わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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第二十一章 隠れアジトにて

3-3 わたくしの愛する家族のために~後編~

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 中央大陸歴八二〇年夏――。

 無事二人目の子を出産したアリツェは、育児に追われるあわただしい毎日を送っていた。サーシャやガブリエラの手を借りつつ、忙しくも幸せな時間が過ぎていく。

 ヴェチェレク公爵領内も、ドミニクやシモンの努力の結果が次第に現れてきており、領政は順調に進められていた。格差のあったかつての王国直轄領の村々も、今では元々の子爵領の村々と変わらない生活を送れるようになっている。領地拡大後のあわただしさも、今ではすっかり落ち着いていた。

 アリツェは生まれたばかりの我が娘フランティシュカを抱きながら、窓の外のグリューンの街並みに目を遣った。

 グリューンの街も、公爵領の規模の拡大に伴い、街壁を大幅に拡張した。住人が一挙に増え、気づけば王都プラガに次ぐ、王国第二の都市にまで成長していた。

 中央通りでは、フェイシア王国一円ばかりではなくヤゲル王国中からも、数えきれないほどの行商人が所狭しと一挙に集まり、盛んに交易がおこなわれている。おかげで領政に入る税金も激増し、かつてはカツカツだった懐事情も、今やすっかり改善されていた。まさに、ヴェチェレク公爵領は順風満帆と言っても過言ではなかった。

 そんな中、執務を終えて公爵邸へ戻ってきたドミニクの、力のないつぶやきが漏れた。

「参ったなぁ……」

 ドミニクは頭を掻きながら、大きくため息をつく。

「どうされたのです、ドミニク」

 領政は至って順調だと聞いていたアリツェは、はてなと思い首をかしげた。

「それがさぁ、ここ最近、魔獣の目撃情報が激増しているんだよ」

 ドミニクは疲れ切った表情をアリツェに向けた。だいぶ悩んでいる様子が、アリツェにもありありと見て取れる。

「それは……、深刻な問題ですわね。被害は出ているんですの?」

 魔獣にもいろいろなタイプがいるが、たいていは賢く、獰猛だ。人里から追い払うのも一苦労だと、アリツェは聞いていた。

「家畜や農作物に少し。幸い、人的な損害は出ていないようだけれど……。これも、時間の問題かもしれないね」

 ドミニクは魔獣の出現状況をまとめた書類を、アリツェに示した。アリツェはさっと中身に目をとおしたが、ドミニクの言葉どおり、これまでの比ではない数の目撃情報が上がっていた。これではいずれ、深刻な被害が出てきてもおかしくはないだろう。

「急に魔獣が増えた……。なんだか、キナ臭いお話ですわね」

 アリツェは唇を噛んだ。手足が少し、ぞくりとする。

「アレシュに確認を取ったんだけれど、どうやら我が領だけじゃないみたいなんだ。王国全土に加え、ヤゲル王国やバイアー帝国にも、同様の報告が相次いでいるらしい」

「世界規模ですか……。大司教一派が、何かしでかしたのでしょうか」

 ますますキナ臭い、とアリツェは思った。大司教一派の起死回生の一手の可能性も、なくはないだろう。

「わからない。ただ、いずれにしても何らかの対策を採らないと、領民も安心して暮らしていけないよ」

 ドミニクは再びため息をつく。

「困りましたわね……。エミルはもう、わたくしがいなくても大丈夫そうなのですが、フランティシュカについては、まだ生まれたばかり。わたくしがいないと、霊素の暴発が怖いですわ」

 アリツェは腕に抱くフランティシュカの寝顔を見つめた。

「ですが、魔獣相手となれば、わたくしも……」

 目を細めながら、ぽつりとつぶやいた。

「ダメだよ、アリツェ! 君に魔獣討伐に行ってもらうわけにはいかない! ボクが何とかするから、どうか、どうか公爵邸にいてくれ……」

 ドミニクはぶんぶんと頭を振った。

「……もちろんですわ。ちょっと言ってみただけです。愛する家族が第一ですもの。無茶をするつもりはありませんわ」

 ドミニクの懇願する声に、アリツェは苦笑を浮かべた。

「とは言ったものの、魔獣となると、霊素持ちが同行しないと手出しができないのも、また事実なんだよね。マジックアイテムを使うにせよ、霊素のない人間が使う威力では、魔獣に太刀打ちできそうにないし」

 ドミニクはソファーにドカッと座り込むと、頭を抱えだした。

「となりますと、我が領で魔獣に対抗できそうな精霊使いは、シモンだけになりますわね。ガブリエラも、今身重でしょう?」

 アリツェも窓際から移動し、ドミニクの隣に静かに座った。アリツェやドミニクの様子を見て、エミルもちょこちょこと走り出し、アリツェたちに相対するようにぴょんっとソファーに飛び乗る。

「そうなんだよなぁ。なんとも間が悪い。……世界規模の話なので、他領の霊素持ちを派遣してもらうわけにもいかないし」

「頭が痛い問題ですわね。精霊使いがシモン一人だけでは、過労で倒れかねないですわ」

 霊素を巧みに扱える人材が、圧倒的に不足をしていた。

「当面、緊急性の高い目撃情報から潰そうかと思っている。アリツェが動けるようになったら、悪いけれどアリツェにもお願いするよ」

 申し訳なさげに、ドミニクはアリツェに視線を寄こした。

「えぇ、もちろんですわ!」

 アリツェはうなずいた。だが――。

「……ですが、それまでに、危機的な被害が発生しなければいいのですが」

 アリツェの復帰には、少なくともあと半年の猶予が必要だった。そのころにはガブリエラも出産を終えるので、フランティシュカの世話を任せられるようになる。しかし、魔獣たちがその半年間を、はたしておとなしく待っていてくれるかどうか。

「とにかく、領内の各村々には、少しでも異常な点を発見したら、すぐにグリューンへ報告するよう厳命している」

 シモンの指示のもと、小さい集落も含め、あらゆるところへ伝書鳩網を整備したとドミニクは説明する。伝書鳩であれば、人が馬で駆けるよりも短時間でやり取りができた。

「先日、ペスとルゥの手を借りられないかと相談を持ち掛けていらしたのは、これが原因だったのですね?」

 アリツェは上目遣いにドミニクの顔を覗き込んだ。

「あの時は詳しい説明をする時間がなかったからね。アリツェには心配をさせてしまって悪かったよ。ペスとルゥには引き続き、周辺の見回りをお願いしている。グリューンは特に人口が多いから、魔獣の兆候が出たらすぐに対処をしないと、人的損害が出かねないしね」

 ドミニクは苦笑しつつ、アリツェの頭を撫でた。

「シモンを除けば、ペスとルゥだけですしね。魔獣の纏う霊素の鎧を剥がせるのは。新たに見出した領内の霊素持ちも、まだまだ実力は半人前ですし……」

 ドミニクの説明に納得がいき、アリツェはうなずいた。

 魔獣を退治しようと思えば、彼奴等が纏う霊素の鎧を剥がす必要がある。だが、その霊素の鎧を剥がすには、こちらも霊素をぶつけるしかない。そのような器用な霊素操作ができるのは、領内ではアリツェ、シモン、ガブリエラ、そしてアリツェの使い魔のペスとルゥのみだった。数人の霊素持ちを精霊使いに育てている最中ではあるが、彼らはまだまだ実戦の場に出るには無理があった。

『ご主人、ご主人っ!』

 とその時、ペスからの念話が脳裏に鳴り響いた。

『ペスですの? どうされました?』

 ペスの焦りの声に、アリツェは嫌な予感を抱く。

『ドミニクに報告しようと執務室に行ったら、姿が見えなかったワンッ。なので、ご主人に報告をと思ったワンッ!』

『あら、ドミニクなら今、わたくしと一緒ですわ。わたくしから報告いたしますので、詳しい話を聞かせてくださいませ』

 ペスの話しぶりから、どうやらドミニクの依頼で動いていた件のようだ。グリューン周辺に魔獣でも出没したのだろうか。

 アリツェは背筋に嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。子供たちは、何があっても護らなければ……。

『魔獣の激増の件について、原因っぽいのを掴んだワンッ!』

『まぁ、お手柄ですわ!』

 アリツェはぽんっと手を叩いた。

 魔獣出没の知らせではなかった。心の奥につかえた滓を吐き出すかのように、ほっと安堵のため息をつく。

『グリューン周辺にいくつか、霊素だまりができているワンッ。あの濃度の霊素を浴びれば、普通の野生動物に悪影響が出るのは、まず間違いないと睨んだワンッ』

『なるほど……。ということは、領内の他の場所にも、同様の霊素だまりができていそうですわね。わかりました、わたくしから報告しておきます。引き続き、周辺の警戒をお願いいたしますわ!』

 重要な報告だった。霊素を直接感知できる使い魔だからこそわかる、貴重な情報だ。

『合点承知だワンッ!』

 元気なペスの返事とともに、念話は途切れた。

「ドミニク、今ペスから念話で報告が入りましたわ!」

 アリツェはドミニクに向き直り、声を張り上げた。

「いったいなんだって?」

 ドミニクはエミルの頭を撫でながら、首を傾げた。

 アリツェがペスと念話をしている間に、エミルはいつの間にかドミニクの傍に移動をしていた。かまってもらえなくて退屈なのか、両足をぶらぶらと揺らしながら、ぶすっと口をとがらせている。……可愛い。

「どうやら魔獣激増の原因が、各地に霊素だまりができているせいではないかという話です。濃密な霊素の悪影響で、野生動物が魔獣化しているのではないかとの、ペスの見立てですわ」

 ペスからの念話の内容をかいつまんで説明する。

「ってことは、領内各地……いや、世界各地にその霊素だまりが点在している可能性があるね。……その霊素だまりをどうにかしないと、魔獣は生み出され続けるってわけか」

 ドミニクはぎゅっと唇を噛んだ。

 ドミニクの反応ももっともだと、アリツェは思う。今回の魔獣激増の件は、予想以上に大事になる可能性が高まった。霊素だまりに何らかの対処をしなければ、魔獣の出現が止まない恐れが非常に強い。

「至急、お兄様やクリスティーナにもお伝えしなければなりませんわね。これはもう、世界を挙げての行動に移さなければ、大変な事態になりかねませんわ!」

 アリツェは素早く瞬きをしつつ、甲高い声を上げた。

 腕に抱くフランティシュカが泣き出すものの、アリツェの心は、もはやそれどころではなくなっていた。心臓が激しく鼓動する。このままでは世界規模で、魔獣による人的被害が加速度的に増えていくかもしれない。……想像したくはなかった。

「とりあえず、ペスの報告の真実性を確かめる意味でも、領内での魔獣報告があった地点周辺を調べ、霊素だまりが存在していないかを調べてみよう」

 ドミニクはアリツェの勢いに面食らいつつも、うなずいた。

「そうですわね。まず間違いなく、霊素だまりが原因だとは思いますが、不確かな情報で世界を混乱させるのも、よろしくはないですわね」

 ドミニクの意見に、アリツェも首肯した。

 他国をも動かすのであれば、なるべく正確な報告を上げる必要がある。ペスの推測が当たっているかどうかの検証は、きちんとしておかなければならない。

「グリューン周辺はペス、遠隔地はルゥに確認してもらおう。その間に、霊素だまりについてどう対処するかを、シモンと相談してみるよ」

 ドミニクはそう口にすると、両手で自らの膝をポンっと叩いた。

 その横で、エミルは何が楽しいのか、ニコニコ笑いながらドミニクの真似をして、自分の膝を叩いている。

「お願いいたしますわ。わたくしも、何か手がないか考えてみます」

 楽し気なエミルの様子を見て、アリツェも少し冷静さを取り戻した。泣き声をあげるフランティシュカをあやしつつ、アリツェは考えを巡らせる。

 霊素だまりを消す手段。今のところ、一つしか思い浮かばない。だが、その手段を採るには、色々と制約がある――。どうしたものだろうか。

「世界の危機だな。大司教一派の問題もまだ片付いていないのに、厄介だよ……」

 ドミニクはうんざりしたような表情を浮かべている。

「もしかしたら、世界の崩壊が近づいてきているせいかもしれません。余剰地核エネルギーが地中から溢れ出した可能性も、十分に考えられますわ」

 発生している霊素だまりが、人為的に起こされたものではないと仮定すると、その原因はまず間違いなく、余剰地核エネルギーのはずだとアリツェは睨んだ。であるならば、対処は一つ。大規模精霊術の行使による、余剰地核エネルギーの消費だ。

「猶予まで、確かあと二十年くらいはあるよね? 崩壊の時期が早まった?」

 ドミニクはがくりとうなだれつつ、ため息をついた。そのままちらりと、視線をアリツェに寄こす。

「あまり、考えたくはないですわね……。これはもう、無理を押してでも、わたくし自身が出張らないとだめかもしれませんわ」

 世界が崩壊しては、元も子もない。崩壊の時期が早まっているのであれば、無茶を承知でアリツェが出向く必要も、あるのかもしれない。

「魔獣討伐ももちろんですが、世界の余剰地核エネルギーを消費するよう、大規模精霊術を使い続けなければ、今後同じような霊素だまりが次々に生み出されかねません。現状、地核エネルギーを消費できるほどの大規模精霊術は、わたくしとお兄様、それにクリスティーナくらいしか使えません」

 残された猶予期間を考えれば、今この段階で余剰地核エネルギーが目に見える形で悪さをするのは、完全にアリツェの想定外だった。

 世界崩壊を防ぐのがアリツェ自身の人生の目的の一つになっていることもあり、いずれは各地を巡って、大規模精霊術によるエネルギー消費を積極的に行っていくつもりではあった。

 だが、今の優先事項は大司教の捜索と、領や家庭の安定だ。頭の片隅で気にはしつつも、世界崩壊を防ぐための行動は、どうしても優先順位を下げざるを得なかった。だが、どうやらその判断が、裏目に出たのかもしれない。

「ボクとしては、君に直接出てもらうのは避けたいんだけれど……。もう、そんな甘っちょろいことを言っていられるような段階では、どうやらなくなってきた感じだね」

 ドミニクはうつむいていた顔を上げ、苦しそうに顔を歪めた。難題が山積みだ。領主としてもつらいところだろうと、ドミニクの心中を思い、アリツェは心を痛めた。

「世界はどうなってしまうのでしょうか……」

 腕の中で眠る可愛い我が子を見つめながら、アリツェはつぶやいた――。
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