1000万ごときで彼女を盗られてたまるか!

家紋武範

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前編

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 休日の朝。いつものように彼女より先に起きてコーヒーを入れる。ゆっくりゆっくりと良い豆を選んで昨日の晩から水出ししたものを沸かすのだ。
 温かくよい香りが部屋中に広がる。
 そうなると彼女は起き出してフレンチトーストを焼く。
 分厚いフレンチトースト。コーヒーによく合う絶品だ。
 時にはシフォンケーキを。
 将来は喫茶店が開ければと夢を語り合っていた。

 高校で知り合ったオレたち。
 早いうちに両親を亡くしたオレ。
 親父さんが病気がちで貧しかった彼女。
 しかし、励まし合って勉強し互いに奨学金を得て大学へ。
 卒業後は甘い甘い同棲生活を送っていた。
 長い髪。白い肌。ふっくらとした唇。
 そしてオレを見つめる大きな目。
 その美しい顔立ちに、優しい気持ちを持つ彼女が大好きなのだ。

 奨学金を返済し終わったらお金を貯めて結婚。
 それが第一の目標。
 第二の目標は、子供と家。
 第三の目標は、喫茶店。
 そんなささやかな幸せを描きながら互いに頑張って来た。

 しかし舞い込んで来た一報にオレたちは頭を抱えた。
 彼女、絵真(えま)の父親の病状が悪くなり手術したのは大学の時。
 その時、遠い親戚である兼餅(かねもち)家からお金を借りたと聞いた。
 その話が急にオレ達に襲いかかって来たのだ。

 曰く、事業に必要になったから今すぐ返せ。
 返せないなら、絵真を長男の嫁によこせと。

 そう。金を返せは口実。
 恩を着せて美しい絵真を欲しいだけなのだ。
 高校卒業したての19歳のボンボン。
 太って嫌らしい笑みを浮かべた写真がここにある。
 震えた手がそれを破ろうとするのを理性で止めた。


 絵真の父親は──。
 当然、オレたちのことは知っている。
 何度も断ってくれた。
 しかし、徐々にエスカレートして行く兼餅の行動。
 無言電話や大量の出前など、気分の悪いものから、どこからか街宣車を引っ張って来て近所にあることないこと拡声器をつかっての脅し。
 果ては絵真は売春婦だの共同便所だの見るに堪えない張り紙まで。

 これには元から病気がちだった父親はまいってしまい、病院へ逆戻り。
 絵真の母親も焦点の合わない目で小さく微笑むようになってしまった。
 ストレスのピークだ。

「道理(みちのり)……」

 オレの名を力なく呼ぶ絵真にオレも小さく答える。

「うん……」
「私たち……別れましょ……」

「なんでだよ。絵真は腹が立たないのか? そんなところに嫁に行くなんて!」
「もちろん腹が立つよ! でも、両親はどうするのよ!」

「そ、それは、警察に……」
「無理だよ。最初から何かしてくれた? パトロールだってしてくれない。きっと兼餅がバックにいて行動を制限させられてるのよ!」

「まさか……」
「これは私の家の問題。道理を巻き込めないよ」

 黙ってしまった。たしかにオレたちは非力だ。
 何が出来るってんだ。
 彼女が言う別れにうなずかなきゃいけないのか?
 まだ反抗すらしていないのに。

「いくらだ……?」
「え?」

「借りた金」
「ちょっと。どこからか借りて返したって借金がかさむだけだよ。私たちに返済能力はないもの」

「いいから言ってみろよ」
「1000万……。奨学金返しながら生活してる私たちには10年や15年じゃ返せないわよ……」

「……たしかに。でも、やれるだけのことはしてみよう。なにも抵抗しないで降伏するなんて哀しいよ。頼むよ。やってみよう」
「え? う、うん……」

 1000万。一言で言えばどうにかなりそうだがそんなことはない。
 年収1000万の人口比率は4.5%。
 平均的なサラリーマンの生涯稼げる給料は2億2千万円だ。
 気が遠くなる数字。簡単にできる訳がない。

 オレたちの貯金が64万。いろいろと不要なものを売って2万。
 知人から借り集めたのが30万が限界。
 返済期限の来週になんてとても間に合わない。

 最後に訪れたのは、小学校からの親友である友也(ともや)の家。
 しかし、友也が金を持っているのは期待できなかった。

「それでオレに金を借りに来たのかよ」
「うん。友也が生活に困らないくらいでいいんだ」

「そんなんで一千万も集められんのか? 他に宛てはあるのかよ」

 そう言って友也が出して来たのはくしゃくしゃの1万円札が4枚。4万円だ。

「か、借りても大丈夫なの?」

 友也はおどけた表情を見せた。

「まぁ、お前よりマシだよ。で? いくら集まった?」
「……どうにか100万」

「まぁ、それでもエライ金額だな」
「……まぁな」

「10倍かぁ」
「いや、10分の1だよ」

「分かってるよ。10倍にすりゃいいんだろ?」
「は?」

「お前、競馬やったことある?」
「え? ギャ、ギャンブル?」

 オレと絵真は顔を見合わせる。
 ギャンブルなんて考えてもいなかった。
 賭け事なんて身を滅ぼすだけだ。
 堅実に生きて来ていたオレたちには受け入れられない話だった。

「たしかに、賭け事で増やすなんてって思うだろ? でも他に100万を1000万にする方法があるか? ギャンブルだっていろいろある。パチンコから地下のカジノまで。パチンコは賭け金が限られてる。地下は危ない橋。じゃあ公営のギャンブルの宝くじ。これは確率が低すぎる。オススメはできない。となれば競馬、競輪、競艇。これなら1レースに100万円投入して1000万円にすることは可能だ」

 やはり。友也ならそんなことをいうと思った。
 昔からギャンブルの系統が好きだったのだ。
 麻雀やオイチョカブなんてのも中学の頃から友人同士でやってる。
 オレはそれには参加しなかった。友也だってギャンブルに強い訳じゃないんだ。
 だから今回の提案。これにだって乗るつもりはない。

「バカだな。10倍を当てることなんて簡単だよ。なまじっか100倍。つまり万馬券を当てようと思うから外れるんだ」
「そうか?」

「そうだよ。今日は土曜日だよな。見てみろ」

 友也はパソコンを開く。
 すでにメモしていたものを、オレたちに見せて馬券を購入し始めた。

「今日のメインレース。1番人気が8番のロマンスカイドー。2番人気が5番カリソメテンシ。3番人気が10番ムナゲパワー」

 そう言いながら、8を絡めた数字を購入。
 そしてラジオをつけると、そのレースの実況が流れた。
 結果、着順10番、8番、5番だった。

「そら見ろ、8-10の馬連で6倍。5-8-10の三連複で16倍だ。簡単だろ? これに100万賭けてりゃあっという間に1000万になってたんだぞ?」

 なるほどだ。目の前で簡単に見せつけられた。
 友也はそれから3会場のレースのメインレースを2つ買い、1つは勝って、もう1つは負けた。

「当然負けもある。それは予想していた。だけど、こっちのメインはとれただろ? 結果100円ずつ賭けて1000円プラス。こんなもんだ」
「す、すごいな」

「どうだ。明日競馬場へ行ってみないか? ほぼ勝てるレースを予想するぞ。ちょうど100万円が1000万円になるくらいの」
「ちょ、ちょっと考えさせてくれよ」

「大丈夫。予定は開けておくよ。勝っても負けても、これに賭けなきゃ1000万円にはならないんだ」

 オレと絵真は外へ出た。
 希望? いや、それは危ない橋。
 一歩間違えれば絵真を取られ、借金を抱えて転落だ。

「でも……」
「ああ……」

 絵真の言葉にうなずく。
 これしか望みは今のところない。
 どちらにしてもやれるだけのことをしなくちゃならない。

 オレは友也に明日の待ち合わせを約束した。
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