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第1章 河北決戦編
第1章 第5節 河北決戦編 その5
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第5節 河北決戦編 その5
185年2月14日第7女たる劉麗花の誕生日が来た、秦王の一族が洛陽の秦王邸に集結する。
彼女は一番年が近く、劉備の学問や兵法等文芸の師であり教育係であった。9歳で秦王の元に来た玄徳も初めは姉の存在に戸惑ったが、玄徳を溺愛し、芙蓉姫との間を取り持ったのも彼女である。
玄徳も最初に心を開いたのは彼女であった、10歳となり皇族の幼年学校に通い始めると、体が小さくひ弱だった劉備は最初あ虐められるが、3歳上の劉麗花が教えた武道で小さい体でも大きな相手を圧倒出来た。
13歳の劉麗花は長安の皇族用幼年学校では最強であり、自分より倍近い男子を投げ飛ばし、突き倒す。武芸でも文芸でも春と秋の大会で毎年優勝していた。
9歳より一番近い6歳上の兄劉程と劉麗花に鍛えられ1年ほどで玄徳も健康で俊敏で英邁な少年へと成長していく。
17名いる兄姉達が皆一番年下の玄徳を可愛がり、姉達は着せ替え人形として、兄達は武道の相手として鍛えこんだ。
こうして玄徳は少年期から青年期へ架けて兄姉達に鍛え励まされ、暖かく見守られて育ったのだ。
この日が終わる深夜まで兄姉達と遅くまで歓談し、久しぶりに楽しい思い出を作った。
秦王はこの日自ら12名の兄姉達や5千名の工作員とともに未来へ帰還することを明らかにした。
3月の決戦以降、秦王たちは流行り病に倒れて、長安の別邸に隔離されそこで病死する事になる。
公式に会えるのはこの日が最後のなるようだ、ただ玄徳達は洛陽にある転移装置で長安城の秘密基地へ遊びに行けるのだ。
麗花姉に聞いた所洛陽の秘密基地最下層にある皇族専用の転移装置で兄姉達には会いに行けるようだ。
年内はこれでいつでも会いに行ける、昨年結婚した芙蓉姫と共に足しげく通うことななる。
2月末になり芙蓉姫が妊娠したが、普段通りに生活していた。年内には生まれそうだ。
秦王や兄姉達への良い知らせを帰還するまでに送りたい。6月には芙蓉姫は長安にある病院へ移って生活するようになる。
ここは幼少時より玄徳が生活した場でもある。宋王も長安に移って妻と仲良く生活していた。
宋王としての仕事は長安でも十分にできる。昔の型通りの書類に束が事務所に各地から運ばれて来て、玄徳は決済の判を押すだけだ。
書類は内官である陳宮、陳羣、麋竺、簡雍、孫乾らが作成し送ってくる。簡雍は徐州にいて、孫乾は豫洲にいて、麋竺は青洲にいて、送ってくるのだ。
兗州を収めていた曹操は大開戦後は正帝劉宏の命令で遼東太守となり、複雑な朝鮮半島及び満州の経営に携わる。
夏候惇や夏侯淵、李典、楽進らの部将は中央軍に組み込まれて曹操の貴下から外されていた。
従っているのは軍師の程昱と曹洪、曹純、曹休の一族と遼東で任官した業微審や張転史、会縁方らの若手部将達だけとなっていた。
実弟の曹仁は西域のソロク太守に転出し、長男の曹昂もウテンの丞として任務に就いていた。
曹操の配下達は各地で出世し高位の武官・文官として漢帝国の一部として組み込まれた。
現在では2万余の地方守備軍を受け持つ地方太守に過ぎない。
野心家の彼としては納得できない部分もあるが、10万余の兵力を持つ兗州太守の地位にはいられない。
漢帝国に対抗できる戦力は内乱終了後は要らないのだ。優秀な文官ならばその頭脳で帝国に貢献してもらう。
要は力のある太守や刺史は全て領土を分割されたり、子孫への禅譲で勢力を弱めて帝国に対する脅威にならないようにされたのだった。
独立などの乱を起こせば各地に散らばる親族が反乱の罪で誅殺される。乱を起こせば一族は皆殺しとなる。
曹操も紋々としながら政務に没頭し、そのユラギゆえに寿命を縮めて194年に早く亡くなった。
曹操や袁紹、袁術、呂布、円岳、公孫瓚らも不遇の生活故に早く亡くなった。
正帝劉高も大戦後に一番危険視したのは兗州の曹操であり、彼の配下の部将達を昇給させ彼から引き離し、長男と実弟を地方官に任命して人質として曹操が牙を向けないように封じ込めたのであった。
戦乱終了後の一人の英雄の最後でもあった。
185年2月14日第7女たる劉麗花の誕生日が来た、秦王の一族が洛陽の秦王邸に集結する。
彼女は一番年が近く、劉備の学問や兵法等文芸の師であり教育係であった。9歳で秦王の元に来た玄徳も初めは姉の存在に戸惑ったが、玄徳を溺愛し、芙蓉姫との間を取り持ったのも彼女である。
玄徳も最初に心を開いたのは彼女であった、10歳となり皇族の幼年学校に通い始めると、体が小さくひ弱だった劉備は最初あ虐められるが、3歳上の劉麗花が教えた武道で小さい体でも大きな相手を圧倒出来た。
13歳の劉麗花は長安の皇族用幼年学校では最強であり、自分より倍近い男子を投げ飛ばし、突き倒す。武芸でも文芸でも春と秋の大会で毎年優勝していた。
9歳より一番近い6歳上の兄劉程と劉麗花に鍛えられ1年ほどで玄徳も健康で俊敏で英邁な少年へと成長していく。
17名いる兄姉達が皆一番年下の玄徳を可愛がり、姉達は着せ替え人形として、兄達は武道の相手として鍛えこんだ。
こうして玄徳は少年期から青年期へ架けて兄姉達に鍛え励まされ、暖かく見守られて育ったのだ。
この日が終わる深夜まで兄姉達と遅くまで歓談し、久しぶりに楽しい思い出を作った。
秦王はこの日自ら12名の兄姉達や5千名の工作員とともに未来へ帰還することを明らかにした。
3月の決戦以降、秦王たちは流行り病に倒れて、長安の別邸に隔離されそこで病死する事になる。
公式に会えるのはこの日が最後のなるようだ、ただ玄徳達は洛陽にある転移装置で長安城の秘密基地へ遊びに行けるのだ。
麗花姉に聞いた所洛陽の秘密基地最下層にある皇族専用の転移装置で兄姉達には会いに行けるようだ。
年内はこれでいつでも会いに行ける、昨年結婚した芙蓉姫と共に足しげく通うことななる。
2月末になり芙蓉姫が妊娠したが、普段通りに生活していた。年内には生まれそうだ。
秦王や兄姉達への良い知らせを帰還するまでに送りたい。6月には芙蓉姫は長安にある病院へ移って生活するようになる。
ここは幼少時より玄徳が生活した場でもある。宋王も長安に移って妻と仲良く生活していた。
宋王としての仕事は長安でも十分にできる。昔の型通りの書類に束が事務所に各地から運ばれて来て、玄徳は決済の判を押すだけだ。
書類は内官である陳宮、陳羣、麋竺、簡雍、孫乾らが作成し送ってくる。簡雍は徐州にいて、孫乾は豫洲にいて、麋竺は青洲にいて、送ってくるのだ。
兗州を収めていた曹操は大開戦後は正帝劉宏の命令で遼東太守となり、複雑な朝鮮半島及び満州の経営に携わる。
夏候惇や夏侯淵、李典、楽進らの部将は中央軍に組み込まれて曹操の貴下から外されていた。
従っているのは軍師の程昱と曹洪、曹純、曹休の一族と遼東で任官した業微審や張転史、会縁方らの若手部将達だけとなっていた。
実弟の曹仁は西域のソロク太守に転出し、長男の曹昂もウテンの丞として任務に就いていた。
曹操の配下達は各地で出世し高位の武官・文官として漢帝国の一部として組み込まれた。
現在では2万余の地方守備軍を受け持つ地方太守に過ぎない。
野心家の彼としては納得できない部分もあるが、10万余の兵力を持つ兗州太守の地位にはいられない。
漢帝国に対抗できる戦力は内乱終了後は要らないのだ。優秀な文官ならばその頭脳で帝国に貢献してもらう。
要は力のある太守や刺史は全て領土を分割されたり、子孫への禅譲で勢力を弱めて帝国に対する脅威にならないようにされたのだった。
独立などの乱を起こせば各地に散らばる親族が反乱の罪で誅殺される。乱を起こせば一族は皆殺しとなる。
曹操も紋々としながら政務に没頭し、そのユラギゆえに寿命を縮めて194年に早く亡くなった。
曹操や袁紹、袁術、呂布、円岳、公孫瓚らも不遇の生活故に早く亡くなった。
正帝劉高も大戦後に一番危険視したのは兗州の曹操であり、彼の配下の部将達を昇給させ彼から引き離し、長男と実弟を地方官に任命して人質として曹操が牙を向けないように封じ込めたのであった。
戦乱終了後の一人の英雄の最後でもあった。
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