わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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第二十章 大司教を追って

3-2 いったいどこに隠れ潜んでいるのでしょうか~中編~

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 キャンプの設営を終え、アリツェたちは焚火を囲み、少し早めの夕食を採った。

「さて、使い魔たちに頑張ってもらっている間、私たちは十分に英気を養っておこう」

 ラディムの言葉に、アリツェはうなずいた。ペスやルゥには悪いが、ここはゆっくりと身体を休ませてもらう。同じところをぐるぐると回らされたおかげで、精神的な疲労が加わり、いつも以上に脚がむくんでいた。ゆっくりと伸ばして、疲れを取り除きたかった。

「ねぇ、なんだかにおわない……?」

 クリスティーナが唐突につぶやいた。

 言われてみれば、何やら……おなららしき匂いが漂っている。なぜだか、皆の視線がアリツェに向いた。解せない……。

「わ、わたくしではありませんわ!」

 アリツェは大慌てで両手を振った。

 クリスティーナはなおも顔を寄せ、ジト目で見つめてくる。

「ち、違いますわ!」

 勘弁してもらいたかった。人前で……おならなど、無作法をしたつもりはなかった。

「この臭いは……、硫黄? もしかして、温泉が湧いているのか?」

 ラディムははっと目を見開き、周囲をきょろきょろと窺いだした。

「あぁ、確かに! なーんだ、アリツェが原因じゃなかったのね」

 クリスティーナはけらけらと笑い飛ばし、アリツェの背をバンバンと叩く。アリツェは顔をしかめつつ、「だから、何度もそう申し上げたではないですか!」と抗議の声を上げた。

「温泉って、何だい?」

 ドミニクは腕を組み、しきりに首をひねっている。

「あら、ドミニクはご存じないのですか?」

 アリツェはドミニクを見遣り、ちょこんと首を傾いだ。

 フェイシアの王子でもあるドミニクなら、一回くらいは温泉に入った機会もあったのではないかと、アリツェは思ったのだが。

 アリツェは悠太の記憶の中の日本の温泉地を脳裏に思い描きながら、ドミニクに温泉とは何たるかを説明した。話が温泉卵やら温泉饅頭にまで及ぶと、ドミニクは物欲しそうな表情を顔に張り付け、「食べてみたいものだねぇ」と呟いた。

 アリツェも懐かしの味――もちろん、悠太の人格の味の記憶ではあるが――を思い出し、涎がジワリと込み上げてきた。

「せっかくだし、探してみようよ」

 温泉は、ドミニクの興味を大いに引いたらしい。ドミニクはソワソワとしながら、しきりに肘でアリツェの横腹を突いた。

「そうですわね……。もし入れそうなら、身体の垢を落としたいところですわ」

 アリツェも異論はなかった。

 山中行軍で、身体はだいぶ汚れている。毎夕精霊術で身体を洗浄してはいたが、細かい部分の汚れまでは、きれいに落としきれていはいなかった。濡れた布で拭いたりもするが、寒さもあり、時間をかけてじっくりと、とはいかない。熱い湯で身体を洗い流せれば、それはまさしく、天にも昇る心地だろう。実に、慶福慶福。






「あったぞ!」

 ラディムの叫び声が聞こえた。

 アリツェたちが声のするほうへ駆けていくと、ラディムが地面を指さしながら、満面の笑みを浮かべて立っていた。

 指し示す先を見遣れば、見事なまでの湯だまりがあった。

 お湯がごぼごぼと地表に押し上げられ、細かい泡が立ち上っては割れている。そのすぐわきからは、お湯が岩場へとしみ出しており、ちょろちょろと流れ出す音が聞こえた。

 水面からは湯気がゆっくりと立ち上っている。お湯に触れている岩は、黄色く変色していた。

「これは……、素敵ですわ!」

 アリツェは手を叩き、感嘆の声を上げた。

 どこからどう見ても、温泉だった。

「ほんと、これはなかなかよさげな温泉ね。……湯温もちょうどいいわ。周りの岩場もしっかりしているし、露天風呂として使えそう」

 クリスティーナも満足げにうなずきながら、右手を湯に沈めている。

 アリツェも習い、湯に両手を静かに差し入れ、ひと掬いした。そのまま口へと運び、軽く舐める。……苦みの感じる、温泉特有の味だ。

「では、交代で入浴するか」

 ラディムの提案に、アリツェは力いっぱいの頷きを返した。……楽しみでたまらない。






「ラディム様! ドミニク様! ぜーったいに、覗かないでくださいね!」

 クリスティーナの大声が、周囲に響き渡った。

 湯浴みの順番は、アリツェとクリスティーナの女性陣が先となった。その間、ラディムとドミニクは周辺の警戒に当たる。万が一、魔獣でも現れたら大変だからだ。

 ドミニクは少し不満そうだったが、結局はクリスティーナに押し切られていた。

「あ、ああ……、もちろん、だ……」

 クリスティーナの剣幕に気圧されたのか、ラディムは身を引きながら言葉を濁す。

「ボクを何だと思っているんだい、クリスティーナ様」

 一方でドミニクは、腕組みをしながら口を尖らせた。

「まぁまぁ、クリスティーナ。わたくしは別に、気にしませんわ」

 鼻息荒く男性陣に詰め寄っているクリスティーナを、アリツェは慌てて制した。

「だーめ! アリツェ、あなたこんなに美人なんだから、もっと男には注意しなくちゃだめよ! いい? 男はみんな、狼なんだから!」

 アリツェの言葉が不満だったのか、クリスティーナは一転して、今度はアリツェに詰め寄りだした。

「うーん……、そういうものなのでしょうか」

 アリツェは戸惑い、気のない返事を返す。

 二年の孤児院生活のせいで、アリツェは異性に肌を晒す点に関しては、だいぶ抵抗感が薄れていた。男女共用の大部屋生活だったため、着替えなどではどうしても、お互いの肌を目にする機会が多かったからだ。

 また、これが一番の理由になるのかもしれないが、自身の中に男女両方の記憶と人格を持っている事実が、アリツェの貞操観に大きな影響を及ぼしていた。

 なので、ここまでクリスティーナが覗きを気にする感情を、アリツェはいまいち理解できなかった。裸体を覗いて何が楽しいのだろう、と。

「そういうものなの!」

 クリスティーナの怒声が響き渡った。

 ……そんなに騒いだら魔獣が寄ってくるのではと、アリツェは口にしかかった。だが、すんでのところでぐっとつぐんだ。ここで火に油を注げば、面倒になる。

「とーにーかーくっ! 覗き見したら、イェチュカ、ドチュカ、トゥチュカに頼んで、懲らしめてやるんだからねっ!」

 クリスティーナは男性陣を指さし、口角泡を飛ばした。

「信用ないな。……私もアリツェと同じだ。別に異性の裸になど興味はないし、ましてや双子の妹だぞ?」

 ラディムはため息をつき、肩をすくめた。

 考えてみれば、ラディムも状況はアリツェとほぼ同じだ。優里菜の人格と記憶を持っているので、考え方はアリツェと似たり寄ったりだろう。

「ぼ、ボクも、正式な結婚前に、女性の柔肌を覗き見するなんて無作法は、しないよ」

 ドミニクはわずかに顔を紅潮させ、ぷいっと顔を横に向けた。

「ラディム様はともかく、ドミニク様はちょっと信用が置けないのよね。こと、アリツェに関しては」

 ドミニクのつっかえ気味の返答が気に障ったのか、クリスティーナは鋭い目つきでドミニクを注視した。

 確かに、事アリツェに関するものとなれば、ドミニクの行動はたまにおかしくなる。アリツェもその点は、重々自覚している。

「もうっ、クリスティーナっ! 早く入りましょう!」

 しかし、今はもう、目の前の温泉しか目に入っていなかった。早く身体の汚れを落としたい。その重要ミッションの前には、覗かれる程度何のこともない。

 クリスティーナはまだ言い足りないといった態度をありありと見せていた。だが、早く湯に入りたい気持ちは、アリツェと一緒だったのだろう、結局は、しぶしぶアリツェの言葉に従った。






 アリツェとクリスティーナは衣服を脱ぎ去り、ゆっくりと湯に体を沈めた。

 泉質は滑らかで、お湯が肌をするりと流れ落ちる。だが、湯自体は濁っており、中は見通せない。

 少し熱いくらいのお湯が、筋肉の緊張をほぐし、肌を紅潮させる。アリツェは無意識のうちに、「はぁー……」と声を漏らした。気持ちいい……。

「アリツェ、ほんっっっっと、あなた可愛いわね!」

 と突然、クリスティーナは大きな声を出すと、水しぶきを上げながらアリツェに抱き付いてきた。

 クリスティーナの勢いに、後頭部でお団子状に巻いた髪がほどけそうになる。アリツェは慌てて髪を抑えながら、締め付けるように腕を回すクリスティーナへ抗議の声を上げる。

 だが、クリスティーナは意に介さず、そのほ……豊満な胸を、ぐいぐいとアリツェの腕に押し付けてきた。

「あ、あの……、クリスティーナ? 目が据わっていらっしゃいますわ?」

 アリツェは身の危険を感じ、背筋に嫌な汗をかいた。

 クリスティーナの瞳の奥が、輝いているように見えるのは、はたして気のせいだろうか。

「うふふ、うふふふふ……。ねぇ、アリツェ、女同士なんだし、ちょっとくらいいいじゃない」

 クリスティーナは舌なめずりをすると、両手の指を怪しく動かし始めた。

「ちょ、だ、ダメですわ! あ、そこは、いけませんわっ! クリスティーナ――」

 アリツェは抵抗むなしく、くすぐられた――。






「満足満足」

 クリスティーナは濡れた髪先を乾いた布でパタパタと叩きながら、満面の笑みを浮かべた。

「うぅ、わたくし、クリスティーナに汚されてしまいましたわ……」

 アリツェはうなだれ、指先で地面に『の』の字を描いた。

「クリスティーナ……。君、いったいアリツェに何をやったんだい?」

 ラディムが少し呆れた声で、クリスティーナに尋ねた。

「うふふ、ラディム様。お聞きになります?」

 ご機嫌なクリスティーナは、「さぁ、何でも聞いて聞いて」といった態で、ラディムの目を見つめた。

「い、いや、やめとくよ」

 ラディムはぶんぶんと頭を振って、その場を離れた。

「あら、残念」

 クリスティーナはつぶやくと、にやにやと笑いながら再び髪を乾かし始めた。






 男性陣の入浴も終わり、アリツェたちは焚火を囲み、現状を確認し合った。

 焚火の立てるパチパチという火の音と、かすかに漏れる風の音だけが、周囲に響き渡る。傍で乾かしている厚手のタオルからは、うっすらと硫黄の残り香が漂っていた。

 久しぶりの湯浴みで、アリツェたちは身体の芯から温まっていた。これで、翌日に疲労を残すようなことはないだろう。

 ラディムは肩で切りそろえられた髪の毛を、布で優しく撫でつけている。そこはさすがに、優里菜の人格も有しているラディムだった。男性にしてはやけに丁寧に、優しく髪を扱っていた。

 一方で、ドミニクはわしゃわしゃと、激しい手つきで髪の毛の水分を拭いている。……髪が痛まないか、アリツェはハラハラしながら見守った。

「さて、湯浴みで身も心も一新したな」

 ラディムは布を動かす手をいったん止め、ぐるりとアリツェたちを見回した。

「そうですわね。……あとは、ペスたちからの吉報を待つのみですわ」

 アリツェはうなずくと、傍に置いた背嚢からブラシを取り出した。手に取り、ゆっくりと櫛を入れていく。

「ただ、ちょっと時間がかかりすぎている気もするな。周囲を探るだけにしては、戻りが遅い」

 ラディムはちらりと背後の藪へ目を遣った。

 すでに周囲は闇に包まれている。クリスティーナの使い魔イェチュカが光の精霊術で光源を作っているので、使い魔たちの行動に特段の支障はないはずだ。だがそれでも、少し心配だった。先ほどアリツェたちがはまっていた幻覚のような、何らかの罠が仕掛けられていないとは言えない。

「あの子たちに何かあったのかしら? いやよ、怪我でもしていたら」

 クリスティーナは両腕で身体を抱え、震わせた。温まって紅潮していた顔も、なんだか少し青白く変化したように見える。

 アリツェもクリスティーナと思いは同じだ。使い魔とは一心同体。傷つく姿なんて、見たくはなかった。

「会話ができる距離ではないが、精神リンクが完全に切れる距離でもない。危険が及んでいる気配は感じないし、大丈夫だと思うが……」

 ラディムは視線を焚火に戻した。両ひざに肘をつき、両手を胸の前で組むと、その組んだ手の上に顎を乗せる。漏れ出るため息に、使い魔を案じる色が込められているのを、アリツェはひしと感じた。

「まさかとは思うけれど、大司教の手の者に、捕獲されたりはしてないでしょうね」

「い、いやですわ、クリスティーナ。妙な想像はやめてくださいませ」

 クリスティーナの言葉に、アリツェはドキリとした。身体は熱いはずなのに、何やら背中がうすら寒い。

「でもねぇ……」

 ため息をつきながら、クリスティーナは弱々し気に頭を振った。

「まぁ、ミアたちには十分に霊素を纏わせて向かわせている。めったな事態は起こらないはずさ」

 場の空気を和らげようと思ったのか、ラディムは努めて明るい声を上げた。

「ただ待つっていうのも、歯がゆいものだね、アリツェ……」

 ドミニクが肩を寄せてきた。向けられる労わり気な視線に、アリツェはこくりとうなずいた。

「えぇ、そうですわね……」

 アリツェは千々に乱れる気を紛らわそうと、何度も何度も髪へ櫛を差し込んだ。すでに、きれいに梳かし終わっているにもかかわらず――。
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