【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜

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第2部 - 第2章 勤労令嬢と社交界

第18話 記憶の穴

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 ソフィー・シェリダン子爵令嬢は、幸せな時間を過ごしていた。

「おはよう、ソフィー」
「おはようございます。ミスター・ディズリー」

 愛しい人と同じ屋根の下で暮らすようになったからだ。

「……ソフィー?」
「ごめんなさい、スチュアート」

 不機嫌そうな表情を作ってみせたスチュアート。ソフィーは慌てて、彼の名を呼び直した。

「よろしい。……今日も可愛いね」

 スチュアートに頬を撫でられて、ソフィーはうっとりと微笑んだ。

 ただの恋人だったスチュアートは、正式な婚約者になった。伯爵の許しもあり、ソフィーは手狭てぜまな賃貸住宅を出てディズリー伯爵邸に引っ越したのだ。

「今日は、どんな予定だい?」
「午後に、バーナード伯爵夫人とお約束が」
「送っていくよ」

 例の襲撃事件のせいで、スチュアートはすっかり過保護になってしまった。外出は彼が一緒でなければ許されない。社交界に出る時も同様だ。

「そういえば、例の襲撃事件のことだけどね」

 朝食を終えて、スチュアートが難しそうな顔で切り出した。ソフィーの肩がビクリと震える。記憶はハッキリとしないが、恐かったことだけは覚えているのだ。

「ようやく君の疑いが晴れたよ」
「そうですか。よかったです」

 あの日、ソフィーのメイドであるケリーが、ソフィーを含む三人を襲撃した。ケリーは駆け付けたスチュアートが応戦して死なせてしまったため、その目的は分からずじまい。
 そこで、疑われたのはケリーの主人であるソフィーだった。要人であるマルコシアス侯爵だけでなく、一緒にいたもう一人の青年も王室に関わりのある人物だったらしい。

「ケリーは首都ハンプソムに来てからやとったメイドだろう?」
「はい」
「国王派の間者スパイだったらしい」
間者スパイ、ですか?」
「ああ。マクリーン侯爵の配下だったことがわかったんだ。といっても、早々に侯爵が自首したらしい」
「まあ」
「彼の主張は、こうだ。『あくまでも、昨年起こった黒い魔法石リトゥリートゥス事件に関する情報収集のために市井しせいに潜り込ませていた間者スパイであり、今回の襲撃事件に当家は関わっていない。何より、襲撃犯の遺体から彼女以外の誰かの魔力の痕跡が見つかっている。操られていた可能性がある』と」

 スチュアートが難しい顔で紅茶を一口飲んだ。

「僕としては、そもそも君の側に間者スパイがいたなんてことが許せないよ」

 ソフィーも困ったように頷いた。

「この件は、英雄と言えど徹底的に追求されるべきだ」
「それで、お義父様はお忙しそうなのね?」
「そう。今日も息巻いて議会に出かけていったよ」

 ソフィーも紅茶を飲んだが落ち着かなかった。自分のせいで、手間をかけさせているように思ったからだ。

「ソフィーは何も悪くないよ。ただ、巻き込まれただけだ」
「ええ。……でも」
「君は、ただ笑っていてくれればいいんだ」

 スチュアートが優しく微笑む。その鳶色の瞳を見つめていると、胸の中に巣食うわずかな違和感は、溶けるよに消えていったのだった。


 * * *


 アレンは難しい顔で目の前の書類に向かっていた。ソファでは、同じく難しい顔をしたマクリーン侯爵が紅茶を飲んでいる。

「ダメだ。どれだけ考えても辻褄つじつまが合わない」

 例の襲撃事件のことだ。

「俺はマルコシアス侯爵の動向を探るために、変装してあの夜会に潜入した。ソフィー嬢と一緒にいるところに声をかけ、三人で庭に出て談笑していた。そこへ、ケリー女史の襲撃を受けた。駆け付けたスチュアート・ディズリーが彼女を殺し、一件落着……」
「……筋は通っているようにも思えますが」
「筋書きが大雑把過ぎる。歯抜けもいいところだ」

 アレンが睨みつけている書類には、今回の事件に関するマクリーン侯爵の報告が記載されている。その文末には『何者かに記憶を操作されている可能性がある』。
 まさに、アレンも同じことを考えていたのだ。

「なにか、重大な情報が抜け落ちている」
「……私も、そう考えています」
「魔法だろうか?」

 アレンの問いに、マクリーン侯爵は難しい表情を浮かべた。

「少なくとも、我が国の魔法ではあり得ません」
「新しい魔法では?」
「そんな高度な魔法を使える者を、
「それもそうだ。それじゃあ、魔大陸の?」
「その可能性が高いでしょう」
「マルコシアス侯爵が?」
「しかし、彼は『黒い魔法石リトゥリートゥス』の悪用を防ぐために我々に協力すると……」

 そこまで言って、マクリーン侯爵の眉間のシワが深くなった。

「そう聞いたのですが、聞いたのだったか……」

 同じく、アレンも頭を抱えた。頭の中にモヤがかかったように、記憶が曖昧だ。

「いや、そうだ。俺がマルコシアス侯爵自身と、そう話をしたんだ。学院で」

 アレンの頭の中に、記憶が蘇ってきた。モヤがわずかに晴れる。

「だが、最も疑わしいのも彼だ。しばらく、学院の方に顔を出して探ります」
「議会の方は、お任せ下さい」
矢面やおもてに立たせて申し訳ない」
「いえ。それが仕事ですので」

 それだけ言って、マクリーン侯爵は退室していった。
 それと交代するように、侍従が顔を出す。

「お時間よろしいでしょうか?」
「ああ」
「今度のお披露目でお召しいただくお衣装についてですが」

 一週間後のアレンの誕生日に合わせて、王子としてのお披露目の宴会が大々的に開かれることになっている。

「仕立屋から仕上がりの確認を、と連絡がありました。明後日の午後にでもお伺いしたいと」
「わかった。予定を調整しておいてくれ」
「承知いたしました」

 退室していく侍従を見送ってから、アレンはため息を吐いた。
 部屋を見回す。そこは、いつも通りの執務室のはずだ。だが、何かが足りない。

 例えば机の上。何本かペンが並んでいるが、真ん中にポッカリと空間が空いている。ちょうど一本分の空間だ。
 書き物をしようとすると、なぜか最初にそこに手が伸びる。まるで、そこに愛用のペンでもあるかのように。

 例えば机の正面の壁。絵画一枚分、日焼けのせいで壁紙がわずかに変色してしまっている。仕事中に顔を上げれば、いつでも目に入る場所だ。そこには特に気に入っている絵が飾ってあったに違いないのに。

 文字通り、穴があいているようだ。

「……俺は、何を忘れてるんだ?」

 呟いたところで、答えは出なかった。



 たとえ自分の記憶に不安を抱えていても、時間は無情に過ぎていく。翌日、アレンは王立魔法学院に登校した。マルコシアス侯爵の動向を探るためだ。

「おはようございます」

 真っ先に声をかけてきたのは、そのマルコシアス侯爵だった。

「……おう」
「少し、よろしいですか?」

 アレンの後ろに控えていた護衛たちが、わずかに身構えるのが分かった。

「お話したいことが」
「わかった」

 護衛たちを視線で制して、二人は人気のない中庭に移動した。間もなく授業が始まるが、それよりも重要な用件であることは明白だ。

「それで?」
「ご自分の記憶が、おかしいと思いませんか?」

 単刀直入に問われて、アレンは思わず目を瞠った。

「お前も?」
「ええ」

 アレンが感じているのと同じ違和感を、マルコシアス侯爵も抱えているのだ。

「なにか大事なことを忘れているようなのです。大事な情報が抜け落ちている」
「俺もそうだ」
「その情報について疑問に思うと、新しい記憶がポッと湧いてきて、記憶の穴を補完してしまうのです」

 これにも、アレンは頷いた。

「記憶が操作されているのか?」
「可能性はあります」
「魔大陸に、そういう魔法があるのか?」
「記憶を司る精霊がいます。それに、悪魔族にそういう古の魔法をつかう家があるかもしれません」
「そちらの調査を頼んでも?」
「ええ」

 ここまで話して、アレンはふと首を傾げた。

「どうして、そこまで協力してくれるんだ?」

 マルコシアス侯爵とアレンは、それほどの仲ではない。そこまでの信頼関係を結んでいたわけではないはずだ。

「……わかりません。しかし、なぜか、そうしなければと……」

 その時だ。
 二人の視界を黒いモヤが通り過ぎていった。それはほんの一瞬のことで、直後にはすっかり忘れてしまうほどの些細な出来事で。

「……おや。授業が始まりますね」
「ああ。……何の話をしてたんだ、俺たち?」

 首を傾げた二人は、やはり頭の中にモヤがかかっているような心地だった。しかし、それに違和感を抱くことは、ない。

「今度のお披露目でお祝いの品を贈りたい、というお話でしたね」
「ああ。何でもいいよ。男からの贈り物なんか」
「おやおや」

 二人はなんとなく連れ立って講義棟に戻っていった。
 ただの留学生と、王子という身分を隠している学生。二人の関係はそれ以上でもそれ以下でもない。
 記憶が抜け落ちたような違和感も、心に穴が空いたような寂寥せきりょう感も、二人の意識からはすっかり消え失せてしまったのだった。


* * *


「侯爵様、お客様です」

 その日、マクリーン侯爵邸に若い画家が訪ねてきた。
 肖像画が完成したので確認してほしいという。

「こちらです」

 青年が布を外すと、写実的に描かれた美しい肖像画が姿を見せた。無名の画家だが腕は確かだと感心する。しかし、それを口に出すよりも先に、侯爵は首を傾げた。

「これは、誰だ?」

 肖像画には、二人の人物が描かれていた。一人はマクリーン侯爵だ。
 そしてもう一人。

 見知らぬ美しい少女が、こちらに向かって微笑みかけていた。
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