ミニュイの祭日

雪井氷美子

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前章 ニュイ・エトワレ~星降る夜~

ふたりだけの夜

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 視線がさまよった先には自分の影が当たる壁だけだ。隣の部屋に目当ての彼は居ても大した理由も無く行き来することはためらわれた。それこそ僕らはもう家族・・ではないのだから気安く行き来なんてできっこない。

 揺れるカーテンの隙間から淡い光が漏れている。ぼんやりと差し込んでいるその明かりに視線を惹かれ、バルコニーへと続く窓の方へ歩き出す。

 鍵を外して窓を静かに開いた。
 ふくふくとした満月が僕を迎えている。
 外は夜風が吹いていた。春先とはいえまだ冷たく、寝間着一枚で出てきたことを後悔する。腕をさすりながら部屋から上着を持ってこようとした時だった。


「っ!」
「これはこれは思わぬ珍客だな」

 声が、した。

「ルナもあの星々に見惚れて起きてきたのか?」

 こんな真夜中にばったり出会ったのはこの屋敷を持つ伯爵家の次期当主、一人息子のリュカ・ド・ベルナルド様であった。
 彼はにやっと笑うと片手のマグカップを揺らして「お前も一杯どうだ?」と誘う。

「まさかお酒じゃありませんよね? それ」

 リュカ様はじっとりとした眼でみられたのになぜか腹の底から愉快そうに笑い声をあげている。

「ははは、面白い冗談だな。次期当主たる俺が成人前にそんなことで羽目を外すわけにはいかないだろう? なに、ただのホットミルクさ。メイド長におねだりしてきたんだ」

 首をすくめて答えるリュカ。小言をはさむまでもなかったらしい。

 同じように寝間着姿だが、上等な衣服と体躯の良さ、それに黒髪と青い目の映える生来のかんばせがまるで舞台の演者のように様になっている。貧相な僕とは大違いだ。
 彼は手すりにもたれていた上半身を起こしてこっちに来る。

 それにしても星々?
 僕はたしかに見惚れて起きてきたがそれは星ではなく月明かりだが……、あ。

 上空を仰ぎ見る。さきほどまで浮かんでいた月に叢雲がかかった。途端に夜空は雰囲気を一変した。

「わあっ……すごい!! なんて星の数だろう……」

 感嘆にため息が出た。空の端から端まで目を動かして眺めていると前からくすくすと笑い声がする。

「どうやら違ったらしいな」
「ええ。僕は月明かりの方でした」
「そうか」

 すごいすごいといろんな角度から眺めていると動き回る僕を止めるリュカ様の声。

「そんなにはしゃいで。あまり騒ぐなよ」
「ハッ!? す、すみません……」

 うるさかったかな?とちらりとリュカ様を見上げるとその口元は弧を描いたままだった。萎縮しながら謝っていると頭を撫でられながら「迷惑にならなければ多少は構わん」と声がかかる。ほっとした僕は再度満天の空をみつめた。

 まぶたを開けば星月夜と呼ぶにふさわしい美しい夜空。リュカ様がピッチャーから注いだホットミルクを分けてくれる。フーフーしながら口をつける。ほのかな温かさと優しい甘みが冷えた体に染みていく。

ルナリード・・・・・
「なんです?」
「ああいや。お前の名前、たしか月に由来していたのを思い出してな」
「あー……、そうですね」

 僕は世にいう天涯孤独というやつだった。
 ある晩、孤児院の前にかごが置かれていた。中にはおくるみに包まれた赤子。そこにはメモの一つもなく、ただわけもわからず震えている僕がいたそうだ。
 捨てていったのか、はたまたやむにやまれず託していったのかはそれこそ神のみぞ知る、というやつである。だがまあ形見も手紙も名前すら残していかなかったんだから、僕の方では前者だと思って割り切っている。
 だがしかし困ったのは孤児院の職員の方だ。拾った子の名前にみんなで悩んだ末、月明かりの美しい夜だったから「ルナリード」と僕は名付けられた。愛称はルナで、むしろこっちで呼ばれる方が多い。

 ところが僕の孤児院暮らしは意外にも早く終わりを告げた。ひょんな出会いから僕は伯爵家のお家に迎えられることになったのだ。一家も働く者達も親切な温かな場所でぬくぬくと過ごした幼少期は――とてもとてもしあわせだったのだ。


 そんなことを思い出していたら、ものの数分で夜風が運んできた雲によって月はかげってしまう。

「冷えてきたな。そろそろ戻るか」
「そうですね」

 リュカ様に続きバルコニーから再び部屋の中へ。アンティークな家具が置かれた品のいい部屋を見て思わず立ち止まる。

「ああ!?」

 僕の大声に反応して振り返るリュカ様。

「なんだ、大声出して」
「い、いえ……あはは。僕、つられて一緒に入ってしまったので……」
「あー……そういうことか」

 フフっと僕の落ち度を優しい眼差しで笑われてしまう。いたたまれず逃げようと、窓から引き返そうとする僕をリュカ様の腕が止めた。

「また外に出る気か!? ほんとに風邪引くぞ。はー、中から行けばいいだろ」
「ええと……それは……」

 眉を跳ね上げるリュカ様。さすがにそこまで甘えるわけにはと両手で拒むが「主人の夜ふかしに付き合った従者に風邪を引かせられるとでも?」と言われ、折れる僕。

(今日だけ今日だけだから……!!)

 と、弱い僕は甘えてしまった。


 てくてくてく……。

(あれ?)

 続く足音に疑問を覚えて問いかける。

「ついてこなくてもいいんですよ?」

 僕の申し出にむすっとした顔が目線の少し先にある。

「別に。ただ、お前が…………、っなんでもない」

 何かを言いかけたリュカ様だが途中でふいっと目をそらされてしまった。

 結局隣の部屋とはいえ扉の前まで送られてしまった。

「夜分にすみませんでした」
「気にするな。俺もちょうど眠れなかったしな」
「え? リュカ様も?」
「ああ、……どうした?」
「まったく、真面目なのはいいですが勉強も程々にしてくださいよ」
「気をつける」

 首をすくめてリュカ様は答えた。

 ついでに起きていたというリュカ様に気がかりなことを尋ねてみた。さっき聞いた音のことだ。

「そういえば僕が起きてくるより前、何か変な音しませんでした?」

 リュカ様から表情が抜け落ちた。体がこわばり、緊張した空気が伝わってくる。
 妙な反応だ、と僕はしげしげと眺める。

「……すまん、俺だ。レコードで曲を聴いていたんだ。そうか、邪魔したか」
「いえ。それは構わないんですが……」

 とっさに、言えなかった。

(嘘ですよね、って)

 そこまで踏み込めない。

 濁されたまま僕らは分かれる。扉のノブに手をかけながら音の正体がリュカ様だったことに、胃の中がもやつくように腑に落ちない疑念を覚える。

「ゆっくり休んでくださいね」
「おう。ルナもな」

 顔をあげないまま言葉をかけて――、やっぱりどうしようもなくなって。

「っあの、リュカさ――――!!」

 けれど、僕が真正面から向き合おうとした頃には隣にリュカ様はおらず、ためらって伸ばした手は遅くて、扉は固く閉められていたのだった。

 言いかけた言葉を飲み込んだ。この胸に秘めている気持ちと同じように。

(残念、なんて思うなよ、僕)

 眦にたまる雫を握りこぶしでごしごしと擦って自分を叱った。

 だって僕らは――もう、家族じゃないんだから。

「おやすみなさいリュカ様」

 そう挨拶を残して部屋に戻るのだった。
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