【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜

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第2部 - 第3章 勤労令嬢と王子様

第25話 王子様の決意

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「ジリアン?」

 目を開くと、そこには心配顔のアレンがいた。

「大丈夫か?」
「んんっ……」

 返事をしようとして口を開いたが、嗄れた声で短い返事をするのが精一杯だった。

「みず……」

 アレンが慌てた様子で水を持ってきてくれた。のそのそと起き上がってコップを受け取る。身体の方は、疲れてはいるが問題ないようだ。

「ありがとう」

 平気そうなジリアンの顔を見て、アレンがホッと息を吐いた。

「ここは?」

 改めて見回せば、見知らぬ部屋だった。調度もリネンも高級品なので、高い身分の人のための部屋なのだということは分かる。ジリアンの服も、誰かが絹のネグリジェに着替えさせてくれたらしい。

「王宮の客間。朝まではここで休んでいけ。侯爵も、しばらくは会議室に缶詰かんづめだろうし」
「あれから、どうなったの?」

 ジリアンの問いに、アレンがギュッと眉を寄せた。

「いいから。今は休め」

 心配して言ってくれたことは分かった。それでも、ジリアンは首を横に振った。

「アレン。……ちゃんと教えて。私たち、もう子供じゃないのよ」

 僅かに揺れる金の瞳を覗き込んだ。

『私だって、子供じゃないのよ!』
 そう言って、アレンの手を振り払ったのが、もうずっと昔のことのように感じられる。あの時は、子供だった。ジリアンもアレンも。けれど、今は違う。

 二人とも、もう決めたのだ。

「……ごめん」

 アレンの身体から力が抜けて、椅子に深く座り込んだ。次いで、しゃんと背筋を伸ばした。

「はじめから、ちゃんと話すよ」
「うん」

 ジリアンもベッドの上だが居住まいを正した。

「そもそもの始まりは、アルバーン公爵家だ」
「アレンが婚約した?」
「そうだ」

 アレンが水を一口飲んだ。話すべきことがたくさんあるのだろう。

「アルバーン公爵家は、貴族派でも国王派でもない、中立だ。だが、傍系ぼうけいの貴族たちが貴族派にすり寄るようになった。5年ほど前からだ」
「5年前……」

 それは『新しい魔法』の台頭により旧来の既得権益が失われ、順応できない貴族たちが経済的に苦しくなり始めた頃だ。

「彼らは再び戦争が起これば、すべてが元に戻ると考えた。さらに、大きな利益を得られるとも」

 どきりと、ジリアンの胸が鳴った。

「だから、私に何も言わなかったのね」
「そうだ。……お前が生み出した魔法が戦争に使われようとしている。そんなことを考える醜い人間がいることなんて、お前に知らせるべきじゃないと思ったんだ」

 その優しさが嬉しいと思う反面、やはり事実を教えてほしかったとも思った。
 ジリアンの複雑な気持ちに気付いたのだろう。アレンは、もう一度「ごめん」と言ってから話を続けた。

「俺だけじゃない。父上も官僚たちも、マクリーン父娘には知らせずに片をつけようとしたんだ」
「はじめは、その程度で済む話だったのね?」
「その通りだ。それぞれ小者だったからな。アルバーンの傍系たちは、それぞれ首都ハンプソムへの立ち入りを禁じたり領地を取り上げたりして対処した。どこかにいる貴族派の黒幕にこちらの動きを気取らせないよう、ゆっくり処理を進めた。そうして黒幕を少しずつ追い詰めていく計画だったんだ。……そんな中で起こったのが、モニカ嬢の事件だ」

 アレンがギュッと拳を握りしめた。結局ジリアンを巻き込むことになったと、悔いているのだろう。

「貴族派の連中は裏で魔族と繋がっていることがわかった。つまり、国内の黒幕を叩くだけじゃ意味がなくなった。だから、俺がアルバーン公爵家に入り込むって案を、兄上が提案したんだ」

 アレンの言う兄上とは、王太子である第一王子のことであろう。

「それで、あなたが王子に戻って、アルバーン公爵家の令嬢と婚約を結ぶことになったのね」
「ああ」
「その話に、公爵も乗り気になった?」
「そうだ。家門内の恥を王室に晒すことにはなるが、それを置いても問題を解決したいというのが、公爵の希望だ」

 積極的に王子を受け入れることで、『本家は傍系とは違う』という姿勢を示したいという考えもあるだろうとジリアンは思った。だから、正式決定を待たずに婚約の噂を流したのだ。

「俺がアルバーン公爵家の家督を継ぐことになれば、それだけで貴族派への牽制になる。それに、これまで探りきれなかった傍系貴族たちの動きも、明らかにできるだろう」

 アレンが例の婚約について口を閉ざしていた理由が、ようやく分かった。真相を話せば、彼らの狙いを話すことになる。アレンはジリアンと侯爵のことを思って、黙っていてくれたのだ。

「俺は、そんな結婚は嫌だったんだ」

 彼は王太子の提案を断り続けていた。だから、未だにこの婚約が正式に決まっていない。けれど、それが今日までのことだと。そういう予感がジリアンにはあった。

 顔を上げたアレンが、ジリアンを見つめた。まっすぐに。

「俺は……」

 言いかけて、アレンは深く息を吐いた。




「俺は、ジリアンのことが好きだから」




 喉から絞り出すような声だった。そこに、甘い響きなど一つもない。

(これで、終わりにするつもりなんだ)

 この恋を、ここで終わりにする。そして、この国のために望まぬ結婚を受け入れる覚悟を決めたのだ。
 それに気付いて、ジリアンの瞳からポロポロと涙がこぼれた。

「うん。……私も」

 声が震えて、続きは言えなかった。好きだと、どうしても声に出して言うことができなかった。
 涙を流すジリアンを前にしても、アレンがその涙を拭ってくれることはなかった。ぎゅっと拳を握りしめて、ただ俯いている。

 その優しい手でジリアンに触れてくれることは、もう二度とないのだ。

「ごめん」
「うん」

 彼も、泣いていたのかもしれない。

「……これ、返すわね」

 ややあって、ジリアンは胸元に下げていた指輪を外した。隠蔽いんぺいの魔法を解くと、ピンクダイヤモンドの指輪が姿を現す。
 それを見たアレンの肩が揺れた。

「それは……」
「ダメよ。こんな指輪を、なんかにあげたら」

 ジリアンがアレンの手をとった。その手のひらに指輪をのせて、握らせる。

「びっくりしたのよ。王家に伝わる『秘密の魔法』がかけられていたんだもの」

 あの夜、ハワード・キーツから守ってくれた魔法のことだ。図書館の禁書の書架を守る鍵と同様に、王家にだけ伝わる『秘密の魔法』。

「むかしむかし、王妃様を溺愛するあまり王様が生み出した魔法でしょう? 王妃様の唇に、王様以外は決して触れることができなくなる魔法」

 古くから伝わるお伽話とぎばなしの中に出てくる魔法だ。本当に実在するとは、誰も思わない。王子になったアレンは禁書の書架に自由に出入りできるので、この魔法を知ったのだろう。

「じゃあ、これも……」

 アレンがポケットの中から取りだしたのは、カナリアダイヤモンドのカフスボタンだ。ジリアンが指輪を返したなら、アレンもそれを返すのが筋だろう。ジリアンは、黙って受け取った。
 彼のことを思って、このカフスボタンにまじないをかけたことが懐かしい。あの時は、アレンに向ける気持ちが恋だとは気付いていなかった。

(今思えば、恋以外のなにものでもないのにね)

 アレンの幸せを願って呪いをかけた。それ以上に、この宝石を見る度に自分のことを思い出してほしいと願った。

(これが恋だと気付いていなかったなんて、私って……)

 もっと早くに気付いていればよかった。そうであれば、結果はまた違ったかもしれない。考えても詮無いことだが、今のジリアンには後悔することしかできない。

「……もう、休め。俺もそろそろ、会議室に戻らないと」
「うん」

 言われて、ジリアンはベッドの中にもぐりこんだ。アレンが天蓋のカーテンを下ろす。

「じゃあな」
「うん。……さよなら」

 精一杯の強がりで、ジリアンは答えたのだった。




 * * *




「本来、精霊というのは契約もしていないのに、手助けしてくれるものではないんですよ」

 テオバルトがジリアンにこう語ったのは、その翌々日の午後のことだ。
 侯爵邸に戻ったジリアンを見舞って訪ねてきたテオバルトと二人で、ゆったりとしたティータイムを過ごしている。

「あの時、私を助けてくれたのが精霊?」
「ええ」
「ここは魔大陸じゃないのに?」
「精霊は、この世界のどこにでも存在します」
「そうなんだ。……でも、どうして私を助けてくれたのかしら?」

 テオバルトが微笑んだ。

「あなたは、やはり稀有けうな存在だ」
「え?」
「精霊までとりこにしてしまうとは」

 愛おしい。
 正にそういう表情で見つめるものだから、ジリアンは慌てて目線を逸した。

「虜に、って……」
「いずれ、あなたも精霊と契約することになるでしょうね」
「私が、魔族の血を引いているから?」
「それだけではありません。……あなたと契約したがっている精霊が、大勢いるということです」

 言われてジリアンは周囲を見渡したが、そこには誰もいない。あの時はハッキリと感じられた気配を、今は感じることができないのだ。

「いずれ、そういう日が来ますよ」
「そっか」

(あの女性と赤ちゃんに、もう一度会える日が来るのかしら……)

 その日のことを思うと胸が温かくなった。

 ──カチャン。

 テオバルトが、ティーカップを置いて。そっと脇へ避けた。そして懐から取りだした何かを、そこに置く。

「あなたに、お渡ししたいものがあります」
「なに?」

 小さな箱だ。フタを外すと、そこにあったのは翡翠の指輪だった。

「改めて、あなたに指輪を。……誓約の指輪は、あの忌々しい男に消されてしまいましたから」
「そういえば、ハワード・キーツが私の指に『トリガーが仕込んである』って言っていたわね。どんな魔法だったの」

 それのお陰で、一時ではあったがジリアンは正気を取り戻したのだ。

「魔法というよりも、まじないですね。誰かが『秘密と誓約の精霊エレル』の指輪を完全に消し去った時に、あなたにかけられた全ての魔法を無にするよう、そうまじないをかけたのです」
「条件をつけたということ?」
「より狭い条件付けをすることで、より強力な効果を付与するのです」
「奥が深いのね、まじないも」
「ええ」

 テオバルトが、指輪を箱から取りだした。透き通るような緑と、とろみのある独特の質感。その翡翠がインペリアル・ジェードと呼ばれる石だと、ジリアンは気づいた。誰もが手にできるものではない。とても稀少な宝石だ。

「……それで? 今度は、どんな誓約を交わすの?」

 場の雰囲気からテオバルトが何を言おうとしているのかを悟ったジリアンは、話題を逸らそうと問いかけた。
 その様子に、テオバルトが苦笑いを浮かべる。

「ジリアン。これはプロポーズですよ」

 きっぱりと言ってから、指輪を手に取ったテオバルトがジリアンの傍らにひざまずいた。


「ジリアン・マクリーン嬢、どうか私と結婚してください」
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