最後の異世界物語りー剣の姫と雷の英雄ー

天沢壱成

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第二章3 方舟 〈信落〉

『独姫愁讐篇』

 酒場区域は新宿歌舞伎町の飲み屋街のようだった。
 昼間なのに暗くてネオンのようなぬめった光彩が目立つのは、青空が鉄色の水晶板に塞がれているからか。葉桜通りの入り口から出口の一本道全体が昼なのに夜の雰囲気で、飲み歩いてる人は多い。
 一〇代少女二人は非常に目立つ。
 場違い感がすごい。
 なので、アカネは遠い目になって、

 「じゃ。あとは頑張って」
  
 「待って待ってこんなところで一人にしな、あ!」

 早く地元に、太陽の下に帰りたくてアカネは回れ右して酒場区域を出ようとし、それを止めようとしたエマは躓いて顔から転び、立とうとして壁に手をつけば滑って後頭部を地面に打ち頭を押さえて転がる羽目になった。
 何そのスーパープレイ。
 アカネはドジっ子属性の加速が止まらないエマに呆れながら、

 「それで。どこら辺でぶつかったの?」

 エマはアカネの手を借りながら立ち上がって、

 「もう少し先に行ったところだったと思う、けど……」

 言いながら、エマの語気がみるみる弱々しくなっていく。無理もない。入り口付近で既に帰りたいのに更に奥へ行くとか正気の沙汰じゃねぇ。しかも二人揃って一〇代少女で、一人は異世界レベル一の駆け出し冒険者、もう一人は全く頼れないドジっ子とかもうこのパーティーは終わってる。
 
 あと、怖い。普通に怖い。さっきから周囲の目が怖い。獅子に囲まれた小動物の気持ちがよくわかる。あと上京娘の気持ちも。

 「こ、こういう時に頼りになる男の人がいればいいんだけどね……」

 ビビりまくりのエマが言うことには一理あるが、そんな都合の良い人間はいない。
 心当たりもない。

 「………………、」

 と、そこで一瞬ハルとユウマが脳裏を過ったがすぐに「ないない」と頭を振って心当たりの向こう側へと追放する。
 あの二人を選ぶくらいなら絶対セイラの方がいい。強そうだし。

 「でも、いないから。アタシたちだけで行かないと……」

 「うん、そうだね……。もし何かあったら真六属性アラ・セスタに助けてもらおう」

 「あらせすた?」

 「?〈光是の六柱〉の魔法を扱うって言われてる魔道士のことだよ。まぁ、これは本当に噂話だからいるかどうかわからないけどね」

 「じゃあダメじゃん……」

 「勇気を貰うって話しだよ」
  
 「ドジっ子を治してもらうの間違いでしょ」

 「それはそれでいいかも」

 「いいんかい」

 などと臆病な心を忘れようと軽口を叩き合い、二人の少女は大人の世界へと踏み出した。
 サクラ・アカネ一六才。人生初の夜の街は異世界です。と、内心複雑な銀髪少女は夜の街だけでなく、夜の男性もーー酒気を帯びた男性も間近で見るのは初めてで、本当に少し怖かった。
 怪訝な様子で見てくる人もいれば舌舐めずりするような卑猥な視線を送ってくる人もいる。男性だけでなく女性ももちろんいるが物珍しげに見てくるだけだ。
 治安が特別悪いワケではないのだろうが、少女二人が来るような場所ではないのは確かだ。

 「どう?ここら辺?」
 
 「……うん。けど、見当たらない」

 「もっとよく探してみよ」

 「うん」

 その時、我ながら最低だなとアカネは自嘲した。もっとよく探してみよう、なんて。エマのためじゃない。自分が早くここから出たいから言ったのだ。

 ーーーーーーーーあ。

 不意に、気づいた。
 〈ノア〉に一時的に身を置いているのはこの世界の情報と通貨を手に入れて、一応ハルたちに寄せられる信頼度の見極めのため。
 現状の流れは〈ノア〉としての仕事だから当然の事象ではある。〈ノア〉は人助けを是として、何よりも依頼者のために動いている。
 それは短い時間でもよくわかることだ。

 では問題。
 アカネはどうだっただろう?

 ここに至るまで、彼女は一回でも誰かのために動いていただろうか?

 ーー否だ。

 サクラ・アカネは。
 ただの一度も誰かのために。それこそエマのために動いていなかったじゃあないか。

 全部自分中心だった。
 仕方なく付き合ってあげていると、上から目線で手足を動かしている。
 〈ノア〉の家にいた時も。
 古書店にいた時も。
 今だって。

 全部誰かのためではなく、自分のためだけに動いていた。
 やる気がないのも当然だった。
 だってエマのことなんて、ハルたちのことなんてこれっぽっちも信じていなくて、そう思っていることを悪いと思っていないんだから。
 そりゃあ自分のことしか考えず、人助けなんて向いたないわけだ。

 「……………っ」

 意識したら、もう後戻りは出来なかった。
 自分中心だったことをエマに悪いと思ったない時点でアカネは終わっていた。
 今まで思ったことはないけれど、他者を信用しないことは人間として歪んでいる。
 誰かのために走れる人と、思い出のために走れるような、綺麗な心を持つ人なんて元の世界に■人しかいなかったから自分の歪みに気づかなかった。

 一緒にいたら。彼らの心を汚してしまうと思えたのは僥倖だった。
 「 え?アカネちゃん?」エマの声を「アカネちゃん!どこ行くの!?ねぇってば!」呼び止めるような声を無視して、アカネは走り出した。


 古書店前。

 「………ほぉう。一言もなくいなくなるとはいい度胸だ」

 「せ、セイラさん?」

 「来いユウマ。探し出す対象が増えた」

 「…………はい」

 ぶん殴る対象が新規追加された、の間違いじゃないの?と、静かに怒るのが一番怖いを体現した"アリア"の姉さんにビビったユウマと、近くにいた住民たちが心の中で声を揃えていた。
 

 

 ーー走ったところで何かが変わるわけでもない。
 自分の醜悪さに気づいても改善しようと思えなければ汚れが落ちることはない。
 真っ白だったキャンパスは、とうの昔に傷だらけの黒色だ。パレットナイフで薄く薄く削ぎ落としても意味はない。人を信じるという心の働きは錆び付いて、もう使い物にはならない。

 異世界に来たところで、サクラ・アカネが劇的に変わるワケではないのだ。変われるわけがなかったのだ。
 だって。
 人は化物だ。 
 ヒトを傷つけて嗤う怪物だ。

 アカネの周りには、そういう人しかいなかった。
 だから心は次第に摩耗して擦り減って、自動的に信頼という情を彼方の向こうへ追いやった。
 必要がないモノだと、不要なモノだと、儚いモノだと確定印を押して手が届かない心箪笥の奥へと仕舞い込んだ。
 
 それは、そうだろう。

 トイレに閉じ込められ。
 水をかけられ。
 大勢の人から寄ってたかって、指を差されて罵詈雑言を浴びせられ、迫害されて、心が無事なわけない。無事なわけがないじゃないか。

 一〇代の少女が人にも世界にも絶望して、何の期待も持たないで闇に沈むのは当然だ。
 
 正義という名の優しさを諦めるには十分過ぎるエピソードだ。
 それを、なくす。
 急に変えろと言われても。

 「いってぇなぁ!どこ見て走ったんだ!」

 「ーーっ。すみません」

 エマから大分離れた地点で男の人とぶつかってアカネは一度足を止めてから頭を下げる。どこを見て走っていたのかこっちが知りたいくらいだ。
 どこへ走っても、どこへもいけないのに。
 それでも走らないと「影」に追いつかれてしまうから、アカネはすぐに足をーー、

 「おい。誰が行っていいって言った」

 「ーーっ!」

 途端、アカネの細い肩を男の手が掴んだ。予想外の衝撃に驚愕したアカネは条件反射で振り向いて目を丸くする。
 とにかくデカイ、巨漢だった。
 さっきは相手も碌に見ないで日本人の悪癖である『すぐ謝る』が出たから特に何も感じなかったが、いざ視界に入れてみればぶつかった男は筋肉の塊だった。
 日光に焼けた黒い肌に筋骨隆々とした肉体は力士よりも大きく、熊よりも威圧的で、アカネなんて魚卵か何かのように軽く潰せそうだ。
 巨漢の隣に手下みたいな男も含めて、この場にいる全員が赤子のようだ。
 巨漢がアカネの顔をみて目の色を変える。

 「んん?よく見たら黒髪の嬢ちゃん、お前結構、つーかかなり可愛いじゃねーか」

 「……そんなことない、ですから。もう、行ってもいいですか」

 「ダメだ。お前は今日から俺の女にする。丁度今日の夜は暇だったからな。ガハハハ!」

 巨漢と金魚のフンみたいな男が下品に嗤う。酔っているようだ。まるで話しが通じそうにない。忌避感に従い逃げようとするが何故か足に力が入らず、地面に縫い付けられているみたいにピクリとも動かない。

 ーー怖いんだ。

 目の前の巨漢が。
 期待することなく周りを見れば大半が肩を竦めて呆れたように息を吐き、傍観しているだけでアカネを助けるために動こうとはしていない。

 少し、安心してしまった。
 これが普通だ。これがアカネが知っている人間だ。わざわざ自分の身を危険に晒してまで他者を助けるなんて誰もしない。メリットがない。
 正しかった。
 アカネは正しかった。
 歪んでいるけど歪んでいなかった。
 人間なんて、信じない方がいい。
 人間になんて、期待しないほうがいい。

 だからーー。

 「ーー何やってんのよ筋肉ダルマああああああああああああああああああああ!!」

 彼女の登場には本当に呆然となった。
 赤いリボンに金髪ツインテールの少女、エマ・ブルーウィンドが駆けつけて来たのだ。
 頭には鍋をセットして手にはお玉を持った少女は
いつもの流れで転んだが、すぐに立ち上がるとアカネを守るように勇ましく立って巨漢を睨んだ。

 「誰だ、お前」

 「通りすがりの美少女よ。この銀髪少女はアタシの友達なの。それ以上近づかないで」

 「……エマちゃん」

 巨漢は子供の反抗を見るように笑って、

 「ガハハハハ!そんなチャチなモンで俺をどうにかするってのか?おいおい俺は鍋の具材じゃねーんだぞ、友達思いの美少女料理長!ガハハハ!」

 「ええそうね。あんた出汁を取って終わりにしてやるわ。……嘘今のやっぱなし。アンタの出汁とかすごく不味そう」

 エマの嘲る言い方に巨漢はスッと笑みを消して苛立ちげに彼女を睨んだ。

 「調子に乗るなよクソカギが。そこの女は俺のモンだ。痛い目に遭いたくなかったら今すぐそこをどけ」

 「いや」

 「殴られてぇのかよ?」

 「そっちの方がまだマシね」

 「あん?」

 エマのその堂々たる一言にはさしもの巨漢も怪訝になったらしい。もちろんアカネもだ。
 エマ・ブルーウィンド。彼女は気持ち程度の装備品全てを外して放り投げ、それから細い腕を組むと言った。
 まるで朝の挨拶のように当たり前に。
 平然と。
 凛と。

 「ーー友達を見捨てるくらいなら、傷を負ったほうがマシだって言ってんのよ」

 「ーーーー」

 意味が。
 分からなかった。
 だってあたしとエマちゃんは、別に……。

 「はっ!泣かせてくれるねぇ!だったらこうしよう!お前が今この場で服を脱いで俺に謝ればーー」

 「ーー友達助けるためなら服なんていくらでも脱いでやるわよ!女なめんじゃねぇ!!!!」

 それは恫喝だった。
 ビリビリと空気を伝ってアカネの肌を叩く、力強い声だった。酒場区域全体に轟くような女の叫び。
 上着を脱ぎ、上半身だけ下着になった、白い肌を恥ずかしげもなく堂々と見せつけるエマの姿に巨漢は微かに怯み、そしてアカネは呆然となる。

 こんなの、知らない。
 こんな人、知らない。
 
 さっきまで酒場区域の雰囲気にビビっていた同年代の少女には、とてもじゃないが見えなかった。
 ……どうして、そこまでするの。
 だって、アカネはエマのことなんて何も考えていなかったのに。友達、なんて。応えることは出来ないのに。

 「……もう、いいよ。もういいよエマちゃん。あたしのことなんて、放っておいてよ……」

 「そんなの」

 彼女は振り向いた。
 少し、寂しそうに笑っていた。
 友達に、そんなこと言ってほしくなかったみたいに。
 
 「そんなの、出来ないよ」

 「ーーぁ」

 唇から漏れたのは頼りない吐息だけだった。ここまできてもまだアカネの心は開くこともなく、エマを信頼しようともしない。「友達」なんていう夢物語り登場人物に手を伸ばすことは出来なかった。
 交わした言葉は少なくて。
 互いのことなんて何も知らない。

 ーーそう。何も知らないのだ。

 それはアカネだけじゃなく、エマにもハルにもセイラにもユウマにもギンにも同じことが言える。
 なのに、なのに、だ。
 彼女はそれでもアカネを友達と呼び、こうして身を危険に晒してまで助けようとしてくれている。
 
 信じることは難しいけど。
 友達なんてすぐには言えないけれど。

 自分のためにここまでしてくれた人が、果たして■以外にいただろうか。
 目の前でそんな人が傷つくのは、アリなのか?

 「……め、て」

 今度はもう。
 吐息だけではなかった。

 「もうめんどくせぇんだよ!」

 その姿に。
 少しでも報いたいから。

 「やめてっ、やめてよぉぉおおおお!」



 「ーーその依頼。俺が受けてやる」

 それに、前兆なんてなかった。
 その人影は颯爽と天から舞い降りると巨人の拳と見紛う男の一撃を簡単に片手で受け止め、一人の少女の依頼を一瞬で達成していた。
 
 圧倒的劣勢を切り裂く勇壮な声。

 最初、誰だか分からなかった。後ろ姿も理由の一つだが、単純にあの巨漢の一撃を造作もなく片手だけで防いだ人が「彼」だとは思わなかった。

 ハル・ジークヴルム。
 説明はいらない。
 ただ、彼がそこに立っていた
 
 

 
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