紀伊国屋文左衛門の白い玉

家紋武範

文字の大きさ
49 / 58

第49話 愛する人の相手

しおりを挟む
 奈良茂は大金を使ってハラハラするわ、几帳太夫を待ってドキドキするわである。
 襖が開いた! と思うと酒と料理を持ってきた女中。開いた! と思うと幇間と芸妓であった。

 幇間はお座敷を盛り上げようと、声を張る。

「さァ! 旦那、本日は楽しんで参りましょゥ!」

 幇間は楽しげな芸をして、芸妓は三味線と太鼓、笛などを鳴らして座敷を盛り上げる。
 奈良茂は、これが何両、これで何両と野暮な計算をしながら、几帳のお出ましを心待ちにしていた。

 そうして幾分時間が経った後、廊下にチリーン、チリーンと鈴の音が鳴る。几帳太夫の袋帯につけられた鈴の涼しげな音である。
 奈良茂は慌てて座布団に座り直す。幇間や芸妓も座り直して曲をやめた。

 そうすると、上座の襖がスッと開いて禿が二人、すまし顔で入ってくる。続いて希代の傾城、几帳太夫が白塗りの顔で威厳を保ちながら入って来た。
 それにあわせて、幇間は帯を叩き調子をとる。

「〽️立てばァ芍薬ゥ 座ればァ牡丹ンン 歩く姿はァ 百合の花ァ」

 太夫を讃える都々逸が歌われる。それが終わると、几帳は奈良茂に流し目を送った。

「奈良茂さま。ようこそ、おいでなんしィ」

 これには奈良茂、声も出ない。一日千秋の思いで待ちわびた几帳太夫との再会である。しかも名前を呼んでくれた。

「そうそう。先日は美味しいお差し入れを頂戴いたしんした。粋な贈り物でありんしたァ」

 奈良茂の顔が燃えるように赤くなる。こんなに好きな人に褒められることが嬉しいなんて。
 もじもじしていると、几帳は扇を持って立ち上がる。

「では、拙いものでありんすが、踊りを披露いたしんしょう。善兵衛さん、三味線をお願いいたしんす」

 と、仕切りの幇間を名指しすると、善兵衛という幇間は、粋な曲を弾き出した。
 几帳はそれにあわせて優雅な鳥のように踊る。奈良茂はそれに息を飲んで魅入った。そして、手に持っていた盃をうっかり落として畳を濡らしてしまった。

「ああ。これはとんだ粗相を」

 奈良茂は慌てて畳を拭こうとしたが、慌てているために、手拭いを取る手もともおぼつかない。
 几帳はすぐさま禿に命じて畳を拭かせにいかせた。

 奈良茂は情けないやら、恥ずかしいやら。しかし思い出した。心づけを渡すのは今だと。
 奈良茂は懐に手を突っ込むと、二両取り出し、畳を拭いた禿の前に突き出した。

「すまん。ありがとう。これはお礼だよ」

 となると、二人は驚いた。熊吉並みの豪気さである。二人とも一度、几帳のほうを見る。几帳は優しげな顔をして、二人へと勧める。

「お大尽からのお振る舞いでありんす。ありがたく頂戴しんせ」

 それに二人はようやく手を出し、小判を受け取るとお礼を言った。
 奈良茂はここぞとばかり、幇間と芸妓にもご祝儀と称して一両ずつ渡す。ケチで有名な奈良茂も豪気なもんだと、みんなビックリした。

「だ、旦那。ありがとうございます……」
「いやいや、いいってことよ。それより太夫の機嫌を損ねてはいけませんよ。さァ皆さん。楽しもうじゃありませんか!」

 几帳は優雅で静かな音楽よりも、激しくて楽しいのが好きである。そして面白い芸が好きだ。
 幇間が腹踊りをすると、歯を見せて美しく笑う。奈良茂はそれにも目を奪われた。
 そして自分も立ち上がって袖をまくり、裾をたくし上げ、農民の真似をした踊りだ。几帳もたまらず吹き出すので調子に乗った。

「〽ホイソ、タラヤン アッチャレ、コッチャレ」

 奇妙な掛け声と片足で回る姿に座は最高潮。奈良茂は最大限の自分を出し切って、几帳を楽しませたのであった。

 程なくすると時間である。几帳は禿と同時に頭を下げて、上座の襖から出ていこうとしたので、奈良茂は駈け寄って腕を優しく引いた。

「あのぅ。本日のお出まし、とても嬉しかったです。これはほんの寸志です」

 と、几帳に十両握らせた。几帳はニッコリと笑ってそれを受け取る。

「またおいでなんしィ」

 禿に襖を閉めさせると、自室へと帰っていった。奈良茂はそこに立ち尽くしてガッツポーズである。

 また来てくれ。この言葉に次の逢瀬を期待し、胸を高鳴らせた。






 それからしばらく時間が経つ。三ヶ月が経過し、元禄十六年の秋である。空気の肌寒さも感じさせるが、熊吉と几帳は相変わらず熱々であった。
 熊吉は几帳の部屋で膝枕されながら、耳掃除をさせていたのだ。

「まァ、大きい」
「そうか?」

「天ぷらのネタほどあるよ。九万ちゃん」
「かっかっか。そりゃいいや」

「こうしてると夫婦みたいだねェ」
「そうだなァ。いつかなれるからな」

 穏やかな微笑み。几帳はその言葉に期待していた。几帳から添えられた手に熊吉は手を添え返す──。



 その二人のいる部屋の灯りを恨めしく睨むものがいた。これぞ奈良屋茂左衛門である。
 几帳とは三度目の逢瀬は適ってはいなかったのである。
 曰く腹痛である。頭痛である。月のモノである──。
 太夫ともなると、好みではない男性を断ることが出来る。数度断られているのだから諦めなくてはならないが。諦めきれるものではない。

 三浦屋の郭主に、こうすればよいと助言を受けた。またおいでなんしィという言葉を聞いた。なのになぜ。太夫は別な男と楽しそうに言葉を交わしているのか。
 三浦屋の二階から、ははは、うふふとの声が漏れてくる。間違うはずはない。あれは几帳太夫だ。その声をかけられた主は紀伊国屋九万兵衛だ。


 悔しい。
 苦しい。
 嫉ましい。


 ケンカを仕掛けようにも自分は非力だ。ましてやあの男は剣客も素手で相手してしまう豪傑。どうにかしたい。どうにか──。

 奈良茂はハッと思い立ち、屋敷へと帰っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...