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『独姫愁讐篇』
第四章3 呪い〈虚無〉
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眠りたい時ほど目は冴えて、夢を見たい時ほど眠りは遠くなっていく。
宿のベット。毛布にくるまり横になっている少女は、きつく瞼を閉じて現実から逃げるのに必死だった。
酷いことを言った自覚はある。けれど本音を吐き出した自覚もあるから少女の内心は複雑だ。
やっぱり、聞かないほうがよかったのかもしれない。何も知らないままぬるま湯に浸って身も心も腐乱死体のようにぐずぐずのぶよぶよになって、己のことすら不確かで曖昧な、本物なんて到底呼べない、錆ついた信頼を寄せていれば、こんな苦しくて辛い思いはしなかっただろう。
この世界で生きていく?
笑わせるな。
どの世界にも、少女の居場所なんてありはしない。「この」世界に捨てられて、「あの」世界にも捨てられて。
なら。
それなら一体、どこの世界なら少女は月並みの人生を歩むことが出来るのだろう。
どこまで、悲劇の沼に浸かっていればいいのだろう。
「ーーアタシもよく、そうやって毛布にくるまって夢の中に逃げようとしてたよ」
不意に声がして微かに驚くが、わざわざ飛び起きてリアクションを取る気にもなれなかった。流石に全く覚えのない声だったら話しは変わるが、幸いにもその音には聞き覚えがあった。
鈴を鳴らすような、可憐な声。
エマだ。
「おばあちゃんが死んだ時も。両親のことを考えた時も。イヤなことがあった時も。現実を見るのが辛くなって、泣きたいのに泣けなくて。……そういう時はいつも、夢の中に救いを求めてた。だって、夢でならみんなに会えて、幸せだったから」
「………、」
「でも気づくの。ああ、これは夢なんだって。本当じゃないんだって。夢から醒めた時、待っているのは前より胸が痛い現実だけ。突き付けられる。神様の底意地の悪さを。世界の理不尽を。……悲劇の密度と味を」
まるで優しく振る雨のような、じんわりと胸を湿らせる静かで切ない声色で言葉を紡ぐエマに、少女は唇を噛みながらも同族意識を抱いた。
分かるのだ。
彼女の気持ちが、いたいほどに。
少女も、そうだったから。
「でも、楽なんだよね。逃げた方がずっと楽なんだよね。辛い痛い苦しいに立ち向かうなんて、そんな強いことは出来ないもの。そもそも強かったら、最初から逃げてなんかいないもの。……向かい風の中に立つことが出来るのは、ソレを追い風に変えることが出来る一握りのヒトだけなんだよね」
「………、」
「アタシは。そんな人たちがスゴイって思った。羨ましいって、そう思った」
ギシ……っと。ベットが軋んだ音を立てた。横を向いて寝ている少女の後ろに、エマが座った気配。
「アカネちゃんは、アタシがスゴイって、羨ましいって思えた人だよ」
「………、」
意味が。
分からなかった。
「ビクビク震えながらもアタシのために叫んでくれた。恐怖を押し殺して罪人と戦うハルくんたちの許へ戻ろうとした。それは、誰にでも出来ることじゃない。多分、大多数ができない。みんな、動けない」
そんなことない、と声に出さずに呟いた。
表面上だけならエマが言う通り勇気ある人に見えるのだろう。書類審査だけなら間違いなく合格だ。だってその四角四面にはネットで検索したような美辞麗句しか書かれてなくて、中身なんてないし誰でも口に出来るような、バーゲンセールで売られている一個一〇〇円の文字で作られた価値の安い言葉でしかないのだから。
だって、少女は動いていない。
やめて。
戻って。
言っただけで、実際に行動には移っていない。
「そういうことじゃないよ」
まるで少女の思考を断ち切るようにエマは言う。
「言えること自体がスゴイことなんだよ。あんな状況で誰かのために何かをしようと思えること自体が、奇跡みたいなものなんだよ。……それは。ハルくんたちにも同じことが言えるんじゃないかな?」
「………、」
「ハルくんたちは、アカネちゃんをーー」
「ーーあたしのためを思って?」
鼻で笑うような声が低く響く。
エマの声を遮った少女は、毛布の中から出ずに言う。
「あたしのためを思ってって、どの辺りが?王女だったことを隠していたこと?髪の色を変えていたこと?一体、何があたしのためだったって言うの?こっちの気も知らないで歯の浮くようなことばかり言って、信じてほしいなんてほざいて。……あぁ、あぁ、確かに少しは信じてみてもいいかもって思ったよ。でもそれは幻想で、一時の感情が見せた夢でしかなかった。隠し事をする人間を、あたしのためだって嘯いて隠し事をする人間を。どうやって信じればいいの。……どうすればよかったの!」
「アカネちゃーー」
「うるさい!」
バッ!と。
毛布を乱暴にエマへとぶつけてベットから出て、少女は窓の前に立った。月光に淡く照らされながらエマを睨む少女の蒼い双眸は、空の色の瞳は、嵐のように荒れていて、今にも雨が降り出しそうな、そんな目をしていた。
「あんただってそうだ。あたしをいちいち期待させないで!あんただってあたしが王女だからあの時助けてくれたんでしょ!あたしはスゴくない、スゴくないよ!弱虫で臆病で、何にも出来ない女なんだ。それなのに、あたしの気持ちを理解した気になって美辞麗句を並べないで、ムカつくのよ!……一人の辛さを知らないくせに。何も知らないくせに。友達、なんて。友達だなんて呼ばないで!あんたのことなんて友達って思ってないんだから!…………もうこれ以上あたしに構わないでよ赤の他人なんだから!!!!!!」
ーーパァン!!と。
月明かりだけが光源の部屋に音が響いた。
銀髪の少女はその音の衝撃に呆然となり、固まっていた。微かに横を向いてしまった顔を正面に戻せば、エメラルドカラーの、綺麗な瞳の片方から痛そうに涙を流すエマがいた。
遅れて、ヒリヒリとした痛みが頬に伝わり、平手打ちを喰らったのだと悟る。
悲しそうにこちらを睨む金髪の少女は言う。
「アカネちゃんが、アタシを友達って思っていないならそれはそれで構わない。一方通行でも大丈夫」
「………、」
「だけど。あなたにアタシがあなたを友達と呼ぶ権利を奪う資格なんてない。あなたと友達になりたいと思ったアタシの心をバカにする資格なんてないっ!」
「そんなの……っ!」
そっちの勝手な都合でしょ。ーーそう言おうとして、しかし言えなかった。
ぐっと、胸倉を掴まれると引き寄せられて、互いの息がかかるくらいの距離で、こう言われた。
「そもそも!あんたのためだからこっちは命を懸けたんだ!友達のために命を懸ける行為が、そんなに信じられないか!?」
「ーーーーっ!」
鈍器で頭を殴られたような衝撃があった。
思わず下がろうとするが、そんな逃避なんて許さないとばかりに、エマは言う。
「あんたの悲劇に、アタシを巻き込むんじゃないわよ!!!!」
くらり、と。
エマの手が胸倉から離れると、少女は窓に背をつけて、そのままズルズルと床に座った。
………そういえば、エマ・ブルーウィンドは何も知らなかったんじゃないのか?"幻色石"は〈ノア〉であるセイラたちが付けたもの。
で、あるならば。
依頼人である金髪ツインテールのこの少女は、銀の髪の少女の正体が第二王女だと知る由もなかったはず。
つまり。
エマは、「レイシア」のためじゃなくて……。
「今言ったことは、多分。アタシだけの気持ちじゃないと思う」
「………、」
「誰かのために傷を作るって、簡単なことじゃないんだよ」
「………、」
「簡単なことじゃ、ないんだ……」
寂しそうにエマは言うと、部屋から出て行った。
その後ろ姿を、少女は見てることしか出来なくて。
ーー涙は一滴も、流れてはくれなかった。
2
真歴一六〇〇年、六月五日。
昨夜の騒動がまるで嘘だったかのように"アリア"では明日に迫った追悼祭の準備が行われていた。灯籠を設置する道々の整理、屋台の設営などなど。
そして本来なら住民総出で取り組むこの手のイベント作業に一番やる気を出す〈ノア〉の面々は完全に家で腐っていた。
午後三時。
無気力状態の三人と一匹はどんより空気の中死体になりかけて、そんな奴らを猫の手も借りたいくらいに忙しい住民の男ーー八百屋のオッサンが求めて訪問してきた。
タオルも鼻毛もない、息リフレッシュの生まれ変わりオヤジはズカズカとリビングに入った。
「おいお前ら!ちょっとウチの店手伝ってくれ………って。なんだどうしたこの空気。普通に体調壊しそうだ」
床でスライムと化しているハルは男なんて見ないで、
「ごめん。いまちょっと、そーゆーノリが通じる空気じゃねーんだ。つーか空気読めよぶっ飛ばされてぇのかクソジジィ。その帽子にあってねーんだよぶっ飛ばすぞ」
「え、なに。いつもより愛がないんだけど。ていうかさりげなく人の心傷つけるのやめてもらえます!?」
ソファで放心状態のユウマは男をチラッとみて、
「なんでオッサンが出てくんだよ。アンタメインキャラじゃねーだろ需要がねぇんだよ。ただでさえ予定より話しが伸びてんだから出てくんじゃねーよぶっ飛ばすぞ」
「なんの話し!?」
ダイニングテーブルに座るセイラとギンはゴミを見るような目で、
「帰れ」
「そして二度と顔を見せるな」
「どうすりゃいいんだよ俺はああああ!」
そうしてオッサンが消えた後。
液体から固体に戻ったハルはボーッとしながらセイラが飲んでいたコーヒーを飲み、苦味を吐き出すように呟く。
「アカネに嫌われた」
それからセイラの頬をつねると倍返し以上のパンチが返ってきて床に転がった。
痛みがある。
「……夢じゃない。アカネに嫌われたのは、現実なんだ」
のそりと起き上がり、ハルは鼻血を拭う。
居ても立っても居られなかった。
「うぉおおおおおごめんアカネ今すぐ俺のことぶん殴ってくれえええええええええええ!!」
罪悪感に従い家を飛び出そうとしたトコで襟首をセイラに掴まれて、足は動いているのに前に進めない力技の外出阻止を喰らったハル。
赤髪の美女は呆れた息を吐いて、
「どこへ行く」
「アカネのところに決まってんだろセイラ!謝りに行くんだよ!」
「謝ってどうする」
「許してもらう!」
「今の状態じゃ無理だ」
パッとセイラが手を離すとハルは廊下の壁に激突し仰向けに倒れた。
セイラは腰に手を当てて、
「昨日の今日でアカネの心に整理がつくはずない。昨日のアカネを見たろう?今の私たちが行ったところで逆効果だよ」
ハルは起き上がるとセイラに近づき、鼻と鼻がくっつく距離で言う。
「でも何もしないよりかはマシだろ!ここでボーッとしてるくらいなら、俺はアカネに頭を下げたい!」
「そのアカネが。私たちと会いたがらないと言っているんだ」
「なんで!」
「素性を隠したからだろ」
セイラの言葉の先を継ぎ、ハル問いに答えたのは和服姿のユウマだ。彼は湯呑みを持つとお茶を一口飲んで、
「自分が第二王女って、隠さずに教えてほしかったんだろ。今まで普通以下の人生を歩んできたアカネにとって、その道を歩まずに済んだかもしれない『ありえた未来』は、キツかったんだ。最初から教えてやれば、こうはなってねぇ」
「でもそれはーー」
「ああそうだ。アカネのためだとオレらが勝手に決めつけて蓋をしちまったんだ。信じろとか言っておいて、結局オレたちはアカネのことを何も考えていなかった。……そう思ったから、オマエはアカネのトコに行こうとしてたんじゃねぇのか?」
ぐっと、奥歯を噛んだ。
ユウマの言う通りだ。
セイラがハルの頭をポンポンと撫でた。
「いずれはこうなっていた。遅いか早いかの違いでしかないなら、早い方が良かっただろう。突然自分が王女だなんて言われても、すぐに受け入れられる女はいないよ。……アカネは特にな。しばらく一人にしてやろう」
***********************
夜が終わって朝になっても気分は晴れなくて、同時に全部が夢じゃなかったと思い知らされて、銀髪の少女は街を一人で歩いていた。
明日に控えた追悼祭の準備が進められる様子は文字通りお祭り前日の喧騒に満ちている。
一組の親子が笑顔を浮かべながら楽しそうに横を通り過ぎていく。
その子供は、少女が初めて寂しいという感情を知った年齢と同じくらいだ。
もしかしたら、この世界にずっといたらありえたかもしれない光景だった。と、そんな未練がましい思考を断つように親子から目を離して再度歩き出す。
頭の中を整理したかった。
一夜で与えられた情報量とその質が、軽く許容量を超えてきたから考える時間が欲しかった。
異世界に来て、知らない人たちに囲まれて。無償の優しさをくれて、命を狙われて、助けてくれて、自分がこの世界の住人だと知って。
一六才の女の子が一人で処理できるレベルじゃないことは誰の目から見ても明白だ。
それは、何もわからなくなるだろう。
そもそも。一人の寂しさを知っている女の子が異世界での一人なら大丈夫だという理論は通用しない。下手をすれば、もっと悲惨な末路が待っている。
だから嬉しかった。
久しぶりに誰かと同じ時間を過ごせたから。信じる信じないの話の前に、だ。一六年間ほぼ一人でいた少女の心は本人も気づいていないくらいにズタボロだった。
そんな中、自分に優しくしてくれる人が現れたら誰だって嬉しくなるし期待も寄せる。
ーー信じてみてもいいのかな。
もう、限界だったのだろう。
もう、休みたかったのだろう。
疑うことを。
やめたくて。
信じることを。
始めたかった。
ハルが言っていた通り、疑うことは疲れるから。
それなのに、こうなった。
また、わからなくなった。
誰もあたしを必要としていなくて。
誰もあたしを見てなんかいなくて。
『自分』が、わからなかった。
「………あ」
黙々と桜通りを歩いていたら見知った人物がいて少女は思わず足を止めた。
赤いリボンに金髪ツインテール。
エマ・ブルーウィンド。
道の端に視線を落とし、何かを探している。否、ネックレス以外にない。
立ち止まって見ていたら向こうもこちらに気づき、少しだけ気まずい空気になる。
するとエマは苦笑して手招きをしてきた。当然無視なんて出来るわけもなく、アカネはエマに歩み寄る。
「いやーあっはっはっ。一人だとやっぱり大変でさ。ネックレス探すの手伝ってよ。どうせ暇してるんでしょ?」
「……うん」
「よし決まり。じゃあそっちよろしく」
「……分かった」
思ったより普通の態度で接してきたからアカネは少しだけ戸惑う。
なにもなかった。いいや、何もなかったことには出来ないはずなのに。
「昨日は、ぶってごめんね」
と、エマがそう言ってきてアカネは手を止めて彼女を見る。
「やり過ぎたとは思ってる。反省もしてる。……でも、言い過ぎたとは思ってない。思ってないよ」
「……色々考えてみたよ」
住民たちの声、ガヤガヤとした街の声が響く中、少女は言う。見るともなしに石畳を見ながら。
「考えて、考えて、考えて、考えた結果やっぱり悲しかった。許せなかった。正直に、素直に全部言ってほしかった。あたしを見てほしかった。………信じて、みたかった」
嘘偽りのない本音だ。
でも。
「ーーありがとう。エマちゃん」
「………え?」
「助けてくれて。守ろうとしてくれて。あたしを、見ていてくれて」
エマは最初からレイシアなんか見たいない。酔っ払いの時も仮面の女の時も、彼女は、彼女だけは少なくとも銀髪のレイシアではなく黒髪のアカネのために震える足を動かしてくれたんだ
本当にすごいのは、彼女だ。
「ごめんね。ひどいこと言った。……本当にごめんね…………」
「気にしないで。それに言ったでしょ?」
「?」
小首を傾げたアカネを見て、エマは片目を閉じると笑って言った。
いいや。
もう一度、言ってくれた。
「友達を見捨てるくらいなら、傷を負った方がマシだってね」
口だけじゃ終わらない。
実際に彼女は行動で示している。
だから。
「………うんっ。そうだったね……っ」
眦に涙を湛えた綺麗な笑顔は、この世界に来てまだ一度も笑顔を見せていなかった表情で。二人の少女が知る由もないことだが、ソレはセイラとユウマが気にかけていたことに他ならない。
綺麗だけど、少し下手な笑い方。
まるで、もう何年も笑っていなかったような。
だからこそとても価値があるもので、誰から見ても二人の様子は友達同士にしか見えなかった。
***********************
ーー翠が、赤に変わった。
***********************
気まずい状況というのは前兆もなく訪れる。
そもそも事前に知ることが出来れば奴らはやってこない。あいつらは音もなく背中を刺すから手に負えないのである。
オレンジ色の光に世界が輝く、夕方の時間帯。大衆飲食店で夕食を摂っていた〈ノア〉の三人とギンは店に入ってきた二人組を視界に映すと石のように固まった。
ネックレスは見つからず、アカネには会えないということでやけ食いしていたハルは肉を食べようと大きく開けた口をそのままにし、ユウマは激辛スープをボタボタと口から零し、セイラはフォークに刺していたソーセージを落とし、ギンは咥えていた骨をテーブルの上に落として。
「「「「…………、」」」」
アカネとエマ。
二人の少女がいらっしゃいませである。
向こうも向こうでこちらに気付いて、エマはともかくアカネの方はハルたちとそう変わらないリアクションを取っていた。
そして考えるより先に光の速さでハルは動いていた。
「おうアカネ!元気か!こっちきてみんなでメシでも食おうぜ!」
さらにこの瞬間、〈ノア〉の面々は謎の力を発揮し思考の共有を可能にする。
ユウマは激辛スープを垂れ流したアホ面のまま思考の中では真剣な顔をして、
ーー(上手い!不測の事態に対応しつつなんの不自然もなくアカネを誘った!断られる方が可能性としてはあるが、これなら無視をされるという最悪の展開は免れる!やるな、ハル!)
ーー(仮に無視をされても店は一緒なんだ。アカネの席に行って話し合いの場を作ることもできるぜ!俺はアカネに謝りたい!)
しかしそんなアホ共の考えは少女たちを応対した店員の一言で終末を迎える。
「申し訳ございません。ただいま満席でして……」
雷に打たれた気分だった。
ーー(な、なにぃいいい!?満席だとおおお!?そこまでカバー出来ねぇよ!空気読めよ店側はっ倒すぞ!)
ーー(ヤバイ、アカネたちが行っちまう!……かくなる上は……!)
最早躊躇っている暇はないとユウマは判断した。
彼はキッ!と目の色を変えると隣の席のテーブルに座る男四人組のうちの一人の目に激辛スープを飛ばした。
瞬間、絶叫が店内に響き渡り、いきなりなことに動揺した他三人に変わって何食わぬ顔でユウマが近づいた。
これはエグい。
「め、目があああああ!眼球が二つに割れるううううううう!
「落ち着け目ん玉は元々二つだけだ!何をされた、一体誰がこんなことを……!
ーー(上手い!力技で席を空けるだけでなくいかにも自分は何もやってませんオーラを出しながら被害者の心配をするとは!なかなかゲスいぞ、ユウマ!やるな!)
ーー(手段を選んでる場合じゃねぇからな!自分たちが行くんじゃなくて向こうから来てくれるなら話しは別だ。アカネとじっくり話して仲直りだ!)
「誰がこんなことをっていうか、オマエがやってたよね!?」
「やかましい!」
「「「目がぁぁぁあああああああ!!」」」
口封じは重要だ。
四人は尊い犠牲である。
ーー(上手い!)
ーー(上手くないわ)
などとセイラからのツッコミも貰ったところで席は空いた。
店員もソレに気づき、アカネとエマを案内し始める。
これでようやくアカネと話せるーーと。邪魔者を排除し空席を一つ作ったコトで気を緩めた三人は飲食店というものを侮った。
そう。新しい客がくるように、古い客は店を出る。
致命的な油断。
ハルたちから大分離れた席を、三人組の男共が立つ。そして瞬時にテーブルをキレイにする最高の店員。
だが今は、それが憎らしい。
ーー((しまった!))
コンマ一秒の思考の遅れ。
少年二人は絶望する。
「甘い!」
しかしセイラだけが動いていた。
絶望を断つように、ナイフとフォークが空を裂きながら男共へと迫り、それぞれの頬を掠めて壁に突き刺さる。だらだらと冷や汗をかく男共が腰を抜かしたように再度席に座る。
ーー((セイラさぁぁぁああん!!))
ーー(私だってアカネと話したいからな!)
そして力技であろうと一人の少女と話したいという切な思いに、運命は微笑んだ。
隣の席に、彼女は座った。
………なにを考えているのこの人たちは。と、バカなことをしていたハルたちにアカネは呆れていた。
考えていることが見え見えで直視ができない。ーーアカネと話しがしたいのだろう。昨夜の件について互いに色々言葉を交わす必要があることは分かっている。だけどどんな顔をして話せばいいのか分からない。第一現状は望んでこうなったワケじゃないし、今話しても一方的に感情をぶつけてしまうことが自分でも分かった。
何をどう言われても。
隠されていた事実は変わらない。
「いいの、アカネちゃん。ハルくんたちと話さなくて」
対面に座るエマがメニュー表を持ちながら気遣うように訊いてきた。
アカネは用意されたおしぼりで手を拭いながら、
「うん。話すことなんて何もないから」
意識して棘々しく言うとハルたちが視界の隅でダメージを喰らっているトコが見えた。テーブルに突っ伏しているあたり、テクニカルヒットだったらしい。ーー胸が痛くなるが、それは無視した。
………話すことなんて、なにも。
***********************
話し掛けるタイミングを完全に潰されてハルたちは項垂れていた。やはり一日くらいじゃ口なんてきいてもらえないのか。
と、彼女と喧嘩した彼氏みたいになっているがハルたちではあるが、警戒は怠ってはいなかった。
昨夜の襲撃、罪人の存在。奴らの目的がアカネーー第二王女の首ならまず間違いなくもう一度来る。
油断なんて、してるはずもなかった。
だから。
「ーーご注文はお決まりでしょうか?」
何の不自然もない、飲食店の従業員なら当然の仕事である注文確認を隅のテーブルへしにきた女性店員が、流れるような所作でアカネをナイフで刺そうとしたのは、本当に予想外であった。
気づいたのは、セイラ。
皆の理解の時間が止まっている中、やはりこの人だけは違う。女性店員が懐からナイフを取り出し、アカネの喉元を狙った瞬間に手にしていたフォークを投げて笑顔の殺人を阻止、ナイフがくるくると宙を舞う。
そして否応なく女の店員を床に叩きつけた。
全ては一瞬だ。
時間が動き出し、女が床で昏倒し、セイラは前髪をかき上げた。
「注文は足音で頼む。殺気だけならまだしも、飲食店の従業員が足音を立てずに歩くのはおかしいからな」
そして。
店内を見回すと、セイラは呆れるように言った。
「知らない顔がいくつかあるな。ーー気づかないとでも思ったのか?下級罪人が」
そして。
それが合図となった。
約五〇余名の罪人が、大波のように押し寄せた。
宿のベット。毛布にくるまり横になっている少女は、きつく瞼を閉じて現実から逃げるのに必死だった。
酷いことを言った自覚はある。けれど本音を吐き出した自覚もあるから少女の内心は複雑だ。
やっぱり、聞かないほうがよかったのかもしれない。何も知らないままぬるま湯に浸って身も心も腐乱死体のようにぐずぐずのぶよぶよになって、己のことすら不確かで曖昧な、本物なんて到底呼べない、錆ついた信頼を寄せていれば、こんな苦しくて辛い思いはしなかっただろう。
この世界で生きていく?
笑わせるな。
どの世界にも、少女の居場所なんてありはしない。「この」世界に捨てられて、「あの」世界にも捨てられて。
なら。
それなら一体、どこの世界なら少女は月並みの人生を歩むことが出来るのだろう。
どこまで、悲劇の沼に浸かっていればいいのだろう。
「ーーアタシもよく、そうやって毛布にくるまって夢の中に逃げようとしてたよ」
不意に声がして微かに驚くが、わざわざ飛び起きてリアクションを取る気にもなれなかった。流石に全く覚えのない声だったら話しは変わるが、幸いにもその音には聞き覚えがあった。
鈴を鳴らすような、可憐な声。
エマだ。
「おばあちゃんが死んだ時も。両親のことを考えた時も。イヤなことがあった時も。現実を見るのが辛くなって、泣きたいのに泣けなくて。……そういう時はいつも、夢の中に救いを求めてた。だって、夢でならみんなに会えて、幸せだったから」
「………、」
「でも気づくの。ああ、これは夢なんだって。本当じゃないんだって。夢から醒めた時、待っているのは前より胸が痛い現実だけ。突き付けられる。神様の底意地の悪さを。世界の理不尽を。……悲劇の密度と味を」
まるで優しく振る雨のような、じんわりと胸を湿らせる静かで切ない声色で言葉を紡ぐエマに、少女は唇を噛みながらも同族意識を抱いた。
分かるのだ。
彼女の気持ちが、いたいほどに。
少女も、そうだったから。
「でも、楽なんだよね。逃げた方がずっと楽なんだよね。辛い痛い苦しいに立ち向かうなんて、そんな強いことは出来ないもの。そもそも強かったら、最初から逃げてなんかいないもの。……向かい風の中に立つことが出来るのは、ソレを追い風に変えることが出来る一握りのヒトだけなんだよね」
「………、」
「アタシは。そんな人たちがスゴイって思った。羨ましいって、そう思った」
ギシ……っと。ベットが軋んだ音を立てた。横を向いて寝ている少女の後ろに、エマが座った気配。
「アカネちゃんは、アタシがスゴイって、羨ましいって思えた人だよ」
「………、」
意味が。
分からなかった。
「ビクビク震えながらもアタシのために叫んでくれた。恐怖を押し殺して罪人と戦うハルくんたちの許へ戻ろうとした。それは、誰にでも出来ることじゃない。多分、大多数ができない。みんな、動けない」
そんなことない、と声に出さずに呟いた。
表面上だけならエマが言う通り勇気ある人に見えるのだろう。書類審査だけなら間違いなく合格だ。だってその四角四面にはネットで検索したような美辞麗句しか書かれてなくて、中身なんてないし誰でも口に出来るような、バーゲンセールで売られている一個一〇〇円の文字で作られた価値の安い言葉でしかないのだから。
だって、少女は動いていない。
やめて。
戻って。
言っただけで、実際に行動には移っていない。
「そういうことじゃないよ」
まるで少女の思考を断ち切るようにエマは言う。
「言えること自体がスゴイことなんだよ。あんな状況で誰かのために何かをしようと思えること自体が、奇跡みたいなものなんだよ。……それは。ハルくんたちにも同じことが言えるんじゃないかな?」
「………、」
「ハルくんたちは、アカネちゃんをーー」
「ーーあたしのためを思って?」
鼻で笑うような声が低く響く。
エマの声を遮った少女は、毛布の中から出ずに言う。
「あたしのためを思ってって、どの辺りが?王女だったことを隠していたこと?髪の色を変えていたこと?一体、何があたしのためだったって言うの?こっちの気も知らないで歯の浮くようなことばかり言って、信じてほしいなんてほざいて。……あぁ、あぁ、確かに少しは信じてみてもいいかもって思ったよ。でもそれは幻想で、一時の感情が見せた夢でしかなかった。隠し事をする人間を、あたしのためだって嘯いて隠し事をする人間を。どうやって信じればいいの。……どうすればよかったの!」
「アカネちゃーー」
「うるさい!」
バッ!と。
毛布を乱暴にエマへとぶつけてベットから出て、少女は窓の前に立った。月光に淡く照らされながらエマを睨む少女の蒼い双眸は、空の色の瞳は、嵐のように荒れていて、今にも雨が降り出しそうな、そんな目をしていた。
「あんただってそうだ。あたしをいちいち期待させないで!あんただってあたしが王女だからあの時助けてくれたんでしょ!あたしはスゴくない、スゴくないよ!弱虫で臆病で、何にも出来ない女なんだ。それなのに、あたしの気持ちを理解した気になって美辞麗句を並べないで、ムカつくのよ!……一人の辛さを知らないくせに。何も知らないくせに。友達、なんて。友達だなんて呼ばないで!あんたのことなんて友達って思ってないんだから!…………もうこれ以上あたしに構わないでよ赤の他人なんだから!!!!!!」
ーーパァン!!と。
月明かりだけが光源の部屋に音が響いた。
銀髪の少女はその音の衝撃に呆然となり、固まっていた。微かに横を向いてしまった顔を正面に戻せば、エメラルドカラーの、綺麗な瞳の片方から痛そうに涙を流すエマがいた。
遅れて、ヒリヒリとした痛みが頬に伝わり、平手打ちを喰らったのだと悟る。
悲しそうにこちらを睨む金髪の少女は言う。
「アカネちゃんが、アタシを友達って思っていないならそれはそれで構わない。一方通行でも大丈夫」
「………、」
「だけど。あなたにアタシがあなたを友達と呼ぶ権利を奪う資格なんてない。あなたと友達になりたいと思ったアタシの心をバカにする資格なんてないっ!」
「そんなの……っ!」
そっちの勝手な都合でしょ。ーーそう言おうとして、しかし言えなかった。
ぐっと、胸倉を掴まれると引き寄せられて、互いの息がかかるくらいの距離で、こう言われた。
「そもそも!あんたのためだからこっちは命を懸けたんだ!友達のために命を懸ける行為が、そんなに信じられないか!?」
「ーーーーっ!」
鈍器で頭を殴られたような衝撃があった。
思わず下がろうとするが、そんな逃避なんて許さないとばかりに、エマは言う。
「あんたの悲劇に、アタシを巻き込むんじゃないわよ!!!!」
くらり、と。
エマの手が胸倉から離れると、少女は窓に背をつけて、そのままズルズルと床に座った。
………そういえば、エマ・ブルーウィンドは何も知らなかったんじゃないのか?"幻色石"は〈ノア〉であるセイラたちが付けたもの。
で、あるならば。
依頼人である金髪ツインテールのこの少女は、銀の髪の少女の正体が第二王女だと知る由もなかったはず。
つまり。
エマは、「レイシア」のためじゃなくて……。
「今言ったことは、多分。アタシだけの気持ちじゃないと思う」
「………、」
「誰かのために傷を作るって、簡単なことじゃないんだよ」
「………、」
「簡単なことじゃ、ないんだ……」
寂しそうにエマは言うと、部屋から出て行った。
その後ろ姿を、少女は見てることしか出来なくて。
ーー涙は一滴も、流れてはくれなかった。
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真歴一六〇〇年、六月五日。
昨夜の騒動がまるで嘘だったかのように"アリア"では明日に迫った追悼祭の準備が行われていた。灯籠を設置する道々の整理、屋台の設営などなど。
そして本来なら住民総出で取り組むこの手のイベント作業に一番やる気を出す〈ノア〉の面々は完全に家で腐っていた。
午後三時。
無気力状態の三人と一匹はどんより空気の中死体になりかけて、そんな奴らを猫の手も借りたいくらいに忙しい住民の男ーー八百屋のオッサンが求めて訪問してきた。
タオルも鼻毛もない、息リフレッシュの生まれ変わりオヤジはズカズカとリビングに入った。
「おいお前ら!ちょっとウチの店手伝ってくれ………って。なんだどうしたこの空気。普通に体調壊しそうだ」
床でスライムと化しているハルは男なんて見ないで、
「ごめん。いまちょっと、そーゆーノリが通じる空気じゃねーんだ。つーか空気読めよぶっ飛ばされてぇのかクソジジィ。その帽子にあってねーんだよぶっ飛ばすぞ」
「え、なに。いつもより愛がないんだけど。ていうかさりげなく人の心傷つけるのやめてもらえます!?」
ソファで放心状態のユウマは男をチラッとみて、
「なんでオッサンが出てくんだよ。アンタメインキャラじゃねーだろ需要がねぇんだよ。ただでさえ予定より話しが伸びてんだから出てくんじゃねーよぶっ飛ばすぞ」
「なんの話し!?」
ダイニングテーブルに座るセイラとギンはゴミを見るような目で、
「帰れ」
「そして二度と顔を見せるな」
「どうすりゃいいんだよ俺はああああ!」
そうしてオッサンが消えた後。
液体から固体に戻ったハルはボーッとしながらセイラが飲んでいたコーヒーを飲み、苦味を吐き出すように呟く。
「アカネに嫌われた」
それからセイラの頬をつねると倍返し以上のパンチが返ってきて床に転がった。
痛みがある。
「……夢じゃない。アカネに嫌われたのは、現実なんだ」
のそりと起き上がり、ハルは鼻血を拭う。
居ても立っても居られなかった。
「うぉおおおおおごめんアカネ今すぐ俺のことぶん殴ってくれえええええええええええ!!」
罪悪感に従い家を飛び出そうとしたトコで襟首をセイラに掴まれて、足は動いているのに前に進めない力技の外出阻止を喰らったハル。
赤髪の美女は呆れた息を吐いて、
「どこへ行く」
「アカネのところに決まってんだろセイラ!謝りに行くんだよ!」
「謝ってどうする」
「許してもらう!」
「今の状態じゃ無理だ」
パッとセイラが手を離すとハルは廊下の壁に激突し仰向けに倒れた。
セイラは腰に手を当てて、
「昨日の今日でアカネの心に整理がつくはずない。昨日のアカネを見たろう?今の私たちが行ったところで逆効果だよ」
ハルは起き上がるとセイラに近づき、鼻と鼻がくっつく距離で言う。
「でも何もしないよりかはマシだろ!ここでボーッとしてるくらいなら、俺はアカネに頭を下げたい!」
「そのアカネが。私たちと会いたがらないと言っているんだ」
「なんで!」
「素性を隠したからだろ」
セイラの言葉の先を継ぎ、ハル問いに答えたのは和服姿のユウマだ。彼は湯呑みを持つとお茶を一口飲んで、
「自分が第二王女って、隠さずに教えてほしかったんだろ。今まで普通以下の人生を歩んできたアカネにとって、その道を歩まずに済んだかもしれない『ありえた未来』は、キツかったんだ。最初から教えてやれば、こうはなってねぇ」
「でもそれはーー」
「ああそうだ。アカネのためだとオレらが勝手に決めつけて蓋をしちまったんだ。信じろとか言っておいて、結局オレたちはアカネのことを何も考えていなかった。……そう思ったから、オマエはアカネのトコに行こうとしてたんじゃねぇのか?」
ぐっと、奥歯を噛んだ。
ユウマの言う通りだ。
セイラがハルの頭をポンポンと撫でた。
「いずれはこうなっていた。遅いか早いかの違いでしかないなら、早い方が良かっただろう。突然自分が王女だなんて言われても、すぐに受け入れられる女はいないよ。……アカネは特にな。しばらく一人にしてやろう」
***********************
夜が終わって朝になっても気分は晴れなくて、同時に全部が夢じゃなかったと思い知らされて、銀髪の少女は街を一人で歩いていた。
明日に控えた追悼祭の準備が進められる様子は文字通りお祭り前日の喧騒に満ちている。
一組の親子が笑顔を浮かべながら楽しそうに横を通り過ぎていく。
その子供は、少女が初めて寂しいという感情を知った年齢と同じくらいだ。
もしかしたら、この世界にずっといたらありえたかもしれない光景だった。と、そんな未練がましい思考を断つように親子から目を離して再度歩き出す。
頭の中を整理したかった。
一夜で与えられた情報量とその質が、軽く許容量を超えてきたから考える時間が欲しかった。
異世界に来て、知らない人たちに囲まれて。無償の優しさをくれて、命を狙われて、助けてくれて、自分がこの世界の住人だと知って。
一六才の女の子が一人で処理できるレベルじゃないことは誰の目から見ても明白だ。
それは、何もわからなくなるだろう。
そもそも。一人の寂しさを知っている女の子が異世界での一人なら大丈夫だという理論は通用しない。下手をすれば、もっと悲惨な末路が待っている。
だから嬉しかった。
久しぶりに誰かと同じ時間を過ごせたから。信じる信じないの話の前に、だ。一六年間ほぼ一人でいた少女の心は本人も気づいていないくらいにズタボロだった。
そんな中、自分に優しくしてくれる人が現れたら誰だって嬉しくなるし期待も寄せる。
ーー信じてみてもいいのかな。
もう、限界だったのだろう。
もう、休みたかったのだろう。
疑うことを。
やめたくて。
信じることを。
始めたかった。
ハルが言っていた通り、疑うことは疲れるから。
それなのに、こうなった。
また、わからなくなった。
誰もあたしを必要としていなくて。
誰もあたしを見てなんかいなくて。
『自分』が、わからなかった。
「………あ」
黙々と桜通りを歩いていたら見知った人物がいて少女は思わず足を止めた。
赤いリボンに金髪ツインテール。
エマ・ブルーウィンド。
道の端に視線を落とし、何かを探している。否、ネックレス以外にない。
立ち止まって見ていたら向こうもこちらに気づき、少しだけ気まずい空気になる。
するとエマは苦笑して手招きをしてきた。当然無視なんて出来るわけもなく、アカネはエマに歩み寄る。
「いやーあっはっはっ。一人だとやっぱり大変でさ。ネックレス探すの手伝ってよ。どうせ暇してるんでしょ?」
「……うん」
「よし決まり。じゃあそっちよろしく」
「……分かった」
思ったより普通の態度で接してきたからアカネは少しだけ戸惑う。
なにもなかった。いいや、何もなかったことには出来ないはずなのに。
「昨日は、ぶってごめんね」
と、エマがそう言ってきてアカネは手を止めて彼女を見る。
「やり過ぎたとは思ってる。反省もしてる。……でも、言い過ぎたとは思ってない。思ってないよ」
「……色々考えてみたよ」
住民たちの声、ガヤガヤとした街の声が響く中、少女は言う。見るともなしに石畳を見ながら。
「考えて、考えて、考えて、考えた結果やっぱり悲しかった。許せなかった。正直に、素直に全部言ってほしかった。あたしを見てほしかった。………信じて、みたかった」
嘘偽りのない本音だ。
でも。
「ーーありがとう。エマちゃん」
「………え?」
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いいや。
もう一度、言ってくれた。
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「………うんっ。そうだったね……っ」
眦に涙を湛えた綺麗な笑顔は、この世界に来てまだ一度も笑顔を見せていなかった表情で。二人の少女が知る由もないことだが、ソレはセイラとユウマが気にかけていたことに他ならない。
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だからこそとても価値があるもので、誰から見ても二人の様子は友達同士にしか見えなかった。
***********************
ーー翠が、赤に変わった。
***********************
気まずい状況というのは前兆もなく訪れる。
そもそも事前に知ることが出来れば奴らはやってこない。あいつらは音もなく背中を刺すから手に負えないのである。
オレンジ色の光に世界が輝く、夕方の時間帯。大衆飲食店で夕食を摂っていた〈ノア〉の三人とギンは店に入ってきた二人組を視界に映すと石のように固まった。
ネックレスは見つからず、アカネには会えないということでやけ食いしていたハルは肉を食べようと大きく開けた口をそのままにし、ユウマは激辛スープをボタボタと口から零し、セイラはフォークに刺していたソーセージを落とし、ギンは咥えていた骨をテーブルの上に落として。
「「「「…………、」」」」
アカネとエマ。
二人の少女がいらっしゃいませである。
向こうも向こうでこちらに気付いて、エマはともかくアカネの方はハルたちとそう変わらないリアクションを取っていた。
そして考えるより先に光の速さでハルは動いていた。
「おうアカネ!元気か!こっちきてみんなでメシでも食おうぜ!」
さらにこの瞬間、〈ノア〉の面々は謎の力を発揮し思考の共有を可能にする。
ユウマは激辛スープを垂れ流したアホ面のまま思考の中では真剣な顔をして、
ーー(上手い!不測の事態に対応しつつなんの不自然もなくアカネを誘った!断られる方が可能性としてはあるが、これなら無視をされるという最悪の展開は免れる!やるな、ハル!)
ーー(仮に無視をされても店は一緒なんだ。アカネの席に行って話し合いの場を作ることもできるぜ!俺はアカネに謝りたい!)
しかしそんなアホ共の考えは少女たちを応対した店員の一言で終末を迎える。
「申し訳ございません。ただいま満席でして……」
雷に打たれた気分だった。
ーー(な、なにぃいいい!?満席だとおおお!?そこまでカバー出来ねぇよ!空気読めよ店側はっ倒すぞ!)
ーー(ヤバイ、アカネたちが行っちまう!……かくなる上は……!)
最早躊躇っている暇はないとユウマは判断した。
彼はキッ!と目の色を変えると隣の席のテーブルに座る男四人組のうちの一人の目に激辛スープを飛ばした。
瞬間、絶叫が店内に響き渡り、いきなりなことに動揺した他三人に変わって何食わぬ顔でユウマが近づいた。
これはエグい。
「め、目があああああ!眼球が二つに割れるううううううう!
「落ち着け目ん玉は元々二つだけだ!何をされた、一体誰がこんなことを……!
ーー(上手い!力技で席を空けるだけでなくいかにも自分は何もやってませんオーラを出しながら被害者の心配をするとは!なかなかゲスいぞ、ユウマ!やるな!)
ーー(手段を選んでる場合じゃねぇからな!自分たちが行くんじゃなくて向こうから来てくれるなら話しは別だ。アカネとじっくり話して仲直りだ!)
「誰がこんなことをっていうか、オマエがやってたよね!?」
「やかましい!」
「「「目がぁぁぁあああああああ!!」」」
口封じは重要だ。
四人は尊い犠牲である。
ーー(上手い!)
ーー(上手くないわ)
などとセイラからのツッコミも貰ったところで席は空いた。
店員もソレに気づき、アカネとエマを案内し始める。
これでようやくアカネと話せるーーと。邪魔者を排除し空席を一つ作ったコトで気を緩めた三人は飲食店というものを侮った。
そう。新しい客がくるように、古い客は店を出る。
致命的な油断。
ハルたちから大分離れた席を、三人組の男共が立つ。そして瞬時にテーブルをキレイにする最高の店員。
だが今は、それが憎らしい。
ーー((しまった!))
コンマ一秒の思考の遅れ。
少年二人は絶望する。
「甘い!」
しかしセイラだけが動いていた。
絶望を断つように、ナイフとフォークが空を裂きながら男共へと迫り、それぞれの頬を掠めて壁に突き刺さる。だらだらと冷や汗をかく男共が腰を抜かしたように再度席に座る。
ーー((セイラさぁぁぁああん!!))
ーー(私だってアカネと話したいからな!)
そして力技であろうと一人の少女と話したいという切な思いに、運命は微笑んだ。
隣の席に、彼女は座った。
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考えていることが見え見えで直視ができない。ーーアカネと話しがしたいのだろう。昨夜の件について互いに色々言葉を交わす必要があることは分かっている。だけどどんな顔をして話せばいいのか分からない。第一現状は望んでこうなったワケじゃないし、今話しても一方的に感情をぶつけてしまうことが自分でも分かった。
何をどう言われても。
隠されていた事実は変わらない。
「いいの、アカネちゃん。ハルくんたちと話さなくて」
対面に座るエマがメニュー表を持ちながら気遣うように訊いてきた。
アカネは用意されたおしぼりで手を拭いながら、
「うん。話すことなんて何もないから」
意識して棘々しく言うとハルたちが視界の隅でダメージを喰らっているトコが見えた。テーブルに突っ伏しているあたり、テクニカルヒットだったらしい。ーー胸が痛くなるが、それは無視した。
………話すことなんて、なにも。
***********************
話し掛けるタイミングを完全に潰されてハルたちは項垂れていた。やはり一日くらいじゃ口なんてきいてもらえないのか。
と、彼女と喧嘩した彼氏みたいになっているがハルたちではあるが、警戒は怠ってはいなかった。
昨夜の襲撃、罪人の存在。奴らの目的がアカネーー第二王女の首ならまず間違いなくもう一度来る。
油断なんて、してるはずもなかった。
だから。
「ーーご注文はお決まりでしょうか?」
何の不自然もない、飲食店の従業員なら当然の仕事である注文確認を隅のテーブルへしにきた女性店員が、流れるような所作でアカネをナイフで刺そうとしたのは、本当に予想外であった。
気づいたのは、セイラ。
皆の理解の時間が止まっている中、やはりこの人だけは違う。女性店員が懐からナイフを取り出し、アカネの喉元を狙った瞬間に手にしていたフォークを投げて笑顔の殺人を阻止、ナイフがくるくると宙を舞う。
そして否応なく女の店員を床に叩きつけた。
全ては一瞬だ。
時間が動き出し、女が床で昏倒し、セイラは前髪をかき上げた。
「注文は足音で頼む。殺気だけならまだしも、飲食店の従業員が足音を立てずに歩くのはおかしいからな」
そして。
店内を見回すと、セイラは呆れるように言った。
「知らない顔がいくつかあるな。ーー気づかないとでも思ったのか?下級罪人が」
そして。
それが合図となった。
約五〇余名の罪人が、大波のように押し寄せた。
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