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第二十章 大司教を追って

4-2 ここに大司教が?~後編~

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 日が暮れるころ、探索に当たらせていた使い魔たちが戻ってきた。だいぶ疲れの見える使い魔たちに、アリツェたちは存分の労いの言葉をかける。

 それぞれの使い魔から一通りの報告を受けたアリツェたちは、焚火の傍に集まって情報を整理した。その間に、ドミニクとクリスティーナの作ったご馳走を、使い魔たちは我を忘れて貪り食べていた。

「ミアたちに再度探ってもらった成果、どうやらあったな」

 ラディムは横目でちらりとミアに視線を向けた。ミアも気づいたのか、元気よく「にゃー」と鳴き声を上げる。

「えぇ、まだまだ十分とは言えませんが、ある程度は絞り込めました」

 使い魔たちの報告を取りまとめたところ、特に怪しい場所を五か所程度まで絞り込めた。大小百以上はあるかと思われる横穴の中から、ここまで絞り込めれば上出来だろうとアリツェは思う。

「どうする? この中でも特に怪しそうなところから、順繰りに探索するって感じかしら?」

 クリスティーナは地面に描かれたしるしを、順々に指さした。

 指し示す地面には、クリスティーナによって描かれたこの周辺の地図がある。使い魔から報告に上がった怪しい穴の位置には、しるしもつけてあった。このしるしは、怪しさの度合いにより、大きさが変えられている。

 クリスティーナの意見では、このしるしのうち大きいものから順に、全員で探索をしていくというものだった。

「臭いところからの捜索はもちろん、当然だ。ただ、承知のとおり時間がない。全員でまとまって行動するのはダメだな」

 ラディムは頭を振った。

「四人ばらばらでってこと?」

「まぁ、そういうことだ。幸いドミニクも、使い魔とコミュニケーションが取れるようになったみたいだしな。何かがあれば、使い魔経由で全員にすぐ連絡が取れるだろう」

 クリスティーナの確認の言葉に、ラディムはうなずいた。

「少々危険ではありますが、今は、ある程度のリスクを負わねばならない局面でもありますわ。お兄様の言うとおり、各人バラバラに、それぞれ使い魔を連れて探索をいたしましょう」

 怪しい横穴は五か所。四人バラバラに行動をすれば、一度に四か所を潰せる。だいぶ時間が節約できそうだった。

「ドミニク様にはどの使い魔をつけるの? 関係性を考えれば、アリツェのペスかルゥだと思うけれど」

 食事を終えてアリツェの傍に寄り添ってきたペスとルゥに、クリスティーナはちらりと目線をくれた。

「今回は広範囲に散らばりますし、ルゥには上空から監視をしてもらいつつ、各人間の調整役を務めてもらいたいと思っておりますわ」

 アリツェは自身の考えを口にした。

 バラバラに行動をする以上、何かがあった時のためにすぐ駆け付けられるよう、連絡役の用意は必須だと思えたからだ。であるならば、その連絡役は、空を飛べ機動力のあるルゥが適任だ。

 確かに、四六時中アリツェと行動を共にしているドミニクにとっては、アリツェの使い魔ペスとルゥが最も相性の良い、ふさわしい相手と言える。その点は、クリスティーナの言うとおりだった。

 だが、今は腕輪のおかげで、直接言葉で意思疎通が図れる。ラディムやクリスティーナの使い魔とでも、ドミニクはうまくやっていけるとアリツェは踏んでいた。そう思っての、ルゥの調整役への推挙だ。

「ってことは、使い魔三匹の私から、ドミニク様に提供したほうがよさそうね」

 クリスティーナは納得がいったのか、うなずきながら自身の使い魔のイェチュカ、ドチュカ、トゥチュカを傍に呼び寄せる。三匹の子猫は嬉しげに鳴き、クリスティーナの膝へめいめい飛び乗った。

「悪いね、クリスティーナ様」

 ドミニクは礼を述べると、すっと立ち上がった。そのままクリスティーナの脇まで移動し、再び座り込む。

「かまいませんわ。この子たちは皆、優しく素直です。ドミニク様の指示にも、しっかりと従うと思うわ。……ただ、ドミニク様は、あくまで精霊使いとしては未熟。少々不安ね」

 クリスティーナは膝に乗る子猫たちの頭を撫でつつ、横目でドミニクの姿に目を遣った。

「大丈夫、無茶はしないさ。それに、ボクには剣の技術と、『奥の手』がある」

 ドミニクは腰に下げた剣の柄を軽く叩き、「ボクにはボクの強みがあるんだから」と、クリスティーナの懸念を笑い飛ばした。

「その『奥の手』が何なのかを、私は知らないから不安なのよね。まぁ、アリツェもその点に関しては信を置いているみたいだし、あえては聞かないわ」

 クリスティーナは苦笑しつつ、子猫の内の一匹、トゥチュカに何やら話しかけている。どうやら、トゥチュカをドミニクに付けることにしたらしい。

 トゥチュカは「にゃーん」と答えると、クリスティーナの膝から飛び降り、ドミニクの膝に飛び乗った。ドミニクは相好を崩し、トゥチュカの頭を優しく撫ではじめた。

「じゃ、方針は決定だな。アリツェとドミニクは、同行する使い魔が一匹ずつになるので、特に慎重に行動を頼む」

 ルゥを調整役にするため、アリツェに従うのはペスのみだ。その点をラディムは心配しているようだった。

「あぶないと思ったら、すぐに私たちに救援連絡を寄こしなさいね」

「もちろんですわ!」

 心配ご無用とばかりに、アリツェは声高に答えた。






 探索を始めて数日が経った。各々の横穴はそれなりに深く、複雑であったので、慎重に慎重を重ねて調査をした。そのため、思いのほか時間を取られていた。

 一つの横穴だけでこれだけの日数がかかるのであれば、もし、使い魔たちによって候補の横穴を減らしていなかったら、収拾のつかない事態になっていただろう。また、四人で並行してバラバラの横穴を調査していなければ、この絞り込んだ横穴ですら、すべてを調査しきれなかったかもしれない。

 最初に割り当てられた四か所の穴は、結局何もなかった。人が潜んでいた気配も、残念ながら見つけられなかった。アリツェたちは一旦外に集まり、今度は全員で、残された最後の穴へと踏み込んだ。

 この最後の穴は、候補だった五か所の横穴の中でも最大のものだった。四人がかりにもかかわらず、最初の穴の探索同様、最深部まで達するのに数日を要した。

 全員協力しながら、慎重に一歩一歩歩を進め、アリツェたちはとうとう、最後の穴の最奥、少し広がった空間へとやってきた。だが――。

「なんてこった……」

 ラディムは頭を抱えた。

「まさか、すべてハズレとはねぇ」

 ドミニクもうんざりとした様子で頭を振り、手に持っていた剣を鞘に収めなおした。鞘に収まった際のチンッという音が、空洞内にひときわ大きく、むなしく響き渡る。

 アリツェは用心深く、周囲の様子を窺った。

 柔らかい凝灰岩が削られてできた洞穴なので、上を見上げても鍾乳洞のような岩石のつららは見えない。当然、地面から突き出る石筍もないので、非常にのっぺりとした空間だった。壁には苔が張り付き、アリツェたちの放つ光源の光を反射し、わずかに光り輝いていた。

 時折、入り口側から吹きつける風が、石の裂け目を通っていき、ヒューッと音を立てた。動物の気配も感じられず、風切り音以外は静寂に包まれている。アリツェは地面に手を触れ、堆積した粉塵を確認した。湿り気はなく、乾いている。足跡らしきものは、まったく見当たらない。

 アリツェはペスにも指示を出し、人の臭いはないかを探らせた。だが、結果としては、まったくの不発だった。ラディムたちも同様のようだ。皆一様に、沈んだ表情を浮かべている。

 結局、使い魔たちの感じた人間の臭いは、横穴の入口に少しだけ残されていただけだった。こうなると、残されていた臭いも、大司教一派の罠だったとすら思えてくる。

「どういたしましょう、お兄様。そろそろ時間が……」

 ラディムに視線をくれ、アリツェは弱々しい声でつぶやいた。

 焦燥感が、アリツェの薄い胸をじくじくと突き刺す。締め付ける胸の痛みに耐えようと、アリツェは胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。

「わかっている! ……わかってはいるのだが、いったいどうすれば」

 ラディムはラディムで、悩み、苦痛を感じているのだろう。アリツェたちに背を向け、ブツブツと何やらつぶやいていた。拳を固く締め、小刻みに震わせている。

「人の臭いが残された横穴は、もうこの周辺には見当たらないとペスが言っております。ここから他のくぼ地へ移動したのでしょうか」

「可能性はある。冬が来るまでは、とにかく一か所にとどまらず、探り当てられないように移動を続けている。そう考えられなくもない」

 ラディムは振り向くと、アリツェの考えに賛同を示した。

 知覚に優れた使い魔に探られないよう、大司教一派は慎重に行動をしているのかもしれない。ラディムの見立ては、もっともなようにアリツェにも思えた。

「だとすると、もう無理かもしれないね。平地とは違って、こう登り降りの激しい地形だと、大司教一派とボクたちとで、移動の速度もそう変わらないと思う。いつまでたっても追いつけないよ」

 ドミニクはあたりを行ったり来たりとうろうろしながら、大げさにため息をついた。

 確かに、このまま追いかけっこを続けたところで、行軍速度に差がなければいつまでたっても距離を縮められない。徒労に終わるだけだった。

「ああん! まったくもう、腹が立つったらないわね!」

 クリスティーナは地団太を踏み、大声で吐き捨てた。クリスティーナの足踏みとともに、地面からもわっと堆積された粉塵が立ち上る。

 粉塵はそのまま周囲を漂い、アリツェの鼻に襲い掛かる。アリツェは不用意にもその粉塵を吸い込んでしまい、せき込み、むせかえった。恨めし気にクリスティーナを睨むと、クリスティーナは「ごめんっ」と口にし、両手を合わせて謝った。

「……もう、どうしようもないのでしょうか」

 アリツェは布で口元をぬぐいながら、沈んだ声でつぶやいた。

「とにかく一度落ち着いて、もう一度今後の方針について話し合おう」

 ラディムはぐるりと、アリツェたちに視線をくれた。

 今はアリツェを含め、皆が動揺を隠せないでいた。確かに一度、冷静になるべきかもしれない。

 ラディムの指示に従い、アリツェたちは一旦横穴を出て、キャンプを設営することにした。

 温かい食事をとり、気分を落ち着かせたうえで、今後の方針を慎重に定める必要がある。

 タイムリミットは刻一刻と迫っていた。だが、あちこちに張り巡らされている大司教一派の罠を思えば、慎重さを欠くわけにもいかない。

「妙案が浮かべばいいのですが……」

 先の見えない現状に、アリツェの胸はますます締め付けられ、苦しくなった。

 本当に、アリツェたちは大司教一派を捕縛できるのであろうか。失いつつある自信とともに、アリツェの内にこもっていたはずの熱意も、急速に冷え込んでいった――。
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