檸檬の手紙

紗楽

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檸檬の手紙

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『文通しませんか?』

 レモン柄の便箋に書かれた文字を見て首を傾げた。差出人不明の手紙だけでも気味が悪いのに。何かのイタズラかとあまり気に留めないままゴミ箱に捨てた。


 日本に未知のウイルスが蔓延るようになって 1 年と 6 ヶ月ほどが経った。大学入学とウイルスが猛威を振るい始めた時期とがバッティングした僕は見事に大学での人間関係作りにつまずいた。地方から上京してきた僕は講義と生活に慣れるのに必死で友人という言葉が頭の隅でちらついていたが、内向的な性格も相まって結局、何も行動を起こせず気付けば 2 年生に進級していた。


 アルバイトと期末のレポートや試験勉強に追われた僕は、件の手紙のことは頭からすっかり抜け落ちていた。アルバイトはあまり人と関わらなくて済むものを選んだので一言も声を発さずに一日が終わることもだんだん多くなっていた。起きて、ご飯食べて、レポート書いて、バイト行って、ご飯食べて、試験勉強して、寝る、を繰り返す日々。別に、悪くない日々だと思うのに、気付けば、ぼーっとして、眠る前は自分がどうしようもない奴な気がして果てしない不安に駆られた。そんなときだった・・・・バイトから帰ると、ポストに真っ白な封筒が入っていた。

『最近、誰とも喋らなくて、同じような一日ばっかりなんですよ!あ、コンビニの苺ショートケーキ食べました?生クリームが絶品なんですよ~』
レモン柄の便箋に前より少しくだけた文体でそれだけが書かれていた。
「勝手に文通始めてるし・・・・でも、なんか・・・・僕と一緒だ。そういえば、最近、コンビニのショートケーキとか食べてないな、明日、買って帰ろうかな」
そのときは不思議と一通目ほどの気味の悪さを感じなくて、むしろ、久し振りに自分以外の人を感じて心がポカポカした。

 それから、一方的な文通が続いた。アルバイトで稼いだお金がすぐに生活費に消えるだとか、洗い物が面倒くさくて自炊がなかなかできないだとか、試験勉強が暑すぎて捗らないのに図書館使えないだとか、そんなたわいもない内容ばかりだったが、僕も共感できることが多くて、だんだん手紙を楽しみにしていた。手紙は決まって夕方に帰るとポストに入っていた。便箋のレモン柄から僕は勝手にレモンさんと呼んでいた。何のひねりもない。

 レポートや試験もあと少しで終わりそうな頃、僕は謎の手紙に返事を書くことにした。
「えっと、拝啓、・・・・は堅いかな。こんにちは・・・いや、こんばんは、かもしれないな・・・・」
手紙を書くのは小学生以来だった。書き出しで悩み、グシャグシャになった紙の玉がそこら中に転がった。
「こんな感じでいいかな。もう、分からん・・・・」
『いつも、手紙、ありがとう。君の名前は何というのですか?』

 大学ノートを便箋代わりにした粗末な手紙をポストに入れて僕はバイトへ向かった。
『手紙、ありがとう!君の好きなように呼んでくれて良いよ!』
『分かった。じゃあ、レモンさんって呼ばせてもらいます。レモンさんは好きな食べ物とかある?』
『今の時期だと、そうめんが好きかな!アレンジとかできるから飽きないし、何より簡単に作れるからね!』
『僕もそうめん好きだから驚きました。自炊する唯一の料理かもしれない。レモンさんと僕、結構似てるところが多いですね』
『一人暮らしの大学生なんて皆、こんな感じだと思うよ。君は変なところで真面目なんだよ』
『僕、かなり不真面目ですよ。課題も先延ばしにするタイプですし・・・・そういえば、最近、暑すぎて、扇風機じゃ間に合わなくてクーラーも使い始めてしまいました』

 バイトから帰ると、ドアに紙袋が掛けてあった。中を覗くと朝顔の描かれた短冊を提げた鐘
の形の風鈴が入っていた。なんとなく懐かしさを感じた。実家に風鈴があったからだろうか。
『昔に買った風鈴があったからあげるよ。風鈴の音を聞くと涼しげな気分になれるから、暑い日にはオススメだよ』
 早速、窓のカーテンレールのところに S 字のフックを付けて吊してみた。夜だったので窓を閉めて鐘を指で弾いて揺らしてみた。
リーン、リーン、リーン・・・・
澄んだ音に、淡い朝顔が揺れて、爽やかな風を感じた。目を閉じて深呼吸した。こんなちょっとしたことで心が穏やかになるなんて風鈴は不思議な魅力を持っている。
「これはレモンさんに感謝しないと」
『レモンさん、風鈴、ありがとう。早速、吊して音を聞きました。澄んだいい音でした。いい夏が過ごせそうです。あの、良かったら、うちに遊びに来ませんか?僕も何かレモンさんにお礼がしたいので。7/31 の夕方はどうですか?』

 それからレモンさんからの手紙が途絶えた。僕は気に障ることをしてしまったのかと謝罪の手紙を何枚も書いてポストからその手紙はなくなるが、ついにレモンさんからの返事はなかった。そして、ついに 7/30 になってしまった。

『レモンさん。何度もすみません。明日の夕方、レモンさんのことを家で待っていようと思います。もし、気が向いたら遊びに来て下さい。僕からの手紙はこれで最後にします。今までありがとう。レモンさんのおかげで、毎日が楽しくなったよ。どうかお元気で』

 
 昼のうだるような暑さが嘘のように夕方には、涼しげな風が吹き、虫の音も聞こえる穏やか空気が漂っていた。僕は麦茶を片手に窓の外を眺め、レモンさんを待った。風が吹く度にレモンさんから貰った風鈴がリーン、リーンと涼しげに踊った。

「健くん、今までありがとう。元気でね。いつでも見守ってるから、大丈夫」

 頭の中で響いた声。どうしようもない喪失感に僕の目から涙が零れた。……あぁ、そうか。レモンさんはずっと僕の中にいたんだ。僕が一人でダメになりそうだったから助けてくれたんだ。いつからキミがいたのか分からない。名前も知らない。キミは僕を救うためだけにいてくれたんだ。

 キッチンの何を植えたかも分からない鉢に芽が出ていた。
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