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ノーラ嬢が戸惑ったふうに頷く。
「……え、ええ。それが、なにか?」
「耕作にも牧畜にも適さない、乾いて痩せた土地だと伺っております。あそこに種を蒔くなら鳥にやった方が良い、とまで地元の方に言わしめるほどだとか。ところがそこを開墾するという名目で、アンダーソン氏多が額の出資を募っています」
アイリーンの隣で、リチャードが愕然と言う。
「それに私の名が使われていたのか?」
「確証を得られたのは、つい先日のことですけれど。どうやら王宮の調査機関が動いていたようですよ。詳しいことは、マクファランド公爵にお聴きくださいませ。わたしは報告をいただいただけですから」
「……そうか。なるほど、道理で」
なにか思い当たることでもあったのか、リチャードは痛みを堪えるような表情を浮かべている。彼の力無く落ちた肩にそっと触れてから、アイリーンはノーラ嬢に視線をやった。
「そのご様子ですと、どうやらご存知ではなかったようですね。……余計なお世話かもしれませんが、お父上と話し合われることをお勧めします」
「う、嘘です。そんなこと、お父さまがするはずありません。絶対に、なにかの間違いに決まってます……!」
「そのような主張はわたしにではなく、お父上になさってください。……これ以上はお話しすることもありませんし、あなたも気が済んだでしょう? さあ、どうぞお引き取りを」
出来るだけ穏やかに告げたつもりだが、追い払うことには変わりない。戸惑いの最中にあるノーラ嬢も、さすがにそれを理解したのだろう。憤りも露わに顔を赤くしたが、それでも噛み付くような真似はしなかった。
型通りに辞去の言葉を口にして、令嬢らしい所作で立ち上がる。彼女は涙の滲む目でリチャードを見つめていたが、それ以上はなにも言わずに応接室を後にした。
はた迷惑な客が去って、ようやく息を吐く。
出来れば二度と関わり合いになりたくない相手だが、なんとなくまだ一波乱ありそうで恐ろしい。
すっかり冷めてしまった茶に手を伸ばしながら、そうぼんやり思ったところで、不意に傍らのリチャードが床に膝を突いた。
頭を垂れる彼に、アイリーンは目を瞬かせる。
「リチャードさま、どうかなさいましたか?」
「……すまなかった、アイリーン。私の愚かな振る舞いのせいで、またきみに迷惑をかけることになってしまった。きみへの忠誠を示そうと、焦った結果がこの体たらくだ。自分でも本当に情けないと思っている。きみの手を煩わせるのは本意ではないが、いかようにでも罰して欲しい」
しょんぼりと項垂れる姿が、いじらしくも微笑ましい。
茶に伸ばしかけた手で彼の頭を撫でてやりながら、アイリーンは口元を綻ばせた。
「手紙をいただいた時にも思いましたけれど、リチャードさまは火遊びの後始末が不得手ですのね。……あの方の分別のなさにも、多少の原因はありそうですが」
苦笑含みに言って、跳ねる髪を指先に絡ませる。軽く引っ張ると、リチャードの肩が小さく揺れた。
「今後の参考に、ひとつお聞かせくださいませ。リチャードさまは、あの方のいったいどこに魅力を感じましたの?」
問われてリチャードはのろのろと顔を上げる。
アイリーンを見つめる目は恍惚に染まっていて、だが一方で恐れの色も滲んでいる。
訊かれたくなかったことなのだろう。彼はひどく言いにくそうにしていたが、それでも逆らうことなく口を開いた。
「……最初に心惹かれたのは、彼女の外見だ。デビュタントの白いドレスに麦穂色の髪がよく映えていて、期待と興奮に輝く顔は咲き誇る薔薇のように美しかった。一瞬で心を奪われて、それでもう目が離せなくなった」
「あの美しさですもの。リチャードさまが心惹かれたのも当然でしょう。……中身がそれに伴っていないのが、少し残念に思えますけれど」
「私は愚かだから、彼女のそういうところも好ましく感じたんだ。屈託なく笑うところや、誰に対しても物怖じせずにいるところ、よく変わる表情も魅力的だった」
リチャードの言いたいことは解らなくもない。瑕疵があるからこそ、輝く美というものも存在する。
ノーラ・アンダーソンという女性は正にそれだろう。
あからさまな敵意を向けられ、そのことに不快感を抱いていたアイリーンでさえ、彼女の魅力を否定するのは難しかった。
「……わたしには、とても真似出来そうにありませんね」
「きみはきみだ、アイリーン。彼女のように振る舞う必要はない。私が忠誠を捧げたいと思うのは、きみただひとり。支配されたいと願うのはきみだけだ」
「でも彼女のことは、まだ愛していらっしゃる?」
「そうだな、確かに恋を忘れることは難しい。だがきみと新しく始めることは出来る」
遊び人の彼らしい言い分だ。
アイリーンは思わず苦笑して、指に絡めていた髪を解いた。
ぴんと跳ねてしまった毛先を撫で付けてから、手で柔らかな髪を梳る。リチャードは心地良さそうに目を細めていたが、おずおずといった風情で顔を巡らせた。
手のひらに耳を擦り付ける彼の姿に、アイリーンは陶然と息を吐く。
「ベケット家は婚姻に政治を持ち込まない、と以前に言いましたでしょう? 大層な物言いに聞こえたかもしれませんが、実は持ち込めない、と言った方が正しいのです」
「……私には違いがよく、分からないのだが」
「どうも血筋のせいらしいのですが、ベケット家の人間はとにかく恋着が酷くて。だからひとたび相手を見定めてしまうと、それ以外の方には見向きもしなくなります。政略で結ばれた後に恋する方と出会って、目も当てられないことになった、という逸話が残っているほどなのですよ」
怪訝そうにしていたリチャードの顔色が、さっと変わる。自身とアイリーンとの婚約が、政略で結ばれたものであることに思い至ったのだろう。
彼は縋るような目でアイリーンを見つめて言った。
「つまり……いつか私も、きみに見向きもされなくなる、と言っているのか?」
「――え? ああ、いいえ、そうではありません。わたしはとても運が良い、とお伝えしておきたかったのです」
言いながらリチャードの頭を撫でる。髪をくしゃりと崩すようにすると、柔らかに滑る感触が指に心地良い。
リチャードが戸惑うように瞳を揺らしているのに笑みを返して、アイリーンはいたずらっぽい口調で言った。
「あなたと初めてお会いした時、リチャードさまの態度がとてもとても腹立たしくて。何故このような方と婚約しなければならないのか、とお父さまとマクファランド公爵を恨みたい気持ちでいっぱいでした」
「あの時は……すまなかった。思うように動けず鬱屈していた、とはただの言い訳だな。巻き込まれたきみに対して、私の振る舞いはあまりに失礼だった」
「本当に。サンノーファの庭園に呼び出された時なんて、呆れてものも言えなくなりましたもの」
抑えた声で笑うと、リチャードが眉尻を下げる。
その悄気げたさまにアイリーンは笑みを深くして、髪を撫でる手を滑らせた。
頬から頤をなぞって、指先に軽く力を込める。されるがまま面を上げたリチャードの鼻先に、そっと口付けを落とした。
「それでもわたしが心を決められたのは、あのことがあったからこそ。あのままなにもなければ、こうして跪き、わたしに縋りつくあなたを哀れで愛しいと思うこともなかったでしょう。そう考えると、わたしたちには必要なことだったと思いませんか?」
「……ちょっと待ってくれ。きみが、私を?」
呆然と呟くリチャードに、にこりと微笑ってみせる。
「ですからわたしは運が良い、と申し上げたのですよ」
政略で結ばれる相手に恋情を抱けるのは、そうあることではないだろう。それが叶うのだから、この縁組みを持ち込んだマクファランド公爵と、それを蹴らずにいてくれた父には感謝するしかない。
呆けた表情を浮かべるリチャードの顔が、赤く染まっていくのに満足の息を吐いて、アイリーンは今度は彼の唇に口付けを落とした。
「……え、ええ。それが、なにか?」
「耕作にも牧畜にも適さない、乾いて痩せた土地だと伺っております。あそこに種を蒔くなら鳥にやった方が良い、とまで地元の方に言わしめるほどだとか。ところがそこを開墾するという名目で、アンダーソン氏多が額の出資を募っています」
アイリーンの隣で、リチャードが愕然と言う。
「それに私の名が使われていたのか?」
「確証を得られたのは、つい先日のことですけれど。どうやら王宮の調査機関が動いていたようですよ。詳しいことは、マクファランド公爵にお聴きくださいませ。わたしは報告をいただいただけですから」
「……そうか。なるほど、道理で」
なにか思い当たることでもあったのか、リチャードは痛みを堪えるような表情を浮かべている。彼の力無く落ちた肩にそっと触れてから、アイリーンはノーラ嬢に視線をやった。
「そのご様子ですと、どうやらご存知ではなかったようですね。……余計なお世話かもしれませんが、お父上と話し合われることをお勧めします」
「う、嘘です。そんなこと、お父さまがするはずありません。絶対に、なにかの間違いに決まってます……!」
「そのような主張はわたしにではなく、お父上になさってください。……これ以上はお話しすることもありませんし、あなたも気が済んだでしょう? さあ、どうぞお引き取りを」
出来るだけ穏やかに告げたつもりだが、追い払うことには変わりない。戸惑いの最中にあるノーラ嬢も、さすがにそれを理解したのだろう。憤りも露わに顔を赤くしたが、それでも噛み付くような真似はしなかった。
型通りに辞去の言葉を口にして、令嬢らしい所作で立ち上がる。彼女は涙の滲む目でリチャードを見つめていたが、それ以上はなにも言わずに応接室を後にした。
はた迷惑な客が去って、ようやく息を吐く。
出来れば二度と関わり合いになりたくない相手だが、なんとなくまだ一波乱ありそうで恐ろしい。
すっかり冷めてしまった茶に手を伸ばしながら、そうぼんやり思ったところで、不意に傍らのリチャードが床に膝を突いた。
頭を垂れる彼に、アイリーンは目を瞬かせる。
「リチャードさま、どうかなさいましたか?」
「……すまなかった、アイリーン。私の愚かな振る舞いのせいで、またきみに迷惑をかけることになってしまった。きみへの忠誠を示そうと、焦った結果がこの体たらくだ。自分でも本当に情けないと思っている。きみの手を煩わせるのは本意ではないが、いかようにでも罰して欲しい」
しょんぼりと項垂れる姿が、いじらしくも微笑ましい。
茶に伸ばしかけた手で彼の頭を撫でてやりながら、アイリーンは口元を綻ばせた。
「手紙をいただいた時にも思いましたけれど、リチャードさまは火遊びの後始末が不得手ですのね。……あの方の分別のなさにも、多少の原因はありそうですが」
苦笑含みに言って、跳ねる髪を指先に絡ませる。軽く引っ張ると、リチャードの肩が小さく揺れた。
「今後の参考に、ひとつお聞かせくださいませ。リチャードさまは、あの方のいったいどこに魅力を感じましたの?」
問われてリチャードはのろのろと顔を上げる。
アイリーンを見つめる目は恍惚に染まっていて、だが一方で恐れの色も滲んでいる。
訊かれたくなかったことなのだろう。彼はひどく言いにくそうにしていたが、それでも逆らうことなく口を開いた。
「……最初に心惹かれたのは、彼女の外見だ。デビュタントの白いドレスに麦穂色の髪がよく映えていて、期待と興奮に輝く顔は咲き誇る薔薇のように美しかった。一瞬で心を奪われて、それでもう目が離せなくなった」
「あの美しさですもの。リチャードさまが心惹かれたのも当然でしょう。……中身がそれに伴っていないのが、少し残念に思えますけれど」
「私は愚かだから、彼女のそういうところも好ましく感じたんだ。屈託なく笑うところや、誰に対しても物怖じせずにいるところ、よく変わる表情も魅力的だった」
リチャードの言いたいことは解らなくもない。瑕疵があるからこそ、輝く美というものも存在する。
ノーラ・アンダーソンという女性は正にそれだろう。
あからさまな敵意を向けられ、そのことに不快感を抱いていたアイリーンでさえ、彼女の魅力を否定するのは難しかった。
「……わたしには、とても真似出来そうにありませんね」
「きみはきみだ、アイリーン。彼女のように振る舞う必要はない。私が忠誠を捧げたいと思うのは、きみただひとり。支配されたいと願うのはきみだけだ」
「でも彼女のことは、まだ愛していらっしゃる?」
「そうだな、確かに恋を忘れることは難しい。だがきみと新しく始めることは出来る」
遊び人の彼らしい言い分だ。
アイリーンは思わず苦笑して、指に絡めていた髪を解いた。
ぴんと跳ねてしまった毛先を撫で付けてから、手で柔らかな髪を梳る。リチャードは心地良さそうに目を細めていたが、おずおずといった風情で顔を巡らせた。
手のひらに耳を擦り付ける彼の姿に、アイリーンは陶然と息を吐く。
「ベケット家は婚姻に政治を持ち込まない、と以前に言いましたでしょう? 大層な物言いに聞こえたかもしれませんが、実は持ち込めない、と言った方が正しいのです」
「……私には違いがよく、分からないのだが」
「どうも血筋のせいらしいのですが、ベケット家の人間はとにかく恋着が酷くて。だからひとたび相手を見定めてしまうと、それ以外の方には見向きもしなくなります。政略で結ばれた後に恋する方と出会って、目も当てられないことになった、という逸話が残っているほどなのですよ」
怪訝そうにしていたリチャードの顔色が、さっと変わる。自身とアイリーンとの婚約が、政略で結ばれたものであることに思い至ったのだろう。
彼は縋るような目でアイリーンを見つめて言った。
「つまり……いつか私も、きみに見向きもされなくなる、と言っているのか?」
「――え? ああ、いいえ、そうではありません。わたしはとても運が良い、とお伝えしておきたかったのです」
言いながらリチャードの頭を撫でる。髪をくしゃりと崩すようにすると、柔らかに滑る感触が指に心地良い。
リチャードが戸惑うように瞳を揺らしているのに笑みを返して、アイリーンはいたずらっぽい口調で言った。
「あなたと初めてお会いした時、リチャードさまの態度がとてもとても腹立たしくて。何故このような方と婚約しなければならないのか、とお父さまとマクファランド公爵を恨みたい気持ちでいっぱいでした」
「あの時は……すまなかった。思うように動けず鬱屈していた、とはただの言い訳だな。巻き込まれたきみに対して、私の振る舞いはあまりに失礼だった」
「本当に。サンノーファの庭園に呼び出された時なんて、呆れてものも言えなくなりましたもの」
抑えた声で笑うと、リチャードが眉尻を下げる。
その悄気げたさまにアイリーンは笑みを深くして、髪を撫でる手を滑らせた。
頬から頤をなぞって、指先に軽く力を込める。されるがまま面を上げたリチャードの鼻先に、そっと口付けを落とした。
「それでもわたしが心を決められたのは、あのことがあったからこそ。あのままなにもなければ、こうして跪き、わたしに縋りつくあなたを哀れで愛しいと思うこともなかったでしょう。そう考えると、わたしたちには必要なことだったと思いませんか?」
「……ちょっと待ってくれ。きみが、私を?」
呆然と呟くリチャードに、にこりと微笑ってみせる。
「ですからわたしは運が良い、と申し上げたのですよ」
政略で結ばれる相手に恋情を抱けるのは、そうあることではないだろう。それが叶うのだから、この縁組みを持ち込んだマクファランド公爵と、それを蹴らずにいてくれた父には感謝するしかない。
呆けた表情を浮かべるリチャードの顔が、赤く染まっていくのに満足の息を吐いて、アイリーンは今度は彼の唇に口付けを落とした。
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