紀伊国屋文左衛門の白い玉

家紋武範

文字の大きさ
9 / 58

第9話 分限者

しおりを挟む
 白い玉に操られたままの文吉は、紀州中納言のほうへと振り返ると、大猪にさんざん焦り倒した侍たちと紀州中納言。ようやく一息ついて、中納言は床几の上へと腰を下ろした。そして大きなため息をついて文吉のほうを見て口を開く。

「見事だ!」
『ありがたいお言葉』

「たしかにこの鷹は100両や200両の鷹ではない」
『さすが中納言さま。これの価値が分かりましたか』

「分かった。これ」

 中納言はまたまた近侍を呼んで指図すると、改めて近侍は箱を担いで来た。

「千両(1億円)ある。これで余にその鷹を譲ってくれ!」
『お譲り致します』

 文吉が掌を少しだけ上に上げると、鷹は飛び上がって中納言の掌へと着地した。その美しいこと。
 中納言が鷹に見とれている間に文吉は熊吉を立たせ、千両箱を担がせた。

『では中納言さま。我々はこれで』
「おう!」

 先ほどの剣幕はどこへやら。上機嫌の中納言は鷹を見つめたまま、文吉と熊吉をとくに咎めもせず、幔幕の外へと解放した。
 そこに一人の侍が付いてきて見送ったが、途中で二人を止めた。

「言わなくても分かっていると思うが中納言さまが鷹狩りをしていたなどとは他言無用ぞ。よろしく頼む」
「あ、はい。仔細承知です」

 二人は口封じに殺されるかと思ったが、そうではなかったのでホッと胸をなで下ろした。





 千両箱と鷹狩りで獲った獲物を担いで嬉しそうな熊吉とは裏腹に、文吉は心臓が止まりそうだった。そんなことは気付かずに熊吉の口は止まらない。いわゆるハイテンションというやつだ。

「いやぁさすがは文吉だ。最初はどうなることかと思ったが10両の鷹を100倍の千両に替えちまうんだから、まさに金剛力士の生まれ変わりだね。ホントに文吉に惚れて良かったよゥ」

 たしかにそうだが、白い玉に操られてやったこと。あの鷹とて白い玉が操ったのかもしれない。そう思うと怖い。
 白い玉を懐に入れてから、成功はするもののハラハラさせられっぱなしだ。まだ落ち着かない文吉は下を向いたままだった。それでも熊吉は一人で話続けていた。

「こりゃ、俺たちは今日から分限ぶげんだな。分限者ぶげんものだァ」

 分限者とは大金持ちのことだ。先日まで奉公人だった二人に千両の金はかなり大きい。千両あれば大きな店を構えて女中や小僧を数人おいて商売できる。相当な金額だったのだ。

「こうなりゃ、いつまでも熊吉を名乗ってるのはおかしいな。改名しないと」

 熊吉の言葉に文吉は思わず足を止める。

「はァ?」
「だってそうじゃねぇか。これから商売して使用人に熊吉、文吉では格好がつかねェ。それに屋号も考えなくちゃな」

 熊吉の脳天気さに、悩んでいた文吉も思わず吹き出した。

「プッ。じゃあどんな名前と屋号がいいんだ」
「そうさなァ。これからはこの千両を何倍にも何十倍にもしていかなくちゃなんねぇ。──熊から九万くまだ。九万兵衛くまべえとする。どうだ。験がいいだろゥ?」

 語呂の悪さに文吉は笑ってしまった。しかし験がいい名前かも知れないし、今まで通り“くま”と呼べるのが良かった。

「いいな。良い名前だ」
「文吉はどうする? おらの兄貴だから十万とま兵衛べえか?」

「なんでじゃァ? おらも文の字は残しておきてえな。もんは全ての金の始まりだからな」
「じゃァ文左衛門ぶんざえもんだ」

「文左衛門! そりゃ粋だな」
「言い方に“ぶん”も“もん”も入ってるからな。今日言った意味を忘れないためにもいいだろう」

 即興で作った名前だったが互いに重みを感じる名前で気に入った。

「それで屋号は?」
「そらァ、おらたちは孤児だからどこにゆかりがあるかは分からねェ。しかしこの紀州が故郷だ。この国を屋号としよう。紀伊国屋きのくにやだァ!」

 熊吉らしい真っ直ぐな名付けに文吉は微笑んだ。

「紀伊国屋! いいじゃないか。紀伊国屋文左衛門かァ」
「紀伊国屋九万兵衛かァ」

 感慨深くため息をつく熊吉に、文吉はやはり語呂が悪いと声を殺して笑った。





 千両を抱えた二人だったが、江戸に登って材木商をしようと決めていたので、まずは運搬用の船を買うことにした。
 紀州中納言に鷹を売ってから、白い玉は大人しくなっていた。大概、儲け仕事をするとこのようになる。おそらく今回のもそれだろう。力を使って寝るというやつだと文吉は分析していた。

 それは文吉にとって都合がよかった。神の使いである白い玉は強引だ。勝手がすぎる。儲かるのはいいが自由がない。そんな白い玉を好きになれないのは当然で、敬う気持ちも徐々に薄れてきていたのだ。

 寝ている間に自由にやろう。文吉は熊吉を連れ立って海に浮かぶ船を見に行った。中古でいい。すぐに乗れるやつ。材木を運搬するのだから小さい船ではいけない。それなりに大きなものだ。
 よい船を見つけて値段を聞くと、500両である。これくらいの投資はしなくてはならない。それに見事な廻船で千石(180t)は積めるというものであったので即座に買い求めた。

 船主となって二人はその日、そこで夜明かしをしようと、波止場で鷹狩りの際に獲った獲物を焼いたり煮たりして船の中に運び、瓢の酒を飲んでいると、そのうち熊吉は上機嫌になり肘枕で寝てしまった。
 そこに、白い玉が怒ったように文吉に話し掛けてきた。

『まったく! おばちゃんに相談もなくこんな船を買うなんて!』

 叱責であった。文吉はうんざりしながらも謝罪したが、それでも白い玉は怒り覚めやらなかった。

『こんな船なら、半値で買う交渉が出来たわ。そしたら余ったお金でよい材木をたくさん積めたのに!』

 大変に怒ったままで、文吉も力の限りなだめると、ようやく代案を出してきた。

『まあいいわ。もっとよい案がある。紀州ではみかんが豊作で、値がかなり下がっているわ』
「へ、へぇ。みかんですかい?」

『逆に、江戸ではみかんがほとんどない。最近海が荒れているので、誰も江戸にみかんを運べないのよ』
「へぇ~」

『しかももうじき、鍛冶屋のお祭り“ふいご祭り”があるわ。鍛冶屋がお客さんにみかんを振る舞うお祭りよ。験を担ぐ江戸っ子は喉から手が出るほどみかんが欲しい。残ったお金で船員と人夫を雇い入れ、みかんを大量に買いなさい!』

 ぴしゃりと言うご命令だ。しかし白い玉の云うことは今まで外れたことがない。
 話が終わった後で熊吉がふと目を覚ましたので、文吉は白い玉の話を夢に出て来たお稲荷さまからのご神託と言うことで話すと、熊吉も文吉が言うことなら間違いはあるまいとミカンの買い付けを承諾した。
 その打ち合わせも終わり眠りにつく。

 すると真夜中だった。少しばかり体が冷えて文吉は目を覚ました。

 ズルズル、ズルズル、ズルズル──。

 蕎麦を啜るような音がする。鷹狩りで獲った獲物が積み重なっているほうだ。しかしそんな蕎麦などあるわけがない。自分は寝ぼけているのだろうと納得してそのまま眠りについた。
 いつも懐にある白い玉がないことに気付かずに──。

 次の日、目を覚ますと熊吉が獲物のほうを見て嘆いていた。

「どうしたい。熊吉」
「昨日、あったと思ってた、丸々太った雉鳥がなくなってるゥ」

「だったら食ったんだろゥ」
「そうかも知れねェ。ああ、あれがあると楽しみにしてたのに」

 なくなった雉鳥は二人は自分たちが食べたのだろうと納得した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...