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番外編 アリツェと地下迷宮
6 無事でよかったですわ……
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扉を開いた先には、広い広い部屋――広間と言ってもよいかもしれない――があった。ガラス柱が並んでいた部屋と、ほぼ同じくらいありそうだ。
ただし、中央に大きな玉座らしきものが置かれている以外は、がらんどうとしていた。
今アリツェが入ってきた入り口以外にも、真正面、右、左と、それぞれの壁にも同じような扉が見える。
何者かが待ち構え、襲い掛かってくるかと思っていたが、どうやら奇襲はないようだ。
アリツェはほっと胸をなでおろした。
――エミルは、どこ?
アリツェは部屋をぐるりと見渡した。
部屋の中央の玉座に、男の子が一人、ひじ掛けに身体を預けながら、目をつむっていた。意識がなさそうだ。
「エミルっ!」
アリツェは叫んだ。眼前の意識のない男の子は、まさしくエミルだったから。
エミルからは何の言葉も返ってこない。眠っているのか、もしくは、失神しているのか。
死……はなさそうだ。胸がわずかに上下している。
「シータ! この場に、エミル以外の霊素反応はありますか!」
アリツェの声に応じて、シータはふわりと地面から飛び上がり、アリツェの肩に乗った。
『あの玉座に、すさまじい量の霊素を感じますわ』
シータの答えに、アリツェは生唾を呑みこんだ。
霊素の主は、やはり悪意を持っているのだろうか。エミルの現状を見れば、楽観視はできない。
「アリツェ……」
背後から悠太の声がした。
アリツェはいったん悠太の元に戻り、身体を支えて立たせる。
「この部屋も、なんだか見覚えがある」
「え!?」
悠太のつぶやきに、アリツェは声を失った。
「かつてオレが『カレル・プリンツ』として、ユリナたちとともに『精霊王』と戦った、『精霊王の間』にそっくりだ」
悠太は顔をしかめつつ、部屋を見渡した。
「何ですって!?」
アリツェは目を見開いた。思わず腕の力が抜け、支えていた悠太のバランスが崩れる。
「あっと……。悠太様、すみません」
アリツェは悠太を壁際に連れていき、腰を落としながら静かに座らせた。
再び立ち上がり、周囲を見回す。
言われてみれば確かに、悠太の記憶の中にある、『精霊王の間』にそっくりだ。各壁に扉があることを除いては。
「玉座にすさまじい量の霊素を感じると、シータが告げています。もしや……」
「『精霊王』の化身、か?」
アリツェがつぶやくと、悠太はサッと顔を青ざめた。声がわずかに震えている。
――『精霊王』の化身……。あの火口で戦ったような、巨大龍でしょうか?
アリツェは再度、悠太の記憶を探る。
悠太がかつて戦った『精霊王』は、部屋の中央の玉座から飛び出てきた。その時の『精霊王』の姿も、巨大龍。火口での一戦の『精霊王』の化身も、巨大龍……。
――今回も、龍がお出ましになっても、おかしくはないですわ!
アリツェはキッと玉座を睨んだ。
「エミルを、あの場所から離さないと!」
玉座へと駆け出した。万が一、巨大龍が現れでもしたら、エミルはひとたまりもなく潰される。
「エミル! エミルーっ!」
駆けながら、アリツェは力いっぱい息子の名を呼んだ。
アリツェの声に反応して、エミルの身体がピクリと動いた。
「エミル!」
玉座に到達したアリツェは、すぐさまエミルの身体を抱きあげた。
「エミル! エミル!」
アリツェは力の限りでエミルを抱き締める。やや冷たくなった息子の頬に、自分の頬を押し当てる。自然と、目から熱いものが零れ落ちてくる。
「は、は、うえ?」
耳元でエミルのつぶやきが聞こえた。
アリツェはすぐさまエミルを抱っこし、悠太の座る壁際へと駆けた。
この玉座は危険だ……。本能がそう告げたからだ。
「母上。ごめんなさい……」
エミルは薄目を開けながら、アリツェに謝罪の言葉を述べる。
「かまいません。かまいませんわ! あなたが、無事ならば!」
アリツェは頭を振り、エミルに微笑んだ。
エミルに何があったのかはわからない。だが、今はその身の無事を喜ぶ以外の、どんな感情が必要であろうか。
今回の事件が、エミルが何らかのおいたをした結果だったとしても、叱るのは屋敷に帰ってからで十分だ。
エミルはしゃくりあげながら、アリツェの胸にぎゅうっと顔を押し付けた。
アリツェはそんなエミルの背を、ポンポンっと優しく叩いた。
「アリツェ! エミルは大丈夫か?」
壁際に戻ると、悠太が不安げに尋ねてきた。
アリツェは首を縦に振りながら、悠太の横にエミルを降ろした。
「あれ? ラディム叔父上?」
エミルはきょとんとした表情で、悠太の顔を覗き込んだ。
「あー、オレは……」
悠太は言葉を濁し、頭を掻く。
「エミル、その話はあとです。一刻も早く、ここから逃げ出さなければなりませんわ!」
アリツェは悠太とエミルの間に割って入り、頭を振った。
エミルが見つかったのであれば、長居は無用だ。早くガブリエラと合流し、屋敷に帰らなければいけない。
ドミニクも、心配しているはずだ。
「……母上。ちょっと待ってもらえませんか?」
エミルが右手を差し出し、アリツェの手を掴んだ。
「僕、あの玉座の声に呼ばれて、ここまで来たんだ」
「え!?」
エミルの告白を聞いて、アリツェは思わず素っ頓狂な声を上げた。
何者かにさらわれたわけではなかった。まさか、エミル自身の意思で、こんな地下深くまでやってきたとは……。
アリツェは眩暈を催しそうになった。
「なんだかね、使い魔になってくれるっていうんだよ?」
エミルは少しうれしそうに、声を弾ませる。
「詳しく、聞かせてくださいませんか?」
アリツェに促され、エミルは何が起こったのかを語りだした。
夢の中で、人語を離す狼が語り掛けてきた。ついて来いという狼は、屋敷の厨房から地下上水道に入っていった。
夢から醒めたエミルは、夢の中の狼の指示どおり、地下上水道に向かった。そこで、不思議な渦を見つけ、中に入った。
渦を通過すると、大きなガラス柱がたくさん並ぶ部屋に出て、部屋の中央には夢で見た狼が佇んでいた。
エミルが近づこうとすると、狼は身をひるがえし、部屋の奥の扉の中へと消え去った。
エミルも追って部屋の奥に進み、扉を開いたら、この部屋に出たという。出た場所は、アリツェたちが侵入した入り口とは、ちょうど正反対の壁にある扉だったそうだ。
「それでね、モフモフの狼さんが、あの玉座のところで待っていてくれたんだ」
エミルは玉座へ顔を向け、指さした。
「巨大龍では、ありませんでしたか……」
アリツェは口元に手を当てながら、小首をかしげた。
アリツェや悠太の勘は外れた。だが、いずれにしても、その狼は怪しい。エミルの夢の中にまで干渉をしている。
「お前の力を試すって言われたから、母上直伝のマジックアイテムを使って、頑張って戦ってみたんだ。でも……」
エミルは物を投げるしぐさをした後、一転して表情を曇らせた。
「負けてしまった、というわけですね」
エミルはこくりとうなずいた。
「その狼さんは、どちらに?」
アリツェは再度、周囲を窺った。狼らしき姿は見えない。
「わからないよ。気が付いたら、母上に抱き締められていたんだ」
エミルはぶんぶんと頭を振り、「どこ行っちゃったのかな……」とつぶやいた。
アリツェはエミルの肩を抱きながら、優しく頭を撫でた。
「あっ! そういえば母上、なんだかちっちゃくなっているね! 叔父上もだけれど!」
エミルは一転、にぱっと笑いながら、アリツェの顔を見上げた。
「若い母も、良いものでしょう?」
アリツェもエミルを見つめ、にやりと口角を上げた。
「はいっ! とってもかわいいです、母上!」
エミルはアリツェの胸に顔を押し付け、ぎゅうっと抱き付いてきた。
「うふふ、ありがとうございますわ。詳しいお話は、屋敷に帰ったらいたしましょう」
我が息子の可愛らしいしぐさに、アリツェは相好を崩した。
「さて、アリツェ。どう思う?」
悠太がアリツェの耳元で囁く。
「エミルの精霊使いの才能を見て、その狼が使い魔になろうと名乗り出たのでしょうか? それにしては、わざわざこんな、手の込んだ迷宮を作り出すなんて、おかしな話でもありますわね」
アリツェはエミルの頭を撫で続けながら、悠太の問いに答えた。
「どう考えても、ただの狼じゃないよな。ガブリエラの話のとおりなら、霊素もかなりの量みたいだし」
「巨大龍ではありませんが、『精霊王』に近い何かなんでしょうか? この広間の様子を考えても」
アリツェは目線をちらりと玉座に向けた。
「考えられなくは、ないな……」
悠太も納得気にうなずいた。
「あっ! また狼さんが来るよ!」
エミルが声を張り上げると同時に、玉座周辺に白い靄が立ち込め始めた。
『アリツェ! 玉座のまわりに、急速に霊素が濃縮し始めましたわ!』
シータの警告が飛んだ。
アリツェは、エミルを抱く腕にぎゅっと力をこめる。固唾をのみながら、玉座を見守った。
★ ☆ ★ ☆ ★
玉座は白い靄ですっかりと覆われた。
不意に、アリツェは背筋がぞくりとする感覚に襲われる。
――何ですか、これは……。精霊王?
目をそむけたくなるような威圧感を感じる。と同時に、どこか懐かしさも抱いた……。
「ほらっ! 狼さんが出てきた!」
エミルの声とともに、靄が急速に霧散した。
玉座の上には、体長三メートル以上はあるかという超大型の狼が、凛として立っていた。ふさふさの白の毛並みが、どこか神々しさを感じさせる。そう、まるで後光が射しているかのように……。
「あれは……、魔獣ですの?」
「普通の狼にしてはでかすぎる。おそらくは……」
アリツェのつぶやきに、悠太は同意を返す。
「しかし、なぜ魔獣が、エミルの使い魔になりたがったのでしょうか?」
「わからないな。転生者の血を引いた霊素の特殊性に、惹かれたとか?」
「あの狼ご本人に聞いてみなければ、わからなそうですわね!」
アリツェは用心のため、エミルを離し、薙刀を構えた。シータも右肩に待機させる。
エミルはそのまま一歩下がり、悠太の隣に座った。ペスがその傍で、身体を屈めながら、油断なく唸り声を上げている。
「ふむ……。よくぞここまで来られたな、人間よ」
狼から声が漏れた。
エミルの話から予測したとおり、人語を喋るようだ。
「あなたの目的は何! わたくしのエミルを、どうなさりたいのですかっ!」
アリツェは狼を睨みつけ、怒鳴った。
「なに、エミルに伝えたとおりだ。私は、エミルの使い魔になりたい」
狼は鼻をフンっと鳴らした。
「魔獣であるあなたが、どうして人間の使い魔なんかに?」
「世界を救うために、必要なのだろう? エミルに、強力な精霊術の力が」
狼の言葉に、アリツェはドキリとした。
なぜ魔獣が、いま世界に起きている危機について知っているのだろうか。
なぜ、世界を救うためにエミルに強力な精霊術の力が必要な事実を、知っているのだろうか。
――やはり、ただの魔獣ではありませんわ。『精霊王』様の、お遣い?
アリツェは油断なく、狼の一挙手一投足を見守った。
「私が使い魔になれば、エミルは転生者並みに力を振るえるようになるだろう」
決定的だった。
『転生者』の事実を知っているのであれば、それはゲーム管理者ヴァーツラフ絡みか、はたまた、この世界の神である『精霊王』の関係者……。
ヴァーツラフ――幼女マリエからは、目の前の狼のような存在は知らされていない。であるならば、おそらくは、後者だ。
「だが、そのためには、わたくしの抱える膨大な霊素の器を、きちんと扱いきれる人物かどうかの見極めが必要だ」
狼はじろりとエミルに視線を送った。
「そうですか……。それで、エミルの力を試そうと」
「ご明察のとおりだ」
アリツェのつぶやきに、狼はこくりとうなずいた。
「仲間の協力があってもよい。さあ、エミル。私にお前の力を認めさせてみるのだ!」
狼は大口を開けて、吠えた。
「どうなさいます、エミル?」
アリツェがエミルに振り返ると、エミルは震えながらも、両手をぎゅっと握りしめ、狼をきつく睨みつけていた。戦意は十分、と言った様子だ。
「狼さんを使い魔にしなくちゃ、母上にいつまでたっても楽をさせてあげられない! やるよ、僕!」
エミルは立ち上がり、アリツェの隣に駆けてきた。
「怖くはないのですか?」
「大丈夫です、母上!」
エミルはアリツェの腕をぎゅっと掴む。
わずかに震えているのを感じたが、それ以上に、掌から感じる熱に、エミルの強い意志を感じざるを得ない。
まだ幼い子供とはいえ、立派な精霊使いだ。エミルの気持ちを、アリツェは精いっぱい汲んでやろうと思った。
「あなたの覚悟、確かに受け止めましたわ! さあ、母とともに、戦いましょう!」
「はい!」
アリツェたちは、地面を思いっきり蹴った――。
ただし、中央に大きな玉座らしきものが置かれている以外は、がらんどうとしていた。
今アリツェが入ってきた入り口以外にも、真正面、右、左と、それぞれの壁にも同じような扉が見える。
何者かが待ち構え、襲い掛かってくるかと思っていたが、どうやら奇襲はないようだ。
アリツェはほっと胸をなでおろした。
――エミルは、どこ?
アリツェは部屋をぐるりと見渡した。
部屋の中央の玉座に、男の子が一人、ひじ掛けに身体を預けながら、目をつむっていた。意識がなさそうだ。
「エミルっ!」
アリツェは叫んだ。眼前の意識のない男の子は、まさしくエミルだったから。
エミルからは何の言葉も返ってこない。眠っているのか、もしくは、失神しているのか。
死……はなさそうだ。胸がわずかに上下している。
「シータ! この場に、エミル以外の霊素反応はありますか!」
アリツェの声に応じて、シータはふわりと地面から飛び上がり、アリツェの肩に乗った。
『あの玉座に、すさまじい量の霊素を感じますわ』
シータの答えに、アリツェは生唾を呑みこんだ。
霊素の主は、やはり悪意を持っているのだろうか。エミルの現状を見れば、楽観視はできない。
「アリツェ……」
背後から悠太の声がした。
アリツェはいったん悠太の元に戻り、身体を支えて立たせる。
「この部屋も、なんだか見覚えがある」
「え!?」
悠太のつぶやきに、アリツェは声を失った。
「かつてオレが『カレル・プリンツ』として、ユリナたちとともに『精霊王』と戦った、『精霊王の間』にそっくりだ」
悠太は顔をしかめつつ、部屋を見渡した。
「何ですって!?」
アリツェは目を見開いた。思わず腕の力が抜け、支えていた悠太のバランスが崩れる。
「あっと……。悠太様、すみません」
アリツェは悠太を壁際に連れていき、腰を落としながら静かに座らせた。
再び立ち上がり、周囲を見回す。
言われてみれば確かに、悠太の記憶の中にある、『精霊王の間』にそっくりだ。各壁に扉があることを除いては。
「玉座にすさまじい量の霊素を感じると、シータが告げています。もしや……」
「『精霊王』の化身、か?」
アリツェがつぶやくと、悠太はサッと顔を青ざめた。声がわずかに震えている。
――『精霊王』の化身……。あの火口で戦ったような、巨大龍でしょうか?
アリツェは再度、悠太の記憶を探る。
悠太がかつて戦った『精霊王』は、部屋の中央の玉座から飛び出てきた。その時の『精霊王』の姿も、巨大龍。火口での一戦の『精霊王』の化身も、巨大龍……。
――今回も、龍がお出ましになっても、おかしくはないですわ!
アリツェはキッと玉座を睨んだ。
「エミルを、あの場所から離さないと!」
玉座へと駆け出した。万が一、巨大龍が現れでもしたら、エミルはひとたまりもなく潰される。
「エミル! エミルーっ!」
駆けながら、アリツェは力いっぱい息子の名を呼んだ。
アリツェの声に反応して、エミルの身体がピクリと動いた。
「エミル!」
玉座に到達したアリツェは、すぐさまエミルの身体を抱きあげた。
「エミル! エミル!」
アリツェは力の限りでエミルを抱き締める。やや冷たくなった息子の頬に、自分の頬を押し当てる。自然と、目から熱いものが零れ落ちてくる。
「は、は、うえ?」
耳元でエミルのつぶやきが聞こえた。
アリツェはすぐさまエミルを抱っこし、悠太の座る壁際へと駆けた。
この玉座は危険だ……。本能がそう告げたからだ。
「母上。ごめんなさい……」
エミルは薄目を開けながら、アリツェに謝罪の言葉を述べる。
「かまいません。かまいませんわ! あなたが、無事ならば!」
アリツェは頭を振り、エミルに微笑んだ。
エミルに何があったのかはわからない。だが、今はその身の無事を喜ぶ以外の、どんな感情が必要であろうか。
今回の事件が、エミルが何らかのおいたをした結果だったとしても、叱るのは屋敷に帰ってからで十分だ。
エミルはしゃくりあげながら、アリツェの胸にぎゅうっと顔を押し付けた。
アリツェはそんなエミルの背を、ポンポンっと優しく叩いた。
「アリツェ! エミルは大丈夫か?」
壁際に戻ると、悠太が不安げに尋ねてきた。
アリツェは首を縦に振りながら、悠太の横にエミルを降ろした。
「あれ? ラディム叔父上?」
エミルはきょとんとした表情で、悠太の顔を覗き込んだ。
「あー、オレは……」
悠太は言葉を濁し、頭を掻く。
「エミル、その話はあとです。一刻も早く、ここから逃げ出さなければなりませんわ!」
アリツェは悠太とエミルの間に割って入り、頭を振った。
エミルが見つかったのであれば、長居は無用だ。早くガブリエラと合流し、屋敷に帰らなければいけない。
ドミニクも、心配しているはずだ。
「……母上。ちょっと待ってもらえませんか?」
エミルが右手を差し出し、アリツェの手を掴んだ。
「僕、あの玉座の声に呼ばれて、ここまで来たんだ」
「え!?」
エミルの告白を聞いて、アリツェは思わず素っ頓狂な声を上げた。
何者かにさらわれたわけではなかった。まさか、エミル自身の意思で、こんな地下深くまでやってきたとは……。
アリツェは眩暈を催しそうになった。
「なんだかね、使い魔になってくれるっていうんだよ?」
エミルは少しうれしそうに、声を弾ませる。
「詳しく、聞かせてくださいませんか?」
アリツェに促され、エミルは何が起こったのかを語りだした。
夢の中で、人語を離す狼が語り掛けてきた。ついて来いという狼は、屋敷の厨房から地下上水道に入っていった。
夢から醒めたエミルは、夢の中の狼の指示どおり、地下上水道に向かった。そこで、不思議な渦を見つけ、中に入った。
渦を通過すると、大きなガラス柱がたくさん並ぶ部屋に出て、部屋の中央には夢で見た狼が佇んでいた。
エミルが近づこうとすると、狼は身をひるがえし、部屋の奥の扉の中へと消え去った。
エミルも追って部屋の奥に進み、扉を開いたら、この部屋に出たという。出た場所は、アリツェたちが侵入した入り口とは、ちょうど正反対の壁にある扉だったそうだ。
「それでね、モフモフの狼さんが、あの玉座のところで待っていてくれたんだ」
エミルは玉座へ顔を向け、指さした。
「巨大龍では、ありませんでしたか……」
アリツェは口元に手を当てながら、小首をかしげた。
アリツェや悠太の勘は外れた。だが、いずれにしても、その狼は怪しい。エミルの夢の中にまで干渉をしている。
「お前の力を試すって言われたから、母上直伝のマジックアイテムを使って、頑張って戦ってみたんだ。でも……」
エミルは物を投げるしぐさをした後、一転して表情を曇らせた。
「負けてしまった、というわけですね」
エミルはこくりとうなずいた。
「その狼さんは、どちらに?」
アリツェは再度、周囲を窺った。狼らしき姿は見えない。
「わからないよ。気が付いたら、母上に抱き締められていたんだ」
エミルはぶんぶんと頭を振り、「どこ行っちゃったのかな……」とつぶやいた。
アリツェはエミルの肩を抱きながら、優しく頭を撫でた。
「あっ! そういえば母上、なんだかちっちゃくなっているね! 叔父上もだけれど!」
エミルは一転、にぱっと笑いながら、アリツェの顔を見上げた。
「若い母も、良いものでしょう?」
アリツェもエミルを見つめ、にやりと口角を上げた。
「はいっ! とってもかわいいです、母上!」
エミルはアリツェの胸に顔を押し付け、ぎゅうっと抱き付いてきた。
「うふふ、ありがとうございますわ。詳しいお話は、屋敷に帰ったらいたしましょう」
我が息子の可愛らしいしぐさに、アリツェは相好を崩した。
「さて、アリツェ。どう思う?」
悠太がアリツェの耳元で囁く。
「エミルの精霊使いの才能を見て、その狼が使い魔になろうと名乗り出たのでしょうか? それにしては、わざわざこんな、手の込んだ迷宮を作り出すなんて、おかしな話でもありますわね」
アリツェはエミルの頭を撫で続けながら、悠太の問いに答えた。
「どう考えても、ただの狼じゃないよな。ガブリエラの話のとおりなら、霊素もかなりの量みたいだし」
「巨大龍ではありませんが、『精霊王』に近い何かなんでしょうか? この広間の様子を考えても」
アリツェは目線をちらりと玉座に向けた。
「考えられなくは、ないな……」
悠太も納得気にうなずいた。
「あっ! また狼さんが来るよ!」
エミルが声を張り上げると同時に、玉座周辺に白い靄が立ち込め始めた。
『アリツェ! 玉座のまわりに、急速に霊素が濃縮し始めましたわ!』
シータの警告が飛んだ。
アリツェは、エミルを抱く腕にぎゅっと力をこめる。固唾をのみながら、玉座を見守った。
★ ☆ ★ ☆ ★
玉座は白い靄ですっかりと覆われた。
不意に、アリツェは背筋がぞくりとする感覚に襲われる。
――何ですか、これは……。精霊王?
目をそむけたくなるような威圧感を感じる。と同時に、どこか懐かしさも抱いた……。
「ほらっ! 狼さんが出てきた!」
エミルの声とともに、靄が急速に霧散した。
玉座の上には、体長三メートル以上はあるかという超大型の狼が、凛として立っていた。ふさふさの白の毛並みが、どこか神々しさを感じさせる。そう、まるで後光が射しているかのように……。
「あれは……、魔獣ですの?」
「普通の狼にしてはでかすぎる。おそらくは……」
アリツェのつぶやきに、悠太は同意を返す。
「しかし、なぜ魔獣が、エミルの使い魔になりたがったのでしょうか?」
「わからないな。転生者の血を引いた霊素の特殊性に、惹かれたとか?」
「あの狼ご本人に聞いてみなければ、わからなそうですわね!」
アリツェは用心のため、エミルを離し、薙刀を構えた。シータも右肩に待機させる。
エミルはそのまま一歩下がり、悠太の隣に座った。ペスがその傍で、身体を屈めながら、油断なく唸り声を上げている。
「ふむ……。よくぞここまで来られたな、人間よ」
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エミルの話から予測したとおり、人語を喋るようだ。
「あなたの目的は何! わたくしのエミルを、どうなさりたいのですかっ!」
アリツェは狼を睨みつけ、怒鳴った。
「なに、エミルに伝えたとおりだ。私は、エミルの使い魔になりたい」
狼は鼻をフンっと鳴らした。
「魔獣であるあなたが、どうして人間の使い魔なんかに?」
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なぜ魔獣が、いま世界に起きている危機について知っているのだろうか。
なぜ、世界を救うためにエミルに強力な精霊術の力が必要な事実を、知っているのだろうか。
――やはり、ただの魔獣ではありませんわ。『精霊王』様の、お遣い?
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決定的だった。
『転生者』の事実を知っているのであれば、それはゲーム管理者ヴァーツラフ絡みか、はたまた、この世界の神である『精霊王』の関係者……。
ヴァーツラフ――幼女マリエからは、目の前の狼のような存在は知らされていない。であるならば、おそらくは、後者だ。
「だが、そのためには、わたくしの抱える膨大な霊素の器を、きちんと扱いきれる人物かどうかの見極めが必要だ」
狼はじろりとエミルに視線を送った。
「そうですか……。それで、エミルの力を試そうと」
「ご明察のとおりだ」
アリツェのつぶやきに、狼はこくりとうなずいた。
「仲間の協力があってもよい。さあ、エミル。私にお前の力を認めさせてみるのだ!」
狼は大口を開けて、吠えた。
「どうなさいます、エミル?」
アリツェがエミルに振り返ると、エミルは震えながらも、両手をぎゅっと握りしめ、狼をきつく睨みつけていた。戦意は十分、と言った様子だ。
「狼さんを使い魔にしなくちゃ、母上にいつまでたっても楽をさせてあげられない! やるよ、僕!」
エミルは立ち上がり、アリツェの隣に駆けてきた。
「怖くはないのですか?」
「大丈夫です、母上!」
エミルはアリツェの腕をぎゅっと掴む。
わずかに震えているのを感じたが、それ以上に、掌から感じる熱に、エミルの強い意志を感じざるを得ない。
まだ幼い子供とはいえ、立派な精霊使いだ。エミルの気持ちを、アリツェは精いっぱい汲んでやろうと思った。
「あなたの覚悟、確かに受け止めましたわ! さあ、母とともに、戦いましょう!」
「はい!」
アリツェたちは、地面を思いっきり蹴った――。
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