ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ

ひまえび

文字の大きさ
129 / 137
第七章――「黄金海岸の砦、奪われるポルトガルの旗」

第10話(後編)――「門の鎖、金粉の秤」

しおりを挟む
――――――――――――――――――
登場人物
ディエゴ〈30〉(新大陸皇帝アルバロ・デ・モリーナ〈29〉の仮名)
――――――――――――――――――
側女そばめ
 1人目 ルジア・ロドリゲス〈26〉
 リスボンの川沿いの町で育った。父は港の小役人で、船荷の数え方と、帳面の付け方を娘に叩き込んだ。読み書きができることが唯一の持ち物で、結婚相手は船の会計係だったが、海外の熱病で死んだ。未亡人として本国へ戻る途中、ソファラ帰りの船に乗せてもらっていたが、襲撃で捕虜になった。戻っても家はなく、親戚は「厄介者」として扱うと分かっている。
 2人目 カタリーナ・デ・アゼヴェード〈32〉
 内陸の小さな貴族家の出だが、家は傾いていた。若いころに「体面のため」の縁組で、海外の砦に関わる文書仕事の男に嫁いだ。夫は家に金を入れるが、妻には関心が薄く、彼女は屋敷で「書類の置き場」のように扱われてきた。砦と教会の往復で、署名、印章、通行証、寄付の名簿といった紙の扱いだけは身につけた。今回の航海も、夫の都合で帰国に同乗させられただけで、帰っても夫の家には居場所がない。
 3人目 マダレーナ・フェレイラ〈38〉
 南部の海辺の町で育ち、若いころから船乗り相手の宿の台所と洗濯場で働いてきた。嫁いだ男は航海の副官だったが、遠征続きで家にいない。彼女は港で暮らしを回し、怪我人の手当、塩漬け肉の管理、真水の配り方まで現場で覚えた。年齢の分だけ、男の虚勢にも、泣き落としにも動かない。今回の船でも、女の客ではなく、船内の食と水の段取りを実際に動かす側にいた。襲撃で夫と縁が切れ、戻っても「敗走の家族」として冷たい目が待つだけだと見ている。
――――――――――――――――――

 門が開いた瞬間、外で待っていた兵が雪崩れ込んだ。泥の足で石床を踏み、武器がぶつかり、怒号が跳ね返る。狭い場所で押し合いになり、誰かが転び、誰かが踏ん張り、誰かが壁に背を打つ。煙で目が痛み、汗で手が滑る。火縄銃は撃てば楽だが、ここで無闇に撃てば味方にも当たる。

 戦いは短くならなかった。石の角ごとに守備兵が踏ん張り、火縄銃の火が点々と灯った。暗い廊下は煙で満ち、見えるのは火と影だけだ。剣が石に当たる音、槍の柄が折れる音、呻き声、命令の声が混じる。床に血が落ち、そこへ海水と泥が混ざって滑りやすくなった。

 ディエゴは息を切らしながら、何度も同じことを言った。
「殺すな。縛れ。逃がすな。撃つなら足だ。生きた手がいる」

 彼がそう命じるのは情けではない。砦を取った後に必要なのは、倉を開ける手であり、帳簿を読む手であり、舟を動かす手である。人を全部倒してしまえば、残るのは空の壁と、使い方の分からない荷だけになる。

 夜が明ける直前、砦の中央庭で最後の抵抗が折れた。守備隊長らしい男が剣を落とし、膝をついた。額に汗が光り、肩が小刻みに震えていた。彼の後ろには、武器を捨てた兵が数人、息を荒くして立っていた。

 ディエゴは泥のついた袖で頬を拭き、隊長の目を見て言った。
「負けたのはお前の腕だけじゃない。場所が悪い。湿地で病も出る。港は浅い。ここは守りにくい。だが今からは俺が使う。お前が働けるなら生かす。働けないなら縄だ」

 隊長は唾を飲み、声を絞り出した。
「……住民は。家族は」

 ディエゴは即座に答えた。
「無駄に殺さない。だが自由でもない。倉と舟を動かすために預かる。逃げれば、海か縄が待つ。それだけだ」

 庭の片隅でマダレーナが負傷者の腕に布を巻いていた。布はすぐ血を吸い、ぬるく重くなった。彼女は舌打ちし、兵に言った。
「水を持ってきな。真水だ。塩水を飲ませたら余計に弱る。火傷の者は泥を落としてから冷やせ。放っておいたら夜に熱が上がる」

 ルジアは倉の前に座り込み、震える手で鍵束を受け取った。鍵が触れ合う音が細く続く。彼女は口元を固くして言った。
「倉を開けた順に記録します。何がどこにあったか、後で揉めないようにします。勝った後で揉めたら、いちばん馬鹿です」

 カタリーナは紙と印章の棚を見つけ、紙の束を胸に抱えた。湿気を吸った紙は冷たく重い。彼女はディエゴに言った。
「通行証と帳簿があります。誰が何を運び、どこへ流していたか書いてあります。現地の仲介の名も出ます。これを押さえれば、倉だけでなく流れも押さえられます」

 ディエゴはうなずいた。
「まずは金の流れを押さえる。血の手当てはマダレーナがやる。俺は明日から、港と倉と人の働き口を決める」

 日が出ると、壁の上から海が見えた。波は穏やかに砕け、何事もなかったように白い泡を並べた。だが砦の中は、煙と汗と血の匂いが残り、喉の奥が苦かった。蚊がまた戻り、耳元で嫌な音を立てた。

 ディエゴは命令を一つずつ、分かる言葉で言った。
「火薬庫は封じろ。樽は動かすな。水場は見張れ。港の小舟は全部つないで逃げ道を消せ。負傷者は庭の陰に集めろ。捕虜は倉の前に並べ、名と役目を聞け。通訳を呼べ。殴って聞くな。言葉で聞け」

 昼前までに砦の内外は整理された。抵抗した者は縛られ、武器は1か所に積まれた。火縄銃の火縄は濡れて使い物にならず、守備側が撃ち続けられなかったのはそれも大きい。湿地の戦いは、強い者が勝つのではなく、濡れに耐えた側が残る。

 午後、倉が開いた。扉の蝶番が鳴り、湿った木の匂いが噴き出した。中には布が積まれ、金属の棒が転がり、ガラス玉の小袋が棚に並んでいた。象牙は壁に立てかけられ、触ると冷たく硬い。汗まみれの指で触ると、白い表面がわずかに曇った。

 戦利金は皿と秤で量られた。金粉は布の上に出すと、濡れた砂のように光った。指でつまむと軽いのに、指先に細かな粒が残る。風が吹けば飛びそうで、見ているだけで落ち着かない。

 量り終えた数をルジアが読み上げた。
「金粉と砂金で合計2万6,400グラム。銀貨と銀地金で合計5万1,200グラム。象牙は23本。布は巻物で146。ガラス玉の袋は62。鉄の棒と釘は数え切れませんが、樽で18です」

 ディエゴは小さく笑った。
「蚊に取られる分よりは多い。今夜は酒を薄めずに飲めるな」

 兵が疲れた声で笑い、少しだけ肩の力が抜けた。だが笑いの裏で、皆が自分の傷と自分の体の熱を確かめていた。湿地では、明るいうちに無事でも夜に倒れる。

 捕虜の確保も進んだ。守備兵は24人。書き付けを扱っていた男が6人。鍛冶と大工が合わせて9人。神父が1人。ポルトガルの住民は家族を含めて58人が砦の内側へ集められた。泣く女もいれば、歯を食いしばる男もいた。子どもは状況が分からず、ただ怯えていた。

 現地の者は港の番人と倉の出入りを仕切っていた者を中心に39人が縛られた。全員が敵だったわけではない。だが今は、誰がどこへ知らせに走るか分からない。だからまず足を止め、次に言葉で分ける。敵と、働く者と、帰す者を。

 ディエゴは捕虜の列の前で、落ち着いた声で言った。
「泣いても水は増えない。ここは湿地だ。泣けば泣くほど喉が渇く。働けば飯は出る。病人には薬も出す。逃げれば海が食う。俺は脅しで遊ばない。現実を言っている」

 夕方、潮風が少し冷たくなった。塩が汗の跡を白く残し、皮膚がつっぱった。砦の上では旗が下ろされ、代わりにディエゴ側の布が結ばれた。風に叩かれ、ばたばたと乾いた音を立てた。その音が、砦が持ち主を変えたことを皆に知らせた。

 ディエゴは壁の縁に立ち、港を見下ろした。浅瀬はまだ危険で、砂州の色が淡く浮いている。ここを越えるのは腕が要る。越えた先には海があり、海の向こうに次の商いと次の戦いがある。

 彼は肩の擦り傷を指で押し、痛みに顔をしかめてから笑った。
「よし。ソファラは取った。今夜は腹を満たす。傷口を洗う。火薬を乾かす。それから金を動かす。順番を間違えるな。順番を守れば、次も勝てる」

 兵がうなずき、マダレーナが水桶を持ってくるよう声を張った。ルジアは帳面を抱え、カタリーナは紙束を抱えて歩いた。捕虜たちは黙って列を作り、湿った夕風の中で、足元の砂を踏みしめた。砦の石は昼の熱をまだ少し残していて、触るとぬるかった。

 ◇ ◇ ◇

 砦の石壁が夜の湿気を吸って、触るとぬるかった。ディエゴは自分の肩の擦り傷を水で洗わせ、塩が染みて顔をしかめた。マダレーナが布を渡し、ルジアが火のそばに座って髪を拭いた。髪から落ちた水が床に小さな跡を作り、すぐに消えた。

 ディエゴはルジアを見て言った。「今夜は休め。明日から帳簿と倉で手が要る。だが、お前にも怖いものが残っているなら、ここで捨てておけ」

 ルジアは息を整えてから言った。「怖いのは砦ではありません。あなたが勝った後に、私たちを道具として並べるだけになることです」

 ディエゴは首を振った。「並べるのは仕事だ。体まで勝手には扱わない。今夜、お前が嫌なら終わりだ。嫌ではないなら、俺のそばに来い。明日の朝まで、ここは俺の部屋にする」

 ルジアは短くうなずき、濡れた布を床に置いた。彼女の肌は戦いの汗と潮の匂いが混じり、指先は冷えていた。ディエゴが手を握ると、冷たさがゆっくり温まっていった。

 ルジアはディエゴの傷に指を当てて言った。「ここ、まだ熱い。無理に動いたでしょう」
 ディエゴは苦笑した。「無理をしないで砦は取れない。だが、お前の前では格好はつけない。痛いものは痛い」

 ルジアはディエゴの服の結び目をほどきながら言った。「明日の朝、私が先に起きます。倉の鍵を持つのは私です。あなたは寝てください」

 ディエゴは言った。「寝るために呼んだ。抱くためだけではない。今日は汗と泥の匂いのまま終わりたくない」
 彼女が近づくと、息が耳にかかり、甘い匂いではなく、人の体の匂いがした。ディエゴはそれを吸って、ようやく戦いが終わったと感じた。

―――――――――――――――――
挿絵は、『ポルトガル人によるアフリカ沿岸周航』です。

出典は、『講談社現代新書「新書アフリカ史」P253』です。
挿絵は、『アフリカ』です。

出典は、『筑摩書房「大航海時代」ボイス・ペンローズ著。荒尾克己訳。巻末地図。』です。
挿絵は、『アフリカ地図』です。

出典は、『帝国書院編集部編「地歴高等地図」P35』です。
挿絵は、『東アフリカ』です。

出典は、『帝国書院編集部編「地歴高等地図」P40』です。
―――――――――――――――――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【アラウコの叫び 】第4巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日21:40投稿】 4巻は、序盤は「推理もの」、中盤から後半は「ロマンスもの」が展開されます。 ・サンティアゴで起こる「事件」と「裁き」 ・「アンデスの悪魔」として悪名を轟かせた狂気の老人カルバハルの存在感 ・ニドス家の兄妹の「行く末」 ・イネスとバルディビアとの「出逢い」と「結末」 大きく分けてこの様な展開になってます。 ------------------- 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

楽将伝

九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語 織田信長の親衛隊は 気楽な稼業と きたもんだ(嘘) 戦国史上、最もブラックな職場 「織田信長の親衛隊」 そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた 金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか) 天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。 【登場人物】 帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。 織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。 斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。 一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。 今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。 斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。 【参考資料】 「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社 「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳)  KADOKAWA 東浦町観光協会ホームページ Wikipedia 【表紙画像】 歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

処理中です...