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第9章 徙木之信
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その言葉をなぞるように、触れた。
あのノートには、たった一つの嘘がまぎれていた。
秘密を抱え続けた逢坂くんの、本音と嘘。最後に残していった意味はちゃんとあった。
——好きだったよ、逢坂くん。
わたしも逢坂くんのことが好きだった。
今でも、こんなに胸が痛くなるほど、どうしようもないほど会いたい。会いたくて、声を聞きたくて、仕方がない。
こんな形で再会するなんて、思いもしなかった。
逢坂くんも、まさかわたしに読まれるなんて思っていなかったのかもしれない。
最後まで嘘をついていたんだね。
どうして今になって白状しようなんて思ったのか。
いっそ隠してくれていたら——ずっと、しまっておいてくれたら、こんなにも悲しくなることなんてなかったのに。
逢坂くん、今どこにいますか?
誰といますか?
手紙、ちゃんと届いたよ。はがきとなって、ちゃんと漂流郵便局に届いてたよ。
逢坂くん、会いたいよ。
「——あの」
潮風にのって、懐かしい匂いが鼻を掠めた。
焦がれたその声が鼓膜を触れ、わたしの心をかき乱していく。
心臓が胸を叩いている。どくどく、どくどく。激しさを増していく一方で、目の前にいる人は穏やかで、けれどどこかおどろいた顔でわたしを見ていた。
——ねえ、逢坂くん。
逢坂くんに会えたら、話したいことがたくさんあったの。
それはもう、一日では足りなくなってしまうぐらい、伝えたいことが多くて。
「ここの手紙って勝手に読んでいいんですかね?」
でも、いざ会えてしまうと、そんなことは吹き飛んでしまうんだね。
三年ぶりにあった逢坂くんは、あの頃の面影を残しながら、少し大人になっていた。
まだ十八歳だったあのころから、成長しているのかな。
逢坂くん、わたしどんな女性になったかな。
えっと、と困ったような表情を浮かべた逢坂くんに、感情が爆発してしまいそうだった。
長かった。
逢坂くんと会えなくなったこの三年、本当に長かった。
もう二度と、会えることはないかもしれないと覚悟さえしていた。
「……っ」
つーっと輪郭をたどっていた雫が、ぼろぼろと両目からこぼれていく。
たとえこうして再会して、あなたがわたしを覚えていなくても、わたしはちゃんと覚えている。逢坂くんだと、すぐに分かってしまうぐらい、ずっと考えてきたんだよ。
「えっ、あ……大丈夫ですか」
慌てたような顔をする彼が、ポケットからハンカチを取り出しては差し出す。
「良かったら、どうぞ」
水色の、綺麗なハンカチ。
そう言えば、昔は泣く度に彼にハンカチを求めていたこともあった。
そのことを思い出し、なかなか受け取らないわたしに「どうかしました?」と首を傾げた逢坂くん。
「……ごめんなさい。前にも似たようなことがあって……わたしなんて、今日も持ってなくて」
「……俺の場合は、なんか癖なんです」
「癖ですか?」
「昔、泣く度にやたらハンカチをくれとせがむ女の子がいて」
記憶が一致する。わたしと逢坂くんが過ごした過去の日々。
「思い出そうにも顔にモヤがかかったようになってなかなか思い出せないんですけど……なんかそいつの影響で、ハンカチは持ってないと不安っていうか」
……そっか、相変わらず逢坂くんは優しいんだね。
そんなくだらないことを覚えてくれていたなんて。
逢坂くんは全てを忘れてしまっていたわけじゃなかった。わたしの顔が分からなくても、一緒に過ごした思い出は、彼の中で残り続けてくれていた。
全部覚えてくれていなくても良かった。
記憶の欠片さえ覚えてくれていれば、それで。高望みなんてしない。忘れられていても、少しでも覚えてくれていたなら、それで良かった。
「え、本当に大丈夫ですか?」
本当は、もし彼に会えたとしたら文句の一つでも言ってやろうかと思っていた。
急にいなくなるなんて酷いじゃないか、と。ごめんの一つでも言ってくださいと要求するつもりだったのに——
「大丈夫です……すみません、涙もろくて」
残っていく記憶は、綺麗な思い出ばかりで、ここ数年で随分と美化された。
実際に彼と会い、綺麗なままの記憶と変わらない逢坂くんの姿にもう涙なんて止まるはずもない。
良かった、元気そうで。
少しだけ痩せたように見えるけど、大人になったんだね。
伝えたいことは山ほどあった。
けれども、そのどれもが言葉になる事はなくひたすら涙を流し続けた。
彼がわたしを忘れてしまってることは、やっぱり覚悟はしていても悲しい。
それでも、わたしは、とある学者の仮説を信じている。
覚えていたいと強く願う記憶ほど、負荷がかかって早く忘れてしまう、と。
それは勿論、根拠もなく、半分願望に過ぎないのですが。けれど、そうだったらいいなと思っていた。そう思うことで、わたしの心の糧となり、こうして逢坂くんに出会うことができた。
そんなわたしの身の上話も、いつか聞いてもらえたらいい。でも、それこそ高望みだろうか。
全てを思い出すことなんてできないだろう。
それでも欠片だけでもわたしが彼の記憶にいてくれたら、あの頃のわたしが報われる。
高校生活の、たった数か月を共に過ごしただけ。それでもその事実は確かにあって、わたしの中で今後も美化され続けていく。
だから安心して。逢坂くんが忘れてしまっても、わたしは死ぬまできっと覚えてるから。
忘れたりしない。
逢坂くんと出会えてなければ、わたしはあんなにも苦しい気持ちを味わうことなんてなかったのかもしれない。
嫌がらせを受けることもなく、ただつまらない毎日を繰り返していくだけだった。
けれど同時にどうしようもなく嬉しい気持ちも味わうことはなかったのだと思う。
逢坂くんがいなくなってからも、何かあると真っ先に顔が浮かんで、これからもそれは変わらない。
逢坂くんと出会い、逢坂くんと関わり、逢坂くんの病に触れた人生を、わたしは誇りに思っている。
欲を言えば、あの頃、向き合うことのできなかった彼と、少しは人生の経験値を得た今、もう一度向き合うことができたらなんて願望が掠めたりはするけれど。
たとえ、もう彼がわたしを思い出さなかったとしても。
たとえ、もう彼に覚えてもらえなかったとしても。
わたしには、あの頃の彼との思い出があるから、大丈夫だ。
時には立ち上がれなくなるまでへこんでしまうときもあるかもしれない。そんなときは、逢坂くんが残してくれた言葉で立ち直れるよう自分を奮い立たせる。
選んだ道に後悔がないと言えるよう、わたしはわたしという人間を生きていく。
生きて、生きて、生きて、その中でも、自分という価値を少しずつ見つけながら、わたしは前に進んでいくしかない。
「……わたし、漫画を描いてるんです。とある男の子と、女の子の話を」
──人とのコミュニケーションを取ることが苦手な主人公の咲と、世渡り上手で裏では毒舌なヒーロー、正人の恋愛成長物語。
あのノートには、たった一つの嘘がまぎれていた。
秘密を抱え続けた逢坂くんの、本音と嘘。最後に残していった意味はちゃんとあった。
——好きだったよ、逢坂くん。
わたしも逢坂くんのことが好きだった。
今でも、こんなに胸が痛くなるほど、どうしようもないほど会いたい。会いたくて、声を聞きたくて、仕方がない。
こんな形で再会するなんて、思いもしなかった。
逢坂くんも、まさかわたしに読まれるなんて思っていなかったのかもしれない。
最後まで嘘をついていたんだね。
どうして今になって白状しようなんて思ったのか。
いっそ隠してくれていたら——ずっと、しまっておいてくれたら、こんなにも悲しくなることなんてなかったのに。
逢坂くん、今どこにいますか?
誰といますか?
手紙、ちゃんと届いたよ。はがきとなって、ちゃんと漂流郵便局に届いてたよ。
逢坂くん、会いたいよ。
「——あの」
潮風にのって、懐かしい匂いが鼻を掠めた。
焦がれたその声が鼓膜を触れ、わたしの心をかき乱していく。
心臓が胸を叩いている。どくどく、どくどく。激しさを増していく一方で、目の前にいる人は穏やかで、けれどどこかおどろいた顔でわたしを見ていた。
——ねえ、逢坂くん。
逢坂くんに会えたら、話したいことがたくさんあったの。
それはもう、一日では足りなくなってしまうぐらい、伝えたいことが多くて。
「ここの手紙って勝手に読んでいいんですかね?」
でも、いざ会えてしまうと、そんなことは吹き飛んでしまうんだね。
三年ぶりにあった逢坂くんは、あの頃の面影を残しながら、少し大人になっていた。
まだ十八歳だったあのころから、成長しているのかな。
逢坂くん、わたしどんな女性になったかな。
えっと、と困ったような表情を浮かべた逢坂くんに、感情が爆発してしまいそうだった。
長かった。
逢坂くんと会えなくなったこの三年、本当に長かった。
もう二度と、会えることはないかもしれないと覚悟さえしていた。
「……っ」
つーっと輪郭をたどっていた雫が、ぼろぼろと両目からこぼれていく。
たとえこうして再会して、あなたがわたしを覚えていなくても、わたしはちゃんと覚えている。逢坂くんだと、すぐに分かってしまうぐらい、ずっと考えてきたんだよ。
「えっ、あ……大丈夫ですか」
慌てたような顔をする彼が、ポケットからハンカチを取り出しては差し出す。
「良かったら、どうぞ」
水色の、綺麗なハンカチ。
そう言えば、昔は泣く度に彼にハンカチを求めていたこともあった。
そのことを思い出し、なかなか受け取らないわたしに「どうかしました?」と首を傾げた逢坂くん。
「……ごめんなさい。前にも似たようなことがあって……わたしなんて、今日も持ってなくて」
「……俺の場合は、なんか癖なんです」
「癖ですか?」
「昔、泣く度にやたらハンカチをくれとせがむ女の子がいて」
記憶が一致する。わたしと逢坂くんが過ごした過去の日々。
「思い出そうにも顔にモヤがかかったようになってなかなか思い出せないんですけど……なんかそいつの影響で、ハンカチは持ってないと不安っていうか」
……そっか、相変わらず逢坂くんは優しいんだね。
そんなくだらないことを覚えてくれていたなんて。
逢坂くんは全てを忘れてしまっていたわけじゃなかった。わたしの顔が分からなくても、一緒に過ごした思い出は、彼の中で残り続けてくれていた。
全部覚えてくれていなくても良かった。
記憶の欠片さえ覚えてくれていれば、それで。高望みなんてしない。忘れられていても、少しでも覚えてくれていたなら、それで良かった。
「え、本当に大丈夫ですか?」
本当は、もし彼に会えたとしたら文句の一つでも言ってやろうかと思っていた。
急にいなくなるなんて酷いじゃないか、と。ごめんの一つでも言ってくださいと要求するつもりだったのに——
「大丈夫です……すみません、涙もろくて」
残っていく記憶は、綺麗な思い出ばかりで、ここ数年で随分と美化された。
実際に彼と会い、綺麗なままの記憶と変わらない逢坂くんの姿にもう涙なんて止まるはずもない。
良かった、元気そうで。
少しだけ痩せたように見えるけど、大人になったんだね。
伝えたいことは山ほどあった。
けれども、そのどれもが言葉になる事はなくひたすら涙を流し続けた。
彼がわたしを忘れてしまってることは、やっぱり覚悟はしていても悲しい。
それでも、わたしは、とある学者の仮説を信じている。
覚えていたいと強く願う記憶ほど、負荷がかかって早く忘れてしまう、と。
それは勿論、根拠もなく、半分願望に過ぎないのですが。けれど、そうだったらいいなと思っていた。そう思うことで、わたしの心の糧となり、こうして逢坂くんに出会うことができた。
そんなわたしの身の上話も、いつか聞いてもらえたらいい。でも、それこそ高望みだろうか。
全てを思い出すことなんてできないだろう。
それでも欠片だけでもわたしが彼の記憶にいてくれたら、あの頃のわたしが報われる。
高校生活の、たった数か月を共に過ごしただけ。それでもその事実は確かにあって、わたしの中で今後も美化され続けていく。
だから安心して。逢坂くんが忘れてしまっても、わたしは死ぬまできっと覚えてるから。
忘れたりしない。
逢坂くんと出会えてなければ、わたしはあんなにも苦しい気持ちを味わうことなんてなかったのかもしれない。
嫌がらせを受けることもなく、ただつまらない毎日を繰り返していくだけだった。
けれど同時にどうしようもなく嬉しい気持ちも味わうことはなかったのだと思う。
逢坂くんがいなくなってからも、何かあると真っ先に顔が浮かんで、これからもそれは変わらない。
逢坂くんと出会い、逢坂くんと関わり、逢坂くんの病に触れた人生を、わたしは誇りに思っている。
欲を言えば、あの頃、向き合うことのできなかった彼と、少しは人生の経験値を得た今、もう一度向き合うことができたらなんて願望が掠めたりはするけれど。
たとえ、もう彼がわたしを思い出さなかったとしても。
たとえ、もう彼に覚えてもらえなかったとしても。
わたしには、あの頃の彼との思い出があるから、大丈夫だ。
時には立ち上がれなくなるまでへこんでしまうときもあるかもしれない。そんなときは、逢坂くんが残してくれた言葉で立ち直れるよう自分を奮い立たせる。
選んだ道に後悔がないと言えるよう、わたしはわたしという人間を生きていく。
生きて、生きて、生きて、その中でも、自分という価値を少しずつ見つけながら、わたしは前に進んでいくしかない。
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