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第2章――「メキシコ遠征篇 テノチティトランと黄金と神々」
第1話――「アルバロ ユカタン半島を目指して出航する」
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―――――――――――――――――
モリーナ家の親世代(兄フアンの遺産の継承者)
―――――――――――――――――
兄の財産と役職を引き継いで、サントドミンゴ側を守る人たちです。
・父 ガルシア・デ・モリーナ(58)
カスティーリャ地方出身の小貴族。若いころは聖職者の家系の次男として神学を学び、のちに商いと土地経営に転じた男。新大陸で出世した長男フアンの遺産管理と、モリーナ家の名誉を守る役目を負う。
・母 エレナ・デ・モリーナ(52)
穏やかだが芯の強い女性。サントドミンゴの屋敷と人間関係の取りまとめ役で、未亡人となったイサベルと孫2人も庇護する立場になる。
※この2人はキューバ・サントドミンゴ側に残り、兄の位と財産を受け継ぐ中核。
―――――――――――――――――
メキシコ遠征・家族メンバー
―――――――――――――――――
・アルバロ・デ・モリーナ(25)
主人公。第3次メキシコ遠征隊の指揮官。
・妻 イサベル・デ・モリーナ(31)
もと兄フアンの妻。テノチティトランへも同行させる。
・長男 フアン・イグナシオ・デ・モリーナ(8)
落ち着いた性格の少年。父フアンに似て、文字や数字にも興味を持ち始めている。病弱ではなく、長旅にも耐えられる体力はある。
・長女 マリア・エレナ・デ・モリーナ(5)
母イサベル似の女の子。
―――――――――――――――――
メキシコ遠征・弟たち
―――――――――――――――――
・三弟 ペドロ・デ・モリーナ(23)
槍と馬の扱いに長けた、実直なタイプ。アルバロの副官格として戦場で横に立たせやすい。
・四弟 マルティン・デ・モリーナ(21)
弓と火器(アルケブス)を好む。新兵たちの訓練役を任せやすい性格。
・五弟 フランシスコ・デ・モリーナ(19)
血気盛んで、手柄を焦りやすい末っ子寄りの弟。突撃役・トラブルメーカーとしてドラマを作れる。
・六弟 ルイス・デ・モリーナ(17)
まだ少年の雰囲気が残るが判断は冷静。兄たちの間を走り回る伝令役・偵察役に向いたキャラクター。
―――――――――――――――――
インヘニオ工場の黒人管理人夫婦(帯同組)
―――――――――――――――――
・夫 トマス・ベニテス(30)
サン・クリストバル水車インヘニオの現場監督。もとはトラピチェの奴隷だったが、アルバロのやり方の下で徐々に信頼を得て「管理人」格になった男。力仕事にも慣れており、遠征では荷駄隊・橋頭堡づくりなどの実務を任せやすい。アルバロの忠実な黒人奴隷。
・妻 ルシア・ベニテス(26)
インヘニオの黒人奴隷管理を一手に引き受けてきた。今回の遠征では、60名の黒人奴隷精鋭部隊を率いる部隊長。アルバロの忠実な愛人兼黒人奴隷。
―――――――――――――――――
1519年1月15日早朝。サントドミンゴの港は、まだ朝靄に包まれていた。入り江の水面には、ゆっくりと揺れるマストの列が影を落としている。白い帆はまだ畳まれ、船体の黒い側板だけが、静かな獣の背中のように並んでいた。
埠頭の一角では、ルシア・ベニテスが黒人たちを60人ほど並べていた。荷を運んでいた男たちが、彼女の短い合図ひとつで、ゆっくりと槍と盾を手に取り直した。
埠頭の先に立つアルバロ・デ・モリーナは、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。鉄の胸甲は着けず、肩にだけ軽い革鎧を引っかけている。高い背丈と厚い肩幅のせいで、遠くからでも彼の姿は目立っていた。
「馬の積み込みは終わったか」
振り返りもせずに声を張ると、すぐ後ろで副官の兵が答えた。
「はい、閣下。軍馬16頭、予備の馬4頭、すべて2隻目と3隻目に収めました。大砲12門も固定済みです」
アルバロは小さくうなずき、今度は別の方向を見やった。埠頭の根元には、槍と盾を持った歩兵の列が伸びている。鋼の兜が朝日を反射して、点々と光った。
「兵と水夫を合わせて、これで600人あまりか」
「はい。病人も脱走者もおりません」
「よろしい」
短く返すと、アルバロはようやく埠頭から目を離し、陸の方へと歩を向けた。
港の石畳の上には、モリーナ家の一行が集まっていた。父のガルシア・デ・モリーナは、黒いマントの裾を押さえながら、年齢の割にしっかりした足取りで立っている。その隣には、質素な濃紺のドレスをまとった母エレナがいた。指先にはロザリオが光っている。
「父上、母上。寒くありませんか」
アルバロが近づくと、エレナは微笑んで首を振った。
「大丈夫よ、アルバロ。あなたを見送らずに家にじっとしていられる母親が、どこにいると思っているの」
ガルシアは、息子の肩を軽く叩いた。
「屋敷もインヘニオも、フアンの残したものは我らが預かる。お前は前だけを見ろ。振り返るのは、金と栄誉を抱えて戻ってくるときでいい」
「ええ、必ず」
アルバロは父の目をまっすぐ見返した。老いてなお鋭い灰色の瞳に、一瞬だけ若いころの炎が戻ったように見えた。
少し離れた場所では、イサベルが子どもたちのコートの前を留めている。薄青のドレスにマントを羽織り、髪はきちんとまとめられていた。肩口には、旅路の長さを思ってか、いつもより少しだけ硬い表情が浮かんでいる。
「フアン・イグナシオ、こっちを向いて。紐がほどけているわ」
「わかってるよ、母上」
8歳の長男は、口では反抗的な調子を装いながらも、素直に母の手を受け入れた。茶色の瞳が、時折ちらちらと船の方を盗み見ている。
その足元では、5歳のマリア・エレナが、祖母エレナのスカートの裾を握っていた。
「おばあさま、本当に海の向こうに行っちゃうの」
「そうね。でも、あなたのお父さまは強い方よ。また必ず戻ってくるわ」
エレナが優しく答えると、マリア・エレナは不安そうに唇を噛みしめた。
その一家の背後で、黒人の男が荷馬車の縄を締め直していた。トマス・ベニテスである。鍛えられた腕と肩は、インヘニオで重い砂糖の樽を運び続けてきた証だった。
「トマス、火薬樽の上には決して火の使える荷を置くな。縄も二重に締めろ」
「承知しております、ドン・アルバロ。サン・クリストバルでやっていたときと同じやり方でやりますよ」
屈強な男の声は、落ち着いていた。その少し離れたところで、妻のルシア・ベニテスが、大きな布袋を数えながらメモを取っている。
「乾燥肉が20袋、豆が30袋、小麦粉が15袋。合っているわね。鍋と薬箱は、イサベル様のお部屋の近くに積んでおいて」
「わかりました、奥さん」
彼女の声は張りがあり、周囲の雑然とした空気をきゅっと引き締めた。インヘニオでは宿舎と病人の世話を任されてきた女だ。遠征でもその役目は変わらない。
「兄上」
背後から呼びかける声に、アルバロは振り返った。槍を肩に担いだペドロ・デ・モリーナが歩み寄ってくる。23歳の三弟は、無駄のない動きで兄の前に立った。
「騎兵の配置は整った。馬の様子も悪くない」
「よし。ペドロ、お前は先頭の船に乗れ。敵も嵐も、まずお前の顔を見ることになる」
「望むところだ」
短く笑うと、ペドロは踵を返して兵たちの列へ戻っていった。
そのすぐ後ろから、マルティン、フランシスコ、ルイスの3人も現れた。21歳のマルティンは、弓と銃の入った木箱の蓋を片手で押さえながら歩いてくる。
「アルケブスは全部で12丁。火薬と鉛玉も確認した。雨さえ降らなければ、最初の戦いで奴らを驚かせてやれる」
「弓の弦は替えを多めに持った方がいいわね」
その横から、フランシスコが口を挟んだ。19歳の五弟は、落ち着きなくあたりを見回している。
「俺は前に出るぞ、兄上。この遠征で、一番最初に敵の首を取るのはこのフランシスコだ」
「首を数える前に、自分の頭を守れ」
17歳のルイスが冷ややかに言って、兄たちを見上げた。まだ少年らしい顔つきだが、瞳は静かに周囲を観察している。
「隊列が乱れたら、どんな英雄もただの的だよ。兄上の目の前で恥をかくな」
「こいつめ」
フランシスコが軽く小突こうとすると、ルイスは半歩下がってかわした。その様子を見て、アルバロは喉の奥で笑った。
「いい。お前たち全員、海の上では私の目と腕だ。互いに死なせるな」
弟たちはそろってうなずいた。兄の声には、冗談めかした響きと、戦場を知る者の硬さが同居している。
やがて港の奥から、鐘の音が響き始めた。教会の司祭が、簡易の祭壇の前でミサの準備を整えている。兵士たちは列を組んだまま、静かに十字を切った。
「行きましょう、アルバロ」
イサベルが歩み寄り、彼の横に並んだ。青い瞳には、恐れと期待が入り混じっている。
「あなたの父上と母上に、最後のご挨拶を」
「そうだな」
アルバロは一歩前に出て、ガルシアとエレナの前に膝をついた。
「父上、母上。どうか祝福を」
エレナは、ロザリオを握った手をそっと息子の頭に置いた。
「聖母マリアがあなたをお守りくださいますように。無用な血を流さず、必要なときには迷わず剣を振るいなさい」
「はい、母上」
ガルシアは、少しだけ顔をしかめた。
「イサベルと孫たちは、宝より重い。どれほどの金銀を手に入れようとも、置いてくるな」
「約束します」
アルバロは立ち上がり、イサベルの腰にそっと手を添えた。
「さあ、船へ」
フアン・イグナシオは、祖父の手をしっかりと握ったまま、最後まで離そうとしなかった。
「おじいさまも来ればいいのに」
「誰かが家を守らねばならん。お前の父上と同じくらい大事な役目だ」
ガルシアは孫の頭をわしわしとかき回し、ぱっと手を離した。
「男なら、行ってこい」
その言葉に背を押されるように、少年は父のいる方へ走り出した。マリア・エレナは泣きながら、祖母の首に腕を回してしがみついている。
「おばあさま、嫌だ」
「大丈夫よ。船の上から手紙を書いてもらいなさい。父さまにそう言うのよ」
エレナが囁き、少し強引に孫娘をイサベルの方へ押し出した。ルシアがすかさず腕を伸ばして、少女を抱きとめる。
「さあ、お嬢さま。一緒に船を見に行きましょう。あんなに大きな船、めったに近くでは見られませんよ」
マリア・エレナは涙をぬぐいながら、こくりとうなずいた。
やがて、港に号令が響き渡った。
「全員乗船せよ。錨を上げる準備」
太鼓が打ち鳴らされ、兵士たちが一斉に動き出した。槍と盾の列が整然と船へと向かう。荷馬車が軋みながら埠頭を進み、その後ろを従者たちが走る。
アルバロは、一度だけ振り返った。埠頭の端に、父と母の姿が小さく見える。周りには、インヘニオから出てきた黒人たちや街の人々も集まっていた。
「行ってまいります」
小さな声で呟き、彼は手を挙げた。ガルシアもエレナも、その仕草を見てうなずいた。
船に渡された甲板への板は、潮と血の匂いを吸い込んだ古い木だった。アルバロがそれを踏みしめて進むと、その後ろを弟たちとイサベル、子どもたち、トマスとルシアが続いた。
甲板に上がると、海風が一層強く頬を打った。マストの上では水夫たちが帆の縄を解き、叫び声が交錯している。
「イサベル、ここから見えるか」
アルバロは、船縁まで彼女を導いた。サントドミンゴの街並みが、まだ朝の光の中にくっきりと浮かんでいる。
「ええ……あの屋根、あれが私たちの家ね」
イサベルは、小さく手を振った。岸辺の人影は、すでに顔の見えない塊になりつつある。それでも、誰かがそれを見ていると信じるように、彼女は何度も何度も手を振り続けた。
号令とともに、錨が引き上げられた。重い鎖の音が船腹に響き、やがてゆっくりと船体が動き出す。別の船もほぼ同時に帆を張り、港の外へと舵を切った。
遠くで、砦の大砲が空砲を放った。白い煙が一瞬だけ空に広がり、祝砲の音が遅れて届く。兵士たちはそれに応えるように歓声を上げた。
「アルバロ」
イサベルが、彼の腕にそっと指を絡めた。
「本当に、戻ってこられるわよね」
「戻るさ」
アルバロは、迷いのない声で言った。
「この海の向こうには、我らのものになる土地と金が眠っている。奪いに行って、抱えて戻ってくる。それだけだ」
イサベルは何も答えず、ただ彼の横顔を見上げた。潮風に晒された頬には、少年のような笑みが浮かんでいる。しかしその瞳の奥には、嵐を待つ海のような静かな暗さが宿っていた。
船団は、ゆっくりと湾口を抜けていった。背後には、サントドミンゴの白い家々と、細く伸びる煙突の影。前方には、果ての見えない碧い海が広がっている。
ユカタン半島はまだ水平線の向こうに隠れたままだった。それでもアルバロは、まるでそこに立つ都市をすでに見ているかのように、まっすぐ前を見据えていた。
―――――――――――――――――
挿絵は、『アステカ王国』です。
出典は、『小学館 日本大百科全書「ニッポニカ」』です。
挿絵は、『メソアメリカ』です。
出典は、『大陸書房「コルテス征略誌」モーリス・コリス著、金森誠也訳。P10』です。
挿絵は、『テノチティトラン侵攻「コルテス」』です。
出典は、『大陸書房「コルテス征略誌」モーリス・コリス著、金森誠也訳。P115』です。
挿絵は、『スペイン軍進路』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P103』です。
挿絵は、『テスココ湖周辺図』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P121』です。
挿絵は、『メソアメリカのカカオの産地』です。
出典は、『河出文庫「チョコレートの歴史」ソフィー・D・コウ:マイケル・D・コウ著。樋口幸子訳。P111』です。
挿絵は、『テノチティトラン地図』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P137」増田義郎著。P137』です。
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モリーナ家の親世代(兄フアンの遺産の継承者)
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兄の財産と役職を引き継いで、サントドミンゴ側を守る人たちです。
・父 ガルシア・デ・モリーナ(58)
カスティーリャ地方出身の小貴族。若いころは聖職者の家系の次男として神学を学び、のちに商いと土地経営に転じた男。新大陸で出世した長男フアンの遺産管理と、モリーナ家の名誉を守る役目を負う。
・母 エレナ・デ・モリーナ(52)
穏やかだが芯の強い女性。サントドミンゴの屋敷と人間関係の取りまとめ役で、未亡人となったイサベルと孫2人も庇護する立場になる。
※この2人はキューバ・サントドミンゴ側に残り、兄の位と財産を受け継ぐ中核。
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メキシコ遠征・家族メンバー
―――――――――――――――――
・アルバロ・デ・モリーナ(25)
主人公。第3次メキシコ遠征隊の指揮官。
・妻 イサベル・デ・モリーナ(31)
もと兄フアンの妻。テノチティトランへも同行させる。
・長男 フアン・イグナシオ・デ・モリーナ(8)
落ち着いた性格の少年。父フアンに似て、文字や数字にも興味を持ち始めている。病弱ではなく、長旅にも耐えられる体力はある。
・長女 マリア・エレナ・デ・モリーナ(5)
母イサベル似の女の子。
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メキシコ遠征・弟たち
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・三弟 ペドロ・デ・モリーナ(23)
槍と馬の扱いに長けた、実直なタイプ。アルバロの副官格として戦場で横に立たせやすい。
・四弟 マルティン・デ・モリーナ(21)
弓と火器(アルケブス)を好む。新兵たちの訓練役を任せやすい性格。
・五弟 フランシスコ・デ・モリーナ(19)
血気盛んで、手柄を焦りやすい末っ子寄りの弟。突撃役・トラブルメーカーとしてドラマを作れる。
・六弟 ルイス・デ・モリーナ(17)
まだ少年の雰囲気が残るが判断は冷静。兄たちの間を走り回る伝令役・偵察役に向いたキャラクター。
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インヘニオ工場の黒人管理人夫婦(帯同組)
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・夫 トマス・ベニテス(30)
サン・クリストバル水車インヘニオの現場監督。もとはトラピチェの奴隷だったが、アルバロのやり方の下で徐々に信頼を得て「管理人」格になった男。力仕事にも慣れており、遠征では荷駄隊・橋頭堡づくりなどの実務を任せやすい。アルバロの忠実な黒人奴隷。
・妻 ルシア・ベニテス(26)
インヘニオの黒人奴隷管理を一手に引き受けてきた。今回の遠征では、60名の黒人奴隷精鋭部隊を率いる部隊長。アルバロの忠実な愛人兼黒人奴隷。
―――――――――――――――――
1519年1月15日早朝。サントドミンゴの港は、まだ朝靄に包まれていた。入り江の水面には、ゆっくりと揺れるマストの列が影を落としている。白い帆はまだ畳まれ、船体の黒い側板だけが、静かな獣の背中のように並んでいた。
埠頭の一角では、ルシア・ベニテスが黒人たちを60人ほど並べていた。荷を運んでいた男たちが、彼女の短い合図ひとつで、ゆっくりと槍と盾を手に取り直した。
埠頭の先に立つアルバロ・デ・モリーナは、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。鉄の胸甲は着けず、肩にだけ軽い革鎧を引っかけている。高い背丈と厚い肩幅のせいで、遠くからでも彼の姿は目立っていた。
「馬の積み込みは終わったか」
振り返りもせずに声を張ると、すぐ後ろで副官の兵が答えた。
「はい、閣下。軍馬16頭、予備の馬4頭、すべて2隻目と3隻目に収めました。大砲12門も固定済みです」
アルバロは小さくうなずき、今度は別の方向を見やった。埠頭の根元には、槍と盾を持った歩兵の列が伸びている。鋼の兜が朝日を反射して、点々と光った。
「兵と水夫を合わせて、これで600人あまりか」
「はい。病人も脱走者もおりません」
「よろしい」
短く返すと、アルバロはようやく埠頭から目を離し、陸の方へと歩を向けた。
港の石畳の上には、モリーナ家の一行が集まっていた。父のガルシア・デ・モリーナは、黒いマントの裾を押さえながら、年齢の割にしっかりした足取りで立っている。その隣には、質素な濃紺のドレスをまとった母エレナがいた。指先にはロザリオが光っている。
「父上、母上。寒くありませんか」
アルバロが近づくと、エレナは微笑んで首を振った。
「大丈夫よ、アルバロ。あなたを見送らずに家にじっとしていられる母親が、どこにいると思っているの」
ガルシアは、息子の肩を軽く叩いた。
「屋敷もインヘニオも、フアンの残したものは我らが預かる。お前は前だけを見ろ。振り返るのは、金と栄誉を抱えて戻ってくるときでいい」
「ええ、必ず」
アルバロは父の目をまっすぐ見返した。老いてなお鋭い灰色の瞳に、一瞬だけ若いころの炎が戻ったように見えた。
少し離れた場所では、イサベルが子どもたちのコートの前を留めている。薄青のドレスにマントを羽織り、髪はきちんとまとめられていた。肩口には、旅路の長さを思ってか、いつもより少しだけ硬い表情が浮かんでいる。
「フアン・イグナシオ、こっちを向いて。紐がほどけているわ」
「わかってるよ、母上」
8歳の長男は、口では反抗的な調子を装いながらも、素直に母の手を受け入れた。茶色の瞳が、時折ちらちらと船の方を盗み見ている。
その足元では、5歳のマリア・エレナが、祖母エレナのスカートの裾を握っていた。
「おばあさま、本当に海の向こうに行っちゃうの」
「そうね。でも、あなたのお父さまは強い方よ。また必ず戻ってくるわ」
エレナが優しく答えると、マリア・エレナは不安そうに唇を噛みしめた。
その一家の背後で、黒人の男が荷馬車の縄を締め直していた。トマス・ベニテスである。鍛えられた腕と肩は、インヘニオで重い砂糖の樽を運び続けてきた証だった。
「トマス、火薬樽の上には決して火の使える荷を置くな。縄も二重に締めろ」
「承知しております、ドン・アルバロ。サン・クリストバルでやっていたときと同じやり方でやりますよ」
屈強な男の声は、落ち着いていた。その少し離れたところで、妻のルシア・ベニテスが、大きな布袋を数えながらメモを取っている。
「乾燥肉が20袋、豆が30袋、小麦粉が15袋。合っているわね。鍋と薬箱は、イサベル様のお部屋の近くに積んでおいて」
「わかりました、奥さん」
彼女の声は張りがあり、周囲の雑然とした空気をきゅっと引き締めた。インヘニオでは宿舎と病人の世話を任されてきた女だ。遠征でもその役目は変わらない。
「兄上」
背後から呼びかける声に、アルバロは振り返った。槍を肩に担いだペドロ・デ・モリーナが歩み寄ってくる。23歳の三弟は、無駄のない動きで兄の前に立った。
「騎兵の配置は整った。馬の様子も悪くない」
「よし。ペドロ、お前は先頭の船に乗れ。敵も嵐も、まずお前の顔を見ることになる」
「望むところだ」
短く笑うと、ペドロは踵を返して兵たちの列へ戻っていった。
そのすぐ後ろから、マルティン、フランシスコ、ルイスの3人も現れた。21歳のマルティンは、弓と銃の入った木箱の蓋を片手で押さえながら歩いてくる。
「アルケブスは全部で12丁。火薬と鉛玉も確認した。雨さえ降らなければ、最初の戦いで奴らを驚かせてやれる」
「弓の弦は替えを多めに持った方がいいわね」
その横から、フランシスコが口を挟んだ。19歳の五弟は、落ち着きなくあたりを見回している。
「俺は前に出るぞ、兄上。この遠征で、一番最初に敵の首を取るのはこのフランシスコだ」
「首を数える前に、自分の頭を守れ」
17歳のルイスが冷ややかに言って、兄たちを見上げた。まだ少年らしい顔つきだが、瞳は静かに周囲を観察している。
「隊列が乱れたら、どんな英雄もただの的だよ。兄上の目の前で恥をかくな」
「こいつめ」
フランシスコが軽く小突こうとすると、ルイスは半歩下がってかわした。その様子を見て、アルバロは喉の奥で笑った。
「いい。お前たち全員、海の上では私の目と腕だ。互いに死なせるな」
弟たちはそろってうなずいた。兄の声には、冗談めかした響きと、戦場を知る者の硬さが同居している。
やがて港の奥から、鐘の音が響き始めた。教会の司祭が、簡易の祭壇の前でミサの準備を整えている。兵士たちは列を組んだまま、静かに十字を切った。
「行きましょう、アルバロ」
イサベルが歩み寄り、彼の横に並んだ。青い瞳には、恐れと期待が入り混じっている。
「あなたの父上と母上に、最後のご挨拶を」
「そうだな」
アルバロは一歩前に出て、ガルシアとエレナの前に膝をついた。
「父上、母上。どうか祝福を」
エレナは、ロザリオを握った手をそっと息子の頭に置いた。
「聖母マリアがあなたをお守りくださいますように。無用な血を流さず、必要なときには迷わず剣を振るいなさい」
「はい、母上」
ガルシアは、少しだけ顔をしかめた。
「イサベルと孫たちは、宝より重い。どれほどの金銀を手に入れようとも、置いてくるな」
「約束します」
アルバロは立ち上がり、イサベルの腰にそっと手を添えた。
「さあ、船へ」
フアン・イグナシオは、祖父の手をしっかりと握ったまま、最後まで離そうとしなかった。
「おじいさまも来ればいいのに」
「誰かが家を守らねばならん。お前の父上と同じくらい大事な役目だ」
ガルシアは孫の頭をわしわしとかき回し、ぱっと手を離した。
「男なら、行ってこい」
その言葉に背を押されるように、少年は父のいる方へ走り出した。マリア・エレナは泣きながら、祖母の首に腕を回してしがみついている。
「おばあさま、嫌だ」
「大丈夫よ。船の上から手紙を書いてもらいなさい。父さまにそう言うのよ」
エレナが囁き、少し強引に孫娘をイサベルの方へ押し出した。ルシアがすかさず腕を伸ばして、少女を抱きとめる。
「さあ、お嬢さま。一緒に船を見に行きましょう。あんなに大きな船、めったに近くでは見られませんよ」
マリア・エレナは涙をぬぐいながら、こくりとうなずいた。
やがて、港に号令が響き渡った。
「全員乗船せよ。錨を上げる準備」
太鼓が打ち鳴らされ、兵士たちが一斉に動き出した。槍と盾の列が整然と船へと向かう。荷馬車が軋みながら埠頭を進み、その後ろを従者たちが走る。
アルバロは、一度だけ振り返った。埠頭の端に、父と母の姿が小さく見える。周りには、インヘニオから出てきた黒人たちや街の人々も集まっていた。
「行ってまいります」
小さな声で呟き、彼は手を挙げた。ガルシアもエレナも、その仕草を見てうなずいた。
船に渡された甲板への板は、潮と血の匂いを吸い込んだ古い木だった。アルバロがそれを踏みしめて進むと、その後ろを弟たちとイサベル、子どもたち、トマスとルシアが続いた。
甲板に上がると、海風が一層強く頬を打った。マストの上では水夫たちが帆の縄を解き、叫び声が交錯している。
「イサベル、ここから見えるか」
アルバロは、船縁まで彼女を導いた。サントドミンゴの街並みが、まだ朝の光の中にくっきりと浮かんでいる。
「ええ……あの屋根、あれが私たちの家ね」
イサベルは、小さく手を振った。岸辺の人影は、すでに顔の見えない塊になりつつある。それでも、誰かがそれを見ていると信じるように、彼女は何度も何度も手を振り続けた。
号令とともに、錨が引き上げられた。重い鎖の音が船腹に響き、やがてゆっくりと船体が動き出す。別の船もほぼ同時に帆を張り、港の外へと舵を切った。
遠くで、砦の大砲が空砲を放った。白い煙が一瞬だけ空に広がり、祝砲の音が遅れて届く。兵士たちはそれに応えるように歓声を上げた。
「アルバロ」
イサベルが、彼の腕にそっと指を絡めた。
「本当に、戻ってこられるわよね」
「戻るさ」
アルバロは、迷いのない声で言った。
「この海の向こうには、我らのものになる土地と金が眠っている。奪いに行って、抱えて戻ってくる。それだけだ」
イサベルは何も答えず、ただ彼の横顔を見上げた。潮風に晒された頬には、少年のような笑みが浮かんでいる。しかしその瞳の奥には、嵐を待つ海のような静かな暗さが宿っていた。
船団は、ゆっくりと湾口を抜けていった。背後には、サントドミンゴの白い家々と、細く伸びる煙突の影。前方には、果ての見えない碧い海が広がっている。
ユカタン半島はまだ水平線の向こうに隠れたままだった。それでもアルバロは、まるでそこに立つ都市をすでに見ているかのように、まっすぐ前を見据えていた。
―――――――――――――――――
挿絵は、『アステカ王国』です。
出典は、『小学館 日本大百科全書「ニッポニカ」』です。
挿絵は、『メソアメリカ』です。
出典は、『大陸書房「コルテス征略誌」モーリス・コリス著、金森誠也訳。P10』です。
挿絵は、『テノチティトラン侵攻「コルテス」』です。
出典は、『大陸書房「コルテス征略誌」モーリス・コリス著、金森誠也訳。P115』です。
挿絵は、『スペイン軍進路』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P103』です。
挿絵は、『テスココ湖周辺図』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P121』です。
挿絵は、『メソアメリカのカカオの産地』です。
出典は、『河出文庫「チョコレートの歴史」ソフィー・D・コウ:マイケル・D・コウ著。樋口幸子訳。P111』です。
挿絵は、『テノチティトラン地図』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P137」増田義郎著。P137』です。
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大きく分けてこの様な展開になってます。
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1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
楽将伝
九情承太郎
歴史・時代
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織田信長の親衛隊は
気楽な稼業と
きたもんだ(嘘)
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「織田信長の親衛隊」
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対米戦、準備せよ!
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小説家になろうで、先行配信中!
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織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
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