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第一章  鬱と診断されて安堵する精神状態

15  希望

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「こんにちわ、どうぞお掛け下さい」

 そう言って診察室へ促された私――――だけではなく付き添いの母や夫にも椅子を看護師さんが用意してくれた。

 看護師さんは私達が椅子へ腰かければ部屋を後にしていく。
 目の前には長い髪の優しげな笑顔を湛えている女医さんが一人。


 Sクリニックの様な大きな書斎を思わせる部屋ではなく、柔らかい色調の診察室。
 窓も大きくだがレースのカーテンがしっかりと閉められている故に外からは中の様子が見える事はない。
 そう開放的であるけれども外からの目に触れる事のないこの空間は、私の荒れた心を少し落ち着かせてくれた。

「今回はどうなさいましたか?」

 この状況になって初めて聞かれた言葉である。
 責める口調でも猫撫で声で私の言葉と心を完全に無視した様に言い包める様子でもない。
 普通に穏やかな口調でそっと先生は私の心へノックをしてくれた。

「わ、わた……私は――――」

 そう初めて、ここにきてようやくである。

 私は時間も考えずこれまでの出来事を思いつくまま全て先生へ話をした。
 1月2日の事だけじゃあない。
 それに至る事までも、先生は終始穏やかな面持ちで私の言葉へ耳を傾けてくれた。


 多分二時間近くかかったのかもしれない。
 私は堰を切った様に心の中に渦巻いていたものをどんどん吐き出していく。
 そんな私の言葉に先生は一切否定はしない。

 ただただ静かに話を延々と聞いてくれた。

 話始めた頃より感情も昂れば涙腺は崩壊し、ついでとばかりに垂れてくるはなを啜りつつ持っていたタオルハンカチはさぞかし酷い状態となっていただろう。

 一つ一つ先生へ訴える様に話す度、あんなに重くて苦しくて息も出来ないでいた心が一瞬だけほわんと軽くなっていく。
 
 ああ、本当に私は私の心に積りに積もった想いを聞いて欲しかったのだと思った。
 心の声を聴いて貰えただけで久しぶりに幸せを感じてしまった。

 
 そうして短いようで長い診察の後先生は疲れた様子もなく穏やかな口調で優しく問い掛けてくれた。

「こちらの病院に移られますか? 今の状態は鬱――――ですね。お家での生活が辛いと思われればこちらで入院をして頂いてもいいですよ。また入院は毎日でなくてもいいです。週の半分はお家で過ごして残りを病院または一日おき等幾らでも工夫は出来ます。本当に辛い体験をなされたのでしょう。これからは心をゆっくりと休ませてあげましょうね」

 正直に言ってまさか入院を勧められるとは思いもしなかった。
 きっと入院をしないといけないくらいに心が病んでいたのだろうけれども……。

「……白衣を見るのが辛いんです。辛い……と言うか恐怖を感じます。出来れば――――」

 入院ではなく家にいたい。

「では少し遠いですが通院で治療をしていきましょう。大丈夫、また元気に働く事が出来ますよ」

 
 診察を終え新たに薬を処方して貰い家路へと就く。
 
「来て、よかった……」

 車の中で私は本当に久しぶりに、満面の笑顔ではないけれども母と夫に向かって笑って話す事が出来たのだった。
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