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第六章 一人の少女と一匹の猫
7 エリシュカのお宅を訪問するぞ
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マリエを保護し、エリシュカが拾った猫を実家で飼い始めて、一週間がたった。
定例の街の視察を終え、ラディムは世界再生教会へマリエの様子をうかがった。
少しずつではあるが衰弱した身体にも力が戻ってきたのか、マリエは普通に立ち上がれるまでになっていると、教会の司祭は言った。だが、残念な話だが、ラディムの訪問時に、マリエは熱を出して床に臥せっていた。まだ、体力が戻り切っていないので、病気に対する抵抗力が落ちているようだった。
無理して見舞っても、マリエに気を使わせてしまい、かえって体調を悪化させかねない。ラディムはあきらめて、その日はそのままマリエに会わずに教会を後にした。
教会を出たたラディムは、次にエリシュカの実家へと向かった。拾った子猫に会うためだ。
「ここって言っていたよな」
エリシュカに渡された地図を確認した。言われたとおりの場所だ。
貴族街でも比較的立地の良い場所に、エリシュカの実家、ムシュカ伯爵家はあった。それなりに領地経営がうまくいっているようで、屋敷もかなり立派だった。門から見える庭園もきれいに整備されており、なかなか居心地のよさそうな家だ。
エリシュカはそんな伯爵家の三女だった。上二人の姉が十分な政略結婚の相手を見つけられたためか、伯爵はエリシュカについては、好きな相手を自分で見つけてこいとのスタンスを取っていた。
それで、エリシュカは行儀見習い兼結婚相手探しとして、皇宮に勤め始めた。伯爵としては、エリシュカがまさか第一皇子付きの侍女になるとは思ってもいなかったようで、話を聞くや大喜び、皇子のお手付きになるように頑張れとエリシュカをせっついているようだった。
エリシュカにはそんな気もないようで、「父親が、殿下とくっつけくっつけってうるさくて困っているんです」と、ラディムによくこぼしていた。
そのたびに、ラディムはどう答えたものかわからず、ただ苦笑を浮かべた。十歳の子供には、まだよくわからない話だった。
門前には二人の門番が立っている。ラディムが要件を告げると、すぐに屋敷の中へと案内された。
「エリシュカ、いるかー?」
屋敷に入ると、ラディムは大声でエリシュカを呼んだ。
「あ、殿下! お待ちしておりました」
近くの扉が開くと、パタパタとエリシュカが小走りでラディムの下に駆け寄ってきた。
「これはこれはラディム殿下。娘がいつもお世話になっております」
そのすぐ後ろには中年の女性が立っている。着ている服の質などから、どうやらエリシュカの母、ムシュコヴァ伯爵夫人だとわかった。
優し気な笑顔をラディムに向ける伯爵夫人は、なるほど、確かにエリシュカの母だ。若いころは誰もが振り返る美人であっただろうとわかる。
エリシュカは、実は相当に美しい。その母である伯爵夫人が、美人でないわけがなかった。
エリシュカは三女として自由奔放に育てられたせいなのか、その美しさを打ち消してしまいそうなお転婆ぶりが、実に惜しかった。がっかり美人だった。
「いや、世話になっているのは私のほうだ。エリシュカにはいつも感謝している」
お転婆ではあるが、仕事はきっちりしている。ラディムはエリシュカに感謝してもしきれない。傍付きの侍女がエリシュカで本当に良かったと、ラディムは常々考えていた。
「ですって、良かったわね、エリシュカ」
「うふふ」
伯爵夫人の言葉に、エリシュカは満面の笑みを浮かべていた。
「殿下、子猫を見に来たんですよね。こちらです」
エリシュカはぐいっとラディムの腕を引き、エントランス脇の階段を上がり始めた。慌ててラディムはその後をついていく。二階に上がると、廊下は左右に分かれていた。エリシュカは右へ進み一番奥の部屋の扉を開ける。どうやらエリシュカの自室のようだった。
エリシュカについて部屋に入るや、毛玉が突進してきた。例のトラ柄の子猫だ。
「うわっ、とと。相変わらず私になついてるな」
捕まえた毛玉――子猫を抱き上げ、顔をじっと見つめた。子猫は嬉しそうに鳴き声を上げる。
「不思議ですよね。飼い主の私よりも殿下にべったり」
嫉妬交じりの視線を、エリシュカが向けてきた。そんな目を向けられても困る。ラディムの意志で懐かれているわけではないのだから。
「あっ、そうだ。殿下、よろしければ、この子に名前を付けてやってくれませんか?」
唐突に、いい考えが浮かんだとばかりにエリシュカは手を叩いた。
「私がつけてもいいのか? 飼い主はお前一家だろう?」
さすがに飼い主でもないラディムが名付け親になるのはどうだろうと思い、エリシュカの提案に戸惑いの表情を浮かべた。
「殿下に名付けていただいた方が、この子も幸せだと思うんです!」
名案だと思っているのか、エリシュカは顔をグイっと近づけ、「さあ、殿下!」と促してくる。
「うーん、そうかぁ?」
いきなり言われてもそうホイホイと名前が浮かぶはずもなし、ラディムは困惑した。
「にゃーお……」
抱かれている子猫が、ラディムの胸に顔を擦り付けながら甘えた声を上げる。
「ほら、この子も殿下につけてほしいって言ってますよ!」
それ見たことかと、エリシュカはさらに顔を近づけてきて急かす。
「んー、そうだなー」
ラディムは根負けした。エリシュカの頼みだ、断るわけにもいかなかった。
ラディムは子猫の瞳を注視し、考えた。さて、名前はどうしよう、と。
定例の街の視察を終え、ラディムは世界再生教会へマリエの様子をうかがった。
少しずつではあるが衰弱した身体にも力が戻ってきたのか、マリエは普通に立ち上がれるまでになっていると、教会の司祭は言った。だが、残念な話だが、ラディムの訪問時に、マリエは熱を出して床に臥せっていた。まだ、体力が戻り切っていないので、病気に対する抵抗力が落ちているようだった。
無理して見舞っても、マリエに気を使わせてしまい、かえって体調を悪化させかねない。ラディムはあきらめて、その日はそのままマリエに会わずに教会を後にした。
教会を出たたラディムは、次にエリシュカの実家へと向かった。拾った子猫に会うためだ。
「ここって言っていたよな」
エリシュカに渡された地図を確認した。言われたとおりの場所だ。
貴族街でも比較的立地の良い場所に、エリシュカの実家、ムシュカ伯爵家はあった。それなりに領地経営がうまくいっているようで、屋敷もかなり立派だった。門から見える庭園もきれいに整備されており、なかなか居心地のよさそうな家だ。
エリシュカはそんな伯爵家の三女だった。上二人の姉が十分な政略結婚の相手を見つけられたためか、伯爵はエリシュカについては、好きな相手を自分で見つけてこいとのスタンスを取っていた。
それで、エリシュカは行儀見習い兼結婚相手探しとして、皇宮に勤め始めた。伯爵としては、エリシュカがまさか第一皇子付きの侍女になるとは思ってもいなかったようで、話を聞くや大喜び、皇子のお手付きになるように頑張れとエリシュカをせっついているようだった。
エリシュカにはそんな気もないようで、「父親が、殿下とくっつけくっつけってうるさくて困っているんです」と、ラディムによくこぼしていた。
そのたびに、ラディムはどう答えたものかわからず、ただ苦笑を浮かべた。十歳の子供には、まだよくわからない話だった。
門前には二人の門番が立っている。ラディムが要件を告げると、すぐに屋敷の中へと案内された。
「エリシュカ、いるかー?」
屋敷に入ると、ラディムは大声でエリシュカを呼んだ。
「あ、殿下! お待ちしておりました」
近くの扉が開くと、パタパタとエリシュカが小走りでラディムの下に駆け寄ってきた。
「これはこれはラディム殿下。娘がいつもお世話になっております」
そのすぐ後ろには中年の女性が立っている。着ている服の質などから、どうやらエリシュカの母、ムシュコヴァ伯爵夫人だとわかった。
優し気な笑顔をラディムに向ける伯爵夫人は、なるほど、確かにエリシュカの母だ。若いころは誰もが振り返る美人であっただろうとわかる。
エリシュカは、実は相当に美しい。その母である伯爵夫人が、美人でないわけがなかった。
エリシュカは三女として自由奔放に育てられたせいなのか、その美しさを打ち消してしまいそうなお転婆ぶりが、実に惜しかった。がっかり美人だった。
「いや、世話になっているのは私のほうだ。エリシュカにはいつも感謝している」
お転婆ではあるが、仕事はきっちりしている。ラディムはエリシュカに感謝してもしきれない。傍付きの侍女がエリシュカで本当に良かったと、ラディムは常々考えていた。
「ですって、良かったわね、エリシュカ」
「うふふ」
伯爵夫人の言葉に、エリシュカは満面の笑みを浮かべていた。
「殿下、子猫を見に来たんですよね。こちらです」
エリシュカはぐいっとラディムの腕を引き、エントランス脇の階段を上がり始めた。慌ててラディムはその後をついていく。二階に上がると、廊下は左右に分かれていた。エリシュカは右へ進み一番奥の部屋の扉を開ける。どうやらエリシュカの自室のようだった。
エリシュカについて部屋に入るや、毛玉が突進してきた。例のトラ柄の子猫だ。
「うわっ、とと。相変わらず私になついてるな」
捕まえた毛玉――子猫を抱き上げ、顔をじっと見つめた。子猫は嬉しそうに鳴き声を上げる。
「不思議ですよね。飼い主の私よりも殿下にべったり」
嫉妬交じりの視線を、エリシュカが向けてきた。そんな目を向けられても困る。ラディムの意志で懐かれているわけではないのだから。
「あっ、そうだ。殿下、よろしければ、この子に名前を付けてやってくれませんか?」
唐突に、いい考えが浮かんだとばかりにエリシュカは手を叩いた。
「私がつけてもいいのか? 飼い主はお前一家だろう?」
さすがに飼い主でもないラディムが名付け親になるのはどうだろうと思い、エリシュカの提案に戸惑いの表情を浮かべた。
「殿下に名付けていただいた方が、この子も幸せだと思うんです!」
名案だと思っているのか、エリシュカは顔をグイっと近づけ、「さあ、殿下!」と促してくる。
「うーん、そうかぁ?」
いきなり言われてもそうホイホイと名前が浮かぶはずもなし、ラディムは困惑した。
「にゃーお……」
抱かれている子猫が、ラディムの胸に顔を擦り付けながら甘えた声を上げる。
「ほら、この子も殿下につけてほしいって言ってますよ!」
それ見たことかと、エリシュカはさらに顔を近づけてきて急かす。
「んー、そうだなー」
ラディムは根負けした。エリシュカの頼みだ、断るわけにもいかなかった。
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