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第6章――「波の鎖、南の潮」
第9話(後編)――「森の湿り、探索の足音」
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―――――――――――――――――
登場人物〈男性〉
ディエゴ〈28〉(遠征司令官、大尉) アルバロ〈27〉が遠征の際に名乗る仮名だ。アルバロは新大陸の皇帝を名乗り、新大陸からスペイン人勢力を追い出す意志を持つ。ただ、皇帝が前線へ出る格好は避けるため、現場では「ディエゴ」を名乗って軍を率いる。妻や妾、侍女、兵は真相を知らされておらず、ディエゴを高級将校だと受け取っているため、呼び方も態度もその前提で統一されている。
ペドロ・サラサル〈29〉(雇い入れ・船大工) 板の反りと釘の打ち方を知る。小舟の修理と簡単な補修を任される。
ミゲル・デ・オルティス〈16〉(雇い入れ・荷役見習い) 母と共に港へ流れ着いた。成人後は部下に取り立てる方針で、当面は荷役に回される。
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登場人物〈女性〉
サク・ニクテ〈22〉(正妻) コスメル島出身の先住民。コスメル島部隊5,000名の隊長。上陸地の井戸と倉を先に押さえ、配給と整列で隊の崩れを防ぐ。妊娠中〈10月半ば出産予定〉だが、腹の子の動きを隠さず前に立つ。
マルタ・ロペス〈19〉(妾・新任) キューバ島の小教会にいた司祭の家で暮らしていた女性。寝具と衣類を預かり、針仕事で傷みを直してきた。祈祷文と聖歌を覚えており、人前でも声が崩れにくい。読み書きは得意ではないが、手順を守るのがうまい。過去の功績により、ディエゴの妾に抜擢された。
ドニャ・ベアトリス〈30〉(妾・新任、スペイン人) セビリア出身。夫はサンチャゴ大聖堂に属する聖職者で、説教と告解の取りまとめに関わっていた。夫は旧来の権力筋と近く、城塞の内側の噂や名簿の流れにも通じていたが、争いの後に失脚し、姿を消した。ベアトリスは生き残りのためにディエゴへ好意を示し、名と事情を取引にする形で近づく。遠征には侍女として付いてきたが、口と香りで間合いを詰める癖があり、ディエゴは情報源として手元に置いた。第4話後編で功績を上げ、妾に抜擢された。
イネス・アルバレス〈26〉(妾・スペイン人) エストレマドゥーラ出身。夫はキューバ東部の砂糖農場の経営者で、圧搾機と倉、労働者の手配まで握っていた。夫は騒乱の夜に殺され、農場は人手と道具だけが残った。イネスは農場の内側を知り、誰が怠け、誰が盗み、誰が働いたかを具体で言える。ディエゴに好意を匂わせ、遠征では侍女として衣類や寝具の手配にも回るが、利で動く言い回しが抜けず、旧勢力との結びつきも疑われている。ディエゴは現場の証言を引き出すためにそばへ置いた。
クララ・デ・アビラ〈20〉(妾・新任) サントドミンゴの司祭館で同居していた女性。台所だけでなく家計簿と支払いの控えを任され、買い物の値と銅貨の数を間違えない。表に立って働いて稼いだ経験は乏しいが、帳面と鍵の扱いで屋敷を回してきた。
レオノール・メンドーサ〈22〉(妾・新任) イスパニョーラ島の司祭館で客間と寝具を預かっていた女性。割れ物や布の扱いが丁寧で、物の置き場を覚えるのが早い。先住民の女たちの言葉を少し知っており、水場や台所の伝言役に回れる。今話では通訳役を務め、短い命令や確認なら通じる程度だ。
ドニャ・テレサ・デ・バルデス〈31〉(妾・新任) 処刑された旧支配者の妻。家の出納と帳面の付け方を知り、クララの補佐に回る。
ドニャ・アナ・デ・ラ・クルス〈28〉(妾・新任) 幼い娘を連れて忠誠を誓う。台所の段取りと保存の扱いを任される。娘ルシア〈6〉は母と同じ区画で寝起きする。
マリア・デ・オルティス〈38〉(妾・新任) 息子ミゲル〈16〉の母。針仕事と洗い物を請け負い、寝具と衣類の手入れを任される。ディエゴの夜伽にも応じ、サンファンにおける散策にも付き合い、互いに心を通じ合わせる。
フアナ・デ・ルナ〈21〉(妾・新任) 皿洗いが早く、細かな始末が丁寧だ。水場の手として雇われる。
エルビラ・グスマン〈18〉(妾・新任) 水瓶運びと倉の戸の扱いを覚えるのが早い。運搬と戸口の手として雇われる。ディエゴに忠実。
アナイラ〈36〉(族長の正妻、人質兼侍女) 族長の家を切り盛りしてきた女性。川口と集落の道を知る。
シリマ〈20〉(族長の妾、人質兼侍女) 若く、目が利く。森の足場と危ない谷を覚えている。
―――――――――――――――――
浜の制圧が固まると、次は先住民の中心を押さえる段になった。案内役に立った者が、族長の家がある場所を指した。川口から少し上がった広場だ。
族長一家は家の奥にいた。年のいった男が1人、背を丸めて座っている。族長だ。そばに女が2人いた。1人は正妻で、年は36ほどに見える。もう1人は妾で、20ほどだった。
ディエゴは落ち着いて言った。「族長は捕らえる。ただし、今この場では殺さない。あなたたち2人は人質として連れていく。危害は加えない。あなたたちが協力してくれれば、この島で死ぬ者を減らせる。私は、そのために話している」
レオノールが一歩横へ出て、短い言葉に区切って訳した。
正妻は族長を一度だけ振り返り、短く息を吐いた。それが覚悟の合図になった。
日が傾くと、広場の空気はさらに湿って重くなった。葉の重なりに風が引っかかり、煙がまっすぐ上へ抜けない。浜へ戻る道では、踏むたび草が濡れた音を立て、足首に泥がまとわりついた。
森の囲いから引き上げたスペイン人の女たちも、順に小舟へ移された。波打ち際で足を取られ、膝をつく者がいた。海水が擦り傷に染みて顔が歪む。子どもを抱えた女は、抱き直すたびに息を吸い、喉が乾いた音を立てた。
ディエゴは甲板へ上がる前に、兵を一列に並ばせた。声を荒らさず、命令の骨だけを揃えて落とした。
ディエゴは告げた。「女と子に、勝手に触れるな。触れる必要があるなら、先に言葉で知らせろ。水と食い物を先に出す。毛布を渡す。火のそばへ無理に寄せるな。怖がらせれば、夜に泣き声が止まらない。止まらなければ、見張りの目も鈍る」
「承知しました、提督閣下」と兵たちが返し、視線がそろって下がった。
ディエゴは女たちの前にしゃがみ、目線を落とした。剣の柄から手を離し、手のひらを見せた。
ディエゴはスペイン語で言った。「腹は減っているか。水は飲めたか。怖いのは分かる。この船では、あなたたちと子どもに手を出させない」
年長の女は確かめるように言った。「本当に、子どもに手を出させないのですか」
ディエゴはうなずいた。「私が止める。私の船だ。私の言葉が決まりになる」
女の肩が、ほんの少しだけ下がった。
ディエゴは続けた。「食事を作れる者がいるなら、手を借りたい。兵の鍋は味が荒い。こういう夜は、腹の弱い子が先に倒れる」
火のそばへ目を向けていた女が、反射で鍋の置き場を探した。「鍋はあります。塩もあります。油は……あるでしょうか」
ディエゴは軽く笑って答えた。「油はある。だが大事に使おう。明日も海は続く」
ルイサ・エスピノサが小さく息を吸って尋ねた。「火は、どこで焚けばいいのですか」
ディエゴは甲板の端を指して言った。「風下だ。煙がこちらへ戻らない場所にしろ。火は強く焚かないほうがいい。匂いが浜へ流れたら、森の者に気づかれる。小さく起こして、長く保て」
女たちは顔を見合わせ、黙って動き始めた。怖さは残ったままだが、手が動くと呼吸が整う。そういう種類の沈黙だった。
兵が干し肉と乾いた豆、硬いパンを運ぶ。水桶の底で木が鳴り、鍋を置くと鉄が甲板を叩いた。豆を水に浸す音が小さく続き、濡れた薪がじゅっと鳴って白い煙を吐いた。煙は鼻の奥をくすぐり、目に薄い涙がにじんだ。
兵の輪の外で、マルタとマリアが布を広げ、子どもの座る場所を作った。クララは水袋の口を確かめ、こぼれないよう紐を結び直した。女の手が先に動くと、男の足取りも無駄が減った。
豆が煮え始めると、匂いが変わった。潮と汗と煙の中に、豆の甘い香りが混じる。干し肉の脂が熱で溶け、焦げかけた香りが短く立った。甲板の隅で見張りに立つ兵まで、鼻先を動かした。
ディエゴは女たちの輪の外に立ち、手を出さなかった。手を出せば親切にも命令にも見える。言葉で支えるほうが、相手の警戒を余計に刺激しない。
ディエゴは鍋の湯気を見て言った。「いい匂いだ。サントドミンゴの台所みたいだ。私の兵の鍋は、海の臭いが勝ちすぎる」
若い女が思わず吹き出し、慌てて口を塞いだ。
ディエゴは眉を上げ、わざと大げさに肩をすくめた。「笑っていい。笑えると息が深くなる。息が深くなれば、今夜を越えやすい」
エレナ・デ・トレドが小さく言った。「提督閣下は、変わった言い方をなさいますね」
「変わった男だ」とディエゴは返した。「だが、約束だけは曲げない」
味見の段になると、炊事場にいた女が匙で汁をすくい、塩をひとつまみ入れた。塩の粒が湯気に溶け、匂いが丸くなる。火の強さを調整する手つきに迷いがなかった。
配る段では、ディエゴが先に子どもへ回すよう合図した。薄い汁が小椀へ移され、息を吹きかけて冷まされる。抱えられた子の喉が、ごくりと鳴った。さっきまでの泣き声が止み、目がゆっくり瞬いた。
その変化を見て、女たちの顔の硬さが少しだけほどけた。恐怖は一晩で消えない。だが、喉を通る温かいものは、言葉より先に体を落ち着かせた。
ディエゴは椀を受け取ると、女たちと同じ場所に腰を下ろした。上座へは行かない。輪の端だ。兵にも距離を取らせ、見張りだけを残した。
ディエゴは一口すすり、真面目な顔で言った。「うまい。私の船には、この味が要る」
炊事場の女が、少しだけ顎を上げた。「豆は、手堅いです」
ディエゴは笑いを消して答えた。「人も、手堅いほうがいい」
年長の女が、試すように聞いた。「私たちは、これからどうなるのですか」
ディエゴは椀を置き、言い逃げしない声で答えた。「明日は島の内側へ入る。危ない。だから、あなたたちはここに残る。水と食い物は切らさない。兵の手が荒くならないよう、私が見ておく。働けるなら働いた分は守られる。働けないなら、それでも守る。子どもがいる」
若い女が小さく呟いた。「……同じスペイン語で、こんな話をする日が来るとは思いませんでした」
ディエゴはうなずいた。「同じ言葉だから、嘘はすぐ分かる。だから私は嘘をつかない。約束は必ず守る」
火のそばで、別の女が子どもの額に手を当てた。熱を測る手つきが早い。女は顔を上げて言った。「この子が助かるのなら、私たちも少しは働けます」
ディエゴは短く言った。「助ける。だから無理はするな。火と水と布の扱いを知っている者は、船の中では頼りになる」
食事が終わるころ、笑い声が小さく混じった。鍋底を焦がしかけて叱られ、叱ったほうも叱りすぎたと気づいて咳払いをする。ディエゴは「子どもが温かいものを飲めば、夜は静かになる」と言い、誰かがまた笑って、笑った自分に驚いた顔をした。
夜の虫の声が濃くなり、波の音が一定になる。錨鎖が船腹で低く鳴った。女たちは毛布にくるまり、子どもを抱え直した。眠れなくても、目を閉じるだけの余地ができていた。
夜のうちに探索の手順が固まった。アナイラとシリマは川口と集落と山道を知っている。彼女たちの案内で島を押さえる。槍隊を前後に置き、中央を薄くしない。暗くなる前に、危ない谷と川の増水だけは先に確かめる。
翌朝、森へ入る前に2人の身支度が整えられた。髪を束ね、足に布を巻き、滑りやすい石で転ばないようにする。
歩き出す前に、ディエゴが静かに切り出した。「あなたたちの名を教えてほしい。道を教えてくれる者を、『おい』とは呼ばない。呼ぶ名があるなら、それで呼ぶ」
「アナイラです」と正妻が答えた。
続いて妾が答えた。「シリマです」
ディエゴははっきりうなずいた。「アナイラ、シリマ。分かった。私はその名で呼ぶ。あなたたちが約束を守るなら、私も約束を守る」
◇ ◇ ◇
森へ入ると空気が一段重くなった。葉の裏に水が溜まり、足元の土が吸い付く。踏むたび湿った音がする。蟻が列を作り、腕に登ってくる。汗がすぐ出て目に入り、しょっぱく染みた。
アナイラが足を止め、手を上げた。川がある。石が滑る。彼女は視線で道を示し、シリマが同じ方向を指してうなずいた。
ディエゴは兵へ静かに伝えた。「足元をよく見ろ。転ぶな。無駄に音を立てるな。今は森に勝とうとするな。慎重に歩く者にだけ、森は道を貸す」
こうしてディエゴ軍はドミニカ島の内側へ入っていった。捕縛したスペイン人の男たちは浜で監視され、女子供は船で水と食い物を与えられている。従う先住民は荷を運び、逆らった者はすでに倒れた。島の探索は、アナイラとシリマ、2人の人質兼侍女の案内から始まった。
―――――――――――――――――
〔脚注:捕縛したスペイン人の女たち〕
[注1]イサベル・ロドリゲス〈24〉 サントドミンゴから小舟で移動中、嵐で流されてドミニカ島へ漂着した。夫は水際の争いで死亡し、以後は子を抱えて森の囲いに隠れていた。針と布の扱いが早く、破れた衣の繕いで手を動かせる。
[注2]ルイサ・エスピノサ〈19〉 港の下役の家の娘。読み書きの初歩を身につけており、短い祈祷文と物の数え方を覚えている。囲いでは火の番を担い、煙を小さく保つ工夫をしていた。
[注3]カタリナ・サントス〈33〉 兵の炊事場にいた女で、塩蔵と干し物の加減を知る。島では貝と木の実を選り分け、腹を壊さない順で子どもへ回していた。
[注4]ベルナルダ・メヒア〈27〉 雑役として司祭館に出入りしていた。薬草の匂いと傷の洗い方を少し知り、発熱した子どもの額を冷やす役を担っていた。
[注5]エレナ・デ・トレド〈41〉 年長で、囲いの中では女たちの口論を止める役に回っていた。物資が尽きた夜、誰がどれだけ食べたかで揉めた際も、声を荒らげずに分け方を決めたという。
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挿絵は、『アステカ王国』です。
出典は、『小学館 日本大百科全書「ニッポニカ」』です。
挿絵は、『メソアメリカ』です。
出典は、『大陸書房「コルテス征略誌」モーリス・コリス著、金森誠也訳。P10』です。
挿絵は、『17世紀初めのカリブ海地域』です。
出典は、『中公新書「物語ラテン・アメリカの歴史」増田義郎著P139』です。
挿絵は、『テノチティトラン侵攻「コルテス」』です。
出典は、『大陸書房「コルテス征略誌」モーリス・コリス著、金森誠也訳。P115』です。
挿絵は、『スペイン軍進路』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P103』です。
挿絵は、『テスココ湖周辺図』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P121』です。
挿絵は、『メソアメリカのカカオの産地』です。
出典は、『河出文庫「チョコレートの歴史」ソフィー・D・コウ:マイケル・D・コウ著。樋口幸子訳。P111』です。
挿絵は、『テノチティトラン地図』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P137」増田義郎著。P137』です。
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登場人物〈男性〉
ディエゴ〈28〉(遠征司令官、大尉) アルバロ〈27〉が遠征の際に名乗る仮名だ。アルバロは新大陸の皇帝を名乗り、新大陸からスペイン人勢力を追い出す意志を持つ。ただ、皇帝が前線へ出る格好は避けるため、現場では「ディエゴ」を名乗って軍を率いる。妻や妾、侍女、兵は真相を知らされておらず、ディエゴを高級将校だと受け取っているため、呼び方も態度もその前提で統一されている。
ペドロ・サラサル〈29〉(雇い入れ・船大工) 板の反りと釘の打ち方を知る。小舟の修理と簡単な補修を任される。
ミゲル・デ・オルティス〈16〉(雇い入れ・荷役見習い) 母と共に港へ流れ着いた。成人後は部下に取り立てる方針で、当面は荷役に回される。
―――――――――――――――――
登場人物〈女性〉
サク・ニクテ〈22〉(正妻) コスメル島出身の先住民。コスメル島部隊5,000名の隊長。上陸地の井戸と倉を先に押さえ、配給と整列で隊の崩れを防ぐ。妊娠中〈10月半ば出産予定〉だが、腹の子の動きを隠さず前に立つ。
マルタ・ロペス〈19〉(妾・新任) キューバ島の小教会にいた司祭の家で暮らしていた女性。寝具と衣類を預かり、針仕事で傷みを直してきた。祈祷文と聖歌を覚えており、人前でも声が崩れにくい。読み書きは得意ではないが、手順を守るのがうまい。過去の功績により、ディエゴの妾に抜擢された。
ドニャ・ベアトリス〈30〉(妾・新任、スペイン人) セビリア出身。夫はサンチャゴ大聖堂に属する聖職者で、説教と告解の取りまとめに関わっていた。夫は旧来の権力筋と近く、城塞の内側の噂や名簿の流れにも通じていたが、争いの後に失脚し、姿を消した。ベアトリスは生き残りのためにディエゴへ好意を示し、名と事情を取引にする形で近づく。遠征には侍女として付いてきたが、口と香りで間合いを詰める癖があり、ディエゴは情報源として手元に置いた。第4話後編で功績を上げ、妾に抜擢された。
イネス・アルバレス〈26〉(妾・スペイン人) エストレマドゥーラ出身。夫はキューバ東部の砂糖農場の経営者で、圧搾機と倉、労働者の手配まで握っていた。夫は騒乱の夜に殺され、農場は人手と道具だけが残った。イネスは農場の内側を知り、誰が怠け、誰が盗み、誰が働いたかを具体で言える。ディエゴに好意を匂わせ、遠征では侍女として衣類や寝具の手配にも回るが、利で動く言い回しが抜けず、旧勢力との結びつきも疑われている。ディエゴは現場の証言を引き出すためにそばへ置いた。
クララ・デ・アビラ〈20〉(妾・新任) サントドミンゴの司祭館で同居していた女性。台所だけでなく家計簿と支払いの控えを任され、買い物の値と銅貨の数を間違えない。表に立って働いて稼いだ経験は乏しいが、帳面と鍵の扱いで屋敷を回してきた。
レオノール・メンドーサ〈22〉(妾・新任) イスパニョーラ島の司祭館で客間と寝具を預かっていた女性。割れ物や布の扱いが丁寧で、物の置き場を覚えるのが早い。先住民の女たちの言葉を少し知っており、水場や台所の伝言役に回れる。今話では通訳役を務め、短い命令や確認なら通じる程度だ。
ドニャ・テレサ・デ・バルデス〈31〉(妾・新任) 処刑された旧支配者の妻。家の出納と帳面の付け方を知り、クララの補佐に回る。
ドニャ・アナ・デ・ラ・クルス〈28〉(妾・新任) 幼い娘を連れて忠誠を誓う。台所の段取りと保存の扱いを任される。娘ルシア〈6〉は母と同じ区画で寝起きする。
マリア・デ・オルティス〈38〉(妾・新任) 息子ミゲル〈16〉の母。針仕事と洗い物を請け負い、寝具と衣類の手入れを任される。ディエゴの夜伽にも応じ、サンファンにおける散策にも付き合い、互いに心を通じ合わせる。
フアナ・デ・ルナ〈21〉(妾・新任) 皿洗いが早く、細かな始末が丁寧だ。水場の手として雇われる。
エルビラ・グスマン〈18〉(妾・新任) 水瓶運びと倉の戸の扱いを覚えるのが早い。運搬と戸口の手として雇われる。ディエゴに忠実。
アナイラ〈36〉(族長の正妻、人質兼侍女) 族長の家を切り盛りしてきた女性。川口と集落の道を知る。
シリマ〈20〉(族長の妾、人質兼侍女) 若く、目が利く。森の足場と危ない谷を覚えている。
―――――――――――――――――
浜の制圧が固まると、次は先住民の中心を押さえる段になった。案内役に立った者が、族長の家がある場所を指した。川口から少し上がった広場だ。
族長一家は家の奥にいた。年のいった男が1人、背を丸めて座っている。族長だ。そばに女が2人いた。1人は正妻で、年は36ほどに見える。もう1人は妾で、20ほどだった。
ディエゴは落ち着いて言った。「族長は捕らえる。ただし、今この場では殺さない。あなたたち2人は人質として連れていく。危害は加えない。あなたたちが協力してくれれば、この島で死ぬ者を減らせる。私は、そのために話している」
レオノールが一歩横へ出て、短い言葉に区切って訳した。
正妻は族長を一度だけ振り返り、短く息を吐いた。それが覚悟の合図になった。
日が傾くと、広場の空気はさらに湿って重くなった。葉の重なりに風が引っかかり、煙がまっすぐ上へ抜けない。浜へ戻る道では、踏むたび草が濡れた音を立て、足首に泥がまとわりついた。
森の囲いから引き上げたスペイン人の女たちも、順に小舟へ移された。波打ち際で足を取られ、膝をつく者がいた。海水が擦り傷に染みて顔が歪む。子どもを抱えた女は、抱き直すたびに息を吸い、喉が乾いた音を立てた。
ディエゴは甲板へ上がる前に、兵を一列に並ばせた。声を荒らさず、命令の骨だけを揃えて落とした。
ディエゴは告げた。「女と子に、勝手に触れるな。触れる必要があるなら、先に言葉で知らせろ。水と食い物を先に出す。毛布を渡す。火のそばへ無理に寄せるな。怖がらせれば、夜に泣き声が止まらない。止まらなければ、見張りの目も鈍る」
「承知しました、提督閣下」と兵たちが返し、視線がそろって下がった。
ディエゴは女たちの前にしゃがみ、目線を落とした。剣の柄から手を離し、手のひらを見せた。
ディエゴはスペイン語で言った。「腹は減っているか。水は飲めたか。怖いのは分かる。この船では、あなたたちと子どもに手を出させない」
年長の女は確かめるように言った。「本当に、子どもに手を出させないのですか」
ディエゴはうなずいた。「私が止める。私の船だ。私の言葉が決まりになる」
女の肩が、ほんの少しだけ下がった。
ディエゴは続けた。「食事を作れる者がいるなら、手を借りたい。兵の鍋は味が荒い。こういう夜は、腹の弱い子が先に倒れる」
火のそばへ目を向けていた女が、反射で鍋の置き場を探した。「鍋はあります。塩もあります。油は……あるでしょうか」
ディエゴは軽く笑って答えた。「油はある。だが大事に使おう。明日も海は続く」
ルイサ・エスピノサが小さく息を吸って尋ねた。「火は、どこで焚けばいいのですか」
ディエゴは甲板の端を指して言った。「風下だ。煙がこちらへ戻らない場所にしろ。火は強く焚かないほうがいい。匂いが浜へ流れたら、森の者に気づかれる。小さく起こして、長く保て」
女たちは顔を見合わせ、黙って動き始めた。怖さは残ったままだが、手が動くと呼吸が整う。そういう種類の沈黙だった。
兵が干し肉と乾いた豆、硬いパンを運ぶ。水桶の底で木が鳴り、鍋を置くと鉄が甲板を叩いた。豆を水に浸す音が小さく続き、濡れた薪がじゅっと鳴って白い煙を吐いた。煙は鼻の奥をくすぐり、目に薄い涙がにじんだ。
兵の輪の外で、マルタとマリアが布を広げ、子どもの座る場所を作った。クララは水袋の口を確かめ、こぼれないよう紐を結び直した。女の手が先に動くと、男の足取りも無駄が減った。
豆が煮え始めると、匂いが変わった。潮と汗と煙の中に、豆の甘い香りが混じる。干し肉の脂が熱で溶け、焦げかけた香りが短く立った。甲板の隅で見張りに立つ兵まで、鼻先を動かした。
ディエゴは女たちの輪の外に立ち、手を出さなかった。手を出せば親切にも命令にも見える。言葉で支えるほうが、相手の警戒を余計に刺激しない。
ディエゴは鍋の湯気を見て言った。「いい匂いだ。サントドミンゴの台所みたいだ。私の兵の鍋は、海の臭いが勝ちすぎる」
若い女が思わず吹き出し、慌てて口を塞いだ。
ディエゴは眉を上げ、わざと大げさに肩をすくめた。「笑っていい。笑えると息が深くなる。息が深くなれば、今夜を越えやすい」
エレナ・デ・トレドが小さく言った。「提督閣下は、変わった言い方をなさいますね」
「変わった男だ」とディエゴは返した。「だが、約束だけは曲げない」
味見の段になると、炊事場にいた女が匙で汁をすくい、塩をひとつまみ入れた。塩の粒が湯気に溶け、匂いが丸くなる。火の強さを調整する手つきに迷いがなかった。
配る段では、ディエゴが先に子どもへ回すよう合図した。薄い汁が小椀へ移され、息を吹きかけて冷まされる。抱えられた子の喉が、ごくりと鳴った。さっきまでの泣き声が止み、目がゆっくり瞬いた。
その変化を見て、女たちの顔の硬さが少しだけほどけた。恐怖は一晩で消えない。だが、喉を通る温かいものは、言葉より先に体を落ち着かせた。
ディエゴは椀を受け取ると、女たちと同じ場所に腰を下ろした。上座へは行かない。輪の端だ。兵にも距離を取らせ、見張りだけを残した。
ディエゴは一口すすり、真面目な顔で言った。「うまい。私の船には、この味が要る」
炊事場の女が、少しだけ顎を上げた。「豆は、手堅いです」
ディエゴは笑いを消して答えた。「人も、手堅いほうがいい」
年長の女が、試すように聞いた。「私たちは、これからどうなるのですか」
ディエゴは椀を置き、言い逃げしない声で答えた。「明日は島の内側へ入る。危ない。だから、あなたたちはここに残る。水と食い物は切らさない。兵の手が荒くならないよう、私が見ておく。働けるなら働いた分は守られる。働けないなら、それでも守る。子どもがいる」
若い女が小さく呟いた。「……同じスペイン語で、こんな話をする日が来るとは思いませんでした」
ディエゴはうなずいた。「同じ言葉だから、嘘はすぐ分かる。だから私は嘘をつかない。約束は必ず守る」
火のそばで、別の女が子どもの額に手を当てた。熱を測る手つきが早い。女は顔を上げて言った。「この子が助かるのなら、私たちも少しは働けます」
ディエゴは短く言った。「助ける。だから無理はするな。火と水と布の扱いを知っている者は、船の中では頼りになる」
食事が終わるころ、笑い声が小さく混じった。鍋底を焦がしかけて叱られ、叱ったほうも叱りすぎたと気づいて咳払いをする。ディエゴは「子どもが温かいものを飲めば、夜は静かになる」と言い、誰かがまた笑って、笑った自分に驚いた顔をした。
夜の虫の声が濃くなり、波の音が一定になる。錨鎖が船腹で低く鳴った。女たちは毛布にくるまり、子どもを抱え直した。眠れなくても、目を閉じるだけの余地ができていた。
夜のうちに探索の手順が固まった。アナイラとシリマは川口と集落と山道を知っている。彼女たちの案内で島を押さえる。槍隊を前後に置き、中央を薄くしない。暗くなる前に、危ない谷と川の増水だけは先に確かめる。
翌朝、森へ入る前に2人の身支度が整えられた。髪を束ね、足に布を巻き、滑りやすい石で転ばないようにする。
歩き出す前に、ディエゴが静かに切り出した。「あなたたちの名を教えてほしい。道を教えてくれる者を、『おい』とは呼ばない。呼ぶ名があるなら、それで呼ぶ」
「アナイラです」と正妻が答えた。
続いて妾が答えた。「シリマです」
ディエゴははっきりうなずいた。「アナイラ、シリマ。分かった。私はその名で呼ぶ。あなたたちが約束を守るなら、私も約束を守る」
◇ ◇ ◇
森へ入ると空気が一段重くなった。葉の裏に水が溜まり、足元の土が吸い付く。踏むたび湿った音がする。蟻が列を作り、腕に登ってくる。汗がすぐ出て目に入り、しょっぱく染みた。
アナイラが足を止め、手を上げた。川がある。石が滑る。彼女は視線で道を示し、シリマが同じ方向を指してうなずいた。
ディエゴは兵へ静かに伝えた。「足元をよく見ろ。転ぶな。無駄に音を立てるな。今は森に勝とうとするな。慎重に歩く者にだけ、森は道を貸す」
こうしてディエゴ軍はドミニカ島の内側へ入っていった。捕縛したスペイン人の男たちは浜で監視され、女子供は船で水と食い物を与えられている。従う先住民は荷を運び、逆らった者はすでに倒れた。島の探索は、アナイラとシリマ、2人の人質兼侍女の案内から始まった。
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〔脚注:捕縛したスペイン人の女たち〕
[注1]イサベル・ロドリゲス〈24〉 サントドミンゴから小舟で移動中、嵐で流されてドミニカ島へ漂着した。夫は水際の争いで死亡し、以後は子を抱えて森の囲いに隠れていた。針と布の扱いが早く、破れた衣の繕いで手を動かせる。
[注2]ルイサ・エスピノサ〈19〉 港の下役の家の娘。読み書きの初歩を身につけており、短い祈祷文と物の数え方を覚えている。囲いでは火の番を担い、煙を小さく保つ工夫をしていた。
[注3]カタリナ・サントス〈33〉 兵の炊事場にいた女で、塩蔵と干し物の加減を知る。島では貝と木の実を選り分け、腹を壊さない順で子どもへ回していた。
[注4]ベルナルダ・メヒア〈27〉 雑役として司祭館に出入りしていた。薬草の匂いと傷の洗い方を少し知り、発熱した子どもの額を冷やす役を担っていた。
[注5]エレナ・デ・トレド〈41〉 年長で、囲いの中では女たちの口論を止める役に回っていた。物資が尽きた夜、誰がどれだけ食べたかで揉めた際も、声を荒らげずに分け方を決めたという。
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挿絵は、『アステカ王国』です。
出典は、『小学館 日本大百科全書「ニッポニカ」』です。
挿絵は、『メソアメリカ』です。
出典は、『大陸書房「コルテス征略誌」モーリス・コリス著、金森誠也訳。P10』です。
挿絵は、『17世紀初めのカリブ海地域』です。
出典は、『中公新書「物語ラテン・アメリカの歴史」増田義郎著P139』です。
挿絵は、『テノチティトラン侵攻「コルテス」』です。
出典は、『大陸書房「コルテス征略誌」モーリス・コリス著、金森誠也訳。P115』です。
挿絵は、『スペイン軍進路』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P103』です。
挿絵は、『テスココ湖周辺図』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P121』です。
挿絵は、『メソアメリカのカカオの産地』です。
出典は、『河出文庫「チョコレートの歴史」ソフィー・D・コウ:マイケル・D・コウ著。樋口幸子訳。P111』です。
挿絵は、『テノチティトラン地図』です。
出典は、『中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著。P137」増田義郎著。P137』です。
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