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第47話 暗殺
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熊吉と几帳が楽しげな声を上げて行水で遊んでいると、またまた階下から声だ。
「几帳を出せ、几帳を!」
几帳は貸し切りである。出せるわけがない。熊吉は吉原にはそぐわない声だと声のほうに顔を向けた。
「吉原で不粋なやつ」
熊吉はムッとした顔でタライから立ち上がる。
「ケンカはダメだよ、九万ちゃん!」
「あたぼうよ。お前が嫌がることを俺がするかよ」
さっさと褌だけつけると、体を濡らしたまま、足をならして声の現場へと向かった。
そこには、必死に客をなだめる郭主と、その客である奈良屋茂左衛門である。奈良茂みずから几帳を座敷に呼びに来たのだ。
「アタシは江戸一の金持ちですよ。その客とやらにも迷惑料を払います。お幾らですか!?」
「い、いやぁ、そういうわけにも……」
その騒ぎに三浦屋の外には野次馬たちが集まって、見物を始めていた。そこに熊吉である。熊吉は、二階の手すりに寄り掛かって階下の奈良屋へと笑いかけた。
「よォー。奈良屋の旦那!」
この声は、吉原きっての有名人、紀九万の声だと野次馬たちは分かった。即ち几帳を争った紀九万と奈良屋のケンカだ。
奈良屋茂左衛門、声のほうを見上げてハッとする。
「き、紀九万!」
熊吉にもハッキリと分かった。コイツは完全に几帳に惚れてしまったと。もともと熊吉は几帳が誰かを好きになれば素直に引こうと思っていたが、ライバルである奈良屋にだけは渡したくないという感情が押し寄せて来た。
「奈良茂よゥ。俺が払った金をアンタ払えるのかい?」
「もちろんですよ! 三十ですか? 五十ですか?」
奈良屋は袂の財布からありったけの金を出して両手の上で広げた。ざっと八十両ほどである。それを見て熊吉は笑う。
「まあ遊女への心づけを抜きにしても、主人。それで足りるかい?」
郭主は畏れ入って応える。
「……い、いえ。あと四百五十両ほど足りません」
「よ、四百五十両──?」
気の遠くなる数字に奈良屋は後ろにひっくり返りそうになる。見物に集まった野次馬たちも面くらった。それに熊吉は声高く笑う。
「はっはっは。そういうこった。吉原で遊ぶには粋でなくちゃいけない。女に振られりゃァ、素直に受け入れるのが吉原の遊びじゃねぇか。人の恋路を邪魔する奴ァ、馬に蹴られて死んじまえ、だ!」
奈良茂は頭にくるやら恥ずかしいやらで、野次馬の群衆を掻き分けて出ていった。
熊吉が部屋に帰ろうと廊下の方を向くと、几帳が笑いながら立っていた。
「なんでィ。見てたのか」
「やんやんやん、カッコいい~! 九万ちゃん、だーい好き!」
「おう。しかし体が乾いちまったよ。もう少し行水するか」
「うん」
熊吉は几帳を抱きかかえて、奥の座敷へと連れて行った。
奈良屋茂左衛門は、激しく怒った。屋敷に戻って酒を飲むものの熊吉への怒りが冷めやらない。
「あの野郎! 人を二階から見下しやがった。全身は汗で濡れていやがった。くぬぅ、ワシの几帳を抱いていたに違いない! 糞!」
行水で濡れた体を、激しい行為の汗と思い、悔しさで腹の中身がひっくり返りそうだ。
奥歯を噛み締めて手を叩くと、隣の襖が開いて、細身の老剣士が出て来た。
「旦那。どうしましたんで──?」
「角行先生。殺して欲しい男が出来ました」
この角行という男は、暗殺を行う剣の名手で、暗闇に潜んで闇討ちするのを得意とし、今までも依頼にあった侍や力士など切り捨ててきた剛のものである。しかし指名手配され、表立って歩ける身ではなくなったところを、この奈良屋に拾われたのであった。
「お世話になった旦那の頼みです。相討ちになっても殺しますよ。その相手の名前をお聞かせください」
「うむ。紀伊国屋九万兵衛という。大男で怪力だ。今、吉原の三浦屋にいる」
「なんの、なんの。容易いことです。大門からでて静かなところで殺しましょう」
そういって角行は、腰に大刀を挿して、熊吉暗殺へと向かっていった。
次の日の朝、几帳に別れを告げて熊吉は大門から出る。眠い目を擦ってフラフラと歩いていた。
それを角行は、物影から観察していた。
「うむ。黒紋付にデカい体。あれこそ紀伊国屋九万兵衛であろう」
広い通りをそのまま帰ればいいのに、熊吉は辺りを見回すと細い路地へと入っていった。ひと気のないところである。角行はしめたと思い、それを追った。
角を曲がるとすぐそこに熊吉がいた。壁を向いて小便をしていたのだ。小便をしているということは隙だらけである。
「お、お命頂戴!」
角行は驚いたもののひと声叫ぶと、刀に手をかけて間合いを取ろうとしたが余りにも熊吉に接近しすぎたために刀を抜ききれない。
それに熊吉は、すぐに察知してしまった。刀に手をかけた男。ひと声叫んだ男。これは暗殺者であろう。しかし、小便の途中である。
熊吉は迷うことなく、男の足元に小便をジョロジョロ。思わぬ鉄砲を向けられ、角行は小便で足を滑らせステンと転んだところに、さらに顔に小便である。
汚いものをかけられ屈辱であるが、目も見えずに立ち上がって体勢を整えようと思ったものの、熊吉はすでに壁に立てかけられていた長い角材を抱えて来て、角行の足をしこたま打ち付けた。
「ギャアッ!」
「こなくそ、この紀九万の命を狙おうたァ、ふてェヤロウだァ!」
熊吉は間合いを取って、角材で当たるを幸いと打ち据えた。そこに吉原帰りの男達が、有名人である紀九万を応援する始末。角行は一合もあわせられずに敗北を喫し、捕まってしまったのであった。
「几帳を出せ、几帳を!」
几帳は貸し切りである。出せるわけがない。熊吉は吉原にはそぐわない声だと声のほうに顔を向けた。
「吉原で不粋なやつ」
熊吉はムッとした顔でタライから立ち上がる。
「ケンカはダメだよ、九万ちゃん!」
「あたぼうよ。お前が嫌がることを俺がするかよ」
さっさと褌だけつけると、体を濡らしたまま、足をならして声の現場へと向かった。
そこには、必死に客をなだめる郭主と、その客である奈良屋茂左衛門である。奈良茂みずから几帳を座敷に呼びに来たのだ。
「アタシは江戸一の金持ちですよ。その客とやらにも迷惑料を払います。お幾らですか!?」
「い、いやぁ、そういうわけにも……」
その騒ぎに三浦屋の外には野次馬たちが集まって、見物を始めていた。そこに熊吉である。熊吉は、二階の手すりに寄り掛かって階下の奈良屋へと笑いかけた。
「よォー。奈良屋の旦那!」
この声は、吉原きっての有名人、紀九万の声だと野次馬たちは分かった。即ち几帳を争った紀九万と奈良屋のケンカだ。
奈良屋茂左衛門、声のほうを見上げてハッとする。
「き、紀九万!」
熊吉にもハッキリと分かった。コイツは完全に几帳に惚れてしまったと。もともと熊吉は几帳が誰かを好きになれば素直に引こうと思っていたが、ライバルである奈良屋にだけは渡したくないという感情が押し寄せて来た。
「奈良茂よゥ。俺が払った金をアンタ払えるのかい?」
「もちろんですよ! 三十ですか? 五十ですか?」
奈良屋は袂の財布からありったけの金を出して両手の上で広げた。ざっと八十両ほどである。それを見て熊吉は笑う。
「まあ遊女への心づけを抜きにしても、主人。それで足りるかい?」
郭主は畏れ入って応える。
「……い、いえ。あと四百五十両ほど足りません」
「よ、四百五十両──?」
気の遠くなる数字に奈良屋は後ろにひっくり返りそうになる。見物に集まった野次馬たちも面くらった。それに熊吉は声高く笑う。
「はっはっは。そういうこった。吉原で遊ぶには粋でなくちゃいけない。女に振られりゃァ、素直に受け入れるのが吉原の遊びじゃねぇか。人の恋路を邪魔する奴ァ、馬に蹴られて死んじまえ、だ!」
奈良茂は頭にくるやら恥ずかしいやらで、野次馬の群衆を掻き分けて出ていった。
熊吉が部屋に帰ろうと廊下の方を向くと、几帳が笑いながら立っていた。
「なんでィ。見てたのか」
「やんやんやん、カッコいい~! 九万ちゃん、だーい好き!」
「おう。しかし体が乾いちまったよ。もう少し行水するか」
「うん」
熊吉は几帳を抱きかかえて、奥の座敷へと連れて行った。
奈良屋茂左衛門は、激しく怒った。屋敷に戻って酒を飲むものの熊吉への怒りが冷めやらない。
「あの野郎! 人を二階から見下しやがった。全身は汗で濡れていやがった。くぬぅ、ワシの几帳を抱いていたに違いない! 糞!」
行水で濡れた体を、激しい行為の汗と思い、悔しさで腹の中身がひっくり返りそうだ。
奥歯を噛み締めて手を叩くと、隣の襖が開いて、細身の老剣士が出て来た。
「旦那。どうしましたんで──?」
「角行先生。殺して欲しい男が出来ました」
この角行という男は、暗殺を行う剣の名手で、暗闇に潜んで闇討ちするのを得意とし、今までも依頼にあった侍や力士など切り捨ててきた剛のものである。しかし指名手配され、表立って歩ける身ではなくなったところを、この奈良屋に拾われたのであった。
「お世話になった旦那の頼みです。相討ちになっても殺しますよ。その相手の名前をお聞かせください」
「うむ。紀伊国屋九万兵衛という。大男で怪力だ。今、吉原の三浦屋にいる」
「なんの、なんの。容易いことです。大門からでて静かなところで殺しましょう」
そういって角行は、腰に大刀を挿して、熊吉暗殺へと向かっていった。
次の日の朝、几帳に別れを告げて熊吉は大門から出る。眠い目を擦ってフラフラと歩いていた。
それを角行は、物影から観察していた。
「うむ。黒紋付にデカい体。あれこそ紀伊国屋九万兵衛であろう」
広い通りをそのまま帰ればいいのに、熊吉は辺りを見回すと細い路地へと入っていった。ひと気のないところである。角行はしめたと思い、それを追った。
角を曲がるとすぐそこに熊吉がいた。壁を向いて小便をしていたのだ。小便をしているということは隙だらけである。
「お、お命頂戴!」
角行は驚いたもののひと声叫ぶと、刀に手をかけて間合いを取ろうとしたが余りにも熊吉に接近しすぎたために刀を抜ききれない。
それに熊吉は、すぐに察知してしまった。刀に手をかけた男。ひと声叫んだ男。これは暗殺者であろう。しかし、小便の途中である。
熊吉は迷うことなく、男の足元に小便をジョロジョロ。思わぬ鉄砲を向けられ、角行は小便で足を滑らせステンと転んだところに、さらに顔に小便である。
汚いものをかけられ屈辱であるが、目も見えずに立ち上がって体勢を整えようと思ったものの、熊吉はすでに壁に立てかけられていた長い角材を抱えて来て、角行の足をしこたま打ち付けた。
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