わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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第二十章 大司教を追って

3-1 いったいどこに隠れ潜んでいるのでしょうか~前編~

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 防寒対策にめどが立ち、アリツェたちは足取りも軽く、大司教追跡を再開した。

 せまっ苦しい獣道は、相も変わらず、乾いて朽ちた倒木がその行く手を遮っていた。だが、寒さへの対処を済ませたアリツェたちにとって、その妨害ももはや大したものではなくなっていた。身体が軽快に動かせるようになったため、ひょいひょいと倒木を避けていた。

 時折枝を踏み抜くぱきっという音が、周囲に響く。防風壁外の風の音は弱い。顔を撫でる外気は、変わらず痛いほど冷たいが、すぐに火の精霊術で温められる。気にはならなかった。わずかに吹き込む風が、朽ちかけの木や葉のにおいを鼻腔へといざなう。別に、嫌な臭いではない。

 森林限界も近いのか、木々の密度はさらに薄まり、陽が差し込む場所と木陰との境もはっきりしてきた。アリツェは目を細め、キラキラと輝く木漏れ日に目をくれた。悩みの一つが解消したためなのか、昨日とは見える世界が違う。薄暗く、気味の悪かったこの森も、なぜだか今日は神秘的に見えた。

「ふんふーん」

 アリツェは鼻歌を歌いながら、手に持つ少し長めの枯れ枝を、左右に振りながら歩いた。

 枝先の動きに合わせ、がさがさと音を立てながら厚く堆積した落ち葉が舞い、アリツェの鼻歌に柔らかな伴奏を添える。周囲の小鳥たちも、楽し気なアリツェに触発されたのか、可愛らしいさえずりを響かせていた。

「ご機嫌だね、アリツェ」

 背後を歩いていたドミニクが、微笑を浮かべながらアリツェの隣にやって来た。

「ドミニクの身の安全の確保も成りましたし、当然ですわ!」

 アリツェはドミニクに顔を向け、笑みを返す。

 愛する人の身を案じるのは、婚約者として当然だとアリツェは思う。昨日までのその懸念が払しょくされた以上は、こうして明るくウキウキとした気分になるのは、ごく自然な反応ではないだろうか。

「いやほんと、アリツェたちのおかげだよ」

「うふふ」

 ドミニクの礼の言葉に、アリツェはますます機嫌がよくなった。心が、ふわりふわりと弾む。

 そのまましばらく、ドミニクと肩を寄せ合い、仲良く獣道を並走した。肩同士が触れ合うたびに、お互いを見つめ合い、微笑を浮かべる。世界のすべてが、喜色に染まったかのような心地よさだった。

「あー、その、なんだ。仲がいいのは結構なのだが、足はきちんと動かしてもらいたいな」

 先頭を歩くラディムが振り返り、少し不満げな声を上げた。

 アリツェは首をかしげ、「あら、お兄様。きちんと歩いていますわ!」と口にするや、再び隣のドミニクへと視線を遣った。

 ラディムは右手を額に当て、「困ったものだ」と呟き、頭を振っている。が、アリツェは意にも介さない。

「ラディム様ラディム様。あの二人にそんなこと言っては、野暮ってものですわ」

 最後尾にいたクリスティーナが、ひょいひょいっとアリツェたちの脇を抜け、ラディムの傍に進み出た。

「はぁ……」

 ため息をつくラディムの横で、クリスティーナが苦笑を浮かべながら、「すっかり二人の世界よ」と呆れた声を漏らした。

「ふんふーん」

 ラディムやクリスティーナの言葉もなんのその、アリツェは鼻歌を続け、しまいにはスキップをしだした。

(あぁ、世界は何と美しいのでしょうか!)

 アリツェは枝先を天に向け、木々の隙間からわずかに覗く太陽を差した。と同時に、その枝の先に、数羽の小鳥たちが舞い降りた。感極まるアリツェの想いに答えるかのように、一層楽し気にさえずった。

「前もちらっと話したけれど、あなた本当に、カレル――悠太君の人格と混じりあったのね」

 クリスティーナは後ろ向きで歩きつつ、目を見開いてアリツェの顔を見つめた。

「え? え?」

 アリツェはクリスティーナの言葉の意味がよくわからず、戸惑いの声を上げた。

「無自覚かぁ……」

 クリスティーナはため息とともにつぶやくと、頭を抱えた。

「あたりかまわず鼻歌を歌うようなキャラじゃなかったでしょ、あなた」

 言われてアリツェもはたと思う。人格融合前のアリツェも、鼻歌を歌ったことはある。しかし、確かにクリスティーナが言うように、人前で大っぴらにはやっていなかった。無意識のうちに、衆目の前で鼻歌を歌っていた事実……。悠太の人格が影響しているのは、まず間違いない。

「ま、今のあなたのほうが親しみやすいし、可愛いからいいんだけれどね……」

 クリスティーナは苦笑を浮かべつつ、アリツェの肩をポンっと叩いた。

「逆に、クリスティーナは私と違って、あの性悪聖女様の面影なんて見る影もないですわ」

 言われっぱなしもしゃくだと思い、アリツェもクリスティーナの人格について、思っていた考えを口にした。

「ミリアの人格が完全にのっとった感じに見えます。融合というよりは……」

 アリツェはクリスティーナの瞳を凝視した。

 今のクリスティーナに、かつての自己中心的でわがまま放題だったクリスティーナの影響は、ほとんど見られない。

「あー、そっか。傍から見るとそうかもね」

 クリスティーナは顎に手を当て、視線を上に向けた。

「実はあの子……元のクリスティーナはね、最初からあんな感じじゃなかったのよ?」

 ぽつりとつぶやくクリスティーナの表情は、どこか寂し気だった。

「あぁ、それはボクも父上から聞いているよ。修道院に押し込められていた頃は、もっと物静かで、口調も柔らかい少女だったって」

 クリスティーナの言葉に、ドミニクは首肯した。

「あの子も哀れなのよ……。母が卑しい身分だったので、父からは半ばいない娘として扱われ、修道院で一人寂しく『精霊王』に祈っていたの」

 クリスティーナは両手を胸の前で組み、祈りをささげるような姿勢をとる。

「でもね、『精霊術』の才能を見せて以来、周囲が手のひらを返すようにちやほやしだして……。今まで無関心だった父も、私――娘の気を惹こうと、あの手この手で懐柔してきて……。完全に、心が歪んじゃったのよね」

 どうしようもない性格だと思っていたかつてのクリスティーナにも、色々とそうなる理由があった。

 アリツェは思い出す……。そういえば一回だけだが、あの性悪クリスティーナが、なぜだか妙に、アリツェ自身の身を案じてくれたことがあったと。たしか、養父マルティンの説得に向かう時の、高速馬車の中だっただろうか。

 あの瞬間に垣間見せた優しさが、本来のクリスティーナの性格だったのかもしれない。だとすれば、悲しい……。

「なんだか、他人事には聞こえませんわね……。わたくしも、あのクリスティーナと同じような状況になった可能性も、あったかもしれませんわ」

 自らの境遇。いくら求めても得られなかった、養父マルティンたちからの愛。なんとなく、幼いころのクリスティーナと重なる。

「だからね、素のあの娘は、あなたたちが思っているほど無茶苦茶ではないのよ。きちんとあの娘の人格も、私の心の片隅にいるんだから」

 組んでいた手をほどき、クリスティーナはアリツェに微笑んだ。

「……変なことを聞いてしまいましたわ。すみません、クリスティーナ」

 あまり思い出したくないであろう微妙な話題を出してしまった。知らなかったとはいえ、無神経な物言いだったと、アリツェは後悔した。

「いいのいいの、可愛いアリツェなら、私なんだって許しちゃうわ!」

 クリスティーナは声を張り上げると、ぎゅっとアリツェに抱き着いた。

 苦しかったが、ここはクリスティーナの好きにさせた。ちょっとした罪滅ぼし、というわけではないが……。

「あ、クリスティーナ様! ずるい!」

 クリスティーナの突然の行動に、ドミニクからの非難の声が上がった。

「だーめ、これは女の子同士の特権でーす」

 クリスティーナは聞く耳を持たず、アリツェを抱きとめる腕の力を、弱めようとはしなかった。

「ぐぬぬ……」

 ドミニクの歯ぎしりが聞こえるが、今日この場では、申し訳ないがクリスティーナに譲ってもらおうと、アリツェは思った。






「あぁっ! もうっ!」

 唐突にクリスティーナが叫び声をあげた。

「……クリスティーナ、お気持ちはわかりますわ。ですが、少々お静かにお願いできません?」

 アリツェは右手で髪を掻き毟り、少し棘を含んだ声でクリスティーナをたしなめた。

 ひたすら続く行軍に、筋肉は疲労ですっかりひりついている。靴も重い。倒木に足を取られる回数も、だいぶ増えていた。防風壁外の風の音も、次第に強くなり、実に耳障りだった。陽も陰り、薄暗くなってきている。

 アリツェはかなりイライラしていた。クリスティーナの言動も理解はできる。

 だが、ここで騒いだところで、何か事態が好転するかと言われれば、そんなことはないともアリツェは思う。無駄な労力を使うだけだ。

「だってさぁ、アリツェ。なんだか同じところをぐるぐる回っている気がしない? ほんっと、腹が立って仕方がないわ!」

 なおもクリスティーナは地団太を踏み、憎々しげに吐き捨てた。

「そうだな……。クリスティーナの感覚、私もだが薄々感じていた」

 とそこに、ラディムからの同意の声が上がった。

「お兄様?」

 クリスティーナへ意外な援軍を寄こしたラディムに、アリツェは訝しく思い、首をかしげた。

「どうやら、同じ場所を何度も通っているのは間違いなさそうだ。これを見てくれ」

 ラディムは右手の親指を突き立てると、後方の木の枝を指さした。

 アリツェが指先の指し示す方向へ目を遣ると、木の枝に赤い布が結び付けられていた。

「三十分前に私が木の枝に結わえた布だ。それが今、ここにあるってことは……」

 ラディムはぐるりとアリツェたちを見回した。

「ここを、三十分前に通ったってことだね」

 ラディムの言わんとしている内容を察し、ドミニクが答えた。

「だとすると、まずいかな。ボクたち、完全に迷ってるよ」

 ドミニクは腕を組み、「うーん」と唸りながら首をかしげた。 

「でも、おかしくないですか? 一本道のはずの、この獣道の道筋どおりに進んでいますわ」

 アリツェは前後に続く獣道へちらりと一瞥をくれた。

 あまり足場がよくないし、周囲も藪だらけでそれほど開けている道とは言えない。だが、それでも、一本道なのは間違いなかった。

「そうなのよねぇ。別に途中で道が分かれていたってわけでもないし、何なのかしら」

 クリスティーナも腕組みをし、目をつむりながらぐっと身体をそらせた。

 クリスティーナの言葉に、ラディムとドミニクも首を縦に振った。アリツェもまた、確信していた。途上に別の道などはなかったと。

『ご主人、ご主人』

 とそこに、ペスから念話が入る。

『どうしましたの、ペス』

『この周辺、かすかに霊素が濃い気がするワンッ』

 ペスは脇の藪に向かって吠えた。

『え? 自然のものではなくて?』

 アリツェは首をかしげ、ペスに問い直した。

『漏れ出た地核エネルギーってわけじゃなさそうだワンッ』

 自然からの霊素――つまり、地核エネルギーではないと、ペスは言った。

 つまり、何らかの生物による、意図的な霊素の放出があったと、そう考えるのが自然な流れかもしれない。

「お兄様、ペスが妙な霊素を感じたと……」

 とりあえずは状況を掴まなければいけない。アリツェは皆と相談すべく、口を開いた。

 アリツェの説明を受けると、ラディムとクリスティーナの顔つきが変わった。二人もアリツェ同様、指摘されるまでは周囲の霊素に気づいていなかったようだ。

「これは……、もしや、大司教側が何らかのマジックアイテムを使って、追跡者を巻こうとした?」

 ラディムは持論を述べると、口元に手を当てながら、再び思索の渦の中へ飛び込んでいった。

「あり得るねぇ。同行者の導師のものなのか、ザハリアーシュの導師部隊が残したものかまではわからないけれど、たぶん何か、幻覚を起こすようなアイテムを使ったんだろうね」

 ラディムの推論に同意するように、ドミニクは首肯した。

 幻覚――。

 考えられなくはなかった。かつてのマリエが最も得意としていた闇の魔術。その闇属性の魔術は、人の精神に強い作用を及ぼすものばかりだったと、ラディムが話していた。であるならば、幻覚を引き起こすようなマジックアイテムも、あっても不思議ではない。マリエの置き土産として、そういったアイテムが大司教側の手に渡っていた可能性も、無きにしも非ずだ。

「大司教一派がそのような手を使ってくるとは、わたくしたち思ってもおりませんでしたし。完全に無警戒でしたわ」

 直接的、物理的な抵抗はあり得るだろうと覚悟はしていた。だが、魔術を駆使した精神面での反攻までは、正直想定をしていなかった。

 アリツェたちの、完全な油断だった……。

「仕方がない、ここは五感に優れた使い魔たちに、周囲を探ってもらおうか」

 ため息をつきながら、ラディムはミアとラースを傍に呼び寄せた。

 二匹は甘えた鳴き声とともに、素早くラディムの傍へと駆け寄った。

「あぁ、それはいい考えですわね。私たち人間よりも、この子たちの方がよほど感覚が鋭敏だもの」

 クリスティーナも念話を発したのか、すぐさま使い魔の三匹の子猫が走り寄り、ローブの裾を甘噛みしはじめた。そのまま、くいくいっと可愛らしくひっぱっている。

「一旦ここにキャンプを張ろう。ミア、ラース! 悪いが、他の使い魔とともに、周囲を探ってくれないか? たぶん、別の横道があるはずだ」

 ラディムの言葉に、ミアとラースは承知とばかりに鳴き声を上げた。そのまま地面を蹴り、傍の藪の中へと飛び込む。

 そのすぐ後をクリスティーナの使い魔、イェチュカ、ドチュカ、トゥチュカが続き、殿をアリツェの使い魔のペスが務めた。ルゥだけは、単独で空へと舞い上がり、周囲をぐるぐると旋回し始める。

 適材適所。探索は知覚に優れた使い魔たちに任せ、アリツェたちは今後の方針を相談するべく、藪を切り開いて空き地を作り、キャンプの設営を始めた。

 大司教一派の元へと近づいたせいだろうか、今後はただ一本道というわけにはいかないかもしれない。カモフラージュにも気を配り、慎重な行軍が求められる。

 先が、思いやられた――。
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