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第53話 文左衛門激昂
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熊吉の言葉に几帳は畳に伏して泣き出した。熊吉の粋で男らしいところを何度も見てきた。今日のそれは今までの格好よさに輪をかけた男であった。
三浦屋の郭主も、さっそく揉み手して値段交渉である。奈良屋は千五百両出すと言っていたというと、熊吉は高笑いである。
「なんだそんなもんか。俺は倍出す。三千両だ。それで几帳を譲ってくれ」
郭主は目をこれでもかというくらい見開いた。
「どうぞ、どうぞ、差し上げます」
「そうか。では金を取りに行ってくる」
几帳は幸せの余り、熊吉の胸に倒れ込んで大号泣であった。
「こらこら。続きは俺の屋敷でしよう。いいな、几帳。今日から俺の妻となるんだ」
「はい……。はいィィ~……」
「もう泣くな」
几帳の頭を撫でて、三浦屋の外へ出る。それを郭主が見送った。今までは文吉に遠慮してきたが、もはや一刻の猶予もならない。三千両払って、屋敷に入れてしまえば文吉が怒ろうとも、やがて許してくれるだろう。
その間に文吉と千代との結婚話も進めよう。そうすれば千代も喜んで協力してくれるはずだ。勝算はある。勝算はある──。
熊吉が大門へと体を向けると、剣客が五人。怖い顔をして熊吉を囲んだ。
「お、お前ェらは義兄の……」
「左様でございます。紀文の大旦那の食客です。九万兵衛の旦那をお迎えに来ました。紀文の大旦那はお怒りですよ」
これは文吉の食客。浪人をボディーガードに雇ったものである。それが熊吉を迎えに来た。
つまり、勝手に抜け出して吉原へと行った熊吉に怒りと情けなさで、護衛を兼ねた叱責の使者を送ったのである。
五人に完全に固められて屋敷へ帰ると、部屋では眉をつり上げた文吉と、源蔵が待っていた。
開口一番、文吉の大叱責である。人の心配をよそに快楽を求めに行くとは見下げたヤツ。見そこなったと泣きながら責め立てるものの、熊吉はこうしてはいられない。几帳との約束が優先だ。
しかしこの剣幕の文吉は、もう一度吉原に行くなど許してはくれまい。誠心誠意頼み込まなくてはならない。
だが、遊女を憎んでいる文吉へと身請けの話をしなくてはならないのだ。熊吉はそこに土下座すると、文吉は何ごとかと面くらった。
状況としては最悪である。文吉との誓いを違えて吉原に行き、叱責の途中で几帳を身請けしたいなどと正気の沙汰ではあるまい。しかし熊吉は言わねばならなかった。
「義兄にお願いがございます」
「はあ? なんだ改まって」
叱責の途中ではあるものの、文吉は落ち着こうとキセルを取る。側に控える源蔵も話を聞いていた。
「実は……実は──」
「なんだ。早く言え!」
「三浦屋の几帳太夫を身請けしたいと思います」
「はァ!?」
文吉は即座にそこに立ち上がる。熊吉には文吉の怒りがハッキリと分かる。しかし言わねばならぬのだ。
「あのォ。自分と几帳は愛し合っており、この屋敷に妻として迎えたく思います。ちゃんと店を手伝わせますし、贅沢はさせません。金輪際、吉原にも行きません」
「お前ェ、何言ってやがんでィッ!」
「義兄のお怒りはごもっともです。しかしあの奈良茂が、几帳に横恋慕しておりまして、来年には千五百両で几帳を身請けるというのです」
「知らん! そんなもの勝手にさせろィ!」
怒りの炎が燃え上がり、豪傑である熊吉は恐れ、言葉を発することも出来なくなった。
「何が愛だ! お前は幾つだ! そんなものこの世にありはしないこともわからんのか! 女はバケモンだ! 欺されていることに気付かんのか!」
「あの……自分は……自分は……」
「目を覚ませ! もう許さん! 仕事をしろ! 寛永寺根本中堂に進行状況を見に行ってこい! もう几帳に会うことはまかりならん!」
大変な剣幕である。文吉は先ほどの剣客五人を呼ぶと、伏している熊吉を立たせて、寛永寺への護衛にさせた。
熊吉は五人に囲まれて部屋を出て廊下を進んでいく。文吉はその後ろ姿を見て、そのうちに襖を閉め部屋へと向き直った。
するとそこには源蔵が静かな表情をしながら下座へと座る。文吉はなんだと思いながらいつもの席へと座ると、今度は源蔵が土下座であった。
「源蔵。何をしておる」
「私は今まで、店に忠義を尽くして参りました。大旦那へ逆らうことなどしたことはなかったはずです」
「そうだな」
文吉はキセルをとって、ぷかりと煙を吐き出した。
「その源蔵、ただ今怒りに震えておりまして、お聞き入れなくば店を辞める所存です」
「はァ? なんだ。穏やかじゃないね。ワシを脅すのか?」
「左様でございます」
「その覚悟とあらば聞かねばなるまい。しかし今の九万兵衛の話の後だ。冷静に聞けんかもしれんぞ?」
「さればその九万の旦那のことでございます」
「はァ?」
源蔵は半身を起こして膝の上に手を置いて正座の姿勢となった。改まった源蔵に文吉は先ほどの怒りを戻した感じであった。源蔵は口を開く。
「どうか九万の旦那の言い分を聞いてやってください。あれは本気で惚れております。例えその女が計略で大門の外に出ればもはや関係ないと逃げ出したのならそれでもいいじゃありませんか。その程度の女だと割り切ればいいのです。諦めもつくでしょう。旦那お二人とも妻を娶らず、女遊びで金を消費するほうが余程不健全ですよ。九万の旦那の願いを叶えてやって下さい。この源蔵、身命を賭してお願い申し上げます」
源蔵の言葉に文吉は立ち上がり、源蔵の正座している場所へと進んだ。
三浦屋の郭主も、さっそく揉み手して値段交渉である。奈良屋は千五百両出すと言っていたというと、熊吉は高笑いである。
「なんだそんなもんか。俺は倍出す。三千両だ。それで几帳を譲ってくれ」
郭主は目をこれでもかというくらい見開いた。
「どうぞ、どうぞ、差し上げます」
「そうか。では金を取りに行ってくる」
几帳は幸せの余り、熊吉の胸に倒れ込んで大号泣であった。
「こらこら。続きは俺の屋敷でしよう。いいな、几帳。今日から俺の妻となるんだ」
「はい……。はいィィ~……」
「もう泣くな」
几帳の頭を撫でて、三浦屋の外へ出る。それを郭主が見送った。今までは文吉に遠慮してきたが、もはや一刻の猶予もならない。三千両払って、屋敷に入れてしまえば文吉が怒ろうとも、やがて許してくれるだろう。
その間に文吉と千代との結婚話も進めよう。そうすれば千代も喜んで協力してくれるはずだ。勝算はある。勝算はある──。
熊吉が大門へと体を向けると、剣客が五人。怖い顔をして熊吉を囲んだ。
「お、お前ェらは義兄の……」
「左様でございます。紀文の大旦那の食客です。九万兵衛の旦那をお迎えに来ました。紀文の大旦那はお怒りですよ」
これは文吉の食客。浪人をボディーガードに雇ったものである。それが熊吉を迎えに来た。
つまり、勝手に抜け出して吉原へと行った熊吉に怒りと情けなさで、護衛を兼ねた叱責の使者を送ったのである。
五人に完全に固められて屋敷へ帰ると、部屋では眉をつり上げた文吉と、源蔵が待っていた。
開口一番、文吉の大叱責である。人の心配をよそに快楽を求めに行くとは見下げたヤツ。見そこなったと泣きながら責め立てるものの、熊吉はこうしてはいられない。几帳との約束が優先だ。
しかしこの剣幕の文吉は、もう一度吉原に行くなど許してはくれまい。誠心誠意頼み込まなくてはならない。
だが、遊女を憎んでいる文吉へと身請けの話をしなくてはならないのだ。熊吉はそこに土下座すると、文吉は何ごとかと面くらった。
状況としては最悪である。文吉との誓いを違えて吉原に行き、叱責の途中で几帳を身請けしたいなどと正気の沙汰ではあるまい。しかし熊吉は言わねばならなかった。
「義兄にお願いがございます」
「はあ? なんだ改まって」
叱責の途中ではあるものの、文吉は落ち着こうとキセルを取る。側に控える源蔵も話を聞いていた。
「実は……実は──」
「なんだ。早く言え!」
「三浦屋の几帳太夫を身請けしたいと思います」
「はァ!?」
文吉は即座にそこに立ち上がる。熊吉には文吉の怒りがハッキリと分かる。しかし言わねばならぬのだ。
「あのォ。自分と几帳は愛し合っており、この屋敷に妻として迎えたく思います。ちゃんと店を手伝わせますし、贅沢はさせません。金輪際、吉原にも行きません」
「お前ェ、何言ってやがんでィッ!」
「義兄のお怒りはごもっともです。しかしあの奈良茂が、几帳に横恋慕しておりまして、来年には千五百両で几帳を身請けるというのです」
「知らん! そんなもの勝手にさせろィ!」
怒りの炎が燃え上がり、豪傑である熊吉は恐れ、言葉を発することも出来なくなった。
「何が愛だ! お前は幾つだ! そんなものこの世にありはしないこともわからんのか! 女はバケモンだ! 欺されていることに気付かんのか!」
「あの……自分は……自分は……」
「目を覚ませ! もう許さん! 仕事をしろ! 寛永寺根本中堂に進行状況を見に行ってこい! もう几帳に会うことはまかりならん!」
大変な剣幕である。文吉は先ほどの剣客五人を呼ぶと、伏している熊吉を立たせて、寛永寺への護衛にさせた。
熊吉は五人に囲まれて部屋を出て廊下を進んでいく。文吉はその後ろ姿を見て、そのうちに襖を閉め部屋へと向き直った。
するとそこには源蔵が静かな表情をしながら下座へと座る。文吉はなんだと思いながらいつもの席へと座ると、今度は源蔵が土下座であった。
「源蔵。何をしておる」
「私は今まで、店に忠義を尽くして参りました。大旦那へ逆らうことなどしたことはなかったはずです」
「そうだな」
文吉はキセルをとって、ぷかりと煙を吐き出した。
「その源蔵、ただ今怒りに震えておりまして、お聞き入れなくば店を辞める所存です」
「はァ? なんだ。穏やかじゃないね。ワシを脅すのか?」
「左様でございます」
「その覚悟とあらば聞かねばなるまい。しかし今の九万兵衛の話の後だ。冷静に聞けんかもしれんぞ?」
「さればその九万の旦那のことでございます」
「はァ?」
源蔵は半身を起こして膝の上に手を置いて正座の姿勢となった。改まった源蔵に文吉は先ほどの怒りを戻した感じであった。源蔵は口を開く。
「どうか九万の旦那の言い分を聞いてやってください。あれは本気で惚れております。例えその女が計略で大門の外に出ればもはや関係ないと逃げ出したのならそれでもいいじゃありませんか。その程度の女だと割り切ればいいのです。諦めもつくでしょう。旦那お二人とも妻を娶らず、女遊びで金を消費するほうが余程不健全ですよ。九万の旦那の願いを叶えてやって下さい。この源蔵、身命を賭してお願い申し上げます」
源蔵の言葉に文吉は立ち上がり、源蔵の正座している場所へと進んだ。
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