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第一話 不幸の拾い物
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――重たい息が、夜気を震わせた。
「……ハァ、ハァ……っ」
少女は息を切らしながら、崩れかけた階段を駆け上がっていた。
廃ビルの内部は静まり返り、コンクリートの壁に彼女の足音だけが反響する。
手すりは錆びつき、足元の鉄板がきしむたび、崩れ落ちそうな不安が胸を締めつけた。
彼女の名は――リシア・グラモリア。
白を基調としたローブが、闇の中でぼんやりと光を反射している。
裾は破れ、薄く血が滲んでいた。
銀の長い髪が乱れ、汗で頬に貼りつく。
透き通るようなサファイアの瞳は、恐怖よりも焦りに染まっていた。
屋上に辿り着く。
朝焼け前の空はまだ藍色で、低層のビル群が霞のように広がっている。
彼女は息を整える暇もなく、周囲を見渡した。
逃げ道は――もうない。
その時、背後から靴音が響く。
一定の間隔で、ゆっくり、確実に近づいてくる。
「追い詰めましたよ……」
低く冷たい声。
黒いスーツに糸目の男が、拳銃を構えながら階段を上がってきた。
無機質な笑みを浮かべ、銃口をリシアに向ける。
「また逃げられないように……足でも撃っておきましょうか?」
リシアは息を呑んだ。
彼女は一歩後ずさると、背中を向け、フェンスに駆け寄った。
「……まだ、終われない」
彼女は小さく呟き、金属フェンスを掴み、瞬時に体を引き上げた。
その動作はまるで訓練された兵士のように正確で、迷いがなかった。
フェンスの上から、隣のビルへ飛び移る――その瞬間。
バンッ。
乾いた銃声が、朝の闇を裂いた。
世界が一瞬止まったような静寂のあと、白いローブの裾が風に舞った。
――リシアの姿は、もうそこにはなかった。
⸻
そして、夜が明けた。
⸻
電子音が狭い部屋に響く。
「ピピピピ……ピピピピ……」
スマホの目覚ましを、伸ばした手でようやく止める。
ベッドから半分だけ顔を出して、ぐしゃぐしゃの髪をかき上げた。
「ふわぁー……よく寝たぁ……」
幸村 陽(ゆきむら・はる)。
16歳、高校1年。
寝癖混じりの黒髪に、前髪の隙間から金色のメッシュが覗く。
目つきは少し悪いが、どこか気の抜けた優しさが滲む顔立ちだった。
天然パーマのせいで全体がふわりと乱れ、寝起きの彼は特にひどい。
足をベッドから降ろした瞬間――。
「おっと……うわッ!」
自分のパンツを踏み、見事に滑った。
バランスを崩し、ちゃぶ台の角に顔面から突っ込む。
ドカッ。
「いってぇ……!」
鼻の奥に衝撃。次の瞬間、鼻血がだらだらと垂れた。
「……朝からついてねぇ~……」
絆創膏を貼り、ティッシュを鼻に詰める。
ちゃぶ台の上には、昨日のカップラーメンの残骸と、散らばった教科書。
部屋の隅には洗濯しそびれたシャツが山積みになっている。
どう見ても“高校生男子の部屋”だった。
冷蔵庫を開ける。
中には、水のペットボトルと古いプリンだけ。
「……何もねぇか。朝はなしでいいか。」
陽は制服に着替え、ぼそっと髪を手で整えた。
乱れたシャツ、緩めたネクタイ。
完璧に着崩した姿が、彼の日常の象徴でもあった。
⸻
外に出ると、世界は一瞬で眩しさに包まれる。
透明な道路を、浮遊車が音もなく滑っていく。
空を見上げれば、巨大なガラスビルが光を反射し、都市全体が銀色の海のようにきらめいていた。
ホログラム広告がビルの側面に流れ、人々の生活にデータの波が交わる。
機械の翼をもつ鳥型ドローンが、空を規則的に飛行している。
ここは――ルミナス・シティ。
光の都市。
能力者たちが住む、神に選ばれた世界。
街の中心部ではAIによる演算がすべてを管理し、秩序は完璧に保たれている。
だが、陽の住む場所はその片隅だった。
高層建築の影、古びた建物が並ぶ通り。
「ミドルライン」と呼ばれる区域――ルミナスとノクス・ブロックのちょうど境界線。
その奥には、錆びた看板とひび割れたアスファルトが広がり、
電線が空を縫い、ドローンの光が届かない路地が続く。
子どもたちの笑い声と金属音が交錯し、古い商店の匂いが風に混ざっている。
ノクス・ブロック。
闇の街――無能力者が暮らす区域。
人間らしさがまだ残っている代わりに、光の恩恵は届かない。
陽は高層ビルの間から両方の街を見渡す。
ひとつは整然とした未来。
もうひとつは、過去の残骸。
「……これが、この街の現実か。」
彼の声は小さく、風に紛れて消えた。
この都市は、二つの階層に分かれている。
能力者の住むルミナス・シティと、無能力者のノクス・ブロック。
そして、陽のアパートはその境界線に立っていた。
見上げれば、ルミナスの透明な街が空を覆い、
見下ろせば、ノクスの闇が地平を染めている。
「まあ、家賃安いからな……贅沢は言えねぇか。」
軽く肩をすくめる。
彼はまだ、自分の“能力”の本質を知らない。
――自分が不幸を呼ぶのではなく、周囲の不運を吸い取っているということを。
陽は肩にかけたカバンを持ち直し、ゆっくり歩き出した。
朝の空気はまだ涼しく、街の上層から反射する光が、通りの窓ガラスを淡く照らしている。
すれ違う人々は皆、整った制服に端末バンドを光らせ、今日の予定を確認していた。
中には能力で小さなホログラムを出しながら、笑い合う生徒たちの姿もある。
「……俺も、少しくらい“幸運”に恵まれてみたいもんだ。」
苦笑しながら歩く。
この街では、“幸運”という言葉に実感がある。
なぜならそれは、能力として存在するからだ。
彼の隣を通り過ぎた男が言う。
「昨日の取引、うまくいったよ。奇跡的に!」
そのすぐ横の女性が笑う。
「うちの子、能力診断でAランクだって!」
陽は心の中で「良かったな」と呟きながら、羨ましさでもなく、
“遠い世界の出来事”のようにそれを受け流した。
そのときだった。
――肩が、軽くぶつかった。
「あ、すみません。」反射的に謝る。
だが、相手は何も言わず、そのままふらりと歩き出す。
(無視……? いや――)
違和感。
その小さな背中を見た瞬間、陽は息を呑んだ。
白いローブ。
銀の髪が朝光を受けて淡く光る。
腰のあたり――赤い染み。
「……え?」
次の瞬間、その少女はよろけ、膝をついた。
倒れかけた身体を陽はとっさに抱きとめる。
「おい! 大丈夫か!? おい、しっかりしろ!」
胸元にかかった白いケープが、彼の腕に重くのしかかる。
掌にじんわりと温かい感触――血だ。
「……っ、これ、銃……傷……?」
背中の布が破れ、弾丸が通ったような穴がある。
リシアの体温は下がり始めていた。
「今すぐ、救急車を――」
スマホを取り出そうとした瞬間、かすれた声が彼を止めた。
「だ……ダメ……!」
少女は顔を歪めながら、唇を震わせる。
「……あいつに……見つかる……」
そのまま、彼女は糸が切れたように倒れた。
瞳がゆっくり閉じ、白いローブが風に揺れた。
陽は一瞬、立ち尽くした。
街の喧騒が遠のいていく。
そして、なぜか胸の奥がざわついた。
――この子を放っておいたら、取り返しのつかないことになる。
「……わかった。任せろ。」
彼は少女を背負い、足を動かした。
⸻
幸村陽が通う学校――ルミナス第一学院。
能力者育成のための都市直属の学園で、
外観は透明な壁面をもつ半球ドーム型。
内部では重力制御やホログラム授業が常時行われ、
まさに「未来の教育施設」だった。
だが、今の陽にはそんな光景に浸る余裕はない。
背中の少女の血が、制服をじわりと染めていた。
「保健室……保健室はどこだ……!」
駆け抜ける廊下。
生徒たちが振り返り、驚きの声を上げる。
扉を勢いよく開けると、
白衣を着た女性が、書類を片手に振り返った。
「……って、えっ!? なにその格好、陽!?」
彼女――朝倉 静(あさくら しずか)。
金髪のロングストレートに軽く巻かれた毛先。
アッシュグリーンの瞳に黒いシャツ、スキニーとヒール。
白衣を羽織っても隠せないほど整ったスタイル。
右目の下に泣きぼくろがあり、化粧は薄いのに存在感が強い。
だがその見た目に反して、口調は軽く人当たりがいい。
「登校したと思ったら、幼女を背負ってるとか……何事?」
陽は息を切らしながら叫んだ。
「先生! この子が撃たれて――!」
朝倉の顔から笑みが消える。
「ベッドに寝かせて! すぐに見せて!」
彼女は慣れた手つきで血を止め、
掌から柔らかな光を放った。
治癒能力。
皮膚がゆっくり閉じ、血が止まっていく。
光の粒がリシアの体を包み、傷は跡形もなく消えた。
「……これで命は助かったわ。」
安堵したように息をつき、朝倉は弾丸を取り出した。
黒光りする金属の塊――軍用規格だ。
「酷いね、これ。こんな小さな子に……」
朝倉は弾丸を睨むように見つめる。
陽は眉をひそめた。
「一体、誰がこんなことを……」
「もしかして、何も知らずに連れてきたの?」
「はい。見つけて、放っておけなかったんです。」
朝倉は溜息をついた。
「……幸村、あんた本当に不幸体質ね。
巻き込まれないようにしなさいよ?」
陽は少し笑って答えた。
「俺、不幸が日常なんで。今さら怖くもないですよ。」
朝倉は苦笑し、
「……とりあえずこの子は私が見とく。授業、遅れるよ。」
「お願いします。」
陽は一礼し、保健室を出た。
扉が閉まる直前、朝倉は小さく呟いた。
「……心配して言ってんのよ...余計なお世話かもしれないけど、アンタの能力ほど厄介なモノは無いんだから。」
⸻
夕方。
オレンジ色の光が校舎の廊下を染める。
陽は再び保健室の扉を開けた。
「目、覚めましたか!?」
朝倉が振り返り、微笑む。
「来たね。ちょうど今、起きたところ。」
ベッドの上の少女が、ゆっくり体を起こした。
まだ少し顔色は悪いが、瞳はしっかりと光を取り戻している。
眠たげな細目で、陽の姿を見上げた。
「……君は?」
「さっき言ったでしょ? この子を助けたのは彼。」
朝倉が軽く紹介する。
少女は一瞬目を見開き、口角を上げた。
「……ハル。助けてくれて、ありがとう。」
その笑顔は、どこか現実離れしていた。
夕陽を背に、白いローブが橙色に染まり、
その輪郭が淡く光って見えた。
陽は思わず息を呑む。
「……どういたしまして。えっと……君の名前は?」
「リシア。リシア・グラモリア。」
名乗るその声は澄んでいて、
耳に残るほど心地よかった。
陽は小さく笑い返す。
「じゃあ、リシア。よろしくな。」
窓の外では、風が優しく校舎を撫でていた。
――この出会いが、世界を変えるとは、
まだ誰も知らなかった。
陽はふと、彼女を見つめながら思う。
(……この子、女神みたいだ。
でも……何か、怖い。
俺と同じ匂いがする。
最悪の運命を背負った、何か――)
心の奥で、かすかに願った。
(神様。もし、まだこの世界にいるなら――
どうか、今日だけは、不幸でありませんように。)
夕陽が傾く。
窓際の光の中で、リシアは微笑んでいた。
――つづく――
「……ハァ、ハァ……っ」
少女は息を切らしながら、崩れかけた階段を駆け上がっていた。
廃ビルの内部は静まり返り、コンクリートの壁に彼女の足音だけが反響する。
手すりは錆びつき、足元の鉄板がきしむたび、崩れ落ちそうな不安が胸を締めつけた。
彼女の名は――リシア・グラモリア。
白を基調としたローブが、闇の中でぼんやりと光を反射している。
裾は破れ、薄く血が滲んでいた。
銀の長い髪が乱れ、汗で頬に貼りつく。
透き通るようなサファイアの瞳は、恐怖よりも焦りに染まっていた。
屋上に辿り着く。
朝焼け前の空はまだ藍色で、低層のビル群が霞のように広がっている。
彼女は息を整える暇もなく、周囲を見渡した。
逃げ道は――もうない。
その時、背後から靴音が響く。
一定の間隔で、ゆっくり、確実に近づいてくる。
「追い詰めましたよ……」
低く冷たい声。
黒いスーツに糸目の男が、拳銃を構えながら階段を上がってきた。
無機質な笑みを浮かべ、銃口をリシアに向ける。
「また逃げられないように……足でも撃っておきましょうか?」
リシアは息を呑んだ。
彼女は一歩後ずさると、背中を向け、フェンスに駆け寄った。
「……まだ、終われない」
彼女は小さく呟き、金属フェンスを掴み、瞬時に体を引き上げた。
その動作はまるで訓練された兵士のように正確で、迷いがなかった。
フェンスの上から、隣のビルへ飛び移る――その瞬間。
バンッ。
乾いた銃声が、朝の闇を裂いた。
世界が一瞬止まったような静寂のあと、白いローブの裾が風に舞った。
――リシアの姿は、もうそこにはなかった。
⸻
そして、夜が明けた。
⸻
電子音が狭い部屋に響く。
「ピピピピ……ピピピピ……」
スマホの目覚ましを、伸ばした手でようやく止める。
ベッドから半分だけ顔を出して、ぐしゃぐしゃの髪をかき上げた。
「ふわぁー……よく寝たぁ……」
幸村 陽(ゆきむら・はる)。
16歳、高校1年。
寝癖混じりの黒髪に、前髪の隙間から金色のメッシュが覗く。
目つきは少し悪いが、どこか気の抜けた優しさが滲む顔立ちだった。
天然パーマのせいで全体がふわりと乱れ、寝起きの彼は特にひどい。
足をベッドから降ろした瞬間――。
「おっと……うわッ!」
自分のパンツを踏み、見事に滑った。
バランスを崩し、ちゃぶ台の角に顔面から突っ込む。
ドカッ。
「いってぇ……!」
鼻の奥に衝撃。次の瞬間、鼻血がだらだらと垂れた。
「……朝からついてねぇ~……」
絆創膏を貼り、ティッシュを鼻に詰める。
ちゃぶ台の上には、昨日のカップラーメンの残骸と、散らばった教科書。
部屋の隅には洗濯しそびれたシャツが山積みになっている。
どう見ても“高校生男子の部屋”だった。
冷蔵庫を開ける。
中には、水のペットボトルと古いプリンだけ。
「……何もねぇか。朝はなしでいいか。」
陽は制服に着替え、ぼそっと髪を手で整えた。
乱れたシャツ、緩めたネクタイ。
完璧に着崩した姿が、彼の日常の象徴でもあった。
⸻
外に出ると、世界は一瞬で眩しさに包まれる。
透明な道路を、浮遊車が音もなく滑っていく。
空を見上げれば、巨大なガラスビルが光を反射し、都市全体が銀色の海のようにきらめいていた。
ホログラム広告がビルの側面に流れ、人々の生活にデータの波が交わる。
機械の翼をもつ鳥型ドローンが、空を規則的に飛行している。
ここは――ルミナス・シティ。
光の都市。
能力者たちが住む、神に選ばれた世界。
街の中心部ではAIによる演算がすべてを管理し、秩序は完璧に保たれている。
だが、陽の住む場所はその片隅だった。
高層建築の影、古びた建物が並ぶ通り。
「ミドルライン」と呼ばれる区域――ルミナスとノクス・ブロックのちょうど境界線。
その奥には、錆びた看板とひび割れたアスファルトが広がり、
電線が空を縫い、ドローンの光が届かない路地が続く。
子どもたちの笑い声と金属音が交錯し、古い商店の匂いが風に混ざっている。
ノクス・ブロック。
闇の街――無能力者が暮らす区域。
人間らしさがまだ残っている代わりに、光の恩恵は届かない。
陽は高層ビルの間から両方の街を見渡す。
ひとつは整然とした未来。
もうひとつは、過去の残骸。
「……これが、この街の現実か。」
彼の声は小さく、風に紛れて消えた。
この都市は、二つの階層に分かれている。
能力者の住むルミナス・シティと、無能力者のノクス・ブロック。
そして、陽のアパートはその境界線に立っていた。
見上げれば、ルミナスの透明な街が空を覆い、
見下ろせば、ノクスの闇が地平を染めている。
「まあ、家賃安いからな……贅沢は言えねぇか。」
軽く肩をすくめる。
彼はまだ、自分の“能力”の本質を知らない。
――自分が不幸を呼ぶのではなく、周囲の不運を吸い取っているということを。
陽は肩にかけたカバンを持ち直し、ゆっくり歩き出した。
朝の空気はまだ涼しく、街の上層から反射する光が、通りの窓ガラスを淡く照らしている。
すれ違う人々は皆、整った制服に端末バンドを光らせ、今日の予定を確認していた。
中には能力で小さなホログラムを出しながら、笑い合う生徒たちの姿もある。
「……俺も、少しくらい“幸運”に恵まれてみたいもんだ。」
苦笑しながら歩く。
この街では、“幸運”という言葉に実感がある。
なぜならそれは、能力として存在するからだ。
彼の隣を通り過ぎた男が言う。
「昨日の取引、うまくいったよ。奇跡的に!」
そのすぐ横の女性が笑う。
「うちの子、能力診断でAランクだって!」
陽は心の中で「良かったな」と呟きながら、羨ましさでもなく、
“遠い世界の出来事”のようにそれを受け流した。
そのときだった。
――肩が、軽くぶつかった。
「あ、すみません。」反射的に謝る。
だが、相手は何も言わず、そのままふらりと歩き出す。
(無視……? いや――)
違和感。
その小さな背中を見た瞬間、陽は息を呑んだ。
白いローブ。
銀の髪が朝光を受けて淡く光る。
腰のあたり――赤い染み。
「……え?」
次の瞬間、その少女はよろけ、膝をついた。
倒れかけた身体を陽はとっさに抱きとめる。
「おい! 大丈夫か!? おい、しっかりしろ!」
胸元にかかった白いケープが、彼の腕に重くのしかかる。
掌にじんわりと温かい感触――血だ。
「……っ、これ、銃……傷……?」
背中の布が破れ、弾丸が通ったような穴がある。
リシアの体温は下がり始めていた。
「今すぐ、救急車を――」
スマホを取り出そうとした瞬間、かすれた声が彼を止めた。
「だ……ダメ……!」
少女は顔を歪めながら、唇を震わせる。
「……あいつに……見つかる……」
そのまま、彼女は糸が切れたように倒れた。
瞳がゆっくり閉じ、白いローブが風に揺れた。
陽は一瞬、立ち尽くした。
街の喧騒が遠のいていく。
そして、なぜか胸の奥がざわついた。
――この子を放っておいたら、取り返しのつかないことになる。
「……わかった。任せろ。」
彼は少女を背負い、足を動かした。
⸻
幸村陽が通う学校――ルミナス第一学院。
能力者育成のための都市直属の学園で、
外観は透明な壁面をもつ半球ドーム型。
内部では重力制御やホログラム授業が常時行われ、
まさに「未来の教育施設」だった。
だが、今の陽にはそんな光景に浸る余裕はない。
背中の少女の血が、制服をじわりと染めていた。
「保健室……保健室はどこだ……!」
駆け抜ける廊下。
生徒たちが振り返り、驚きの声を上げる。
扉を勢いよく開けると、
白衣を着た女性が、書類を片手に振り返った。
「……って、えっ!? なにその格好、陽!?」
彼女――朝倉 静(あさくら しずか)。
金髪のロングストレートに軽く巻かれた毛先。
アッシュグリーンの瞳に黒いシャツ、スキニーとヒール。
白衣を羽織っても隠せないほど整ったスタイル。
右目の下に泣きぼくろがあり、化粧は薄いのに存在感が強い。
だがその見た目に反して、口調は軽く人当たりがいい。
「登校したと思ったら、幼女を背負ってるとか……何事?」
陽は息を切らしながら叫んだ。
「先生! この子が撃たれて――!」
朝倉の顔から笑みが消える。
「ベッドに寝かせて! すぐに見せて!」
彼女は慣れた手つきで血を止め、
掌から柔らかな光を放った。
治癒能力。
皮膚がゆっくり閉じ、血が止まっていく。
光の粒がリシアの体を包み、傷は跡形もなく消えた。
「……これで命は助かったわ。」
安堵したように息をつき、朝倉は弾丸を取り出した。
黒光りする金属の塊――軍用規格だ。
「酷いね、これ。こんな小さな子に……」
朝倉は弾丸を睨むように見つめる。
陽は眉をひそめた。
「一体、誰がこんなことを……」
「もしかして、何も知らずに連れてきたの?」
「はい。見つけて、放っておけなかったんです。」
朝倉は溜息をついた。
「……幸村、あんた本当に不幸体質ね。
巻き込まれないようにしなさいよ?」
陽は少し笑って答えた。
「俺、不幸が日常なんで。今さら怖くもないですよ。」
朝倉は苦笑し、
「……とりあえずこの子は私が見とく。授業、遅れるよ。」
「お願いします。」
陽は一礼し、保健室を出た。
扉が閉まる直前、朝倉は小さく呟いた。
「……心配して言ってんのよ...余計なお世話かもしれないけど、アンタの能力ほど厄介なモノは無いんだから。」
⸻
夕方。
オレンジ色の光が校舎の廊下を染める。
陽は再び保健室の扉を開けた。
「目、覚めましたか!?」
朝倉が振り返り、微笑む。
「来たね。ちょうど今、起きたところ。」
ベッドの上の少女が、ゆっくり体を起こした。
まだ少し顔色は悪いが、瞳はしっかりと光を取り戻している。
眠たげな細目で、陽の姿を見上げた。
「……君は?」
「さっき言ったでしょ? この子を助けたのは彼。」
朝倉が軽く紹介する。
少女は一瞬目を見開き、口角を上げた。
「……ハル。助けてくれて、ありがとう。」
その笑顔は、どこか現実離れしていた。
夕陽を背に、白いローブが橙色に染まり、
その輪郭が淡く光って見えた。
陽は思わず息を呑む。
「……どういたしまして。えっと……君の名前は?」
「リシア。リシア・グラモリア。」
名乗るその声は澄んでいて、
耳に残るほど心地よかった。
陽は小さく笑い返す。
「じゃあ、リシア。よろしくな。」
窓の外では、風が優しく校舎を撫でていた。
――この出会いが、世界を変えるとは、
まだ誰も知らなかった。
陽はふと、彼女を見つめながら思う。
(……この子、女神みたいだ。
でも……何か、怖い。
俺と同じ匂いがする。
最悪の運命を背負った、何か――)
心の奥で、かすかに願った。
(神様。もし、まだこの世界にいるなら――
どうか、今日だけは、不幸でありませんように。)
夕陽が傾く。
窓際の光の中で、リシアは微笑んでいた。
――つづく――
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