72 / 149
story .03 *** 貧窮化した村と世界的猛獣使い
scene .27 ×××
しおりを挟む
暗く広い部屋の中、よく探さなくては存在を見落としてしまいそうな小さな少女が一人、高い位置にある窓から差し込んでくる月明りを眺めていた。
いや、この光は本当の月明りではないのかもしれない。ただ、出ることの許されぬこの殺風景な部屋の中で、それを見ることが少女にとって唯一の楽しみであった。
――――コツ、コツ、コツ、コツ……
稀に外から聞こえるこの音は、少女の一族が守ってきた“何か”を奪いに来た悪者の足音だと父は言っていた。
でも心配はいらない。なぜならばこの部屋は不思議な力で守られていて、部外者をこの部屋へ迎え入れることなどないからだ。
それは少女も経験上わかっている。十にも満たないであろう少女でさえ、その音を何度も聞き、そして何事もなく過ごしてきた。
――コツ、コツ。
そんなことはあり得ない。無意識的にそう思いながらも、足音が自分のすぐ後ろで止まったような気がして、少女は後ろを振り返る。
「だ、れ……?」
絞り出すように出されたその声は掠れ、この静けさの中でも聞き逃してしまいそうな程か細かった。
その虚ろで無機質な瞳に映る景色はいつもと変わらない。気のせいか、そう思い少女が視線を窓に戻そうと首を動かしたその時だった。暗闇の中で、ひらりと何かが動いた。
トクン、と少女の心臓が一度だけ大きく波打つ。
「……?」
何かを言おうとしているのだろうか、少女が何度か口を開閉する。
すると闇の中から少女の方へ、一体のクマのぬいぐるみがスッと差し出された。
「これ……?」
「ぬいぐるみだ。お前にやろう」
「ぬ、い、ぐるみ……」
どこにでもあるような何の変哲もないぬいぐるみを、少女は不思議そうに見つめ、ゆっくりと手に取った。
「わたし、に?」
「あぁ、オレについてくればいくらでもやる。だから一緒に来ないか?」
誰も入ってくることができないはずのこの場所に、なぜこの男は存在するのか。普通の思考があればそう思ったかもしれないが、少女がそんな疑問を持つことはなかった。
それほどに、少女はやつれ、疲れ切っていた。
「それだけじゃない、望むものを何でも与えてやる。その代わりに少しだけ力を貸せ。その後はどうしようとお前の自由だ」
「じゆう……」
その言葉を初めて聞いたかの様に繰り返すと、少女はクマのぬいぐるみを見つめる。
「わたし、最後の生き残り。だから、わたしが守らないと」
そう言った後、暗闇に視線を移す。
「そう、お前は一族の生き残り。お前が死んだらどうなる? 誰がここを見張るんだ?」
そんなこと考えてもみなかった、少女の瞳がゆらりと揺れた。
「だからこそ許される。そうは思わないか? それに、」
一瞬重なったように感じた視線に、男は言葉を飲み込む。「お前が守ろうとしているものは実在しない」そう事実を告げてしまったら、壊れてしまいそうな程に、少女の瞳は虚ろだった。
「まぁいい、また来る」
そう言って男はマントを翻すと、元来た方へと歩き出す。
「待って」
「気が変わったか?」
少女の呼びかけに男が振り返ると、少女が立ち上がっていた。外は雪が降る程に寒いにもかかわらず、その足には何も履かれていない。
「イヌ、の」
「犬?」
突然の単語に男は首を傾ける。
「あなたと、一緒、犬の、ぬ、いぐるみ、がいい」
旅の始まりと時の狭間 end ***
いや、この光は本当の月明りではないのかもしれない。ただ、出ることの許されぬこの殺風景な部屋の中で、それを見ることが少女にとって唯一の楽しみであった。
――――コツ、コツ、コツ、コツ……
稀に外から聞こえるこの音は、少女の一族が守ってきた“何か”を奪いに来た悪者の足音だと父は言っていた。
でも心配はいらない。なぜならばこの部屋は不思議な力で守られていて、部外者をこの部屋へ迎え入れることなどないからだ。
それは少女も経験上わかっている。十にも満たないであろう少女でさえ、その音を何度も聞き、そして何事もなく過ごしてきた。
――コツ、コツ。
そんなことはあり得ない。無意識的にそう思いながらも、足音が自分のすぐ後ろで止まったような気がして、少女は後ろを振り返る。
「だ、れ……?」
絞り出すように出されたその声は掠れ、この静けさの中でも聞き逃してしまいそうな程か細かった。
その虚ろで無機質な瞳に映る景色はいつもと変わらない。気のせいか、そう思い少女が視線を窓に戻そうと首を動かしたその時だった。暗闇の中で、ひらりと何かが動いた。
トクン、と少女の心臓が一度だけ大きく波打つ。
「……?」
何かを言おうとしているのだろうか、少女が何度か口を開閉する。
すると闇の中から少女の方へ、一体のクマのぬいぐるみがスッと差し出された。
「これ……?」
「ぬいぐるみだ。お前にやろう」
「ぬ、い、ぐるみ……」
どこにでもあるような何の変哲もないぬいぐるみを、少女は不思議そうに見つめ、ゆっくりと手に取った。
「わたし、に?」
「あぁ、オレについてくればいくらでもやる。だから一緒に来ないか?」
誰も入ってくることができないはずのこの場所に、なぜこの男は存在するのか。普通の思考があればそう思ったかもしれないが、少女がそんな疑問を持つことはなかった。
それほどに、少女はやつれ、疲れ切っていた。
「それだけじゃない、望むものを何でも与えてやる。その代わりに少しだけ力を貸せ。その後はどうしようとお前の自由だ」
「じゆう……」
その言葉を初めて聞いたかの様に繰り返すと、少女はクマのぬいぐるみを見つめる。
「わたし、最後の生き残り。だから、わたしが守らないと」
そう言った後、暗闇に視線を移す。
「そう、お前は一族の生き残り。お前が死んだらどうなる? 誰がここを見張るんだ?」
そんなこと考えてもみなかった、少女の瞳がゆらりと揺れた。
「だからこそ許される。そうは思わないか? それに、」
一瞬重なったように感じた視線に、男は言葉を飲み込む。「お前が守ろうとしているものは実在しない」そう事実を告げてしまったら、壊れてしまいそうな程に、少女の瞳は虚ろだった。
「まぁいい、また来る」
そう言って男はマントを翻すと、元来た方へと歩き出す。
「待って」
「気が変わったか?」
少女の呼びかけに男が振り返ると、少女が立ち上がっていた。外は雪が降る程に寒いにもかかわらず、その足には何も履かれていない。
「イヌ、の」
「犬?」
突然の単語に男は首を傾ける。
「あなたと、一緒、犬の、ぬ、いぐるみ、がいい」
旅の始まりと時の狭間 end ***
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
13
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる