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薫風編
【薫風編】40:xx16年3月31日
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まったく想定外の騒動はあったものの、イベントは無事に閉幕した。
ステージの催し物は大盛況に終わったし、各ブースも多くの客でにぎわったと聞く。
リアムはその報告を誇らしげにしていた。
その夜はイベント終幕の祝いとして皆で打ち上げをした。
大学からほど近いカフェを貸しきっての打ち上げとなり、
皆それぞれに大変に盛り上がった。
最後の一幕では乃亜がひどく怯えていた様子はその場にいた全員が見ているため
最初は皆一様にの心配してくれていたが、
幸い時間を空けたことによって、夜の打ち上げではいつも通りに過ごせた。
なによりあの時、煉矢が傍にいてくれたことは本当にありがたかった。
抱きしめて、大丈夫、と言ってくれた。
まるで魔法の言葉だった。
あの寒い日でもそうだ。
彼の大丈夫の言葉は、自分を呪縛から解放してくれるらしい。
とはいえ徐々に抱きしめられていたということを意識してしまい、
顔が赤くなるのを抑えきれなかったわけだが。
彼はそれに小さく笑っていた。
なんにしても夜の打ち上げは楽しく過ごせた。
リンディやリアムだけでなく、共にセッションしたニック、エマを初めとしたシンガーたち、
他のメンバーたちも親し気に接してくれたし、
明日、自分が日本に帰るというと、心底残念がってくれた。
特にリンディとニックはかなり食い下がってきたが、
申し訳ないがこちらも高校進学があり調整はできない。
そしてお酒が飲めない年齢のメンバーは帰路についた。
この国では21歳以上でないと飲酒ができないとは初めて知った。
家に戻り、乃亜はそのまま倒れるように眠りについた。
さすがに疲労困憊だった。
そして翌朝。
今日がこの家で過ごすのも最後だ。
部屋はさして汚れていないが、せめてシーツなどの寝具だけは綺麗に整えた。
出立の便は13:00頃、空港には遅くとも12時くらいには到着していたいとして
その11時頃に行きと同じように車で連れて行ってくれる話になっている。
荷物を整えたところで、乃亜とふとリビングに足を向けた。
彼がそこにいることに気付いてたからだ。
片手に持つのはヴァイオリン。
自分にできることは、結局これしかない。
「煉矢さん」
「ああ、どうした?」
今日で彼ともお別れだ。
もっとも二か月後には彼は帰国するわけだが。
それでも、たった一週間でも、ずっと傍にいてくれた彼と離れるのは正直寂しい。
それ以上に、本当に色々な面でお世話になったのだ。
「……あの、こんなもの、とは思うんですが……」
「?」
「その……、お、お礼にも、ならないですが……聴いて、くれませんか……?」
どんどん声が小さくなっていった気がするが
彼はそれを聞き取れていたらしく、すこし驚いた様子を見せた。
いたたまれず、乃亜は顔を赤くし、目を逸らしたくなるが、
だがそれでは意味がない。
「……本当に、あなたには感謝していて……」
「感謝?」
「……っ、お、お誘いいただいたことも、
ここでの生活も、色々、気遣って、くれたことも、
出掛けた、ときも……、言葉を、くれたこと、も……
それに、昨日、も……。
……でも、私には、なにも……返せない。
出来ることと言ったら……私には、ヴァイオリンしか、なくて……」
頬を染めてとぎれとぎれに言う様子に、
思わず口元が緩む。
「未来のコンサートマスターのヴァイオリンを、独占させてくれるとはな」
「……それは本当に勘弁してください……」
あまりにも恐れ多すぎる。
煉矢は小さく笑い、読んでいたらしい本をテーブルに置いた。
「ここでお前のヴァイオリンを聞けるのも最後か。
本当に、聞こえる度に、心地よかった」
「……お邪魔ではなかったですか?」
「ちっとも。
親父にも散々羨ましがられた」
「え……」
彼の父に聞かれていたなど初耳である。
乃亜が戸惑う中で、彼は椅子の背もたれに深く背を預けた。
「頼んでいいか?おまえが聞かせたいと思う曲でいい」
「は、はい……!」
乃亜はヴァイオリンを構える。
彼だけの為に、奏でるのは初めてのことだ。
曲はあの曲。
今の自分によく合うと感じていた。
密かな想いを込めて。
優しい旋律が部屋に響く。
けして小さい音ではないのに、それはひどく心地良い。
その曲は、
苦しい場所に立ち向かうときも、
苦しい最中にいる時も、
誰かが支え、背中を押してくれる。
そういった思いが歌詞の込められた歌だ。
美しい、大切な誰かへの感謝と祈りと、愛の込められた曲。
ただここでの日々の、否、あの時を含めた、
彼への感謝をこめて。
Amazing Grace.
それを歌いあげるように奏でる彼女の姿はただ、美しい。
煉矢はその姿を、穏やかに見つめている。
銀色の髪は陽射しに揺れきらめき、
薄く開かれた瞳は輝く波間のように、
奏でられる旋律は、涼やかな風のように心地よく。
本当に、美しく、そして。
煉矢は自分の中に芽生えていたらしいそれに気づく。
もう少し早く気づいていたら、と思わなくもない。
けれど仕方のないことだ。
今はただ、彼女の姿を目を焼きつけ、この音色を心にとどめるために
その姿をみつめ、音に酔いしれることにした。
予定通りの時間に家を出立し、空港に到着したのは12:00頃だった。
ほぼ予定通りの時刻に到着でき、キャリーケースを預けることができた。
そろそろ保安検査場に入らなければ、というところで
見送り用のスペース近くに人影があった。
「リンディさんとリアムさん?」
「ああ、間に合ったようだな」
「え?」
「ノア!レン!」
リンディがこちらに気付いて駆けてきた。
リアムもそのあとに続いて歩み寄って来る。
二人は今日、昨日のイベントの片づけがあると言っていたはず。
「どうされたんですか?」
「どうしたもこうしたも、お見送りに決まってるでしょ!」
「Everyone asked me to come see you off on their behalf」
(みんなから、代表して見送りに行ってくれって言われたしさ)
リアムもにこやかに笑い、封筒をひとつ手渡してきた。
「What is it?」
(なんですか?)
「Photos! I could have just sent them to you digitally through Ren,
but I figured I'd print them out since I was here.」
(写真!レン経由でデータで送ってもよかったけど、
せっかくだから印刷してきたんだ)
「I'm so happy...!」
(嬉しいです……!)
本当に嬉しい。
随分分厚く、ゆっくり後で見たいところだ。
「ノア、私もいつか日本に行くから、そしたら必ず会いましょう?
あなたもまたこっちに来ることがあったら、必ず連絡してね?」
「はい。リンディさんと仲良くなれて嬉しかったですよ」
「本当?嬉しい……!
ああもう、本当に帰っちゃうの?
もうちょっとこっちにいましょうよ……」
「リンディ、困らせてやるな」
「もうっ、分かってるわよ!」
リンディはしょんぼりと肩を落としながらリアムの腕に絡みついて項垂れた。
乃亜は苦笑いを浮かべる。
「Lindy and Liam, thank you both so very much.
I'm so glad I came here. I truly enjoyed being part of the event with all of you.」
(リンディさんもリアムさんも、本当にありがとうございました。
私、ここに来てよかったです。
皆さんと一緒に、イベントに参加できてよかった)
「No, thank you so much. We'll definitely meet again someday, okay!」
(こちらこそ、ほんとうにありがとう。またいつか必ず会おうな!)
「Yes!」
(はい!)
そろそろ行かなければならない。時間を確認した煉矢に促され乃亜は頷く。
リンディはもう一度乃亜を抱きしめて、少し目元を赤くしながら離れる。
「乃亜、また二か月後にな」
「はい。あちらで、また」
互いに見つめる視線はいつもと同じだ。
同じはずだが、なにか少し、違う気がした。
しかしきっと気のせいと、乃亜は瞼を落としてそれを断ち切り、
三人に背を向けて出国ロビーに向かった。
「乃亜!またね!」
「はい、また!
皆さんにもよろしくお伝えください!」
手を振って彼女の姿はロビーの向こうに消えた。
リンディははぁと深くため息を吐いた。
「Cheer up, Lindy.」
(リンディ、元気出せよ)
「I know. It's not like we're saying goodbye forever.」
(分かってる。生涯の別れじゃないもの)
リンディは身体を一度伸ばし、切り替えるように肩で息を吐いた。
そしてリアムの顔を覗き込むように腰を曲げる。
「Hey, Liam. Let's go to Japan for our honeymoon.」
(ねぇ、リアム。新婚旅行は日本にしましょうよ)
「You, that...!」
(!お前、それ……!)
「Hehe, I'll see you later!」
(ふふ、先に行くわね!)
リンディは少し頬を染めて笑い、たっと軽快にエントランスの方に走っていった。
残されたリアムは頭を抱えているが、その耳は赤く染まっている。
「...Well, should I say congratulations or something?」
(……とりあえず、おめでとうとでも言えばいいか?)
「U-uh, well, yeah, I guess so...」
(う、まぁ、おう、そうだな……)
元々付き合っていた二人であるが、どうやらさらに一歩前に進んだらしい。
以前からリアムはリンディにプロポーズすると息まいていたのだ。
「Did you ask her?」
(言ったのか?)
「Well, yesterday, when we were going home... you know,
there was no mood at all! She told me to redo it and turned me down.」
(まぁ、昨日、帰るときに……その、
ムードも何もない!やり直しって突き返されたけどな)
「That's just like Lindy.」
(リンディらしいな)
本当に彼女らしい。
おそらくリアムはずっと尻に敷かれそうだ。
だがそれでも彼女が危ない目に遭っていたときのリアムを思い返すと
二人はとてもよく似合いだと思っていた。
「...Hey, Ren. You said that to Noah,
you're like another older brother to her, right?」
(……なぁ、レン。お前、乃亜にとって、
自分はもう一人の兄みたいなものだって言ってたよな)
「That's right.」
(そうだな)
「...Do you really think of her that way?」
(……それ、本気でそう思ってるか?)
「What do you mean?」
(どういう意味だ?)
「Just what I said. You've noticed it too, haven't you?」
(言葉のとおりさ。お前だって気づいてるんだろ?)
ここに乃亜が来るまでは、確かにそういう認識だった。
けれど。
「...Who knows.」
(……さぁな)
それには答えず、ただ踵を返してリンディと同様にエントランスへと戻る。
その後ろ姿にリアムは苦笑いと共に、溜息を吐いた。
「...Your attitude didn't really look that way to me, though.」
(……お前の態度だって、そういう風には見えなかったよ、俺には)
この独り言は、周囲の雑音にかき消されて消える。
だがおそらく、それはただの余計なお世話だ。
いつか自分が、否、自分と彼女が日本に行くそのとき二人に案内を頼もう。
そのとき、同じような立場で日本の町を歩けるような気がしていた。
搭乗し終えて一人、飛行機の機内で窓の外を見る。
瞬く間に離れていく異国の大地。
ついさきほどまであの場所立っていたとは思えないほど、
急速にその場所から引き離されていく。
ふと先ほどもらった写真を思い出した。
手荷物から封筒を取り出して中を空ける。
何枚もの写真には、イベントの準備中の様子や練習する自分たちの姿があった。
時にふざけたり、時に真剣に話し合ったり。
学食で一緒に食事をさせてもらうこともあった。
リンディやリアム、ニック、他のメンバーにも、とてもよくしてもらった。
ステージでの写真もあった。
初めてかもしれない。
自分がヴァイオリンを弾いているときの姿を
ここまで鮮明に見たのは。
こんなにも、生き生きと、楽しそうに笑っていたのか。
" あの姿が、お前の本質なんだろうな "
耳に残るあの人の声。
どの写真を見ても、ステージに立っている写真以外、
いつもすぐ近くにいてくれた。
" 必ず俺が助ける "
" あの時と同じように、何度でも "
そ、と服の下で揺れるペンダントを、服の上から撫でる。
ラリマーという不思議な色合いの石。
初めて、彼からもらった贈り物。
きっと特別な意図はない。
旅の記念としてと言っていた。きっと言葉の通りだ。
けれど、それでも自分にとっては、唯一の宝物に違いない。
彼との日々、言葉、そしてこのペンダントも。
___……煉矢さん……。
彼が日本に戻ってきたら、少しだけ、勇気をだしてもいいだろうか。
友人の妹、妹のような存在、幼馴染、
そんな関係から、もう少しだけ、近づけるような。
乃亜は小さく笑い、もう一度、窓の外を見た。
ステージの催し物は大盛況に終わったし、各ブースも多くの客でにぎわったと聞く。
リアムはその報告を誇らしげにしていた。
その夜はイベント終幕の祝いとして皆で打ち上げをした。
大学からほど近いカフェを貸しきっての打ち上げとなり、
皆それぞれに大変に盛り上がった。
最後の一幕では乃亜がひどく怯えていた様子はその場にいた全員が見ているため
最初は皆一様にの心配してくれていたが、
幸い時間を空けたことによって、夜の打ち上げではいつも通りに過ごせた。
なによりあの時、煉矢が傍にいてくれたことは本当にありがたかった。
抱きしめて、大丈夫、と言ってくれた。
まるで魔法の言葉だった。
あの寒い日でもそうだ。
彼の大丈夫の言葉は、自分を呪縛から解放してくれるらしい。
とはいえ徐々に抱きしめられていたということを意識してしまい、
顔が赤くなるのを抑えきれなかったわけだが。
彼はそれに小さく笑っていた。
なんにしても夜の打ち上げは楽しく過ごせた。
リンディやリアムだけでなく、共にセッションしたニック、エマを初めとしたシンガーたち、
他のメンバーたちも親し気に接してくれたし、
明日、自分が日本に帰るというと、心底残念がってくれた。
特にリンディとニックはかなり食い下がってきたが、
申し訳ないがこちらも高校進学があり調整はできない。
そしてお酒が飲めない年齢のメンバーは帰路についた。
この国では21歳以上でないと飲酒ができないとは初めて知った。
家に戻り、乃亜はそのまま倒れるように眠りについた。
さすがに疲労困憊だった。
そして翌朝。
今日がこの家で過ごすのも最後だ。
部屋はさして汚れていないが、せめてシーツなどの寝具だけは綺麗に整えた。
出立の便は13:00頃、空港には遅くとも12時くらいには到着していたいとして
その11時頃に行きと同じように車で連れて行ってくれる話になっている。
荷物を整えたところで、乃亜とふとリビングに足を向けた。
彼がそこにいることに気付いてたからだ。
片手に持つのはヴァイオリン。
自分にできることは、結局これしかない。
「煉矢さん」
「ああ、どうした?」
今日で彼ともお別れだ。
もっとも二か月後には彼は帰国するわけだが。
それでも、たった一週間でも、ずっと傍にいてくれた彼と離れるのは正直寂しい。
それ以上に、本当に色々な面でお世話になったのだ。
「……あの、こんなもの、とは思うんですが……」
「?」
「その……、お、お礼にも、ならないですが……聴いて、くれませんか……?」
どんどん声が小さくなっていった気がするが
彼はそれを聞き取れていたらしく、すこし驚いた様子を見せた。
いたたまれず、乃亜は顔を赤くし、目を逸らしたくなるが、
だがそれでは意味がない。
「……本当に、あなたには感謝していて……」
「感謝?」
「……っ、お、お誘いいただいたことも、
ここでの生活も、色々、気遣って、くれたことも、
出掛けた、ときも……、言葉を、くれたこと、も……
それに、昨日、も……。
……でも、私には、なにも……返せない。
出来ることと言ったら……私には、ヴァイオリンしか、なくて……」
頬を染めてとぎれとぎれに言う様子に、
思わず口元が緩む。
「未来のコンサートマスターのヴァイオリンを、独占させてくれるとはな」
「……それは本当に勘弁してください……」
あまりにも恐れ多すぎる。
煉矢は小さく笑い、読んでいたらしい本をテーブルに置いた。
「ここでお前のヴァイオリンを聞けるのも最後か。
本当に、聞こえる度に、心地よかった」
「……お邪魔ではなかったですか?」
「ちっとも。
親父にも散々羨ましがられた」
「え……」
彼の父に聞かれていたなど初耳である。
乃亜が戸惑う中で、彼は椅子の背もたれに深く背を預けた。
「頼んでいいか?おまえが聞かせたいと思う曲でいい」
「は、はい……!」
乃亜はヴァイオリンを構える。
彼だけの為に、奏でるのは初めてのことだ。
曲はあの曲。
今の自分によく合うと感じていた。
密かな想いを込めて。
優しい旋律が部屋に響く。
けして小さい音ではないのに、それはひどく心地良い。
その曲は、
苦しい場所に立ち向かうときも、
苦しい最中にいる時も、
誰かが支え、背中を押してくれる。
そういった思いが歌詞の込められた歌だ。
美しい、大切な誰かへの感謝と祈りと、愛の込められた曲。
ただここでの日々の、否、あの時を含めた、
彼への感謝をこめて。
Amazing Grace.
それを歌いあげるように奏でる彼女の姿はただ、美しい。
煉矢はその姿を、穏やかに見つめている。
銀色の髪は陽射しに揺れきらめき、
薄く開かれた瞳は輝く波間のように、
奏でられる旋律は、涼やかな風のように心地よく。
本当に、美しく、そして。
煉矢は自分の中に芽生えていたらしいそれに気づく。
もう少し早く気づいていたら、と思わなくもない。
けれど仕方のないことだ。
今はただ、彼女の姿を目を焼きつけ、この音色を心にとどめるために
その姿をみつめ、音に酔いしれることにした。
予定通りの時間に家を出立し、空港に到着したのは12:00頃だった。
ほぼ予定通りの時刻に到着でき、キャリーケースを預けることができた。
そろそろ保安検査場に入らなければ、というところで
見送り用のスペース近くに人影があった。
「リンディさんとリアムさん?」
「ああ、間に合ったようだな」
「え?」
「ノア!レン!」
リンディがこちらに気付いて駆けてきた。
リアムもそのあとに続いて歩み寄って来る。
二人は今日、昨日のイベントの片づけがあると言っていたはず。
「どうされたんですか?」
「どうしたもこうしたも、お見送りに決まってるでしょ!」
「Everyone asked me to come see you off on their behalf」
(みんなから、代表して見送りに行ってくれって言われたしさ)
リアムもにこやかに笑い、封筒をひとつ手渡してきた。
「What is it?」
(なんですか?)
「Photos! I could have just sent them to you digitally through Ren,
but I figured I'd print them out since I was here.」
(写真!レン経由でデータで送ってもよかったけど、
せっかくだから印刷してきたんだ)
「I'm so happy...!」
(嬉しいです……!)
本当に嬉しい。
随分分厚く、ゆっくり後で見たいところだ。
「ノア、私もいつか日本に行くから、そしたら必ず会いましょう?
あなたもまたこっちに来ることがあったら、必ず連絡してね?」
「はい。リンディさんと仲良くなれて嬉しかったですよ」
「本当?嬉しい……!
ああもう、本当に帰っちゃうの?
もうちょっとこっちにいましょうよ……」
「リンディ、困らせてやるな」
「もうっ、分かってるわよ!」
リンディはしょんぼりと肩を落としながらリアムの腕に絡みついて項垂れた。
乃亜は苦笑いを浮かべる。
「Lindy and Liam, thank you both so very much.
I'm so glad I came here. I truly enjoyed being part of the event with all of you.」
(リンディさんもリアムさんも、本当にありがとうございました。
私、ここに来てよかったです。
皆さんと一緒に、イベントに参加できてよかった)
「No, thank you so much. We'll definitely meet again someday, okay!」
(こちらこそ、ほんとうにありがとう。またいつか必ず会おうな!)
「Yes!」
(はい!)
そろそろ行かなければならない。時間を確認した煉矢に促され乃亜は頷く。
リンディはもう一度乃亜を抱きしめて、少し目元を赤くしながら離れる。
「乃亜、また二か月後にな」
「はい。あちらで、また」
互いに見つめる視線はいつもと同じだ。
同じはずだが、なにか少し、違う気がした。
しかしきっと気のせいと、乃亜は瞼を落としてそれを断ち切り、
三人に背を向けて出国ロビーに向かった。
「乃亜!またね!」
「はい、また!
皆さんにもよろしくお伝えください!」
手を振って彼女の姿はロビーの向こうに消えた。
リンディははぁと深くため息を吐いた。
「Cheer up, Lindy.」
(リンディ、元気出せよ)
「I know. It's not like we're saying goodbye forever.」
(分かってる。生涯の別れじゃないもの)
リンディは身体を一度伸ばし、切り替えるように肩で息を吐いた。
そしてリアムの顔を覗き込むように腰を曲げる。
「Hey, Liam. Let's go to Japan for our honeymoon.」
(ねぇ、リアム。新婚旅行は日本にしましょうよ)
「You, that...!」
(!お前、それ……!)
「Hehe, I'll see you later!」
(ふふ、先に行くわね!)
リンディは少し頬を染めて笑い、たっと軽快にエントランスの方に走っていった。
残されたリアムは頭を抱えているが、その耳は赤く染まっている。
「...Well, should I say congratulations or something?」
(……とりあえず、おめでとうとでも言えばいいか?)
「U-uh, well, yeah, I guess so...」
(う、まぁ、おう、そうだな……)
元々付き合っていた二人であるが、どうやらさらに一歩前に進んだらしい。
以前からリアムはリンディにプロポーズすると息まいていたのだ。
「Did you ask her?」
(言ったのか?)
「Well, yesterday, when we were going home... you know,
there was no mood at all! She told me to redo it and turned me down.」
(まぁ、昨日、帰るときに……その、
ムードも何もない!やり直しって突き返されたけどな)
「That's just like Lindy.」
(リンディらしいな)
本当に彼女らしい。
おそらくリアムはずっと尻に敷かれそうだ。
だがそれでも彼女が危ない目に遭っていたときのリアムを思い返すと
二人はとてもよく似合いだと思っていた。
「...Hey, Ren. You said that to Noah,
you're like another older brother to her, right?」
(……なぁ、レン。お前、乃亜にとって、
自分はもう一人の兄みたいなものだって言ってたよな)
「That's right.」
(そうだな)
「...Do you really think of her that way?」
(……それ、本気でそう思ってるか?)
「What do you mean?」
(どういう意味だ?)
「Just what I said. You've noticed it too, haven't you?」
(言葉のとおりさ。お前だって気づいてるんだろ?)
ここに乃亜が来るまでは、確かにそういう認識だった。
けれど。
「...Who knows.」
(……さぁな)
それには答えず、ただ踵を返してリンディと同様にエントランスへと戻る。
その後ろ姿にリアムは苦笑いと共に、溜息を吐いた。
「...Your attitude didn't really look that way to me, though.」
(……お前の態度だって、そういう風には見えなかったよ、俺には)
この独り言は、周囲の雑音にかき消されて消える。
だがおそらく、それはただの余計なお世話だ。
いつか自分が、否、自分と彼女が日本に行くそのとき二人に案内を頼もう。
そのとき、同じような立場で日本の町を歩けるような気がしていた。
搭乗し終えて一人、飛行機の機内で窓の外を見る。
瞬く間に離れていく異国の大地。
ついさきほどまであの場所立っていたとは思えないほど、
急速にその場所から引き離されていく。
ふと先ほどもらった写真を思い出した。
手荷物から封筒を取り出して中を空ける。
何枚もの写真には、イベントの準備中の様子や練習する自分たちの姿があった。
時にふざけたり、時に真剣に話し合ったり。
学食で一緒に食事をさせてもらうこともあった。
リンディやリアム、ニック、他のメンバーにも、とてもよくしてもらった。
ステージでの写真もあった。
初めてかもしれない。
自分がヴァイオリンを弾いているときの姿を
ここまで鮮明に見たのは。
こんなにも、生き生きと、楽しそうに笑っていたのか。
" あの姿が、お前の本質なんだろうな "
耳に残るあの人の声。
どの写真を見ても、ステージに立っている写真以外、
いつもすぐ近くにいてくれた。
" 必ず俺が助ける "
" あの時と同じように、何度でも "
そ、と服の下で揺れるペンダントを、服の上から撫でる。
ラリマーという不思議な色合いの石。
初めて、彼からもらった贈り物。
きっと特別な意図はない。
旅の記念としてと言っていた。きっと言葉の通りだ。
けれど、それでも自分にとっては、唯一の宝物に違いない。
彼との日々、言葉、そしてこのペンダントも。
___……煉矢さん……。
彼が日本に戻ってきたら、少しだけ、勇気をだしてもいいだろうか。
友人の妹、妹のような存在、幼馴染、
そんな関係から、もう少しだけ、近づけるような。
乃亜は小さく笑い、もう一度、窓の外を見た。
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カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。
この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。
慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。
弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。
「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」
驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。
「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」
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