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第4章
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二人の終戦を待ち、翼さんが改めてお酒を口に含んだところで、疑問をぶつけてみた。
「あの、どうして会社名をリミットにしたんですか?」
翼さんは、ああ、と目を細め、どこか誇らしいような顔つきで微笑む。
「極限まで挑みたいから、かな。好きなことで妥協したくないから。いつまでも限界に挑んでいきたいの。だから、極限の意味を持つlimitにしたってところかな」
今まで何度それを口にしたきただろう。淀みなく聞こえるその理由がとても眩しく感じる。
「……素敵ですね」
「でしょう。気に入ってるの」
そう言い切ってしまえる翼さんが、どこまでもかっこよくて、遠い人に見えた。
「──で、なんでこうなるんだよ」
あれから、散々飲んでは騒ぎ、盛り上がっていたのは翼さんと百合子だけ。その二人を窘めるように私と柊くんが奮闘した結果、二人は意識を失うように潰れた。
「こいつは分かるとして、お宅の妹はなんで潰れてんだよ。酒飲んでないだろ」
「お腹いっぱいになって眠たくなったんだと思う。なんだかんだ言ってまだ中学生だから」
少し前まではランドセルを背負っていたのだ。たくさんの感情に振り回され、あんなにも泣いて、笑ったのなら、落ちるように眠ってしまってもおかしくない。
柊くんが持ってきてくれたブランケットを百合子の背中にかける。こんな小さな背中に、いろいろなことを背負わせてしまっていた。分かっていたつもりだったけれど、目の当たりにしてしまうと苦しくなる。
「ちょっと、電話してくるね」
テーブルの上を片づけている柊くんにそう伝えながらスマホを取り出す。
怖くて見えないようにしていたけれど、画面にはすでに何十件と咲子さんや信夫さんから連絡が入っていた。
大きく深呼吸をしては、咲子さんの番号にタップする。二つ目のコールが鳴ろうとした直後、『ちょっと!』と怒号が鼓膜をつんざいた。
『どうして電話に出なかったの』
「あ、……ごめんなさい。百合子と一緒にいて」
『あの子は無事なの?』
「はい、大丈夫です。あの、今日は友達の家に泊まることになって」
『どうして? あなたと一緒にいるんでしょう? すぐに戻るように伝えて』
「もう眠ってしまったんです。だから──」
言い切る前に、咲子さんの長い溜息が私の言葉を遮った。
『ねえ、あなた。どれだけこの家に迷惑かければ気が済むの?』
ほんとうに、うんざりとしたような、そんな声。
咲子さんが頭を抱えている姿が脳裏に過る。
『百合子を味方につけて、私たちをどう困らせたいの? あなたを充分に育ててきたじゃない』
「……すみません。もうご迷惑をかけないようにします」
ひたすら謝りながら、電話を終え、最後の「百合子だけは無事に帰してちょうだい」という言葉に胸がやられた。
咲子さんにとって、娘は百合子だけ。決して咲子さんの娘にしてもらいたいと願っていたわけではない。私の母は三年前に亡くなった産みの親だけ。
でも、家族というものに触れてしまいと思ってしまう。一員になりたいだなんて、思ってしまう。咲子さんにとって今の私は、もはや親戚の子でもない。ただの厄介者だ。
「終わった?」
いつからいたのだろう。壁にもたれ腕を組んでいる柊くんが立っていた。
「うん」
「今の、家?」
「そう。百合子のお母さん」
「あんたとは、血が繋がってないんだよな?」
「親戚だからなんとなくは繋がってるかもしれないけど」
「それにしたってひでえな」
電話越しから咲子さんの声を聞いてしまったのだろう。顔を歪めた柊くんに、でも、と笑う。
「いいお母さんなんだよ、百合子にとっては。優しくて、子供思いで、強い」
その愛情が私には向けられないだけ。でもそれはそうだ。今の百合子ぐらいの時に咲子さんに引き取ってもらい、いきなり家族にさせられてしまったのだから、咲子さんが私を可愛がれないのもわからなくない。それまで一度も会ったことはなかった。
「だからって、あんたに向けていい言葉じゃない」
「いいんだよ、私はこれで。居候させてもらってるだけでありがたいんだから」
「でも」
「さ、片づけようか。悪いんだけど、百合子が起きるまではここにいていいかな? 起きたらすぐに帰るから」
無理に会話を引き上げた私に、柊くんはずっと眉間に力を入れていたけれど渋々うなずいてくれた。
「別にこの家にはいくらでもいてくれていい。姉貴もいるし。ああ見えて大人だから」
優しいよねと言うと、柊くんはどうだろうなと、優しい顔ではぐらかした。
*
翌朝、柊くんは学校へ向かった。きちんと制服を着て、きちんと水やりに行く。あの花壇の花が放っておけないのか、それとも当番をサボることに抵抗があるのか。どちらかはわからないが、無愛想な顔で出て行った。
それからしばらくして百合子が起き、翼さんが私と百合子を家まで送り届けてくれた。翼さんが「挨拶をする」と車から降りてきてくれたのに、咲子さんが察したのか飛び出すように家を出てきた。百合子の腕を掴むと、私を睨み、勢いよく玄関の扉をしめた。
百合子が何度か咲子さんを止めたのに、後ろを振り向くことはなかった。百合子は扉が閉まる直前、百合子さんに頭を下げた。ごめんなさい、そう必死に訴えている姿は呆気なくは消えた。
翼さんがいるにも関わらず、悪意だけを剥き出しに、咲子さんは一言も発しない。自分の娘を送ってもらったのに、その恩さえ突き飛ばす。
「あの翼さん、すみません。きっと、母も心配で眠れなかったんだと思います」
「私のことなら大丈夫だよ。それに、ほんとうのお母さんでもないんでしょ?」
翼さんは苦笑していた。咲子さんの態度に怒っているというよりは、私を労るような眼差しをしている。
「ごめん、汐音と話してるの聞こえちゃったから」
そうでしたか、と曖昧に笑う。
人に気を遣わせることは申し訳ない。同情されることも求めてはいない。
「ねえ、遼希ちゃん。いつでもうちにおいでね。遠慮しなくていいから。帰りたくないときは、別の場所があることを忘れないで」
「あの、どうして会社名をリミットにしたんですか?」
翼さんは、ああ、と目を細め、どこか誇らしいような顔つきで微笑む。
「極限まで挑みたいから、かな。好きなことで妥協したくないから。いつまでも限界に挑んでいきたいの。だから、極限の意味を持つlimitにしたってところかな」
今まで何度それを口にしたきただろう。淀みなく聞こえるその理由がとても眩しく感じる。
「……素敵ですね」
「でしょう。気に入ってるの」
そう言い切ってしまえる翼さんが、どこまでもかっこよくて、遠い人に見えた。
「──で、なんでこうなるんだよ」
あれから、散々飲んでは騒ぎ、盛り上がっていたのは翼さんと百合子だけ。その二人を窘めるように私と柊くんが奮闘した結果、二人は意識を失うように潰れた。
「こいつは分かるとして、お宅の妹はなんで潰れてんだよ。酒飲んでないだろ」
「お腹いっぱいになって眠たくなったんだと思う。なんだかんだ言ってまだ中学生だから」
少し前まではランドセルを背負っていたのだ。たくさんの感情に振り回され、あんなにも泣いて、笑ったのなら、落ちるように眠ってしまってもおかしくない。
柊くんが持ってきてくれたブランケットを百合子の背中にかける。こんな小さな背中に、いろいろなことを背負わせてしまっていた。分かっていたつもりだったけれど、目の当たりにしてしまうと苦しくなる。
「ちょっと、電話してくるね」
テーブルの上を片づけている柊くんにそう伝えながらスマホを取り出す。
怖くて見えないようにしていたけれど、画面にはすでに何十件と咲子さんや信夫さんから連絡が入っていた。
大きく深呼吸をしては、咲子さんの番号にタップする。二つ目のコールが鳴ろうとした直後、『ちょっと!』と怒号が鼓膜をつんざいた。
『どうして電話に出なかったの』
「あ、……ごめんなさい。百合子と一緒にいて」
『あの子は無事なの?』
「はい、大丈夫です。あの、今日は友達の家に泊まることになって」
『どうして? あなたと一緒にいるんでしょう? すぐに戻るように伝えて』
「もう眠ってしまったんです。だから──」
言い切る前に、咲子さんの長い溜息が私の言葉を遮った。
『ねえ、あなた。どれだけこの家に迷惑かければ気が済むの?』
ほんとうに、うんざりとしたような、そんな声。
咲子さんが頭を抱えている姿が脳裏に過る。
『百合子を味方につけて、私たちをどう困らせたいの? あなたを充分に育ててきたじゃない』
「……すみません。もうご迷惑をかけないようにします」
ひたすら謝りながら、電話を終え、最後の「百合子だけは無事に帰してちょうだい」という言葉に胸がやられた。
咲子さんにとって、娘は百合子だけ。決して咲子さんの娘にしてもらいたいと願っていたわけではない。私の母は三年前に亡くなった産みの親だけ。
でも、家族というものに触れてしまいと思ってしまう。一員になりたいだなんて、思ってしまう。咲子さんにとって今の私は、もはや親戚の子でもない。ただの厄介者だ。
「終わった?」
いつからいたのだろう。壁にもたれ腕を組んでいる柊くんが立っていた。
「うん」
「今の、家?」
「そう。百合子のお母さん」
「あんたとは、血が繋がってないんだよな?」
「親戚だからなんとなくは繋がってるかもしれないけど」
「それにしたってひでえな」
電話越しから咲子さんの声を聞いてしまったのだろう。顔を歪めた柊くんに、でも、と笑う。
「いいお母さんなんだよ、百合子にとっては。優しくて、子供思いで、強い」
その愛情が私には向けられないだけ。でもそれはそうだ。今の百合子ぐらいの時に咲子さんに引き取ってもらい、いきなり家族にさせられてしまったのだから、咲子さんが私を可愛がれないのもわからなくない。それまで一度も会ったことはなかった。
「だからって、あんたに向けていい言葉じゃない」
「いいんだよ、私はこれで。居候させてもらってるだけでありがたいんだから」
「でも」
「さ、片づけようか。悪いんだけど、百合子が起きるまではここにいていいかな? 起きたらすぐに帰るから」
無理に会話を引き上げた私に、柊くんはずっと眉間に力を入れていたけれど渋々うなずいてくれた。
「別にこの家にはいくらでもいてくれていい。姉貴もいるし。ああ見えて大人だから」
優しいよねと言うと、柊くんはどうだろうなと、優しい顔ではぐらかした。
*
翌朝、柊くんは学校へ向かった。きちんと制服を着て、きちんと水やりに行く。あの花壇の花が放っておけないのか、それとも当番をサボることに抵抗があるのか。どちらかはわからないが、無愛想な顔で出て行った。
それからしばらくして百合子が起き、翼さんが私と百合子を家まで送り届けてくれた。翼さんが「挨拶をする」と車から降りてきてくれたのに、咲子さんが察したのか飛び出すように家を出てきた。百合子の腕を掴むと、私を睨み、勢いよく玄関の扉をしめた。
百合子が何度か咲子さんを止めたのに、後ろを振り向くことはなかった。百合子は扉が閉まる直前、百合子さんに頭を下げた。ごめんなさい、そう必死に訴えている姿は呆気なくは消えた。
翼さんがいるにも関わらず、悪意だけを剥き出しに、咲子さんは一言も発しない。自分の娘を送ってもらったのに、その恩さえ突き飛ばす。
「あの翼さん、すみません。きっと、母も心配で眠れなかったんだと思います」
「私のことなら大丈夫だよ。それに、ほんとうのお母さんでもないんでしょ?」
翼さんは苦笑していた。咲子さんの態度に怒っているというよりは、私を労るような眼差しをしている。
「ごめん、汐音と話してるの聞こえちゃったから」
そうでしたか、と曖昧に笑う。
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