135 / 136
第四章 ディスカール公爵領
第十六話 聖なる泉の門
しおりを挟む
《オリアンナ》
マルシオン王の魔力で、〈契約者〉の魔力から解き放れたエランは、すぐに僕の姿を見つけ出した。
優しい水色の瞳は苦悩からも解放された、いつもの幼馴染みの様相で僕に微笑みかけた。
それなのに、エランとアレインを含む五人が、〈契約者〉によって人質として連れ去られたのだ。
サージ城塞都市の外城壁の異様な堅牢さに阻まれ、天界と七竜の助けも届かない閉ざされた空間で、僕達は敵の後を追った。
上空の屍食鬼たちは僕の放った〈祥華の炎〉に阻まれ、国王軍を襲撃出来ない。
僕たちは〈祥華の炎〉の明るさで、〈契約者〉たちを見失わずに済んだ。
僕を取り囲む〈祥華の炎〉と〈堅固の風〉は、《聖なる泉の精》からもらい受けた魔力だ。
まだ、満足に扱う事は出来ないせいで、僕の護衛たちも遠巻きにしか役目を果たせないでいる。
〈契約者〉たちが内城壁の一か所で消え、そこまで辿り着いて僕は愕然とした。
そこには崩れかけた《聖なる泉》の門が、内城壁に組み込まれて、人が屈んでようやく通れるくらいの小ささで存在していた。
敵はこの小さな門を、人質を抱えて通り抜けたのだろうか?
レント領で僕が初めて見たこの門は、大きく高く荘厳な美しさを湛えていた。
今は貧弱で崩れかけ、亀裂の入った楔石は、今にも消失しそうに見える。
《聖なる泉》を構成するのは、泉の精と契約を交わした者達の魂。
トレヴダールの《聖なる泉》で、魔界域の黒い渦の流出をくい止めたのは、この門を構成するマルシオン王の妃ロレアーヌの意識だ。
「ロレアーヌ」
マルシオン王が門の前で跪き、花とも人とも獣とも思える楔石に触れる。
今にも崩れそうな石は、彼が触れると弱々しい光を放ち、一瞬元に戻ろうとする。
その様子に僕の心は救出の焦りと、マルシオン王の心情の間で揺れ動いていた。
この門は長く持たない。
重い武具に身を包む大勢の国王軍が通れば、すぐに崩壊してしまうように見える。
多く見積もっても、十人ぐらいが通れるかどうかだ。
敵の目的は《ソムレキアの宝剣》を奪い、僕を殺す事。
今まで何度も襲撃され、奇跡的に魔手から逃れてきた。
でも、今度は逃れられないかもしれない。
最後の泉の精の導を手にする事を、魔王アドランは徹底して阻むだろう。
不意に僕の脳裏に、セルジン王の横顔が思い浮かんだ。
天界の城に入る時の彼は、危険を承知で、一人で城に入ろうとした。
招かれているのが、自分一人と解っていたからだ。
《ソムレキアの宝剣》が奪われれば、全てが終わってしまう。
僕一人で、宝剣を守れるのか?
無意識に宝剣に触れた。
すると、まるでセルジン王に触れているような安心感が、僕の心に流れ込む。
この宝剣に守られている。
そう思うと、勇気が湧き起こる。
僕は、普段は威圧感を怖れて近付かない、マルシオン王の横に立った。
「お妃様の、この門を守れますか?」
「私を誰だと思っている? 当然、守る」
マルシオン王の毅然とした様子に、僕はにっこり微笑んだ。
「では、僕がこの門を通った後、国王軍も屍食鬼から守ってください。お願いします!」
僕は門に入ろうとして、彼に腕を掴まれ止められた。
「待て! どういうつもりだ? 勝手な行動は、許さん!」
「でも、僕が行かないと目的は果たせないし、エランを助けられるのは僕しかいないんです。お願いです、行かせてください」
「…………本気か?」
「はい!」
躊躇いのない僕の答えに、マルシオン王は無表情に頷くと、突如翼を広げ、周りの兵達が驚くのも構わず、天界の清らかな翼を羽ばたかせた。
すると十枚の光る小さな羽が、僕の目の前に降りてくる。
「行くのは、五人までだ。その羽を身に着ければ、魔界域の住人からは見えない。残りの五枚は、連れ去られた者達に渡せ」
僕は十枚の羽を受け取り、そのうちの一枚を、竜騎士の甲冑の腰鞄に入れた。
「ありがとうございます、マルシオン王。でも、他に連れ去られた者達がいた時は? 十人以上だと足りなくなります」
今、連れ去られた五人以外にも、行方不明になっている者達がいる。
その者達がいた場合は、危険に晒される事になるのだ。
「私に出来るのは、ここまでだ。後は自力で、困難を乗り越えよ。私は国王軍と竜騎士を指揮し、この魔界域の城壁に風穴を空ける。さあ、同行する者を選べ」
僕は九枚の小さな羽を見詰め、その後、周りの人々を見た。
皆が手を上げそうに身を乗り出し、僕を見つめる中、真っ先にテオフィルスが僕に近付き、羽を四枚取り去った。
「お前に近付けるのは、俺だけだ。周りとの橋渡しをする役割だから、当然俺も行く。他に行くのは、誰か?」
「待て、君は残れ! ここで七竜を呼んでくれ」
テオフィルスはにっこり微笑んで屈み、顔を近付け青い優しい瞳で、僕の視線を釘付けにする。
「心配してくれるのか?」
僕の鼓動は跳ね上がり、身体が熱を帯びる。
こんな非常時にと思うと耐えられなくなって、近付き過ぎる彼の顔を、手で押し遠ざけた。
「そうじゃない。他国の重要人物を、危険に巻き込む訳にはいかないだろう」
「何を今更。俺はお前に、今よりもっと、思いっきり巻き込まれたい」
僕は激しく狼狽えて、思わず大声で叫んだ。
「巻き込まれなくていい!」
その言葉と同時に、彼に向かって〈堅固の風〉を無意識に吹き付け、マシーナ・ルーザの元まで吹き飛ばした。
「あ……」
感情的になって魔法を使ってしまった事に、僕は呆然とし不安を感じた。
見境なく感情のままに魔力を使うとどうなるのか、想像するだけで恐怖に身が縮む。
[ うわっ ]
吹き飛ばされたテオフィルスは、マシーナが受け止めた。
[ 大丈夫ですか、若君? また殿下に無礼な事を言ったでしょう? まったく口が悪いんだから。はい、一枚もらいますよ ]
マシーナはそう言って、テオフィルスの手から羽を一枚取り、腰鞄に入れた。
テオフィルスは立ち上がり、泥汚れを払いながら不服そうに口を尖らせる。
長年仕えてくれるマシーナに対しては、素直に心の内を明かす事が出来るようだ。
[ ふん、至極全うに口説いただけさ。まったく、魔法使いは厄介だな ]
[ 〈七竜の王〉が、それ言います? ]
面白がってケラケラ笑うマシーナを、テオフィルスは怪訝な顔で睨みつけながら、羽を掲げた。
「他に行く者は?」
宰相エネス・ライアスが進み出て、僕に《王族》に対する礼を取った。
「この先が魔界域であったとしても、サージ城塞の形を取るのであれば、此処に一番詳しいのは私しかおりません。どうぞお連れ下さい」
宰相エネスは、国王軍に必要な存在なので、出来れば残ってほしいと僕は思っていた。
でも、このサージ城塞はエネスの元居城でもある。
中に入りたいと希望するのは、当然だろう。
「これは魔王の罠だよ、エネスさんへの」
「解っております」
エネスの覚悟を決めた様子に、僕は困った顔で下を向いた。
彼を守れる自信がない。
トキ・メリマンが安心させるように、助け船を出す。
「私は殿下の護衛だが、魔法のせいで近寄れない。ライアス宰相を守るとしよう。宜しいかな、殿下?」
冷酷な決断を下さなければならない僕に、大人達は優しい。僕は感情を押し殺し、顔を上げた。
「分かった。行くのは、この五人だ。もし、一日以上経って、誰も戻って来なかった場合は、国王軍は速やかにマルシオン王の指示に従い、ここから脱出するんだ。僕達を待つ必要はない」
残る高官達が冷静に、命令に従う礼を取った。
脱出できる保証は無い。
行くも残るも、命がけである事に変わりはないのだ。
トキが伝令に向け、皆に聞こえるように指示を出す。
「マールの指示に従い、この閉ざされた空間を必ず打ち破れ!」
マールという指定に、マルシオン王は口角を上げて少し笑った。
そして、背の翼の間に腕を挙げ、何かを取り出すように掴んだ。
その手には、拳ほどの大きさの皮袋が握りしめられている。
「これをお前にやろう、トキ」
「何だ、また火炎石か?」
「違う。天界にある巨大樹の、樹液が固まった魔石だ。人には害は無いが、魔界域の住人には脅威となろう。窮地に陥った時に、紐を緩めて袋ごと敵に投げ、すぐ逃げろ」
トキは顔を顰めながら、薄気味悪そうに袋を受け取り、ベルトに吊るした。
巨大樹の樹液の脅威を、思い出したのだろう。
あれに呑まれたら、人としての自我を失うように思えるのだ。
「…………承知した。後を頼む」
「任せろ」
トキが魔石を手にした事で、僕の心の重荷が少し和らいだ。
「ありがとうございます、マルシオン王。では、行きます」
マルシオン王が厳しい顔付きで頷く。
僕が《聖なる泉》の門に入りかけた時、テオフィルスが阻んだ。
「先頭は俺、お前は真ん中だ」
「若君は私がお守りしますので、ご安心ください」
マシーナの微笑みに、僕の緊張が解れる。
一つ深呼吸をして、狭い門に、足を踏み入れた。
門に入った途端、暗闇が戻ってきた。
僕の放つ〈祥華の炎〉は、漆黒の水に押し込められたように輝きは拡散せず、前を行くはずのマシーナの後ろ姿さえ映さない。
〈堅固の風〉も同様に押し留められて、《聖なる泉の精》の魔力はまったく役に立たない。
そんな状況で、暗闇の中に大勢の呻き声が聞こえた。
男の声、女の声、獣の声。
苦しみと絶望、憎しみと怒り、そして狂気染みた笑い声。
聞いているだけで、恐怖に身が縮み、僕の足が進まなくなる。
後ろにいるはずの、エネスとトキは気配すらない。
僕一人だけが、暗闇に取り残されている事に、ようやく気が付いたのだ。
暗闇が心を蝕むのに、どのくらい時間が掛かるのだろう。
次第に絶望感が増し身動きも出来ず、身体が震え、声さえ出す事が出来なくなった。
マルシオン王の魔力で、〈契約者〉の魔力から解き放れたエランは、すぐに僕の姿を見つけ出した。
優しい水色の瞳は苦悩からも解放された、いつもの幼馴染みの様相で僕に微笑みかけた。
それなのに、エランとアレインを含む五人が、〈契約者〉によって人質として連れ去られたのだ。
サージ城塞都市の外城壁の異様な堅牢さに阻まれ、天界と七竜の助けも届かない閉ざされた空間で、僕達は敵の後を追った。
上空の屍食鬼たちは僕の放った〈祥華の炎〉に阻まれ、国王軍を襲撃出来ない。
僕たちは〈祥華の炎〉の明るさで、〈契約者〉たちを見失わずに済んだ。
僕を取り囲む〈祥華の炎〉と〈堅固の風〉は、《聖なる泉の精》からもらい受けた魔力だ。
まだ、満足に扱う事は出来ないせいで、僕の護衛たちも遠巻きにしか役目を果たせないでいる。
〈契約者〉たちが内城壁の一か所で消え、そこまで辿り着いて僕は愕然とした。
そこには崩れかけた《聖なる泉》の門が、内城壁に組み込まれて、人が屈んでようやく通れるくらいの小ささで存在していた。
敵はこの小さな門を、人質を抱えて通り抜けたのだろうか?
レント領で僕が初めて見たこの門は、大きく高く荘厳な美しさを湛えていた。
今は貧弱で崩れかけ、亀裂の入った楔石は、今にも消失しそうに見える。
《聖なる泉》を構成するのは、泉の精と契約を交わした者達の魂。
トレヴダールの《聖なる泉》で、魔界域の黒い渦の流出をくい止めたのは、この門を構成するマルシオン王の妃ロレアーヌの意識だ。
「ロレアーヌ」
マルシオン王が門の前で跪き、花とも人とも獣とも思える楔石に触れる。
今にも崩れそうな石は、彼が触れると弱々しい光を放ち、一瞬元に戻ろうとする。
その様子に僕の心は救出の焦りと、マルシオン王の心情の間で揺れ動いていた。
この門は長く持たない。
重い武具に身を包む大勢の国王軍が通れば、すぐに崩壊してしまうように見える。
多く見積もっても、十人ぐらいが通れるかどうかだ。
敵の目的は《ソムレキアの宝剣》を奪い、僕を殺す事。
今まで何度も襲撃され、奇跡的に魔手から逃れてきた。
でも、今度は逃れられないかもしれない。
最後の泉の精の導を手にする事を、魔王アドランは徹底して阻むだろう。
不意に僕の脳裏に、セルジン王の横顔が思い浮かんだ。
天界の城に入る時の彼は、危険を承知で、一人で城に入ろうとした。
招かれているのが、自分一人と解っていたからだ。
《ソムレキアの宝剣》が奪われれば、全てが終わってしまう。
僕一人で、宝剣を守れるのか?
無意識に宝剣に触れた。
すると、まるでセルジン王に触れているような安心感が、僕の心に流れ込む。
この宝剣に守られている。
そう思うと、勇気が湧き起こる。
僕は、普段は威圧感を怖れて近付かない、マルシオン王の横に立った。
「お妃様の、この門を守れますか?」
「私を誰だと思っている? 当然、守る」
マルシオン王の毅然とした様子に、僕はにっこり微笑んだ。
「では、僕がこの門を通った後、国王軍も屍食鬼から守ってください。お願いします!」
僕は門に入ろうとして、彼に腕を掴まれ止められた。
「待て! どういうつもりだ? 勝手な行動は、許さん!」
「でも、僕が行かないと目的は果たせないし、エランを助けられるのは僕しかいないんです。お願いです、行かせてください」
「…………本気か?」
「はい!」
躊躇いのない僕の答えに、マルシオン王は無表情に頷くと、突如翼を広げ、周りの兵達が驚くのも構わず、天界の清らかな翼を羽ばたかせた。
すると十枚の光る小さな羽が、僕の目の前に降りてくる。
「行くのは、五人までだ。その羽を身に着ければ、魔界域の住人からは見えない。残りの五枚は、連れ去られた者達に渡せ」
僕は十枚の羽を受け取り、そのうちの一枚を、竜騎士の甲冑の腰鞄に入れた。
「ありがとうございます、マルシオン王。でも、他に連れ去られた者達がいた時は? 十人以上だと足りなくなります」
今、連れ去られた五人以外にも、行方不明になっている者達がいる。
その者達がいた場合は、危険に晒される事になるのだ。
「私に出来るのは、ここまでだ。後は自力で、困難を乗り越えよ。私は国王軍と竜騎士を指揮し、この魔界域の城壁に風穴を空ける。さあ、同行する者を選べ」
僕は九枚の小さな羽を見詰め、その後、周りの人々を見た。
皆が手を上げそうに身を乗り出し、僕を見つめる中、真っ先にテオフィルスが僕に近付き、羽を四枚取り去った。
「お前に近付けるのは、俺だけだ。周りとの橋渡しをする役割だから、当然俺も行く。他に行くのは、誰か?」
「待て、君は残れ! ここで七竜を呼んでくれ」
テオフィルスはにっこり微笑んで屈み、顔を近付け青い優しい瞳で、僕の視線を釘付けにする。
「心配してくれるのか?」
僕の鼓動は跳ね上がり、身体が熱を帯びる。
こんな非常時にと思うと耐えられなくなって、近付き過ぎる彼の顔を、手で押し遠ざけた。
「そうじゃない。他国の重要人物を、危険に巻き込む訳にはいかないだろう」
「何を今更。俺はお前に、今よりもっと、思いっきり巻き込まれたい」
僕は激しく狼狽えて、思わず大声で叫んだ。
「巻き込まれなくていい!」
その言葉と同時に、彼に向かって〈堅固の風〉を無意識に吹き付け、マシーナ・ルーザの元まで吹き飛ばした。
「あ……」
感情的になって魔法を使ってしまった事に、僕は呆然とし不安を感じた。
見境なく感情のままに魔力を使うとどうなるのか、想像するだけで恐怖に身が縮む。
[ うわっ ]
吹き飛ばされたテオフィルスは、マシーナが受け止めた。
[ 大丈夫ですか、若君? また殿下に無礼な事を言ったでしょう? まったく口が悪いんだから。はい、一枚もらいますよ ]
マシーナはそう言って、テオフィルスの手から羽を一枚取り、腰鞄に入れた。
テオフィルスは立ち上がり、泥汚れを払いながら不服そうに口を尖らせる。
長年仕えてくれるマシーナに対しては、素直に心の内を明かす事が出来るようだ。
[ ふん、至極全うに口説いただけさ。まったく、魔法使いは厄介だな ]
[ 〈七竜の王〉が、それ言います? ]
面白がってケラケラ笑うマシーナを、テオフィルスは怪訝な顔で睨みつけながら、羽を掲げた。
「他に行く者は?」
宰相エネス・ライアスが進み出て、僕に《王族》に対する礼を取った。
「この先が魔界域であったとしても、サージ城塞の形を取るのであれば、此処に一番詳しいのは私しかおりません。どうぞお連れ下さい」
宰相エネスは、国王軍に必要な存在なので、出来れば残ってほしいと僕は思っていた。
でも、このサージ城塞はエネスの元居城でもある。
中に入りたいと希望するのは、当然だろう。
「これは魔王の罠だよ、エネスさんへの」
「解っております」
エネスの覚悟を決めた様子に、僕は困った顔で下を向いた。
彼を守れる自信がない。
トキ・メリマンが安心させるように、助け船を出す。
「私は殿下の護衛だが、魔法のせいで近寄れない。ライアス宰相を守るとしよう。宜しいかな、殿下?」
冷酷な決断を下さなければならない僕に、大人達は優しい。僕は感情を押し殺し、顔を上げた。
「分かった。行くのは、この五人だ。もし、一日以上経って、誰も戻って来なかった場合は、国王軍は速やかにマルシオン王の指示に従い、ここから脱出するんだ。僕達を待つ必要はない」
残る高官達が冷静に、命令に従う礼を取った。
脱出できる保証は無い。
行くも残るも、命がけである事に変わりはないのだ。
トキが伝令に向け、皆に聞こえるように指示を出す。
「マールの指示に従い、この閉ざされた空間を必ず打ち破れ!」
マールという指定に、マルシオン王は口角を上げて少し笑った。
そして、背の翼の間に腕を挙げ、何かを取り出すように掴んだ。
その手には、拳ほどの大きさの皮袋が握りしめられている。
「これをお前にやろう、トキ」
「何だ、また火炎石か?」
「違う。天界にある巨大樹の、樹液が固まった魔石だ。人には害は無いが、魔界域の住人には脅威となろう。窮地に陥った時に、紐を緩めて袋ごと敵に投げ、すぐ逃げろ」
トキは顔を顰めながら、薄気味悪そうに袋を受け取り、ベルトに吊るした。
巨大樹の樹液の脅威を、思い出したのだろう。
あれに呑まれたら、人としての自我を失うように思えるのだ。
「…………承知した。後を頼む」
「任せろ」
トキが魔石を手にした事で、僕の心の重荷が少し和らいだ。
「ありがとうございます、マルシオン王。では、行きます」
マルシオン王が厳しい顔付きで頷く。
僕が《聖なる泉》の門に入りかけた時、テオフィルスが阻んだ。
「先頭は俺、お前は真ん中だ」
「若君は私がお守りしますので、ご安心ください」
マシーナの微笑みに、僕の緊張が解れる。
一つ深呼吸をして、狭い門に、足を踏み入れた。
門に入った途端、暗闇が戻ってきた。
僕の放つ〈祥華の炎〉は、漆黒の水に押し込められたように輝きは拡散せず、前を行くはずのマシーナの後ろ姿さえ映さない。
〈堅固の風〉も同様に押し留められて、《聖なる泉の精》の魔力はまったく役に立たない。
そんな状況で、暗闇の中に大勢の呻き声が聞こえた。
男の声、女の声、獣の声。
苦しみと絶望、憎しみと怒り、そして狂気染みた笑い声。
聞いているだけで、恐怖に身が縮み、僕の足が進まなくなる。
後ろにいるはずの、エネスとトキは気配すらない。
僕一人だけが、暗闇に取り残されている事に、ようやく気が付いたのだ。
暗闇が心を蝕むのに、どのくらい時間が掛かるのだろう。
次第に絶望感が増し身動きも出来ず、身体が震え、声さえ出す事が出来なくなった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
独孤皇后物語~隋の皇帝を操った美女(最終話まで毎日複数話更新)
結城
歴史・時代
独孤伽羅(どっこ から)は夫に側妃を持たせなかった古代中国史上ただ一人の皇后と言われている。
美しいだけなら、美女は薄命に終わることも多い。
しかし道士、そして父の一言が彼女の運命を変えていく。
妲己や末喜。楊貴妃に褒姒。微笑みひとつで皇帝を虜にし、破滅に導いた彼女たちが、もし賢女だったらどのような世になったのか。
皇帝を操って、素晴らしい平和な世を築かせることが出来たのか。
太平の世を望む姫君、伽羅は、美しさと賢さを武器に戦う。
*現在放映中の中華ドラマより前に、史書を参考に書いた作品であり、独孤伽羅を主役としていますが肉付けは全くちがいます。ご注意ください。
慈愛と復讐の間
レクフル
ファンタジー
とある国に二人の赤子が生まれた。
一人は慈愛の女神の生まれ変わりとされ、一人は復讐の女神の生まれ変わりとされた。
慈愛の女神の生まれ変わりがこの世に生を得た時、必ず復讐の女神の生まれ変わりは生を得る。この二人は対となっているが、決して相容れるものではない。
これは古より語り継がれている伝承であり、慈愛の女神の加護を得た者は絶大なる力を手にするのだと言う。
だが慈愛の女神の生まれ変わりとして生を亨けた娘が、別の赤子と取り換えられてしまった。
大切に育てられる筈の慈愛の女神の生まれ変わりの娘は、母親から虐げられながらも懸命に生きようとしていた。
そんな中、森で出会った迷い人の王子と娘は、互いにそれと知らずに想い合い、数奇な運命を歩んで行くこととなる。
そして、変わりに育てられた赤子は大切に育てられていたが、その暴虐ぶりは日をまして酷くなっていく。
慈愛に満ちた娘と復讐に駆られた娘に翻弄されながら、王子はあの日出会った想い人を探し続ける。
想い合う二人の運命は絡み合うことができるのか。その存在に気づくことができるのか……
三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~
杵築しゅん
ファンタジー
戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。
3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。
家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。
そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。
こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。
身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる