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第9章 離れたくないだなんて、絶対あなたにだけは気付いてもらいたい!

第33話 運命の強制力

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 私の身体の疼きが消えたのは、とっぷりと日も暮れた頃だった。

 狭いテントの中でぎゅうぎゅうと抱き合って、二人して毛布にくるまった。砂漠の夜は冷える。昨夜は全裸でその寒さの中に晒されていたこともあり、私の身体は疲労困憊だ。

「サイラスくんは、どうしてここに?」
「……エミリーさんが東に向けて旅立った後、ボクもすぐに追いかけたんです」

 ほんの少しの沈黙の後、サイラスくんは私の髪に鼻先を埋めたまま、くぐもった声で返事をした。

「え? 隠し迷宮ダンジョンとか、聖剣とか、魔王とかは?」
「ぜんぶ、投げ出してきちゃいました」

 叱られると思ったのだろう。サイラスくんはさらにぎゅうっと私を抱きしめて、すっかり顔を隠してしまった。

「なんで……」
「ボクは、世界の命運なんかよりもエミリーさんの方が大事です」

 そのセリフに、私の胸がきゅうっと締め付けられた。

「でも」

 彼が勇者として魔王を倒すのは、『運命の書シナリオ』に定められた運命だ。それを拒否してここに来ることが、どうしてできたのだろうか。

「ランドル課長の息子さん、マシューさんでしたっけ?」
「うん」
「エミリーさんの『匂い』を追ったら、彼に会っていたことが分かったので……」
「え、ちょっと待って。『匂い』?」

(そんな警察犬みたいなことが……?)

「嗅覚を強化する魔法です。エミリーさんの匂いなら、しっかり覚えていましたから。追うのは簡単でした」
「そ、そう……」

 ちょっと恥ずかしくなって、私の頬が熱くなった。

「それで、マシューさんから話を聞かせてもらって」
「……彼、話してくれた?」

 今はまだ誰にも話すなと言ったのはマシューさんだったのに。

(まさか)

「脅したの?」
「……ちょっとだけ」

 どんな方法で脅したのかは、恐ろしくて聞けない。帰ったら、誠心誠意謝罪しなければ。

「【西の賢者】とか、『運命の書シナリオ』とか、正直ボクにはピンときませんでした」

 それはそうだろう。これまで無意識に従っていたのだ。急に『運命の書シナリオ』だなんだと言われたところで、実感を持つことは難しい。

「ボクが分かったのは、エミリーさんが一人で危険な旅に出たってことと……。それは、ボクと離れたくない一心だったってことだけです」

 また、愛しさに胸が締め付けられた。

(離れたくなかったんだって、ちゃんと気付いてくれたんだ……)

「そうこうしている内に、ランドル課長が帰宅して」

 状況を想像して、ちょっと笑ってしまった。

「事情を話したら、なんて言ったと思います?」
「……なんだろ。『阿呆! わがまま言わんと、さっさと自分の仕事をせんか!』かな?」
「ハズレです」
「え?」
「『阿呆! さっさとエミリーちゃんを追いかけんか! 男のクセに好いた女一人守れへんで何が勇者や! そんなもん、わしが代わったる! 今日からわしが勇者や! 文句あるか⁉』です」

 彼の口真似に、思わず絶句した。

「本当に、そう言ったの?」
「はい」

 サイラスくんも笑っている。

「え、それじゃ、ほんとにランドル課長が?」
「はい。聖女様と一緒に隠し迷宮ダンジョンに向かいました。仲間たちも、快くボクを送り出してくれたんです」
「そんな……」

 サイラスくんだけではない。何人もの人々が『運命の書シナリオ』が定めた運命に背いている。

「今でも、頭の中で声が響くことがあります。『魔王を倒せ』って。無性に、それに従いたくなる瞬間があります」

 それが、運命の強制力なのだろう。

「でも、ボクにはそれよりも大事なものがあるから」

 また、ぎゅうっと強く抱きしめられた。

「ボクにとってエミリーさんはたった一人の大切な人です。エミリーさんにとっても、そうでしょ?」
「うん」
「世界を救う勇者は、別にボクじゃなくてもいいはずです」
「……そっか。そうだよね」
「はい」

 彼の言う通りだ。こうして私を助けてくれて、私を抱きしめてくれるのは、サイラスくんたった一人なのだ。

「それじゃあ、あれは?」
「あれ?」
「どうして、あの絨毯に乗ってきたの?」
「ああ、砂漠に入ってしばらくした頃に、飛んできたんです」
「サイラスくんのところに?」

 絨毯は【東の魔女】の方へ向かったはずなのに、それでは真逆の方角だ。

「メモが縫い付けてありました」
「メモ?」

 ゴソゴソと荷物を探ったサイラスくんが、そのメモを見せてくれた。

『エミリー危険、すぐ向かえ。場所はこの絨毯が知っている』

 と書かれている。

「誰だろう?」
「わかりません。でも、この絨毯のお陰で、エミリーさんを助けることができました」
「そっか」

 誰なのかは知らないが、ナイスフォローである。

「とりあえず、眠りましょう」
「でも、早く【東の魔女】のところに行かないと」
「魔王が倒されたらエミリーさんが元の世界に強制送還されてしまうから、ですよね」
「うん」
「それなら、ランドル課長に重ねて確認してきました」
「確認?」
「はい。魔王攻略には最低でも1週間はかかりますよね、って」

 それは確認ではなく脅しである。

「明日の朝になったら、また東に向かいましょう。この絨毯の性能なら、残り1日もかからずに着くはずです。……癪ですけど」

 サイラスくんの表情が、ぎゅっと歪んだ。魔除けのペンダントや空飛ぶ絨毯を私に貸してくれたのが誰なのか、見当がついているのだろう。

「……怒ってる?」
「怒ってます」

 そうだろう。自分の恋人に粉をかけようとした男に、その恋人の方から連絡をとっていたのだ。

「ボクじゃなくて、あの男に頼ったから」

 あの状況では仕方がなかったが、これは怒られても仕方がない。

「ごめんね」
「……許しません」

 ──ちゅ。

 サイラスくんが、キスをしてくれた。

「んっ」

 ──チュ、ちゅっ、ちゅぅ。

 何度も落ちてくる柔らかい唇の感触に、胸の中が満たされていく。

「どうしたら、許してくれる?」
「ぎゅって抱きしめてください。もっと」
「ん」

 ぎゅうっと彼の頭を抱えるように抱きしめた。そうすると私の胸に彼が顔を埋める格好になる。

「これは、これで……」
「ん?」
「最高です」
「もうっ!」

 二人でクスクスと笑い合った。
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