この世界のどこかで息をする私たちは

茉白いと

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第6章

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「こんにちは」

 病室に入ると、翼さんが膝にパソコンをのせながら画面を睨んでいた。

「ああ、遼希ちゃん。いつも悪いね。起きもしない弟のお見舞いに来てもらっちゃって」
「好きで来てるからいいんです。仕事、大丈夫ですか?」

 柊くんが倒れてから、翼さんは柊くんに付きっきりだった。ご両親と交互で見てると気丈に振舞うけれど、隠しきれないクマが最近は目立つようになってきた。

「大丈夫だよ。仕事できることが取柄だからさ」

 大変なはずなのに、大変さを一切見せない。大人だなと思う。

「あれ、メールきてたんだ」

 スマホを見ていた翼さんが言った。

「仕事ですか?」
「ううん、彼氏から。今日は来れないって連絡入ってた。ここで彼氏のこと待ってたんだけどね」
「そうだったんですか。残念です、翼さんの彼氏さん見てみたかったのに」
「え? 何言ってんの。遼希ちゃんよく知ってるじゃない」
「知ってるって……」
「あれ、もしかして秘密にしてんのかな。なんかここまで言ったらバレてるような気もするけど」
「翼さん、ぜんぜん誰か……」

 ごめんごめん、と話を中断させられる。時間の問題だと思うけどね、なんて言う翼さんに何度か教えてくださいと頼んでみたが、そのうちわかると思うとはぐらかされるだけだった。

「そっかあ、でも彼氏も汐音も、ほんと秘密主義だなあ」
「翼さんだって今は秘密主義じゃないですか」
「あれ、怒ってる?」
「怒ってます」

 そう言ったら翼さんは笑った。かわいいなあ、と目を細め、それから柊くんに視線を映した。

「汐音も起きればいいのに。寝てばっかでつまんないだろって。なんのために無理して学校行ってんだか。入院ばっかしやがって」
「柊くん、入学してすぐ入院してましたもんね」
「ほんとだよ。遼希ちゃんに会いたかったからって、無理しすぎなんだよね」

 ひらひらと、白いカーテンが揺れていた。パチパチと、キーボードを打つ翼さんから、柑橘系の匂いが流れてきた。
 私に、会いたかった?
 さらりと言われた言葉が、やけに鼓膜に残り、引っかかっていた。

「翼さん……どういうことですか?」
「どういうこともなにも、こいつが高校入ったのは遼希ちゃんに会うためだからだよ。今も一緒に園芸部入ってんでしょう? 懐かしいことしてるなあって思ったのよ」

 そんなはずがないと、どう否定すればいいのか判断できなかった。

「いつもお母さんの手伝いしてて偉いなあって思ってたから。花壇に、次はどんな花が咲くんだろうってよく汐音と病室から覗いてた。唯一の楽しみだったんじゃないかな、あのころの汐音にとって花壇の花は」

 小さな花屋を営んでいた母。よく病院も回っていた。花壇の植え替えをすると、患者さんが喜んでくれていたのを思い出す。
 あの中に、柊くんがいた?

「私ともよく遊んでくれたでしょう。汐音が元気なときは室内で遊んだりしてさ。鬼ごっこしたら看護師さんに怒られんの。楽しかったなあ」

 え。
 遊んでいた。
 二人姉妹の女の子と一緒に。
 でも、それは、姉妹じゃなかった。一人は女の子で、もう一人は女の子みたいな男の子だったとしたら。

『汐音』

 そう呼んでと、あの子が言っていたことを思い出す。
 でもみんなからは「しいちゃん」と呼ばれていて、しいは映画で海って話を聞いて。それで私だけの特別なあだ名みたいに呼んでた。

「あのときの汐音、すごく敏感でね。お風呂に入ることも、髪を切ってもらうこともすごく嫌がったの。泣いて泣いて。ほら、髪が長くて女の子みたいだったでしょう。よく、柊姉妹ってからかわれて呼ばれていたもの」

 女の子じゃなかった。あれは、柊くんだった。髪の長い、金髪の男の子。

「汐音の初恋、遼希ちゃんだったんだよ。急に病院来なくなって、どれだけ汐音がショックを受けたか」

 知らなかった、そんなことがあったなんて。きっと、母が体調を崩したときだろう。そのまま店は畳むことになった。

「そしたら、二年前かな。遼希ちゃんに会ったって聞いて驚いた。診察に来てたとき、たまたま遼希ちゃんに会ったって。今の高校行くって言い出したのも、そのときだったかな。高校は行かないはずだったのに、急に勉強し始めて受験するんだもん。家族みんな、今更無理でしょって話してたのに本当に受かっちゃってさ。でも、入学して早々に身体壊して入院。受験で無理してんだろうね。一か月出遅れた情けない弟は、遼希ちゃんに声をかけるタイミングを失った──と、まあそんな感じだったんじゃないかな」

 二年前は、母が交通事故で亡くなった年。病院に来ていたのなら、母が運ばれて、病院に駆けつけた日のことなのだろう。たしかに、ロビーで受験の話をした覚えがある。
 咲子さんに、私が楽しんで話してたから気味が悪いと言われていた。
 あの日、私の隣にいたのは、私と話をしてくれていたのは──。

「あれが……柊くんだった」

 顔まで覚えていない。笑おうと、なんでもないようにしようと、そうすることでいっぱいで、母の死を聞かされた直後だったはずだ。

「でも柊くん……最近だって私のこと、全然知らなかったみたいで」
「そういうことにしたんだと思うよ。多分、汐音から話すつもりはなかっただろうし。久しぶりに再会して、自分のことを忘れてるんだって知ったら、こいつは思い出させようなんて人に強いたりしないだろうから」

 一言も、自分が昔、私に会ってたあの姉妹だったと言うことはなかった。
 まるで初対面のように振舞って、薄っすらと思い出したぐらいだと言っていた彼が、実は私よりも、私とのことを覚えてくれていたなんて。

「嬉しかったんだと思うんだ。遼希ちゃんとまた一緒にいられるようになって。遼希ちゃんのこと、ずっと見守っていたから。二年前のその日も、遼希ちゃんが帰ったあとに、看護師さんに教えてもらったんだって。遼希ちゃんのお母さんが亡くなったこと」

 どうして言ってくれなかったのだろう。
 言ってくれれば、私だって、思い出したかった。
 ベッドの上で眠る柊くんが目を開けることがない。こんな話など、聞かれたくはないはずなのに。怒っていたはずなのに。
 それでも眠っている。柊くんが目を覚ますことはない。
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