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後編

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 次の日。友也の案内で競馬場へ。
 キレイな施設で驚いた。広くて人がたくさんいる。
 レースが終わったのか、すさまじい熱狂が聞こえてくる。
 それをよそに、友也は競馬新聞を広げた。

「昨日、一睡もせずに考えた。投入はこれだ。メインの一つ前。10レース炎王賞。15時10分発走。レースは3分もあれば結果が出る。15時13分には大金持ちだ。さぁ、賭ける馬を紹介しよう」

 それは、競馬好きが見ればガチガチの鼻で笑う予想だったのだろう。

「1番人気の1番ユビワストーリー。2番人気の2番フタリノユクスエ。これの馬連が10.2倍。これは絶対来る。みんなこれを軸に3着がなにがくるかを考えてるくらいだ」

 友也に言われて新聞を見てみると、その二頭への印は他の馬よりも多い。
 ◎、◯、▲だらけ。
 他の馬には印がないものもあったり、△があったりするぐらいだ。

「いいか? 券売機には一気に100万円投入できる。マークシートに記入して購入する。緑の紙に式別「馬連」をマークして、1着・1頭目に1、2着・2頭目に2をマークするだけ。簡単だろ?」
「お、おい。友也はこないのか?」

「それがさぁ。寝てないから腹の調子がおかしいんだわ。ちょっとトイレ!」

 この大事な時に。しかし時間がないのかもしれない。
 オレと絵真はマークシートを記入し、互いに確認をする。

「1着・1頭目に1ってマークしてるよな」
「うん。書いてる」

「2着・2頭目に2ってマークしてるよな」
「大丈夫」

 金額にマークし、単位に「万円」とマーク。
 二人で大きく深呼吸をしてから券売機に100万円を投入。
 大金が流れるように吸い込まれて行く。

「怖ぇえ」
「でも」

「うん」
「これしか」

「ああ」

 そう。これしかない。
 オレと絵真にはこれしか。


 友也がトイレから駆け付けてオレたちから券を受け取る。

「うん。馬場間違えてたらって心配したけど大丈夫だな。10レースてのも覚えてたんだな。エライエライ。よし。じゃ、レースを直に見に行こう」

 オレたちは友也の背中を見ながら後について行く。
 正直、どうやって競馬場の観覧席に来たのなんか覚えていない。
 これから始まるレースがオレたちの命運を分けるのだ。

 ああ神様──。


 ファンファーレとともにゲートから一斉に馬が飛び出す。
 オレと絵真の目にうつる1番と2番の馬。
 それの出だしは芳しいものではない。

「おい。遅れてるぞ!?」
「慌てるな。あれが戦略。あの馬たちは前に馬が走ってる方が燃えるんだ」

「そ、そうなのか?」
「最後の直線が勝負になる。まぁ見てろって」

 そう。友也の言う通りだった。
 馬たちがコーナーを曲がって直線にさしかかると、オレたちが買った1番と2番が前に出た。

「ほら見ろ! ほら見ろ!」

 友也も絶叫し、興奮する。
 会場も大声で二頭を応援する。
 あっという間に他の馬にかなりの差をつけて二頭だけで接戦をはじめた。

 わぁあわぁあという大歓声だ。

 しかし。一番外側に出た馬が二頭を追い始めた。
 それが早い。実況の声が興奮してその馬の名を叫ぶ。

「ああっと! ここで大外からケモンブバンだ。ケモンブバンがユビワストーリーとフタリノユクスエを追う! ユビワストーリーか!? フタリノユクスエか!? ケモンブバン、三頭並んでゴールイン!」



 ゴール──。


 ゴール!?


 会場の大絶叫が急激に下降する。
 何が起ったかオレたちには分からない。

 オレたちは勝ったのか?

「友也。どうなんだ?」
「わからない。まったく規格外のヤツが入って来た。誰も予想してないようなヤツが」

「え? どうなんだよ」
「まってろ。写真判定だ」

 写真判定。
 どれが一着で、二着なんだか、写真で判定するらしい。
 15時13分には大金持ちのはずが、15時15分になってもまだ結果はでなかった。たった一分に胃袋を鷲づかみにされるよう。
 オレは電光掲示板と友也の顔を息を飲みながら交互に見ていた。


 フッと電光掲示板に着順がでる。

「……ダメだ」

 友也の声。


 友也の──。


 1着 4番ケモンブバン
 2着 2番フタリノユクスエ
 2着 1番ユビワストーリー

 鼻の差で4番の馬が1着だったらしい。
 そして1番と2番の馬が同着。

「で、でも、2着は当ててるのよね?」

 と絵真が言う。
 だが、友也は首を横に振った。

「1着を当てなきゃダメなんだ」

 辺りには馬券が祝福のように舞い散っていた。
 オレたちの心とは逆に。
 真っ青な芝生が暗転。目の前が見えなくなるほど。
 目まいでぶっ倒れそうだった。

 4番の馬は、16頭中、15番人気で、高額の配当だったらしい。
 2着同着は、片方が2着と3着で判別される。
 4番馬をからめて1番と2番を買っていれば、二つの配当が貰えるらしい。

 茫然自失とはこういうことを言うのだろう。
 友也もすまなそうな顔をしていた。
 だが決めたのはオレたちだ。だけどその言葉がでてこない。

 絵真は横でオレの腕に絡まって泣いていた。
 しばらくそのまま。
 次のレースが始まってもオレたちには回りの熱狂は関係なかった。


 全てを失う──。

 こうして実際に起きてみると、辛く哀しい。
 胸が潰され吐き気すら覚える。

 絵真。このそばで泣いている彼女が、遠くに行ってしまう。
 この笑顔。泣き顔。怒った顔も全て自分ものだったのに他人の手に。

 初めて会った時のこと。
 冷やかされるのが嫌で、こっそり裏通りを手を繋いで歩いた学校の帰り道。
 金がなくて、アパートの小さな部屋で売れ残りのケーキを食べた12月26日のクリスマス。
 思い出される。今までのこと。
 これからのことが見えない。

 オレは一人になってしまう。
 絵真を失ったら一人に。



 財布には千六百円しか残っていない。
 帰りの電車賃を払えば400円しか残らない。

 その残金を二人で見つめた。

「……最後に二人でコンビニスイーツたべよ」

 絵真は鼻を思い切りすすって、明るく言った。
 これが別れの晩餐。
 その提案が絵真との最後の思い出。
























「……行こうぜ」

 言葉無く、オレたちは友也の背中を追って歩き出す。
 馬券をポケットに入れたまま。

 だが友也は立ち止まる。
 そして、オレたちの方を向いた。

「もしかしてだけど、ワイドを間違って買ってないよな?」

 ワイド。それは配当は少ないが2着と3着でもいいらしい。
 オレはポケットから馬券を取り出して友也に見せる。
 だが見せただけで友也の顔が違うという顔だということに気付く。

「違うだろ?」
「ああ。そうだな。ワイドはカタカナだからすぐわかったよ」

 外れ馬券を友也は受け取って眺めた。

「間違いなく、オレの言った通り、1番と2番を買ってる。100万円の馬券か。すげぇ。初めてみた」

 友也は違うところに少し興奮した。
 苦笑。どうにもならないといった笑顔。しばらくそれを呆然と見ていた。


 だが友也の顔が一変。券を持つ手を震わす。
 馬券に皺が寄る。
 友也の目が大きくなっていくのがスローモーションのようだった。

「こ、こ、こ」
「なんだよ。記念にあげようか?」

「バカ! お前ら! 当たってるぞ!」
「は? ええ??」

 オレたちは友也へ駈け寄り手の中の馬券を見た。
 間違いなく、1と2と書いてある馬券。4の字などどこにもない。
 悪い冗談だと、友也を睨むが、友也は興奮で声がでない。

「なんだってんだよ」
「わ、わ、わ」

「はぁ?」
「バカー! このドジ! 言った通りに買えよ! はは! 馬連じゃなくて枠連買ってるよ!」

「ん? なに言ってんの?」

 そう。オレたちは友也に言われたとおりマークシートにチェックしたつもりだった。だが、馬連と枠連という、連の字があるのを間違えてチェックしてしまったようだった。

「枠はな、1頭から16頭を2頭ずつ1枠として8枠まである。つまり1番、2番が1枠、3番、4番が2枠なんだ!」
「えっと、だから、それはつまり……」

「大当たりだよコンチクショー!」

 間違い。もしも、1番、2番が来ていたら、この馬券なら外れだったらしい。しかし、間違えて正解だった。
 配当は、4番ケモンブバンの倍率が高く1着だったために高額の払い戻し。それはなんと84倍。

「……つまり8千4百万?」
「借金返して、借りたヤツらに倍返して、絵真ちゃんのお父さんの入院費払って結婚式してもまだ余るぞ!」

「嘘だろ!? うおー!」

 丁度、最終レースが佳境に差し掛かったようで、観客席と、俺の声が被る。
 まるでオレたちを祝福するかのように。
 人目をはばからず絵真はオレに抱き付く。
 オレもそれを抱き返し、大歓声の中、彼女に口づけをした。




 後日。絵真を伴い兼餅家へ、利子をつけて返済。オレたちは結婚するからもうこんなことは言わないでくれと言い含めて。
 お金を貸してくれた知人にも、少し利子をつけて返済。
 友也へはレクチャー代やご祝儀も含めて50万渡すと、こんなに受け取れないと苦笑してたが、是非にと渡した。

 しかし、なんとほぼ半分税金で持って行かれることを知って驚いた。それでも数千万残った。オレたちには分不相応な金だ。
 オレたちは結婚式をして、安いマンションを買い、近くのテナントを借りて喫茶店を開いた。子どもも現在腹の中にいる。順風満帆過ぎて怖い。

 だけど彼女は言う。今まで苦労した分を神様が変な形でご褒美をくれたと。
 確かにそうかも知れないし、ひょっとしたらどこかでまた大変なことが起きるかも知れない。

 でも二人ならきっとまた乗り越えられるはずだ。

 しかし一つだけ言えることがある。











 もう競馬はこりごりだ。




【おしまい】
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