一葉のコンチェルト

碧いろは

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星と太陽編1

【星と太陽編1】13:xx14年4月16日

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崩れ落ちたましろに元へ、静はとっさに駆け寄った。
隼人もなにごとかと唖然として足を止め、ましろの名前を呼ぶ中、
ましろが床にたたきつけられるより早く、静がそれを支えた。

 「ましろ、どうした?!」
 「っ、ぐ……っ、ぅ……っ」
 「ましろ!」
 「静、下手に動かすな、そのままに!」
 「全員止め!いったん休憩だ、下がれ!
  隼人、椿を呼んでこい、家にいる!」
 「あっ、は、はい!」

ましろは静に抱きかかえられながら、身体の中心を抑え込んでいる。
口から洩れる呻きに、見ているこちらの身体が震えそうになる。
翔がましろの面を外してやると、
ましろは顔色を真っ白にしてきつく苦悶の表情を浮かべていた。

 「師範、救急車を!」
 「ああ」
 「っ、ま、って……」

大量の汗を顔中にかきながら、ましろは薄く目を開いた。

 「だ、だいじょうぶ……、もう、苦しくない……」

はぁ、と深く息を吐き出したましろは、胸元を抑えていた手からも力を抜いたようだった。
しかし静としてはまったく安心などできない。

 「ありがと、静……本当に大丈夫……」
 「だが、顔色が真っ白だぞ。それに、胸を押さえていた」
 「え……、あ……」

無意識だったのか、それとも気づかれたという意図か。
それは静にもわからないが、ましろは押さえていた手に目を向けた。

 「ましろ。苦しかったのは、胸か?」

師範が膝をつき、ましろに声をかける。
それは父親としての顔だった。

 「……そう。でも、今は、違和感が少しあるだけ」
 「ただの貧血でそうはならんな。病院だ」
 「え、でも、まだ稽古中でしょ……」
 「椿、ましろを病院へ連れていけ。こっちは俺ひとりで引き受ける」

いつの間にやってきていたのが、群青色の美しい髪をなびかせた麗人がそこに立っていた。
ましろの母であり、この道場の師範代でもある、椿だ。
とても子供一人産んだとは思えないほどに若々しくみえる彼女は、
切れ長の目元で静かにうなずいた。

 「分かった。ましろ、来なさい。
  静、悪いが、ましろに手を貸してやってくれ」
 「はい」
 「……ごめん、静」
 「いい」

ゆっくりと立ち上がるましろに手を貸し、ふらつく足元を支える。
動揺がみてとれる道場内を歩いていく中、椿を呼びに行っていた隼人とすれ違った。
彼は褐色の瞳を揺らし、ひどく心配そうにましろを見ていた。

 「ましろ……」
 「隼人、悪い、また今度。
  ただの貧血かもしれないし、そう心配しないでいいよ」
 「……おう、ゆっくり休めよ」
 「ありがと」

道場から出てすぐ隣に隣接しているましろの家へと向かう。
古くも広い家には何回か訪れたことがある。

 「ましろ!大丈夫?!」

引き戸の玄関を椿が開けたとたんに声を上げて駆けてきたのは
まだ小学生ほどの少年だった。

 「暁斗、静かにしなさい」
 「あっ、ごめんなさい……」
 「ましろを病院に連れていくから、なにかあれば道場に行きなさい。八雲は残るから」
 「は、はい……」

咎められた少年は明石 暁斗(あけいし あきと)。
近所に住んでいるましろの従弟にあたる少年だ。
日中は両親が仕事で外出しているため、こうしてましろの家で過ごしていると聞いている。

 「暁斗、ごめんな。また今度ね」
 「うん……」

ましろが少し申し訳なさそうに言うと、暁斗は小さく頷いた。
静に対して視線が向く。
視線がましろは大丈夫か、と問うている。
静は小さく頷くしかなかった。

 「ましろ、私も支度をする。お前も着替えてきなさい」
 「はい」
 「静、ありがとう。ここまでで構わないぞ」
 「いえ、出かけるまでは一緒にいます。
  もし心臓なら循環器科ですが、近くにありそうですか?
  良ければ調べます」
 「ああ……申し訳ないが頼む」

頷き、ましろの自室があるらしい二階への階段に向かう。
ましろは階段の下で静に声をかけた。

 「静、ここまでいいよ」
 「いや、部屋の前まではいく。階段の途中で何かあったらどうする」
 「……まさか、あなたの過保護が私に適用される日がくるなんてね」
 「馬鹿を言え。そんなもの、あの日からとっくに適用対象だ」
 「……そっか」

一歩先に進むましろの後ろに寄り添いながらはっきり言えば、
ましろは小さく笑ったような声を出した。

部屋の前までましろを送り、階段の上でスマートフォンを取り出し、病院を調べる。
細かく、口コミや評判などを確認したいが残念ながらゆっくり探せる時間はない。
取り急ぎ、この時間でもやっている、そこまでひどい評価ではない、
車で行ける範囲の場所などの必要最低限の条件をもとに、2,3件の病院をピックアップする。
それをましろのスマートフォンに転送したところで、
ましろの部屋のドアが開いた。

顔色は少しは戻ったようだ。それに安堵を覚える。

 「今お前のスマフォにいくつかの病院をCORDした。
  師範代に転送するなりしてくれ」
 「分かった。ありがとう」

控えめながら微笑む姿を見て、さらに少しホッとする。
手を差し出すと、ましろは少し恥ずかしそうにしながらも手を重ねてくる。
鍛錬によって少し硬くなった掌、けれど細い指。
静はそれをぎゅっと握る。

 「……本当に今はなんともないのか?」
 「うん。少し違和感があるくらい」
 「……」

違和感。心臓を抑え込んでいた事実がどうしても頭から消えない。
その懸念をましろも察したのだろう。
握る手に力を込めてくる。
どこか弱弱しいように感じたのは、気のせいであってほしかった。




ダイニングチェアに並んで腰かけ、乃亜は静の話をひたすらに黙って聞いていた。
ましろが倒れたと聞いて血の気が引く思いだったが、なんとかこらえ
事情を聞いて、今である。
静はちらちらとスマートフォンを見つめながら、今日起きたことを乃亜へ説明したところだった。

 「……それで、病院に行かれたんですか?」
 「ああ。さすがにそれに同行はしてない。
  二人が向かったところで、俺も帰ったからな。
  ……そろそろ、連絡があってもいいと思うんだが」
 「兄さん……」

ひどく憔悴して不安そうにしている静の腕に触れる。
静は控えめに笑うだけだ。

自分にとっても、ましろはかけがえのない存在と言ってもよかった。
中学にもありがたいことに友人はいる。
親しくないわけではないし、互いに笑って話し、心地よい友人関係も築けていると思う。
しかしましろは自分にとって、ただの友人以上の人だ。
自分が一歩踏み出すきっかけをくれて、出来ることを積み重ねていけるきっかけにもなった。
それだけでなく、彼女はあたたかく優しく、そっと自分を掬い上げてくれた。
一緒に出掛けて、他愛ない話をして笑いあえる。
そんなかけがえのない友人だ。

そんな彼女が倒れて、不安にならないはずはない。
自分でさえそうなのだから、親しい友人らしい兄はもっと。

ブブ、と端末が震える音が室内に響いた。
テーブルの上のそれに二人の視線が集中する。
CORDの通知かと思ったが、通話だった。

静はそれを手に取って耳に当てる。

 「斉王です」
 『ああ、静。椿だが』
 「師範代……」
 『お前には伝えておいた方がいいと思ってな。
  ましろは大丈夫。今家に帰ったところだよ。今日はありがとう』

大丈夫、という言葉にほっと息が漏れた。
だがまだ安心はしきれない。静は不安そうな乃亜を視界にいれつつ続けた。

 「いえ……それより、もし教えていただけるなら……」
 『診断結果だな。構わないよ、そのために電話したんだから。
  狭心症、とのことだ。
  なにか特別な要因があって、というよりも、一時的に血管がねじれを起こしたのではないかと。
  剣道の稽古中だったと言うのもあるからな。
  レントゲンや血液検査もしたけれど、いずれも異常はなかったそうだよ』
 「……そう、ですか」

狭心症という病気について静はよく知らない。
説明の通りであれば、突発的なもので具体的な要因は分からないと言うことではないだろうか。
レントゲンなどの検査では異常がないということで安心はしたが
一抹の不安はどうしても消えない。

 『また同様のことが起きる可能性も否定はできないから、その時の為の薬は処方された。
  だが特に異常はないから、様子見だとね』
 「分かりました。わざわざ、ありがとうございました」
 『いいや。よければ、また、娘に連絡をしてやってくれ。あの子も心強いだろうからね』
 「……師範代」
 『ではな。重ねて、今日はありがとう』

それだけ言って電話は切れた。
連絡をしてやってくれ、と言われた。
無論するつもりではあるのだが、
それを彼女の母に後押しされると言うのはどうも居心地がよくない。

 「兄さん、あの……」

心配そうな乃亜に気が付く。
努めて、静は笑みを浮かべ、乃亜の髪を撫でた。

 「検査では、なんの異常もなかったそうだ。
  狭心症という病気のようだが、一時的な発作で、しばらくは様子見。
  もしまた起きた時に備えての薬ももらったと言っていた」
 「そうですか……、……いえ、でも、良かったです」

乃亜も自分と同じ疑問に行きついたのだろう。
静はもう一度、乃亜を安心させるように髪を撫でた。

 「大丈夫だ。ましろは強いからな。
  きっと今頃、稽古が途中で中断されたと肩を落としてるだろう」
 「……そう、ですね。きっと、そうだと、思います」

控えめながらも、乃亜の表情にも笑みが浮かんだ。
それにほっとして静も笑みを深くする。

 「……さて、夕食がすっかり遅くなったな。
  明日、俺もお前も学校だし、仕方ない。なにか頼むか」
 「そうですね。……兄さんも、今日ははやく休んでくださいね」
 「ああ、そうするよ」

その後、二人でデリバリーで頼んだ食事を食べ、入浴を済ませてそれぞれ部屋に戻った。
いつもより少し会話の数が少なかったのは、
静自身も、まだ吹っ切れていないからだと自覚していた。

自室に戻り、はやく休むと妹には告げたが、
残念ながらやることは山のように残っている。
とはいえ、今日は集中力がもつ気がしなかった。

静はベッドにあおむけに横になり、CORDアプリを立ち上げた。

連絡先から、ましろの名前をタップする。
だがなんと声をかけようか迷う。
そもそももう寝ている可能性はある。時刻は23時を回っていた。
今日あのようなことがあったのだ。むしろ早く休んでいてくれた方がいい。
スマートフォンをロックし、画面が暗くなった。

静はふと、彼女との日々を思い返す。

 " 自分のしせんが、うざったいってことだよ "

小さな彼女に言われた痛切な一言。
思い出すと笑ってしまう。

 " 少し糸が緩んだ気がする "

本当に、彼女はいつも、こちらの心の深いところを見ている。

 " あのね、わからないことは、とても不安なの "

その通りだ。
静はスマートフォンを額に重ねる。
分からないから不安なのだ。

 「……そうだな、ましろ。お前も、きっと」

静はロックを解除する。
今日見る必要はない。明日でいい。

CORDアプリをもう一度立ち上げなおし、ましろとのチャット画面を開く。

 『なにかあったら、必ず連絡してくれ。お前の力に、支えになりたい』

既読はつかない。
やはり眠っているのだろう。
それならそれでいい。
スマートフォンを置いて、パソコンデスクに向かう。

一番不安で怖いのはきっとましろだ。
自分がそれで落ち込んでいても仕方がない。それでは彼女を支えられないではないか。

スリープ状態にしていたパソコンを起動しなおし、ドキュメントファイルを開く。
作成中の予稿のファイルだ。

【自家蛍光とラマン散乱光の分離及び『残滓』の検出原理の可能性について】

昨年から個人的に研究を続けおおよその理論、推論が形になってきたところで
教授に確認してもらったのが今年に入ってからだ。
教授は最初訝し気だったが次に会ったときはひどく興奮した様子で、
何が何でも今年の学会に間に合わせ発表すべきと太鼓判を押してきた。
まだ学生だと言えば、「特例」で認めるから構わないと。
通っている大学お得意の「特例」だ。
だがそれは将来のキャリアを考えればありがたい話でもあった。

だが一方でそれは自分のスケジュールを大きく変えた。
5月の末には予稿の締め切りがある。
それまでに形にしてまとめなければならない。
個人的に研究していた膨大なデータを整理し直し清書し、教授に確認してもらい、
やっとどうにか構成をまとめられたのが今だ。
手元にノートを用意し、印刷したドキュメントには無数についた教授からの添削があった。
それを見直し、パソコンに打ち込んでいく。

ましろのことはどうしても気にかかる。
それだけではない。
今日それにひっ迫され、乃亜にも心配をかけてしまった。
夕食の支度も手につかなかったなど不徳の致すところである。

不安ごときにかまけている暇はない。
あの日、あのひどく寒い日に誓った。

出来ることは全部やる。
そうしなければ、守りたいものを守れない。
支えたい人を支えられない。

多忙などいくらでも乗り切る。
無力感に苛まれるよりもはるかにましだ。
静は口元に笑みさえ浮かべ、ひたすらに作業を続けていった。
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