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第6章
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さざなみ駅から出発した電車の中で、私と柊くんは一言も話さなかった。
彼から高津先輩とのことを聞かれるわけではなかったし、私もまた、高津先輩のことを話すこともしなかった。そうやって流れていく時間の中で、死ねない理由というのが一つ、見つかった気がした。
きっと彼は、私が死んだら悲しんでくれるのだろう。こうして私を家まで送り届けようという優しさがあるのなら、私の死だって悲しさを感じてしまうのかもしれない。
そんなことを思わなくていいけれど、それはもう私ではどうすることもできない。
「あれ、工事してるんだ」
最寄り駅から降りた私たちは、橙色に染まった空の下を歩いていた。
「この道しか帰れねえの?」
「いや、ちょっと遠回りになるけど、あの歩道橋を渡らないといけなくて」
ならそっちしかねえな、と柊くんは躊躇うことなく歩いていく。
「あんた、家のほうは大丈夫なのかよ」
そういえば、唯一、私の家のことを知ってくれていた。
「大丈夫だよ。変わらない」
「変わらないなら大丈夫じゃないだろ。大丈夫なんて簡単に使うなよ」
階段をのぼっていく。歩道橋を渡るぐらいなら、少し離れた横断歩道を使うぐらい、ここは避けていたのに、今では苦に思わない。
「そうだね、大丈夫じゃないかも」
「どう見てもそうだろ。あんたさ、もっと自分を大事にしろよ」
見た目に似合わず、そういうことが言えてしまうところは尊敬する。大事にね、と口にしながら、自分を大事にする方法なんて知らないことを知った。そんなもの、私には最初から備わっていなかったらしい。
「柊くんって。思いやりがある人だよね」
「ねえよ。気色悪い」
「あるんだよ、認めてもいいと思う」
「楽しそうだね」
歩道橋を渡り、階段を降りようとした時だった。
その声に全身がぞわりと粟立つのが分かる。振り返らなくとも、誰がいるのかなんてわかりきっていた。
ずっと、ついてきていたんだ。
そう思った瞬間、背中を思いっきり強く押され前のめりになる。
落ちる──今度は私が。そう思ったのに、勢いよく重力に逆らい引き戻される。落ちていこうとした私を柊くんが助けてくれた──けれど。
躊躇なく階段から転がり落ちる柊くんが地面まで突き落とされた時、悲鳴が飛んでいった。
「……ひ、柊くん! 柊くん!」
背後に高津先輩がいるとか、雨に濡れるとか、もうそんなことはどうだってよかった。
目の前でピクリともしない柊くんの元に駆け寄り、何度も名前を呼ぶ。
誰かが「救急車!」と叫んでいるのが分かる。
「柊くん……! ねえ、柊くん!」
アスファルトの上にじわじわと広がっていく赤黒い血。止めたくても止められないそれを見ながら、応答のない柊くんの名前を呼び続けた。
柊くんの体が一切動かない。私の声に、応じてはくれなかった。
*
意識不明の重体。病院に運ばれた柊くんは出血がひどく、危険な状態だった宣告された。それから──。
「萩野さん」
傷だらけになった柊くんの顔をガラス越しに見つめていると、こうちゃんが廊下を走っているのが見えた。柊くんの担任だから、電話を受けてここまで飛んできてくれたのだろう。
「こうちゃん……柊くん、ずっと目を覚まさないんです」
一命はとりとめた。もう少し通報が遅かったら、もう少し救急車が到着するのが遅かったら、もう少し打ちどころ間違えていたら、柊くんは死んでしまっていたらしい。
医師が言うのには、このまま意識が戻るかどうかはわからないと言われたばかりだった。
そのことをこうちゃんに伝えると、こうちゃんは黙って、何度かうなずいた。そっか、そっか、頑張ってるんだね、柊くんは。そう言っていた瞳は、悲しんでいるようだった。
それから少し離れて、どこかに電話をかけているようだった。大丈夫、僕が見ておきますから、あなたは仕事に集中してください。そう言っているのが聞こえた。
じんわりと、涙が滲み始める。
私のせいだ。
家まで私を送ろうとしてくれたから。階段から落とされるのも私だったはずなのに。
柊くんは自分を犠牲にしてまで私のことを守った。
心電図の音が廊下にいる私の鼓膜を刺激する。
もしかしたらこのまま柊くんの意識が戻らないかもしれない。このまま柊くんが死んでしまったら。そんなことを考えて、初めて〝死〟が怖いと思った。
目の前で失われていこうとする命を見て、どうすることもできない。ただ涙を流すことしかできない自分が情けない。
守ってもらったのに。私はちゃんと生きているのに。
高津先輩は結局あの場でも逃げたのだという。警察の人に事情を聞かれ、本人を探しているというけれど、きっとまだ逃げ回っているのだろう。
優しい先輩だと思っていた。話が通じる人だと思っていた。私がちゃんと見極められていたら。興味本位で高津先輩に会ったりなんてしなければ。近づかなければ、こんなことには絶対にならなかったはずなのに。
私が死ねばよかったのだ。私が、早く死んでいたら。
もう、どこに願えばいいのかわからない。どうすればいいのかわからない。
もし神様がいるのなら。
もし願いを叶えてくれるのなら。
私の命が代わりになるのなら、柊くんをどうか助けて。
彼から高津先輩とのことを聞かれるわけではなかったし、私もまた、高津先輩のことを話すこともしなかった。そうやって流れていく時間の中で、死ねない理由というのが一つ、見つかった気がした。
きっと彼は、私が死んだら悲しんでくれるのだろう。こうして私を家まで送り届けようという優しさがあるのなら、私の死だって悲しさを感じてしまうのかもしれない。
そんなことを思わなくていいけれど、それはもう私ではどうすることもできない。
「あれ、工事してるんだ」
最寄り駅から降りた私たちは、橙色に染まった空の下を歩いていた。
「この道しか帰れねえの?」
「いや、ちょっと遠回りになるけど、あの歩道橋を渡らないといけなくて」
ならそっちしかねえな、と柊くんは躊躇うことなく歩いていく。
「あんた、家のほうは大丈夫なのかよ」
そういえば、唯一、私の家のことを知ってくれていた。
「大丈夫だよ。変わらない」
「変わらないなら大丈夫じゃないだろ。大丈夫なんて簡単に使うなよ」
階段をのぼっていく。歩道橋を渡るぐらいなら、少し離れた横断歩道を使うぐらい、ここは避けていたのに、今では苦に思わない。
「そうだね、大丈夫じゃないかも」
「どう見てもそうだろ。あんたさ、もっと自分を大事にしろよ」
見た目に似合わず、そういうことが言えてしまうところは尊敬する。大事にね、と口にしながら、自分を大事にする方法なんて知らないことを知った。そんなもの、私には最初から備わっていなかったらしい。
「柊くんって。思いやりがある人だよね」
「ねえよ。気色悪い」
「あるんだよ、認めてもいいと思う」
「楽しそうだね」
歩道橋を渡り、階段を降りようとした時だった。
その声に全身がぞわりと粟立つのが分かる。振り返らなくとも、誰がいるのかなんてわかりきっていた。
ずっと、ついてきていたんだ。
そう思った瞬間、背中を思いっきり強く押され前のめりになる。
落ちる──今度は私が。そう思ったのに、勢いよく重力に逆らい引き戻される。落ちていこうとした私を柊くんが助けてくれた──けれど。
躊躇なく階段から転がり落ちる柊くんが地面まで突き落とされた時、悲鳴が飛んでいった。
「……ひ、柊くん! 柊くん!」
背後に高津先輩がいるとか、雨に濡れるとか、もうそんなことはどうだってよかった。
目の前でピクリともしない柊くんの元に駆け寄り、何度も名前を呼ぶ。
誰かが「救急車!」と叫んでいるのが分かる。
「柊くん……! ねえ、柊くん!」
アスファルトの上にじわじわと広がっていく赤黒い血。止めたくても止められないそれを見ながら、応答のない柊くんの名前を呼び続けた。
柊くんの体が一切動かない。私の声に、応じてはくれなかった。
*
意識不明の重体。病院に運ばれた柊くんは出血がひどく、危険な状態だった宣告された。それから──。
「萩野さん」
傷だらけになった柊くんの顔をガラス越しに見つめていると、こうちゃんが廊下を走っているのが見えた。柊くんの担任だから、電話を受けてここまで飛んできてくれたのだろう。
「こうちゃん……柊くん、ずっと目を覚まさないんです」
一命はとりとめた。もう少し通報が遅かったら、もう少し救急車が到着するのが遅かったら、もう少し打ちどころ間違えていたら、柊くんは死んでしまっていたらしい。
医師が言うのには、このまま意識が戻るかどうかはわからないと言われたばかりだった。
そのことをこうちゃんに伝えると、こうちゃんは黙って、何度かうなずいた。そっか、そっか、頑張ってるんだね、柊くんは。そう言っていた瞳は、悲しんでいるようだった。
それから少し離れて、どこかに電話をかけているようだった。大丈夫、僕が見ておきますから、あなたは仕事に集中してください。そう言っているのが聞こえた。
じんわりと、涙が滲み始める。
私のせいだ。
家まで私を送ろうとしてくれたから。階段から落とされるのも私だったはずなのに。
柊くんは自分を犠牲にしてまで私のことを守った。
心電図の音が廊下にいる私の鼓膜を刺激する。
もしかしたらこのまま柊くんの意識が戻らないかもしれない。このまま柊くんが死んでしまったら。そんなことを考えて、初めて〝死〟が怖いと思った。
目の前で失われていこうとする命を見て、どうすることもできない。ただ涙を流すことしかできない自分が情けない。
守ってもらったのに。私はちゃんと生きているのに。
高津先輩は結局あの場でも逃げたのだという。警察の人に事情を聞かれ、本人を探しているというけれど、きっとまだ逃げ回っているのだろう。
優しい先輩だと思っていた。話が通じる人だと思っていた。私がちゃんと見極められていたら。興味本位で高津先輩に会ったりなんてしなければ。近づかなければ、こんなことには絶対にならなかったはずなのに。
私が死ねばよかったのだ。私が、早く死んでいたら。
もう、どこに願えばいいのかわからない。どうすればいいのかわからない。
もし神様がいるのなら。
もし願いを叶えてくれるのなら。
私の命が代わりになるのなら、柊くんをどうか助けて。
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