発達障害の女、獣医師として生きる。

ひよく

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もう一人の自分

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そんな充実した毎日を過ごしていた今日子に、またも試練が訪れた。
「山下雄二(仮名)です!よろしくお願いします!」
満面の笑みで、自己紹介してきたのは、今日子より10歳は年上と思われる男性だった。
「皆さん、山下雄二先生です。今日からこの病院で働いてもらう獣医師です。よろしくお願いします。」
院長はそう全員を前に紹介した。

この山下獣医師が、後にこの動物病院に嵐を呼ぶ事になる。

とにかく彼は、やる事なす事、空回りした。
一言で言えば「空気が読めない」
例えば、院長が飼い主に聞こえないように、小声で耳打ちして指示した事を、大声で復唱してしまう。
トイレの女性の汚物入れの掃除のように、男性にやってほしくない仕事の区別ができない。
今、ここで、この話題を出して良いかどうかの区別は、全くついていなかった。

技術的にも、年齢のわりにあまりに稚拙だった。
獣医師で40代と言えば、円熟期である。
にも拘らず、彼には1人で難しい仕事は任せられなかった。
きけば、職場は転々としてきたようだ。
一所に落ち着いて、技術を身に着ける事ができなかったのだろう。

次第に「山下獣医師以外の先生でお願いします。」と言ってくる飼い主も増えた。

また、「出した物を元の場所にしまう」「私物を入れたロッカーを片付ける」などの作業は、全くできなかった。

自分とどこか似ている。

今日子はそう感じていた。
違う部分も勿論あるのだが、どこか今日子に、それも発達障害の診断がつく前の今日子によく似ているのである。

だが、どこかおかしいと思っていたのは、今日子だけではなかった。
院長も、‘フツウ’の枠をはみ出た山下獣医師の様子に気付いていた。
院長も迷っただろう。
しかし、ついにある日、院長は山下獣医師に、受診を勧めた。
そして、そこで彼に重度のアスペルガー症候群との診断が下った。

それは本人の意志もあり、スタッフ全員に告知された。
しかし、それはなかなかスタッフに理解されなかった。
今日子の存在は認めたスタッフでさえ、彼への態度は冷たかった。

それはおそらく、彼が自分の‘特性’に「アスペルガー症候群」という名前を付けられてしまったことで、安心してしまったためであろう。
自分は「障碍者」であると、周りがフォローするのは当然と、開き直ってしまった。

彼が出しっぱなしにした器具を片付けた者にも、彼が発注ミスした薬品を返品した者にも、彼が怒らせた飼い主からクレームを受けた者にも、謝罪や感謝の言葉がなくなった。

診断を受けたことが、マイナスに働いた悪例だろう。

彼はAHTを中心に嫌がらせを受けるようになった。
そして、それは院長ですら、完全に止める事はできなかった。
今日子はもう1人の自分を見ているかのようだった。
何かの拍子で、自分も彼の立場に立っていたかもしれない。

彼がこの動物病院を去るのに、それ程の時間は要しなかった。
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