないのだと改めて思い知ったのであった。
 慌てて踵を返し銀月の少女を先導して5人を砦に引き入れるのであった。
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