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第十九章 説得
3-2 三者会議ですわ~後編~
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初めての三者会議の翌日、アリツェはクリスティーナを連れて、昨日に引き続き領政府の研究室へとやってきた。
ラディムに指示された時刻を迎えると、台座に安置されたトマーシュの腕輪が震え出し、鈍く光り出した。ラディムからの通信の合図だ。
この日はクリスティーナが腕輪の通信機能を試してみたいと言うので、アリツェは腕輪を手に取らず、悠然と椅子に腰を掛けた。
クリスティーナはカタカタと音を立てながら震える銀の腕輪に、おっかなびっくりといった態で、指先を使ってちょんちょんと触れている。やがて、唇をぎゅっと結び、腕輪を手に取り、腕にはめた。
クリスティーナの身体から白い光――霊素が一瞬輝き、そのまま腕輪を包んだかと思えば、腕輪は激しく明滅しだし、ラディムの声が漏れ聞こえてきた。
「――さて、昨日の続きだ。……昨日とは違った感触を腕輪から受けるが、もしかして、アリツェではないのか?」
少し戸惑ったようなラディムの声が聞こえた。
どうやら、通信先の相手の霊素によって、腕輪から受ける感覚が異なるようだ。腕輪の震え方や、発する熱の量が違うのかもしれない。
「あら、装着者の霊素の違いを判別できるのね……。ってことは、腕輪の感触から通信先の相手が誰だか、声を聞かずとも判別ができる可能性がある、と。あ、ちなみに今腕輪を着けているのは、私、クリスティーナよ」
クリスティーナは自身の腕に掛けた腕輪を見つめながら、反対の手の指先で表面を軽く叩いた。コツコツと、小気味良い音が室内に響く。
ラディムからは、アリツェとクリスティーナとの触感の違いが伝えられた。アリツェは振動の間隔がやや長く、熱もほんのり温かい感じだが、一方クリスティーナは、振動間隔が短く、感じる熱もアリツェより高い。「まるで二人の性格を表しているようだな」、とラディムのけらけらと笑う声が漏れ伝わってきた。
クリスティーナは頬を膨らませながら、「まるで私が短気で直情的って言いたげね」と、不満げに口にしている。
「まぁ、バカ話もほどほどにしよう」
ラディムの咳払いが響き渡った。
アリツェも気持ちを切り替え、唇をぎゅっと結んだ。
「もし我々だけでエウロペ山脈に向かう許可を、各国の然るべき者から得られなかった場合だが……」
アリツェとクリスティーナへ意見を促すかのように、ラディムはそこで押し黙った。
然るべき者――アリツェであればフェイシア国王、ラディムはおそらくは最側近のムシュカ侯爵、クリスティーナは父のヤゲル国王あたりだろうか。
ラディムに関しては帝国最高権力者の皇帝ではあるが、まだ成人に達していない子供でもある。帝国貴族内最大の理解者であり、また、婚約者の父でもあるムシュカ侯爵は、経験の浅いラディムの保護者役も兼ねている。そのムシュカ侯爵の意向に反して、好き勝手な行動をとるのは難しいはずだ。
「それについては、私、良い考えがあるわ」
クリスティーナは口角を上げ、不敵に笑った。
「妙案があるのか?」
少し意外そうな声色で、ラディムはクリスティーナに聞き直した。
「ええ。この腕輪よ」
クリスティーナは腕輪の表面を撫でている。
「腕輪がどうか致しましたの?」
クリスティーナが何を考えているのか、アリツェはいまいちわからなかった。目を細め、横目でクリスティーナのしぐさを観察した。
「この腕輪と同様の物を、大司教たちも持っている可能性があるんでしょ? だったら、その腕輪を回収するっていう理由も、説得時に付け加えればいいんじゃないかしら」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、クリスティーナはアリツェに向けて悠然とうなずいた。
「私たちが大司教を追う大義名分になるのか?」
ラディムはクリスティーナへ訝し気に問いかけた。
「だって、この腕輪って、特殊効果発動のトリガーが霊素なんでしょ? じゃ、何かあった時のためにも、霊素持ちが回収に向かうしかないと思うんだけれど」
クリスティーナは自説を早口にまくし立てた。その顔は、ほんのりと赤く染まっている。
霊素にしか反応しない腕輪の特徴を、逆手にとって説得材料にする。クリスティーナの意見は、実に合理的だとアリツェにも感じられた。
「なるほど、な……。その観点から説得を試みればいいのか」
ラディムは納得したのか、「フーム」と唸り声をあげた。
「一人前の精霊使いじゃなければ、腕輪が霊素に反応して、思いもかけない事態が起こった時、とっさの事態に対処できない。そう説得できそうですわね」
アリツェも得心がいき、首を縦に振った。
アリツェたち三人以外にも、霊素持ちはいる。いるのだが、皆が皆、精霊使いの観点から眺めれば、半人前にも満たない。霊素を受けて、万が一腕輪が暴走するような事態にでもなれば、未熟な者ではどうしようもない。大きな事故につながりかねない、とアリツェは思った。
「まさしく狙いはそこよ、アリツェ。うまくお偉いさんたちとの取引材料に使えると思うの。腕輪の機能についても説明すれば、いかにこれが貴重かは一目瞭然だしね。であれば、腕輪を破壊せずに回収したいとも思うはず」
クリスティーナは大きく腕を開き、鼻息荒くたたみかけた。
「霊素持ちでない人間が強引に大司教から奪おうとして、腕輪自体を破壊してしまう……。確かに、避けたいだろうな」
ラディムが大きく息をつく音が漏れてきた。
「その点を突いて説得をすれば、確かにいけそうな気がいたしますわ」
アリツェはクリスティーナに向かって身を乗り出し、うなずいた。
悪くないと、アリツェも思う。ほんの少し、肩の荷が降りたように、ふわふわと体が軽くなる感覚を抱いた。
「では、もしすんなりと許可をもらえないようであれば、腕輪の件を取引材料に使う。それでいいか?」
ラディムの最終確認に、アリツェとクリスティーナは諾を返した。
そこで通信は途絶え、クリスティーナの腕輪の明滅は止み、振動も止まった。
アリツェはクリスティーナが腕輪を外し、台座に安置しなおす様子を眺めながら、フェイシア国王にどうやって話を持っていこうかと考えを巡らせ始めた。
(ドミニクはなんて言うかしら……)
ドミニクはフェイシア国王の実の息子だ。性格も熟知しているはず。
きっと良い意見がもらえるだろうとの期待を胸に、アリツェはドミニクの元へと向かった。
「――といった感じで、説得しようと考えておりますの」
ドミニクの部屋を訪ねるや、アリツェは開口一番、先だっての三者会談の結論をドミニクに伝えた。
「なるほどねぇ……」
ドミニクは手を口元にあてながら、窓際を行ったり来たりと歩いている。ドミニクが考え込むときに良く見せる癖だった。
「ダメかしら?」
アリツェはドミニクを見つめながら、ちょこんと小首をかしげた。
三者会議の場では妙案だと思えた。きっとドミニクも同じ思いを抱いてくれるだろうと、アリツェは期待のまなざしを向ける。
ひとしきり歩き回ったところで、ドミニクは立ち止まった。
「――ちょっと、弱いかもしれないね」
ドミニクはアリツェに向き直り、眉を寄せて険しい表情を浮かべた。
「あら、どうしてですの?」
ドミニクの反応に、アリツェは思わず声が上ずった。
すんなりと同意の言葉が返ってくるものかと思っていたので、アリツェは少々面食らう。
「よーく考えてごらん。アリツェが腕輪を持っているってことは、もうすでにフェイシア王国が腕輪を持っていることと同等に見なせるよね。父上からしたら、アリツェにわざわざ危険を冒してまで新たな腕輪を取ってきてほしいと、果たして思うかな」
ドミニクは苦笑を浮かべながら、こんこんと理由を説明した。
アリツェは口元に手を当て、「あ……」と声を上げた。
よくよく考えてみれば、ドミニクの言うとおりだ。アリツェはがくりとうなだれた。考え足らずだった自分に、顔が熱くなる。膝ががくがくと震える。
「おそらく父上は腕輪よりも、精霊使いとしてのアリツェの身を、より大切だと思っているはずだ」
ドミニクはアリツェを注視しながら、「君はある意味で、王国の切り札的存在なんだよ」と続けた。
「腕輪回収の件では、取引材料にならないと……」
アリツェは目をつむり、手の甲を額に当ると、フラフラとよろめきながら近くの椅子へと力なく座り込んだ。
「おそらくは、ね……」
ドミニクは言いづらそうに口ごもった。
「ただ、説得するとっかかりになる材料が何もないよりは、あるだけでもマシさ。それに、そもそも許可がすんなりもらえるのなら、説得云々で悩む必要も、そもそもないんだしね」
ドミニクは一転、優しげな笑みを浮かべると、座り込んだアリツェの傍に近づいた。
「そう、ですわね……。陛下のお考えがわからない以上、今からあれこれ考えても、益はないですわね」
ドミニクの表情に、アリツェはこわばった筋肉が緩む感覚を抱いた。
このまま抱きしめられたいと思う気持ちを抑えつつ、アリツェはドミニクに笑みを返した。大丈夫、心配しないでほしい、と。
「とりあえず王都に向かおうか。父上への説得は、まぁ、ボクの役目だろうね。任せてほしい」
ポンッと胸を叩きながら、ドミニクは片目をつむった。
「頼りにしていますわ、ドミニク……」
アリツェはドミニクの顔をじいっと注視した。愛する婚約者の言葉で、じんわりと心にぬくもりが広がっていった。
さらに翌日、アリツェとドミニク、クリスティーナは、グリューンの街門前に立っていた。
ここでいったん分かれ、クリスティーナはヤゲル王国の王都ワルスへ、アリツェとドミニクは、フェイシア王国の王都プラガへと向かう。それぞれの国王へ、エウロペ山脈での作戦行動の許可を求めるためだ。
「じゃあアリツェ、お互いに健闘を祈りましょう」
ワルス行きの高速馬車に乗り込んだクリスティーナは、窓から顔を出してアリツェたちに声をかけた。
「説得失敗だなんて間抜けな姿を、晒したりは致しませんわ!」
アリツェはピッと人差し指を立て、前へと突き出した。
アリツェがいたずらっぽい笑みを浮かべれば、お返しにとクリスティーナも相好を崩す。
「うふふ、私も負けていられないわね」
クリスティーナは力強く宣言をすると、馬車の中に顔を引っ込めた。
そのまま高速馬車はゆっくりと進みだし、街道へと入るとぐんぐんと速度を増していく。
去り行く高速馬車の姿を視界にとらえながら、アリツェはしばし立ち尽くした。
とその時、脇に騎乗したドミニクがやってきた。
「さあ、ボクたちも行こうか、アリツェ!」
明るく声をかけるドミニクにアリツェはうなずくと、傍の木に繋ぎとめておいた自身の馬の縄をほどき、騎乗した。
「参りましょう! いざ、王都プラガへ!」
アリツェはドミニクへ顔を向けると、力強く声を張り上げ、プラガ方面を指さした。
王都での交渉を想うと、アリツェはちらりと胸が締め付けられる感覚が沸き起こった。だが、その締め付けも、ドミニクと一緒ならば、痛くはなかった。
きっと良い方向に進んでいける――。
アリツェはきれいに晴れ渡る空を見上げながら、手綱をぎゅっと握りしめた。
ラディムに指示された時刻を迎えると、台座に安置されたトマーシュの腕輪が震え出し、鈍く光り出した。ラディムからの通信の合図だ。
この日はクリスティーナが腕輪の通信機能を試してみたいと言うので、アリツェは腕輪を手に取らず、悠然と椅子に腰を掛けた。
クリスティーナはカタカタと音を立てながら震える銀の腕輪に、おっかなびっくりといった態で、指先を使ってちょんちょんと触れている。やがて、唇をぎゅっと結び、腕輪を手に取り、腕にはめた。
クリスティーナの身体から白い光――霊素が一瞬輝き、そのまま腕輪を包んだかと思えば、腕輪は激しく明滅しだし、ラディムの声が漏れ聞こえてきた。
「――さて、昨日の続きだ。……昨日とは違った感触を腕輪から受けるが、もしかして、アリツェではないのか?」
少し戸惑ったようなラディムの声が聞こえた。
どうやら、通信先の相手の霊素によって、腕輪から受ける感覚が異なるようだ。腕輪の震え方や、発する熱の量が違うのかもしれない。
「あら、装着者の霊素の違いを判別できるのね……。ってことは、腕輪の感触から通信先の相手が誰だか、声を聞かずとも判別ができる可能性がある、と。あ、ちなみに今腕輪を着けているのは、私、クリスティーナよ」
クリスティーナは自身の腕に掛けた腕輪を見つめながら、反対の手の指先で表面を軽く叩いた。コツコツと、小気味良い音が室内に響く。
ラディムからは、アリツェとクリスティーナとの触感の違いが伝えられた。アリツェは振動の間隔がやや長く、熱もほんのり温かい感じだが、一方クリスティーナは、振動間隔が短く、感じる熱もアリツェより高い。「まるで二人の性格を表しているようだな」、とラディムのけらけらと笑う声が漏れ伝わってきた。
クリスティーナは頬を膨らませながら、「まるで私が短気で直情的って言いたげね」と、不満げに口にしている。
「まぁ、バカ話もほどほどにしよう」
ラディムの咳払いが響き渡った。
アリツェも気持ちを切り替え、唇をぎゅっと結んだ。
「もし我々だけでエウロペ山脈に向かう許可を、各国の然るべき者から得られなかった場合だが……」
アリツェとクリスティーナへ意見を促すかのように、ラディムはそこで押し黙った。
然るべき者――アリツェであればフェイシア国王、ラディムはおそらくは最側近のムシュカ侯爵、クリスティーナは父のヤゲル国王あたりだろうか。
ラディムに関しては帝国最高権力者の皇帝ではあるが、まだ成人に達していない子供でもある。帝国貴族内最大の理解者であり、また、婚約者の父でもあるムシュカ侯爵は、経験の浅いラディムの保護者役も兼ねている。そのムシュカ侯爵の意向に反して、好き勝手な行動をとるのは難しいはずだ。
「それについては、私、良い考えがあるわ」
クリスティーナは口角を上げ、不敵に笑った。
「妙案があるのか?」
少し意外そうな声色で、ラディムはクリスティーナに聞き直した。
「ええ。この腕輪よ」
クリスティーナは腕輪の表面を撫でている。
「腕輪がどうか致しましたの?」
クリスティーナが何を考えているのか、アリツェはいまいちわからなかった。目を細め、横目でクリスティーナのしぐさを観察した。
「この腕輪と同様の物を、大司教たちも持っている可能性があるんでしょ? だったら、その腕輪を回収するっていう理由も、説得時に付け加えればいいんじゃないかしら」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、クリスティーナはアリツェに向けて悠然とうなずいた。
「私たちが大司教を追う大義名分になるのか?」
ラディムはクリスティーナへ訝し気に問いかけた。
「だって、この腕輪って、特殊効果発動のトリガーが霊素なんでしょ? じゃ、何かあった時のためにも、霊素持ちが回収に向かうしかないと思うんだけれど」
クリスティーナは自説を早口にまくし立てた。その顔は、ほんのりと赤く染まっている。
霊素にしか反応しない腕輪の特徴を、逆手にとって説得材料にする。クリスティーナの意見は、実に合理的だとアリツェにも感じられた。
「なるほど、な……。その観点から説得を試みればいいのか」
ラディムは納得したのか、「フーム」と唸り声をあげた。
「一人前の精霊使いじゃなければ、腕輪が霊素に反応して、思いもかけない事態が起こった時、とっさの事態に対処できない。そう説得できそうですわね」
アリツェも得心がいき、首を縦に振った。
アリツェたち三人以外にも、霊素持ちはいる。いるのだが、皆が皆、精霊使いの観点から眺めれば、半人前にも満たない。霊素を受けて、万が一腕輪が暴走するような事態にでもなれば、未熟な者ではどうしようもない。大きな事故につながりかねない、とアリツェは思った。
「まさしく狙いはそこよ、アリツェ。うまくお偉いさんたちとの取引材料に使えると思うの。腕輪の機能についても説明すれば、いかにこれが貴重かは一目瞭然だしね。であれば、腕輪を破壊せずに回収したいとも思うはず」
クリスティーナは大きく腕を開き、鼻息荒くたたみかけた。
「霊素持ちでない人間が強引に大司教から奪おうとして、腕輪自体を破壊してしまう……。確かに、避けたいだろうな」
ラディムが大きく息をつく音が漏れてきた。
「その点を突いて説得をすれば、確かにいけそうな気がいたしますわ」
アリツェはクリスティーナに向かって身を乗り出し、うなずいた。
悪くないと、アリツェも思う。ほんの少し、肩の荷が降りたように、ふわふわと体が軽くなる感覚を抱いた。
「では、もしすんなりと許可をもらえないようであれば、腕輪の件を取引材料に使う。それでいいか?」
ラディムの最終確認に、アリツェとクリスティーナは諾を返した。
そこで通信は途絶え、クリスティーナの腕輪の明滅は止み、振動も止まった。
アリツェはクリスティーナが腕輪を外し、台座に安置しなおす様子を眺めながら、フェイシア国王にどうやって話を持っていこうかと考えを巡らせ始めた。
(ドミニクはなんて言うかしら……)
ドミニクはフェイシア国王の実の息子だ。性格も熟知しているはず。
きっと良い意見がもらえるだろうとの期待を胸に、アリツェはドミニクの元へと向かった。
「――といった感じで、説得しようと考えておりますの」
ドミニクの部屋を訪ねるや、アリツェは開口一番、先だっての三者会談の結論をドミニクに伝えた。
「なるほどねぇ……」
ドミニクは手を口元にあてながら、窓際を行ったり来たりと歩いている。ドミニクが考え込むときに良く見せる癖だった。
「ダメかしら?」
アリツェはドミニクを見つめながら、ちょこんと小首をかしげた。
三者会議の場では妙案だと思えた。きっとドミニクも同じ思いを抱いてくれるだろうと、アリツェは期待のまなざしを向ける。
ひとしきり歩き回ったところで、ドミニクは立ち止まった。
「――ちょっと、弱いかもしれないね」
ドミニクはアリツェに向き直り、眉を寄せて険しい表情を浮かべた。
「あら、どうしてですの?」
ドミニクの反応に、アリツェは思わず声が上ずった。
すんなりと同意の言葉が返ってくるものかと思っていたので、アリツェは少々面食らう。
「よーく考えてごらん。アリツェが腕輪を持っているってことは、もうすでにフェイシア王国が腕輪を持っていることと同等に見なせるよね。父上からしたら、アリツェにわざわざ危険を冒してまで新たな腕輪を取ってきてほしいと、果たして思うかな」
ドミニクは苦笑を浮かべながら、こんこんと理由を説明した。
アリツェは口元に手を当て、「あ……」と声を上げた。
よくよく考えてみれば、ドミニクの言うとおりだ。アリツェはがくりとうなだれた。考え足らずだった自分に、顔が熱くなる。膝ががくがくと震える。
「おそらく父上は腕輪よりも、精霊使いとしてのアリツェの身を、より大切だと思っているはずだ」
ドミニクはアリツェを注視しながら、「君はある意味で、王国の切り札的存在なんだよ」と続けた。
「腕輪回収の件では、取引材料にならないと……」
アリツェは目をつむり、手の甲を額に当ると、フラフラとよろめきながら近くの椅子へと力なく座り込んだ。
「おそらくは、ね……」
ドミニクは言いづらそうに口ごもった。
「ただ、説得するとっかかりになる材料が何もないよりは、あるだけでもマシさ。それに、そもそも許可がすんなりもらえるのなら、説得云々で悩む必要も、そもそもないんだしね」
ドミニクは一転、優しげな笑みを浮かべると、座り込んだアリツェの傍に近づいた。
「そう、ですわね……。陛下のお考えがわからない以上、今からあれこれ考えても、益はないですわね」
ドミニクの表情に、アリツェはこわばった筋肉が緩む感覚を抱いた。
このまま抱きしめられたいと思う気持ちを抑えつつ、アリツェはドミニクに笑みを返した。大丈夫、心配しないでほしい、と。
「とりあえず王都に向かおうか。父上への説得は、まぁ、ボクの役目だろうね。任せてほしい」
ポンッと胸を叩きながら、ドミニクは片目をつむった。
「頼りにしていますわ、ドミニク……」
アリツェはドミニクの顔をじいっと注視した。愛する婚約者の言葉で、じんわりと心にぬくもりが広がっていった。
さらに翌日、アリツェとドミニク、クリスティーナは、グリューンの街門前に立っていた。
ここでいったん分かれ、クリスティーナはヤゲル王国の王都ワルスへ、アリツェとドミニクは、フェイシア王国の王都プラガへと向かう。それぞれの国王へ、エウロペ山脈での作戦行動の許可を求めるためだ。
「じゃあアリツェ、お互いに健闘を祈りましょう」
ワルス行きの高速馬車に乗り込んだクリスティーナは、窓から顔を出してアリツェたちに声をかけた。
「説得失敗だなんて間抜けな姿を、晒したりは致しませんわ!」
アリツェはピッと人差し指を立て、前へと突き出した。
アリツェがいたずらっぽい笑みを浮かべれば、お返しにとクリスティーナも相好を崩す。
「うふふ、私も負けていられないわね」
クリスティーナは力強く宣言をすると、馬車の中に顔を引っ込めた。
そのまま高速馬車はゆっくりと進みだし、街道へと入るとぐんぐんと速度を増していく。
去り行く高速馬車の姿を視界にとらえながら、アリツェはしばし立ち尽くした。
とその時、脇に騎乗したドミニクがやってきた。
「さあ、ボクたちも行こうか、アリツェ!」
明るく声をかけるドミニクにアリツェはうなずくと、傍の木に繋ぎとめておいた自身の馬の縄をほどき、騎乗した。
「参りましょう! いざ、王都プラガへ!」
アリツェはドミニクへ顔を向けると、力強く声を張り上げ、プラガ方面を指さした。
王都での交渉を想うと、アリツェはちらりと胸が締め付けられる感覚が沸き起こった。だが、その締め付けも、ドミニクと一緒ならば、痛くはなかった。
きっと良い方向に進んでいける――。
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